Fly Up! 155

モドル | ススム | モクジ
「ポイント。シックスフォー(6対4)」
「しゃ!」

 スマッシュが右奥へと決まり、武は高く手を掲げた。今まで急角度のスマッシュを打っていたところで、急に浅く、長く進むスマッシュに軌道を変えてみると坂下も反応しきれなかった。右肩口を越えていくシャトルを取りきれずに、コートへと落としていた。

(まだ逆転されていない。それにしても……暑い)

 武はシャトルをもらって羽根を整えている合間に、壁にかけられている時計を見た。時刻は試合開始から既に二十分を経過している。しかし互いのスコアは伸びていない。一つ一つのラリーが今まで経験したことがないくらいに長くなっている。

(第一シードに持久戦。長いほど地力の差が出てくるっていうけど……耐え切れるのか)
「武」

 羽根を直し終えてサーブ位置に立つ武だったが、背中から吉田の声がかかる。
 武は振り向かずに頷く。吉田の言いたいことは分かっていた。迷いを持って打てばすぐに叩き落される。目の前の一点だけを求めて打たなければ得点は入ってこない。

(体力が尽きるかどうかを心配する前に、勝つことを心配しろ)

 迷いを振り切り、ネット前の坂下を見る。武の甘いサーブを叩き落してやろうという気合で姿が大きく見えるほどだ。だからこそ武は一歩踏み込み、ショートサーブを打つ。
 少し高く上がってしまったシャトルを見逃さずに、坂下はプッシュで武を抜く。しかし、その先には吉田が回りこんでネット前にヘアピンを返していた。

(――まただ! また吉田に)

 今までサーブが回ってきた時、全て同じように甘く入ったシャトルを吉田にフォローされていた。吉田のカバーリングによって前に陣取った武だが、坂下のヘアピンに自分も同じくヘアピンを返す。ネット前の技では坂下に一日の長があった。

「すまん!」

 無理せずにロブを上げてサイドに広がる。後ろから川島のスマッシュが武へと放たれ、余裕が無い武はまたロブを上げるしかない。

(向こうはどちらも前衛後衛が強い。俺は前がこのレベルだと使い物にならない……)

 ラリーが長引いているのはこれにも原因があった。武達は力を発揮できる前衛が吉田、後衛が武という陣形にするために攻撃よりも防御を取る時のほうが多い。だが川島と坂下は二人ともほぼ同レベルの実力を持っており、どちらが前後だろうと攻撃力は変わらない。攻めはそのまま行われる。

「らっ!」

 スマッシュはまた武のほうへ。今度は前にシャトルを落とせると、吉田は前に走り、武は後ろへと向かう。本来ならば打った者がシャトルと共に前に移動することが自然な動きでタイムロスも少ない。そのロスを補うために移動にも神経を使う。
 結果、武はいつも以上に疲労感を得ていた。吉田も相当だろう。

(それでも!)

 吉田のネットプレイに上げられたシャトルを、武が強打する。サイドばかりを狙ってきたため、今度は相手の二人の真ん中へと。並みの相手ならどちらが取るかでお見合いをしたりラケットをぶつけ合ってしまうが、川島が無駄な動き無くシャトルを弾き返す。

「はっ!」

 そのシャトルの弾道を読んだか、吉田がシャトルが弾き返された音に被せるようにラケットを振った。そしてシャトルは川島の胸部に吸い込まれた。

「ポイント。セブンフォー(7対4)」

 吉田は謝罪に頭を軽く下げてから元の位置に戻る。武もおおっぴらにはせずに小さく「ナイスショット」と呟いてラケットで肩を叩いた。

「ああ。どんどん打てよ」

 吉田の言葉に頷く武。しかし、吉田の顔から出る汗が中盤に入り始めるこの頃にしては多いことに気づかないわけにはいかなかった。

(やっぱり吉田は無理をしてる。でも、カバーしようとした段階で俺らは崩れる……なら)

「俺をカバーしようと思うな」

 武が言おうとした言葉を先に吉田が呟いた。吐き出そうとした言葉が胸につまり、息が止まる。

「俺がいつも以上にカバーする。だから、武はいつも以上にスマッシュを決めろ。それでいい。お互いがいつも以上のことをしないと勝てない」
「分かった」

 吉田の言葉に決意を嗅ぎ取り、武はシャトルを取る。吉田が構えるのを確認してから、今度はロングサーブを放った。いつもよりも弾道が低い、いわばドリブンサーブ。川島の右肩口を狙ったそれを、川島は身体を強引に入れてスマッシュで返す。だが、シャトルはネットにぶつかりコートに落ちた。

「ポイント。エイトフォー(8対4)」
「しっ!」
「ナイスサーブ!」

 急激な速度変化に川島もついていけなかった。初めて使うからこそ通じた手。
 それでも一つ一つ得点を重ねていくことが武達に必要なこと。

(慣れられたら、そこでまた考える)

 場所を移動してのサーブ。今度はドリブンではなく通常のロブ。
 距離が短い分、強打に厳しいが今の自分達ならば取れると武は判断した。
 坂下のショットは、ドロップ。サイドに切れていくカットドロップだが、自然と前に武は足を出す。

(ここからロブで坂下を走らせる!)

 前にいる川島のプレッシャーをはねのけて、高くロブを武は打った。綺麗なストレートロブ。シングルスラインに重なるようにシャトルは弧を描いて落ちていく。坂下はサイドステップで素早く下に回りこみ、ストレートのスマッシュを放ってきた。それをまた武はストレートのロブで返す。

(大分目も慣れてきた。けして取れない速度じゃない!)

 よほど体勢を崩されなければスマッシュでも決まらない。それは第一シードと戦える自信になる。迷いがない分、武のラケットは強いシャトルを空いてコートへと飛ばす。

「はっ!」

 スマッシュとロブの打ち合いを避けて坂下はコート中央にシャトルを落としてきた。吉田がすかさずそれを取りにいき、武は後ろ中央部に構える。吉田の前には川島。ネット前の攻防に吉田はどうするのか。

(サイドにヘアピン――)

 吉田の前にシャトルが落ちた瞬間、武は動こうとした身体を一瞬止めた。
 身体やラケットの向きから右サイドにシャトルが向かうと予測して動こうとした武だったが、逆に左前にシャトルが飛んだのだ。これには川島も虚を突かれたのか、遅れてラケットを伸ばす。シャトルを捉えるも、上がったところを吉田がプッシュでコートに沈めた。

「しゃ!」
「ナイスショット!」

 吉田の掌に手を叩きつける武。一つ一つ、試合の流れを持っていく。

「今のどうやったんだ?」
「新技を試してみたんだよ。ぶつけ本番だったけど」

 詳しくは言わなかったが、吉田もまたいつもの自分以上を実践している。今までの自分達が通用しない相手だからこそ、いつも以上のことを仕掛ける。その結果が点差に現れていた。

(あと、六点。何とか取る)

 シャトルを構えて、サーブに供える。相手からのプレッシャーはより強く武へと圧し掛かる。

(そうだ。いくら点差を広げても、このプレッシャーが消えない限り勝てない)

 普段ならば落ち着けるだろう点差も、意味はなさない。例えばこのサーブ権を奪われた瞬間に点差を一気に詰められるかもしれない。だからこそ、一点でも多くサーブ権を持つ間に取らなければいけないのだ。

「一本」

 普段よりも抑え目の言葉。息を何度か吸う吐くを繰り返し、集中力を高めるよう自己暗示をかけていく。
 狙うのは一点。白帯の、シャトルコック分だけ上。
 ラケットが動き、シャトルを飛ばす。相手が飛び込んでくるところを見ずにコート中央に入る。
 シャトルの動き。
 相手の動き。
 自分の動き。
 全てはばらばらに動き、一つに収束する。
 放たれたシャトルは白帯の上ぎりぎりを通過した。坂下も強打は出来ないために軽く前に押し出すようなプッシュとなった。
 そこを武が強打する。狙うのは坂下の右肩。ドライブで強襲したシャトルを坂下は触れられずに、なおかつ体の影になって川島も簡単には取れないだろうと予想して。
 その予想も半分は当たった。坂下は取れなかった。いや、取らなかった。
 元から思い切りシャトルをしゃがんで避け、その先には既にカバーに入っている川島。背中が見えるほど身体をねじり、バックハンドでシャトルを狙い打つ。

(どこに――!?)

 始めて見る構えに武は一瞬迷った。その迷いの時間だけで、シャトルは武の目の前まで領域を浸食した。反応しきれずに、シャトルが武の額に当たって跳ね上がった。

「サービスオーバー。フォーナイン(4対9)」
「いつつ……」
「すみません」

 額を押さえて項垂れる武にかけられる川島の声。
 そこに、何の感情もないことに武は背筋から震えが来ていた。その震えを悟られないように顔を上げて笑顔で問題ないことをアピールする。
 跳ね上がったシャトルは武の後ろに落ちていた。それを拾ったのは吉田。川島へと返して武にドンマイと肩に手を置く。

「仕方が無い」
「ああ……やっぱり凄いな」

 この試合の勝敗を分けるのは迷いがないかどうか。相手が打つ瞬間に迷いを持った分、反応が遅れて対処できなくなる。今までのポイントも相手を迷わせた上で取っていたことが武には良く理解できた。

「まずサーブ権を奪い返す」
「ああ。一つ一つ目標達成だ」

 川島がサーブ姿勢に入ると同時に武達もそれぞれのレシーブ位置に戻る。
 ショートサーブをまずはどうするか。一瞬の判断で決定する。
 武の今までは全てロブを上げていた。なら、今回はどうするか。

「一本!」

 川島が鋭く呟いた瞬間、シャトルが武の頭の上を掠めるように飛んでいった。
 思考の死角。
 選択肢になかったわけではない。自分達が出来ることならば、相手も出来るはずだと思っていた。
 だが、武はぴくりとも動くことが出来なかった。シャトルがコートに落ちた時点で後ろを振り返る。センターラインと、ダブルスサーブラインが交差する場所。ちょうどそこにシャトルが転がっていた。

(なんて命中精度だよ。どれだけ練習すれば)

 どれだけ練習すれば、そんなピンポイントを狙えるようになるのか。全く想像がつかない武にとって、川島のサーブは一点以上の重みを与える。
 しかし、今の武もそこで折れるような心は持っていない。

(まだだ。どんな練習しようが、一点は一点だ)

 動かない武の心中を察したのか、吉田がシャトルを拾って返す。一言礼を言って武は後ろに下がった。次の吉田へのサーブを、川島はどう打つのか。
 ショートサーブ。ロングサーブのほかにもう一つ増えた選択肢。
 これまでショートサーブを駆使してきたため、知らず知らず前に意識が集中していたのが分かる。これから、後ろに来るのか。それとも前なのか。

(どっちだ)

 武が答えを見つける前に、サーブが放たれる。
 ネットを越えて前のサービスラインに落ちていくシャトルを吉田はヘアピンでネット前に落とそうとする。しかし、前にすでに構えていた川島が小さくプッシュをして吉田のいる方向の逆へと落としていた。
 連続したポイント。今、明らかに吉田の前へのダッシュが遅かった。そのためにシャトルを叩けず相手のチャンスとなってしまった。

(これからが、本番ってことか)

 武には見えていた。恐らく吉田にも見えているだろう。
 口を開き、牙を光らせる獣の姿が。

「よーっし! ストップだ!」

 下を向いて思い切り声を吐き出す武。背中から闘志を迸らせるかのごとく。顔を上げた時に見えるのは吉田の顔。まだ弱さは見せないが、武には徐々に相手の強さに浸食されていくように見えた。

「ここからが本番だ。行こうぜ、香介」
「……言うじゃないか、武。それは俺が言おうと思ってたところだ」

 吉田が掲げた掌に、自分の右掌を打ち付ける。勝利したわけでもない行動にも、お互いに何も疑うことはない。
 自分達の思いを一つにすること。
 ギアチェンジはこれで完了した。

『さあ、ストップだ!』
『一本!』

 二人に答えるように、坂下と川島が叫び返していた。
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