Fly Up! 139

モドル | ススム | モクジ
(まずは、一本)

 早坂はロングサーブで相手を遠くへ追いやってから視線をコートに走らせる。どんなフットワークを持っているかを確かめるために効果的なポイントを探した。
 ストレートにスマッシュで打たれたシャトルをクロスヘアピンで対角線に落とす。最長距離を移動させるコース。相手選手は腕を目一杯伸ばしたが、届かないままラケットを静止させる。シャトルの落ちる音が静けさの中に響いた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 今の静寂が何を示すのか分からない早坂ではない。各場所で聞こえている声援とは別に、自分の試合を見に来ていたプレイヤー達が、そのシャトル捌きに息を呑んだためだった。自分の打ち分けを過小評価も過大評価もしない。
 今のコースを打って取れるのは全道でも少なく。
 今のコースを狙って打てるのも全道では少ないだろう。
 その少数の中に早坂がいるのだという事実を周囲が知ったのだ。

(隠すものなんてない。最初から全力で、打ち続ける)

 シャトルを渡されて羽根部分を整える。今の攻防でフットワークにはさほど脅威を感じない。スマッシュも瀬名と同等に思えるが、武よりは早くない。

(ほんと、相沢のスマッシュを受けられるおかげで女子の間ではスマッシュは怖くない)

 サーブ姿勢を整えて、早坂はショートサーブを放つ。後ろに飛びかけた身体を前に戻した相手はヘアピンを打って早坂の姿勢を崩そうとした。だが、早坂は柔らかくラケットをシャトルの落下点へと走らせてロブを打った。綺麗な弧を描いて飛んでいくシャトル。それを追う相手。

(……ストレート!)

 身体の動きを見て一瞬で推理すると、後はラケットを出すだけだった。
 どんぴしゃりの場所へきたシャトルを、ラケット面を合わせるだけで落とす。
 シャトルはそのままコートへと落ち、相手は何が起こったのか分からないという顔で打った地点で立ったままだった。

「ナイッショー!」

 客席から声が聞こえる。早坂は口元に浮かぶ笑みを最小限にしながら、それでも止めることはなかった。

(こんな大きな舞台なのに、聞こえる声はいつもと同じなのよね)

 自分の中に生まれる安心感。武の声に宿る温かさ。自分の力を信じてもらえるということに最初は赤面していたが、試合になればそれは背中を大きく押す。

(認めるわ。相沢がいるから、私は強く戦える!)

 早坂のドロップがネット前に落ちるたびに相手のラケットが甘い球を上げてくる。そこをスマッシュで叩き込む。そんな動画の繰り返し再生みたいな展開が何度も続き、一気に早坂は一ゲーム目をもぎ取ろうとしていた。

「ポイント。ナインファイブ(9対5)」

 審判のコールもどこか畏怖の念を早坂に感じさせる。地区大会ならともかく、一回戦とはいえ全道大会でここまでワンサイドゲームを演じている自分自身が最も驚いているのだから。

(でも油断しないで行くわ)

 声援が届く。背中を押すのは吉田や武、杉田。試合に出ないのについてきた清水と言った、自分の仲間達の言葉。安西や岩代など他校のプレイヤーの言葉。

「ポイント。テンファイブ(10対5)。ゲームポイント」

 ドロップからのロブ。それをスマッシュで叩きつけて返されたところをヘアピンで落とす。完璧な試合運びで一気にラストのポイントへ。

(今までで、一番楽しいかもしれない)

 試合に望む前に早坂の中に生まれたのは緊張よりも安心感だった。
 最初は一人だった。
 小学校時代から誰も自分と共にあるプレイヤーはいなかった。それは自分が誰よりも練習した結果だと思っていても、どこかで空しさがあった。
 誰にも目指される存在。凄い凄いと誉められて嬉しかったのは始めだけ。
 後に残ったのは、寂しさ。
 だからこそ中学に入って武にシングルスで初めて負けた時、悔しさと同時に嬉しくもあったのだ。自分がいる場所に初めて身近な存在が来てくれた。
 他の、あまり親しくない人の中にいけば自分と同等かそれ以上の存在はいる。でも、やはり自分の仲間と呼べるのは自分が通う学校だ。
 それが始まり。
 早坂の壁が徐々に壊されていく、始まり。
 今、早坂の周りにいるのは自分を一介のバドミントンプレイヤーとだけ思っている人間ばかりだ。

(相沢だけは違う、か。でも、今までよりも全然、嫌じゃない)

 笑みを浮かべるほどに心に余裕を持って、早坂は最後のロングサーブを打ち上げる。相手も流れを食い止めようとスマッシュを放ってくるが、早坂は三歩前でカウンターを取り、ストレートのドライブを打ち込む。相手は体勢を崩してシャトルを取ったが、既に早坂はシャトルの元へとつめている。

「はっ!」

 右足を踏み込み、プッシュでシャトルをコートへと叩きつけていた。

 ◇ ◆ ◇

 一ゲーム目をワンサイドで取ってからも、早坂の勢いは止まらなかった。全てにおいて相手を圧倒した早坂に、会場の誰もが視線を送っているように武には思えた。
 事実、注目せざるを得ない試合だ。
 全道の一回戦。各地区の実力者が集っているとはいえ、ピンからキリまである。それでも、ここまでのワンサイドとなるのはよほどの実力差があるからだった。そんな差が出ないからこその全道大会のはずなのだから。

「凄いな」

 武の隣で吉田が呟く。それを聞いて心の中で同意した。圧倒的な強さは美しく思え、武は早坂の姿を目で追うことを止められない。

(強い。強いよ……ほんと、差をつめられたと思ったら広がってる気がする)

 どれだけ動いても身体のバランスが崩れない。従来の身体の柔らかさも手伝って、シャトルに追いつく範囲が広がっている。シャトルの速度にも十分すぎるほどついていっているようで、武達から見ても分かるほどにシャトルを手前で捉えている。相手には二歩も三歩も先でカウンターを取られているように思えるだろう。

「やっぱ凄いな早坂は」

 それまで他の試合に興味を抱いていなかった小島が吉田とは逆隣に立った。視線は早坂の試合――早坂へと向かう。

「なんかすっごい美人になったな。学年別で初めて会った時から綺麗だと思ったけどさ」
「そういや、なんか絡んでたよね」
「アプローチしていたと言え」

 小島の言い直しに笑いつつ、武は何となく先を続けた。明確な意図を持って言ったわけではなかった。単純に話の流れに任せただけ。

「そんなに気になるなら告白すればいいのに」
「ああ。そのつもりだ」

 小島から返って来た強い意志に、武は心臓が跳ね上がった。全く予想外の回答ということもあったが、そこには自分が持っている感覚に似たものが宿っているように思えたからだ。
 武が由奈へと持つ気持ちに似ているものが。

「学校違うと中々会えないからさ。試合で見るたびいいなって思ってた。だから、今回全道大会で良い成績残して、終わったら告白しようと思う。で、確認なんだが彼氏はいないんだよな?」
「ああ……いない、と思うけど」
「頼りないなー。まあ、いても告白はするけどな。後悔したくないし」

 そういうものか、と武は心の中で思う。言わないで諦める切なさと、断られて傷つくことならば後者を選ぶのかと。

「相沢さ。お前、早坂のこと好きじゃないの?」
「んあ?」

 唐突な小島の問いかけに武は変な声を出してしまう。否定の言葉を口にしようとするが咳き込んで次の句が告げない。

「その反応……やはりそうなのか?」
「違うよ。相沢には彼女いるさ」

 見かねたのか吉田が助け舟を出す。武を挟んで小島は吉田へと問いかける。

「意外だったな。どっちかというと吉田のほうが彼女いそうだけど」
「俺はいないよ」
「相沢はモテなさそうに思えるけど、裏でモテてそうだな」
「そうだな」

 伏せている頭の上で繰り広げられる会話。その内容に武は藤田のことが頭を過ぎった。
 一年の時に告白された記憶。自分から言いふらすわけではないが、おそらく部員には知られているだろう。吉田が武のそういったことを話すとは思っていなかったが、緊張は続いていた。

「まあ、どちらにせよ。これで堂々と戦えるし言える」

 会場にアナウンスが響く。

『――清華中、小島君。5番コートにお入りください』
「しゃ。じゃあ行って来るか」

 拳を打ち付けて小島が気を吐くと同時に、一際大きい歓声が上がった。賞賛に包まれるのは早坂。試合が終わり、コート中央で握手を交わしている。ラインズマンをやっていた清水も立ち上がって早坂に駆け寄っていた。

「あれだけ圧倒的な試合したんだ。これから凄いマークされるぜ。俺達の場所に早坂ここにあり!って」

 ラケットバッグを持ち、そこから一本取り出して軽く振り出す小島。その間も口は止まらない。

「きっとこれからどんどん重圧に苦しむんだろうけど。俺なら、隣で支えてやれる」

 軽薄に聞こえる小島の言葉が、何故か武の心には響いていた。おそらく、聞こえ方の問題だけで小島にとっては十分すぎるほど真面目なのだ。
 言葉の意味は武にも分かる。早坂と大分普通に話せるようになった今だからこそ。
 同じステージに上がれなければ、その人の持つ苦悩などは分からない。実力が足りなかった時に見えなかったものがいくつも見えるようになった経験があるからこそ、武の心に響いたのだ。

「俺さ、実は本気になったことないんだよね」

 ラケットをバッグにしまい、背負ってからまた口を開く。自分に向けての話なのだと武は黙って聞いていた。吉田も隣で立っている。

「だから、初めて本気になるわ、今回」

 ぞくりとした感覚が走った。
 小島の言葉に含まれるのは闘志を越えた何かだった。殺気とでも言うべきか。無論、本当に相手を殺すというような場面に武は向かい合ったことは無いが、おそらくこのような気配がするのではないかと思えるほどに、小島から溢れ出る気配は鋭い。

「武も感じたか、小島の気配」
「……香介」

 名前で呼び合うのはスイッチが入った証。
 中一から苗字で呼び合う癖はそう簡単には変わらないが、バドミントンについてスイッチが切り替わると自然と名前で呼び合っていた。一歩互いに近づいて、力を相乗的に上げるために。

「あいつ。別にはったりじゃないな」
「本気になったことがないってやつ? でも、それで試合を勝ち抜けるとは思えないけど」
「ようは気合の問題だよ」

 吉田の言葉は続く。武は静かに耳を傾けた。

「実力自体は変わらない。でも、今まで100パーセントの気合で望んでいたとすれば、今回は120パーセント以上の力を出してくるだろうさ。それが、本気ってこと」
「120パーセント、か」
「俺らはいつも150くらいだしてるけどな。まあ、つまりはそういうことさ」

 吉田の説明はどこか感覚的だったが、武にも分かる気がした。
 けして手を抜いていたわけじゃない。でも、今までの実力以上の物が出せるという時がある。それはやはり気持ちが上乗せされている分強くなる。

「今回の小島は、もしかしたらいけるんじゃないか」
「いけるって、優勝ってこと?」
「少なくとも淺川と良い勝負できるだろうってことだ」

 淺川という苗字だけ、かすかに震えたのを武は聞き逃さなかった。

「そんなに、淺川って強いの?」

 自分と同学年。北海道に現れた天才。バドミントン雑誌での評価は高く、実力があることは分かっていた。だが、小島や吉田ならば十分渡り合えるのではないかと思っていた。
 しかし、それを否定したのは吉田自身。

「多分、俺なら二ゲームで十点くらいだな」
「……マジで?」
「今の、俺ならって言いたいけどな」

 自嘲的な笑みのまま吉田は呟くと、もう口を閉ざしてフロアを見た。小島がコートに入り、素振りを開始している。

(そんな、強いのか。淺川って)

 次に当たる杉田を思うと、武は心に影が落ちるのを止められなかった。
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