Fly Up! 154

モドル | ススム | モクジ
「お願いします」

 コートに入り、ネットを挟んで握手を交わす。武は微かに頭を上げて相手の目を真正面から見る。川島は少し笑みを浮かべて「お願いします」と呟いた後、さっと身を翻した。
 自分の掌を見ると汗ばんでいる。武はハーフパンツの裾で掌を拭くと一つ息を吐いてレシーブラインへと下がった。
 隣でじゃんけんをした吉田は、サーブ権を得ている。こちらからの攻撃から始まるのはありがたい。先制で流れを掴むチャンスだ。

「流れを取れるとか思うなよ、武」
「人の心読んだみたいに言うなよ」

 思っていたことを当てられたことで武も口調がきつくなる。しかし、吉田の口調が既に本気モードであることからその緊張感が伝わってきた。吉田は今、集中力を高めようと必死になっている。余計な雑念を払い、ただ一点をもぎ取るために。

(そこまでしないと勝てない相手。分かっていても、理解していなかったってことか)

 武もゆっくりと。しかし一つ一つ意識を先鋭化させていく。身体で感じるのは四方に広がるコート。そして対戦相手。

「ファーストゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 四人が同時に叫ぶ。そして吉田はショートサービスの構えを取り、武は後ろで体勢を低くする。一瞬で来るだろうシャトルを打ち損じないために。

「一本!」

 吉田がショートサーブを放った瞬間、動く前衛。川島がラケットヘッドを立ててネットぎりぎりに飛んでいったシャトルを叩き落す。威力はそこまで強くはないがコースが絶妙で、吉田の防御網を越えてコートに落ちようとする。

「サイド!」

 吉田へと言い放ち、武はインターセプトされることがない大きなロブを打った。コートの最奥へと落ちていくシャトル。その下に入り込む坂下。
 スマッシュがどれだけ速いのか。コースを突いて来るのか。
 この一撃で分かる。

「はあ!」

 武と似たような咆哮。弓の様に身体を引き絞り、一気に解き放つ。

(――!)

 ラケットヘッドが振り切られた瞬間に武の眼前にシャトルが迫ったかのような錯覚。今まで受けたスマッシュの中では最速。それでも。

「はっ!」

 咄嗟に眼前にラケットを持ってきて、力を入れずに押し出す。するとシャトルは威力を拡散されてネットを越えて空いてコートに入りかける。

「うら!」

 しかし川島がラケットを差し出す。
 川島の反応は早く、シャトルをプッシュする。しかし、吉田が差し出したラケットがシャトルを弾き返し、相手二人の中間へと落ちようとしていた。だが、後ろから坂下が飛び込んでネット前にシャトルを上手く浮かせて届かせた。
 そこに武も飛び込む。
 シャトルへとラケットを水平に届かせ、シャトルヘッドをスライスさせる。不規則なスピンがかけられ下に落ちていくシャトルを見ながら、武はネット前に進んだ。吉田はその間にバックに下がる。川島もまた武とネットを挟んで睨みあっていく。その瞳は、武の動きを全て見切らんとする眼力を備えていた。

(この目……)

 吉田から放たれたスマッシュが川島の横を過ぎる。サイドステップでそれに追いついた坂下は、クロスドライブで返した。ちょうど、川島の頭の横を過ぎらせるように。

(なっ!?)

 頭部が死角となり、一瞬見失った間にシャトルは武の頭の横を過ぎ去っていく。少しでもラケットを動かせばインターセプトが出来たが、その『少し』でさえ動くことが出来ない。

(もっと集中しろ!)

 再びスマッシュが放たれる。今度は先ほどと逆サイド。吉田も様子見と攻撃を兼ねているのか、厳しくも取れなくは無いコースに打ち分ける。
 だが坂下も特に困難とは感じていないようなステップで今度はストレートに打ち込んできた。武はすかさずラケットを掲げ、シャトルをインターセプトする。
 次の瞬間、武の眼前をシャトルが通り過ぎていった。

(そんな――)

 シャトルがコートに落ちる。その光景がスローモーションに見える。何が起こったのか分からなかった。
 いや、正確には分からなかったわけではない。
 ただ川島が武よりも後で動き。
 武とほぼ同時にシャトルを叩いた。
 武が止めたシャトルを一瞬で弾き返したのだ。
 だがそのシャトルを吉田のラケットが掬い上げる。今まで平面から下を交差していたシャトルが空高く上った。

「一度横に広がれ! 武!」

 体勢を立て直すためなのだろう。吉田の意図を汲んで武はネット前から後ろに下がった。
 その時点で初めて気がつく。相手は、先ほどの武達と同じようにずっとトップアンドバックの陣形を取っていたことに。

(防御の姿勢をとらずに攻撃……これが、こいつらの強さ!)

 本来ならば攻撃態勢をとるならトップアンドバック。防御姿勢をとるならサイドバイサイド。用途によって陣形を変えるのがセオリー。
 というよりも、そうしなければ隙が大きくなり自分達が防御側に回った際に対応できない。だが、坂下と川島はトップアンドバックの状態のまま、武達の攻撃を受けきって攻勢に出てくる。

(なんて奴らだ……! しゃれにならない!)

 武と吉田も攻撃が甘かったわけではない。ライン際に向けて厳しいショットを打ち込んだのは間違いない。しかし、前は川島の素早い動きでインターセプトされ、後ろは坂下のカバーリングによってシャトルはコートに落ちることがない。
 結局、攻めきれずに坂下からスマッシュの嵐を受けている。何度もスマッシュを打たれないために前に返したいと武は思ったが、スマッシュの威力が強く、中途半端に前に上げてしまうことを恐れて奥まで飛ばしていた。

「うおあああ!」

 武にも負けず劣らずの咆哮。そしてそこから放たれるスマッシュ。集中力を一瞬でも途切れさせれば、後ろに抜かれるだろう速さ。そして威力。今まで自分と同等の速度やパワーを持つ相手はいた。しかし、今、目の前からスマッシュを放ってくる相手は、わずかにだが武を上回っている。

(速度も、力も。だけ――ど!)

 バックハンドであえて構えてから、少しだけラケットを前に出す。
 十回を超えたスマッシュの中で、武は一瞬だけ先手を打つ。今まで後手に回っていた分を取り返すために。
 カウンターで捉えたシャトルは今までよりも鋭くネットを越えていこうとする。天井にぶつけるかのように高く上げていたところから、ドライブ気味に飛ばして後ろで打つ坂下の脇を抉ろうとする。だが、ネットを越える瞬間に川島が弾道にラケットを重ねてきた。一瞬のうちにシャトルは止められて武達のコートに弾き返される。それを拾うのは吉田。
 真っ直ぐヘアピンを落とそうとすれば川島のプッシュの餌食。それが分かっていても、吉田にはそれしか選択がなかった。クロスを打っても狙い撃ちにされる。ラケットを平行に滑らせてスピンをかける。空気抵抗を受けてふらついたシャトルは、ネットの白帯に当たると密着したまま川島の前に落ちた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ナイスショット」

 落ちたシャトルを広いながら川島が言う。

「さすがにアレは取れないからな」

 吉田は無言でシャトルを受け取り、武の元へと戻る。まずは一点を取れたことに一息つこうとしていた武だったが吉田の表情の厳しさを見ると息を呑んだ。

「大丈夫か?」
「ああ。だけど、こっから先は出来れば最後まで息をつかないほうがいい」
「え?」

 言葉の真意を確かめようにも、すでに吉田はサーブの姿勢を取っていた。今の流れを断ち切らずにポイントを取ろうとしているのか。真意は分からずとも、吉田が武が想像している以上に気を張り詰めていると言うことは分かった。

「よし、一本!」
「一本!」

 声に押し出されるようにシャトルがネット前に飛ぶ。全くシャトルが浮かずに相手コートに入りかけた時に、坂下がそれをプッシュしてくる。サイドを狙ったそのコースに武のラケットが入り、クリアを飛ばした。そこからサイドバイサイドとなり、攻撃に備える。

(あんな良いサーブをここまで厳しいプッシュしてくるなんて……)

 逆を言えば、少しでもサーブを失敗したならば、そのレシーブは保証できないということ。シャトルが降下を開始し、川島が落下位置に入って構える間にそこまで考えた武は次の瞬間、目の前に迫るシャトルに思考を停止させた。

(――!?)

 咄嗟にラケットを掲げて弾き返すとちょうどネット前に落ちていく。軌道は白帯にぶつかるように。
 それはさっきの焼き増しのように。
 シャトルコックが白帯にぶつかって、ネットに沿うようにして相手コートへと落ちていった。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
「ラッキーだ」

 吉田の控え目な言葉に我に返る。今まで感じていた周りの流れが一気に加速したかのように感じて、武は身体を震わせた。

(今、危なかったのか)

 武がショートサーブへのプッシュの厳しさに意識を傾けている間に、川島のスマッシュでシャトルが武の目の前まで迫った。それだけのことだが、それは短い時間だったはずだ。それでも、危うくシャトルを顔にくらうところだったのだ。

「武。油断するな」
「香介……」
「まぐれは三度は続かない。全てを目の前の一点を取ることに傾けないと、この相手には勝てない」

 改めて、川島と坂下を見る武。二人は悠然と立っているが、その闘志はまるで武達を殺そうとしているのではないかというくらい高まっていた。
 一度深呼吸してから武は構えを取る。吉田もそれを確認した上で、サーブ姿勢を整えてネットを挟んだ先にいる川島をにらみつけた。ネットを越えてくるプレッシャー。遂に第一シードの本領発揮と言ったところだろうか。

「一本!」

 コート上を覆うような圧力に負けないように、武が叫ぶ。吉田がその気合に乗せるようにショートサーブでシャトルを運ぶ。
 そして、川島が一瞬でそれを弾き返す。
 今までよりも更に外側。サイドラインぎりぎりに落とされるシャトルを、武は右手を力の限り伸ばして拾おうとする。

(こなくそ!)

 シャトルの動きは最後まで追わずに、ラケットを振り切る。確かな手ごたえと共に相手コートへとクリアされるシャトル。即座に右サイドに自分の立ち位置を移す。吉田も既に左サイドに構えていた。セオリー通りのローテーション。対するは川島が前。坂下が後ろというトップアンドバック。坂下の強力なスマッシュで浮いた球を川島が叩き落す。
 相手もまた理想の陣形。

「こい!」
「いくぞ!」

 珍しく叫ぶ吉田に、坂下が応える。裂ぱくの気合と共に放たれたシャトルは吉田の胸部へと目掛けて突き進んだ。武の目線が追いつかない速度で。

(速い!)

 今までよりも更に速い。まだ速度が上がるという現実を突きつけられても、それに消沈する前に身体が動く。吉田はバックハンドで丁寧に速度を殺し、ネット前に落とす。そのままコート前中央部に進む吉田。逆に後ろへと下がる武。
 次に相棒が打つショットを完全に予測し、行動を取る。先読みの速度は負けていない。
 ――あくまで、相棒の動きの先読みだが。

「しゃ!」

 前に飛んだシャトルを前に詰めた川島が逆サイドに向けてネットすれすれにヘアピンを打った。吉田もラケットを伸ばすが、届かないままシャトルが落ちる。

「サービスオーバー。ラブツー(0対2)」
「ヤーッ!」

 川島が腕を高らかに掲げる。ネットを挟んで吉田の前で。勝者が敗者を見下ろすかのように。吉田は無言でシャトルを取り、相手に返して元の位置へと戻る。

「香介……」
「まだまだこれからだ。絶対リードは奪わせない」

 今のまま、点数を逆転されないでいくという決意。武はそれ以上何も言わずに頷く。
 第一シードへの挑戦はまだ始まったばかり。
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