Fly Up! 153
武は瞼の上からうっすらと差し込んでくる光にゆっくりと目を開けた。カーテンから差し込む朝日。わざと少しだけ明けて光が差し込んでくるようにしておいたかいがあり、目覚ましなしで起き上がる。
時刻は朝六時半。前日は試合の疲れを残さないために、眠気に任せて風呂上りにすぐ就寝した。
ベッドから起き上がり、身体の動きを確認する。朝とは思えないほど身体が軽い。多少足にだるさがあるが、これも動いていくうちに消えるだろう。コンディションは良い。一回戦、二回戦を突破していることでテンションも上がっている。
残りは、相手を倒すことだけ。
「よし」
両頬を一発張ってから武は寝巻き代わりのジャージを脱ぐ。今日は試合会場から直接帰宅するため、荷物を詰める行為も残っている。と言っても、ユニフォームやジャージの他は荷造りを済ませていた。明日に回そうという誘惑に耐えて、風呂に浸かる前に終わらせておいたことに武は自画自賛する。
(今日で、最後なんだな)
一年。たった一年前からは考えもつかなかった場所にいること。
休みを利用しての小旅行。それが今日終わる。勝とうと負けようと。
「っし。行くか」
昨日の夜時点でパンパンに詰まっていたところに更にジャージを押し込む。強引にジッパーを締めてからリュックを背負う。ラケットバッグと二つ同時でいつもよりも重い。
「って重い重い!」
口にしても誰も聞いていないが、内からくる寂しさを紛らわすには声に出すのが好ましい。どちらにせよ終わってしまう大会に武は闘志を奮い立たせた。勝って有終の美を飾ろうと。
「おーい、相沢。用意できたか?」
ドアがノックと同時に開かれ、独り言を呟いていた武は口を閉ざす。姿を現した吉田に聞かれていないかと思うが、特に触れずに吉田は言葉を続ける。
「これから飯食べて、すぐ向かおうぜ。今日は少し早めに行って打っておきたい。第一シードとだし、すぐだろうから」
「ああ。分かったよ」
吉田が身体を引くのにあわせて武も部屋を出る。一度吉田に背を向けて鍵をかけ、また振り向くと吉田の笑みがそこにあった。
「な、なんだよ」
「独り言は聞かれないように言っておけよな」
「この――」
文句を言うのにも荷物が邪魔をする。
吉田を叩こうとしても、動きが鈍くなり手は空を切る。吉田は笑いながら廊下を早足で駆け抜けていった。武はため息をついてから足を進める。
(どこかあいつも浮ついてるっていうか。無理にテンションを上げようとしているようにも思えるなぁ)
あるいは自分がナーバスになり、他者に原因を求めようとしているのか。
どちらにせよ、武は自分が通常の精神状態ではないことを自覚し始めていた。
(会場に行けばふっきれるんだろうけど、今の時間帯が一番なんかやばいな)
吉田が通った道をなぞり、武は食堂へと着いていた。他のメンバーは既に席に着いている。
今日、試合があるのは男子は小島と武達。女子は早坂。
自分達の地区の代表として戦った結果、残った四人。
これが現在の自分達の位置。
席についたところで、庄司は立ち上がって選手達を眺めた。
「皆。今日が最終日だ」
誰もが知っている事実。だが、改めて発せられたその言葉は場を引き締めた。
既に出番がない選手達の中にも様々な思いが宿り、顔に浮かび上がる。
安西と岩代は苦悩の顔。
他にも自分達の実力ならばと諦めている者もいれば、遠くを見て何かを思っている者もいる。
「今日試合をするのは四人。残りの者は帰るという選択肢もあったが……それは提案しなかった。学校を超えてこうして集ったお前達は一つのチームであると俺は考えている」
庄司の言葉に皆は自分の中学の仲間。そして他校の面々を見やる。
今まで強く結びついていた中学という枠。
底から一つ抜け出して、一つの地区の代表という立場。それは小学校や中学校という流れの中ではけして体験できないことだ。
「まだ14歳のお前達はまだまだ世界が狭い。普通なら、小中高と進む中で他校の生徒と交流して、自分の世界を徐々に広げていく。自然とそういうシステムになっているわけだが、部活をしているとそうじゃない時もある。自分達の力次第で、いきなり大きな世界に飛び込める。今のお前達みたいに」
そこで庄司は時計を見る。食事をするにはここが限界の時間だと感じたのか、一息吐いて会話を終わらせる言葉を紡ぐ。
「後は試合が終わった後に話すが……こうしてスポーツをすることは勝ち負けだけじゃないということを、今日学んで欲しい。以上」
庄司の言葉も終わり、武達は各々朝食を取りに行く。バイキング形式だけに料理を選べるが、武はいつも食卓に並ぶようなチョイスで食卓へと戻った。隣に座った吉田が内容を見て苦笑する。
「折角いろいろあるんだから日頃食べないもの選べばいいのに」
「今日が大一番じゃなければな」
吉田に返答してから食事に手をつける。吉田が真意を測りかねているのを感じて更に武は言葉を重ねた。
「いつも以上の力を出さないと駄目なんだから、まずはいつも通りにしようかなって。いつも試合前に吉田が言ってるだろ」
「……確かに。まさか相沢に教えられる時が来るとはな」
「お前のおかげだろ」
言った直後に恥ずかしくなり、武は食事に全力を傾ける。その言葉はもう少し後に取っておく。
今日、優勝した後で。
「お前らもいい感じじゃないか」
目の前に座ったのは小島。皆よりも一足遅い着席だったが、その理由はトレイに居並ぶ朝食の数々だった。見る限り、並んでいる全てを持ってきていた。
「昨日までビビッてた相沢も本調子だし。逆に吉田がプレッシャーかかってないか?」
「……やっぱりばれてるか」
「そうだぜ。お前も小学校の時とかに全道きたことあったよな? そんな緊張することか?」
「今回はまた少し違うさ」
何が違うのかを聞こうと武は食事を中断したが、すでに吉田が口に物を運んでいる。時間に余裕はあるが、それでも食事の間にずっと話していられるほどはない。
「さっきの庄司先生の演説。良かったよ」
「ん?」
小島がそう言ったことは武には意外だった。皆が仲間というのは小島には何故か似合ってないと武には見えていたからだ。
「俺が言うのは意外だったか?」
「ん……ああ」
素直に頷くと小島は笑う。
「俺さ。ずっと『チーム』って分からなかったからな。小学生の時から周りにバドミントンやってる奴いなかったし、しかも上手かったから誰も俺の相手できなくてな。教えてくれた人とばっかり打ってて、同年代の奴等とこうやって一緒に試合するとかなかったからな」
常に上にいた者の孤独。それは早坂に通じるものがあると武は思う。だから小島は早坂に惹かれるんだろう。
「だから今回は調子いいぜ。絶対優勝する」
「俺らも頑張るよ……っって食べるの早いな」
話している間に小島の山のようにあった朝食が胃袋に収まっていた。
* * * * *
会場に到着する。三日目ともなると多少道を覚えてくる。タクシーの中で前日、前々日に通った街並みを見ていると武も愛着が少しは沸いてきた。
今日で見納めになるであろう、過ぎていく街並み。
今日で見納めになるであろう、近づいてくる景色。
先にあるものは、一つの体育館だ。
二日間熱戦が繰り広げられ、今日、北海道の頂点が決定する。
(頂点に、俺も挑む)
武の身体が震えている。隣に座る吉田は何かを言いかけたが、口を閉ざした。
それがけして怖さからきているものではないと知っているから。
過去、プレッシャーがかかる試合で怯えていた武はもういない。
武者震いをするほどに、強い相手に挑む時の肝が据わっていた。
「っしゃ」
小さく気合を入れたところで、タクシーは体育館に着いた。料金を払って外に出ると、急に冷たい風が吹き付けてくる。
「さむっ!」
「早く中に入ろう!」
吉田は言うやいなや走っていく。武も後を追って滑りそうになりながらも入り口までたどり着く。雪を払っていると後続の安西達も吹雪に悲鳴を上げながら向かってきた。
「酷いな」
「ここ最近一番の寒波だとか天気予報で言ってたけどここまでとは」
安西と岩代の言葉には、特に変化は見られない。少なくとも表面上は昨日の敗北を受け入れられているようだった。
残りの男子、女子も到着して皆が集ったところで、体育館の中へと入る。
「あれ……なんか人、少なくない?」
「多分、自分の地区が皆負けたから帰ったとかじゃないか?」
武の疑問には小島が答える。
朝食時の庄司の言葉が脳裏に蘇る。最後まで見ていく選択肢もあるだろうが、各自の都合もあるのか。
「閉会式への参加義務もないしな。案外そのあたりはアバウトなんだよな。大体は最後まで残るのは各代表の考えに委ねられてる」
「へぇ……そういうもんか。俺なら残るなぁ」
「宿泊費の問題とかもあるしな。学校からもらってるとなると、ただ残っていたいって理由だけだと出してもらえないところもあるみたいだ」
小島の次に答えたのは吉田。二人とも、共に小学生時代に全道を経験しているからか、武だけではなく他の面々も感心していた。
「さて、俺たちの場所に向かうとするか」
「ああ」
昨日まで自分達がいた場所へと歩みを進める。だが、目の前からやってくる人影を見て武の足は自然と止まっていた。
第一シードの川島と坂下。昨日、圧倒的強さで相手を叩き潰していたダブルスペアが階段を下りてくるのにちょうど当たってしまう。
武は身構えたがしかし、横を何も気にすることなく降りていく。そのままフロアの中へと入っていくのをただ見ていた。
「全然相手にされてないな」
「眼中に無いって正にこのことだな」
小島と吉田は想定の範囲内だったのだろう。しかし武には前日に話かけてきた光景を覚えているだけに、目の前で見せ付けられるとやはり精神的に辛かった。
「仕方が無いけど、やっぱり腹立つな」
「怯えずに腹立つだけ成長してるさ」
いつかもやったことがあるような、そんなやり取り。
一つ山を越えればまた一つ大きな山がある。そこで超えるには、力をつけて山を登るしかない。
「ほんと、世の中は広い」
「これからもっと広い世界が見られるさ。このまま続けられるなら」
いつになれば頂上につけるのか。あるいは登頂することなどないのか。
それでも、今は走り続ける。いつか先が霞んででも見えるまでは。
二階、応援席の自分達のエリアへとたどり着いて、荷物を置く。
昨日までは慌しく仲間達が移動していた。早く動かねばウォーミングアップの場所がとられていたからだが、今はもうその場で荷物をまとめてゆったりとしている。
今ここで、フロアに下りる資格があるのは四人しかいない。
「刈田。基礎打ち頼む」
「瀬名。お願いできる?」
シングルスの二人はそれぞれ相手を選び、武と吉田は互いに顔を見合わせて立つ。
今日の試合の流れはダブルス、シングルスのベスト8。少し時間を置いてからそれぞれの準決勝、決勝を行う。
第一シードと試合をする武はすぐそこに出番が控えている。
「よし、やれるだけやってこい!」
庄司の激励に応え、武はフロアに向けて走りだす。後ろに吉田や小島たちがついてくるのも分かる。
自分は一人ではないと気づくと、小島が言っていたことも理解出来た。
(確かに皆がいるって、頼もしいな)
この時間がもっともっと続けばいい。だからこそ、目の前の相手を倒す。
フロアまで一直線で駆けていき、扉を空けて飛び込む。
既に集っている選手達。八人と八組。総勢二十四人の精鋭たち。
『それでは試合を開始します。第一試合――』
ついに全道の頂点への戦いが幕を開ける。
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