Fly Up! 138

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 第二ゲームに入ってからも杉田と宮島のスコアは一進一退だった。一点が入ってからサービスオーバーとなり、また点が入ってからシャトルの保持者が変わる。武は自然と手を握り、杉田の勝利を願いながら試合の趨勢を見ていた。

「ポイント。サーティーンテン(13対10)」

 四十分が過ぎた頃、遂に勝利への橋が架かる。後はそこを渡りきるだけ。
 だが、宮島もそう簡単には杉田に勝利を与えはしない。

「ストップ!」

 杉田のハイクリアに対してドロップをストレートに放つ宮島。杉田はそれを追うが、足の動きが少しだけ遅れる。

(杉田……疲れてきてる)

 まだ一回戦の二ゲーム目。いつもならばけして疲れるような時間ではない。しかし、全道の一回戦というのは予想以上に体力を消費する。

(考えてみれば、全道一回戦って地区大会で言えばベスト4以上なんだよな)

 地区三位までいける全道大会。必然的に一回戦はもうベスト4以上のレベルなのだ。それを考えると、初めから必要以上に体力を使うのは分かっていたことだ。

(杉田。もう少しだ、頑張れ!)

 武の念が通じたのか、杉田の執念が宮島を飲み込んだのか。
 杉田が上げたロブを追いかけていった宮島の体勢が崩れた。そこで打たれたのはドロップ。強く叩くには体勢が不十分だったことによるものか。すでに前に飛び込んでいた杉田はただラケットを立てる。このまま落とせば、すんなり点数が入るはずだった。
 しかし、宮島も一瞬だけ遅れて前につめた。短い時間で体勢を立て直したのはやはり実力者。見ている武に同じ光景が脳裏に走る。

(これ、一番始めの……)

 試合序盤で、似たような光景があったことを武は思い出す。相手を翻弄してただ叩き込めばよかった場面で、杉田はコート奥へとシャトルを飛ばして宮島をかわした。
 今回も同じようにするとすれば、宮島も読んでいるだろう。だが、前にきたシャトルを取ると決めているならば打ち返される可能性がある。
 どちらに打つか。杉田と宮島の知恵比べ。

「はっ!」

 そこで杉田は右足をしっかりと踏み込んで、ラケットを勢い良く振った。
 上下に。

(カットヘアピンか!)

 プッシュを打とうと勢いをつけたラケットの軌道を、前から真下に移動させた。
 シャトルが不規則な回転をしてネットを越えていく。宮島のラケットが届く前に、コートに落ちたシャトル。次にかかる得点のコールに会場が沸いた、ように武には思えた。
 実際は安西や岩代が杉田のポイントに乗じて声援を送ったに過ぎない。それでも、武にとってそれは何倍もの力となって押し寄せた。

(あと、一点だ。杉田!)

 杉田もここで勝負だと考えたのか、それまでシャトルを拾うのとサーブとの間をほとんど取らなかったところから、一度間を置く。小刻みに出ていた息が一度ゆっくりと吸われ、吐かれていった。

「一本」

 その言葉は武の耳には届かない。それほど静かに杉田は呟く。しかし、武の位置からは口元の動きが見えている。その静かさが逆に杉田の覚悟を感じさせた。
 この場で終わらせる。その決意はおそらくは予感からだったろう。
 今回で決められなければ、このゲームは取られるという予感。
 取られたならば、三ゲーム目は負けるだろうという予感。
 逆を言えばそれだけ杉田は追い詰められていた。宮島からのプレッシャーは一球一球増して行っただろう。その中で得点を先行させ、遂にマッチポイントを取った杉田を誉めるべきだ。
 シャトルが綺麗な弧を描いて空を舞う。宮島の左側を飛んだシャトルはそのままライン上へと落ちていく。ぎりぎりの軌道に一瞬、宮島は見送ろうとしたのか動きが遅れた。そのまま叩けば強烈なスマッシュを放てただろうが、結果はドライブ気味にシャトルを返す。ストレートに飛んだシャトルは確かに力強かったが、杉田が取れない球ではない。
 ラケットを伸ばして届かせるも、強打はせずにネット前に落とす。宮島はラケットを前に出してスピンをかけてヘアピンを落とした。そこから杉田は前に飛び込み、ロブを鋭く上げる。

「うわ!」

 今度は武達に聞こえるほどの声。杉田は前のめりになって膝をつく。勢いを遂に支えきれなくなった杉田に対して、宮島は勝ち誇ったように咆哮しながらハイクリアを飛ばした。しゃがみこんでいる杉田には届かないような位置。

「このやろぉおお!」

 シャトルの行方を見ないまま、杉田は吼えた。そこから後ろに弾かれるように飛びのいて、ステップを踏む。シャトルを見ていなくても、その動きは確かにシャトルを追っていた。
 杉田は全くシャトルを見ていない。それでも正確にシャトルの落下点へと身体を躍らせる。

(まさか、そのまま見ないままで)

 武が思ったそのまさか。杉田は最後までシャトルを見ずにラケットを振りぬいた。
 カァン、と甲高い音。ここにきてフレームショット。
 普通ならば不運として諦めるしかない状況だが、打ち手が杉田ということで勝手が違う。
 このフレームショットこそ起死回生の一手。それを、杉田は自分で分かっていたからこそシャトルを見ないで打つということをした。意図的にフレームショットを狙えるわけではない。打てばかなりの高確率で相手コートぎりぎりに落ちていくショットだが、出せない時は全く出ない。普通にシャトルを打っている限りは。
 だからこそ杉田はフレームショットが出やすいと思う状態を作り出したのだ。自分の持ち味を出せる状況を。
 宮島は前に詰めるがシャトルはわずかにネットを越えないように武には見える。

(だ、駄目か……)
「いけぇええ!」

 その時、杉田は初めてシャトルを見た。見て、叫んだ。自分の分身へと力を分け与えるように。
 そして。
 シャトルコックがネットに引っかかり。
 羽部分がくるりと反転して宮島のコートへと落ちていった。
 あまりにネットすれすれ。どう打ってもネットタッチになってしまうように。
 目の前で落ちていくシャトルを、宮島は何もすることが出来ないまま見ていた。
 シャトルが、コートに落ちたところで審判が声を上げる。

「ポイント。フィフティーンサーティーン(15対13)。マッチウォンバイ、杉田」

 安西達が歓喜の声をあげ、早坂達は拍手を送る。
 小島はさして興味はないようだったが、それでも拍手はしていた。
 武は、見入ったまましばらく動けなかった。その胸に去来する感情が混ざり合って、上手く行動に移せない。

(おめでとう。杉田。なんか不思議な感じだよ……)

 中学で初めて出会ったバドミントン仲間が、初めての大舞台で、勝利を上げる。
 元々才能はあったのだろうが、それでも実力の伸び方は目に見えて凄かった。

(なんか、凄く嬉しい)

 ようやく武は拍手をしていた。すでにコート中央で握手を終えた二人はそれぞれの荷物を取りにコートを出ている。
 試合は終わった。

 第一回戦。第一試合。

 杉田隆人。一回戦突破。


 * * *


「やったな杉田!」
「まずは景気づけに!」

 安西と岩代に背中を叩かれて、杉田は咳き込みながらも笑って返していた。その顔に浮かぶのは嬉しさよりも安堵のように武には見える。全道大会一回戦の第一試合。本当に一番初めの試合に、勝利という形を見せられたというのは正に安堵が来るのだろう。勝利の感触というのはおそらく、しばらく経ってから来るに違いない。

「勝利、おめでとう!」

 武はそう言って手を掲げた。杉田も意図を察したのか手を上げて、武はそこに軽く掌を打ち付ける。

「ま、なんとか勝ったよ」

 いつもなら「当然」などと軽口を叩く杉田も、今はなりを潜めている。
 多少よろけながらも客席の自分の場所に行き、寝転んだ。

「今は休ませてやれ。肉体的にも精神的も、辛かったんだろう」

 庄司の言葉に武達は頷き、杉田から距離をとった。そのまま各々の行動に戻っていく。安西と岩代、川瀬と須永は他の試合を観にいく。女子も同様の行動に出て行った。小島は自分の取った席に座り目を閉じている。ラケットを手に持って、自然体で。フロアから戻ってきた吉田と合流した武も、他の試合を見に行こうと動き出したその時だった。

「おう、吉田に相沢」

 西村が目の前に現れた。

「西村!」
「よう」

 急に現れた西村に武は動揺するが、吉田は予測できていたと言わんばかりに態度が変わらない。元々付き合いが長いだけに行動が分かるのだろう。

「杉田も凄かったな。中学から始めて一回戦突破とか」
「次は中学から始めて全国制覇したことある男だけどな」

 吉田が冗談半分で皮肉交じりに答えても西村はさらりと返していく。

「ああ。あいつは別格だしな……俺、あれくらい凄いやつって見たことないよ。だから杉田が勝てたら凄いって思うから応援したいんだよな」
「でも淺川はお前のとこだろ」
「そ。だから結局は淺川応援する」

 話が一区切りされた先には結局何も残らない。テンションだけで話をするからだと武も吉田も少しだけため息をついた。
 だが、西村は変わらない。

「だけど杉田が淺川を倒すのを見れたら面白いって思うのは本当。結局、今のトーナメントなんて過去の俺達で分けられてるだけなんだし」
「過去の……俺達、か」
「そ。この会場で、試合に触れた。それだけでも、もう俺らは過去の俺らじゃないさ」

 西村の言葉には武を縛る力があった。力強く語る姿に圧倒されそうになる。
 小さかった身体がもう吉田や武に近づいたこともあるが、それ以上に存在感が二人を押しつぶそうとする。

「相沢。初めての全道大会、楽しめよ。で、決勝でやろう」

 西村はそう言って二人の前から去っていく。後ろを見ないままで手を振る姿が妙に様になっていると、武は思った。

「ほんと、大した奴に成長したな」

 吉田の言葉に武も無言で頷く。中学校一年の頃はまだ実力だけで精神的には未熟だと思えた西村。無論、武や吉田も世代が上の人々から見れば十分子供だが、同年代の彼らが見ても西村は子供っぽさがにじみ出ていた。
 しかし、今の西村は違う。身体だけではなく心も、おそらく力も上がっているだろう。

「なんか、鳥肌立ってきた」
「いや、そこまで脅威でもないだろ」

 武は実際、立っている鳥肌を吉田に見せながら言うが、吉田は笑って背中を叩いた。

「俺らだって、十分強いからここにいるんだぜ」

 その一言で心も身体もすぐに軽くなる。武はまだまだ吉田には叶わない、とため息をついた。それでも気持ちは変わらない。

(西村達とやれるのは、決勝。その前に、第一シードを倒さないと駄目だ)

 第一シードの実力を見られるのは明日。今はシングルスで出る仲間達を応援しないといけないと分かっていても、どこか浮ついてしまう。

「あ、早坂が試合やるみたいだぞ」

 早坂の名前に反応して心臓が高鳴るのを武は自覚した。思い出すのは開会式あたりで赤く染まった早坂の顔。

(なんだよ全く……)

 自分の頬を軽く叩いてから早坂の試合が始まるコートへと向かう。見ると同じくシングルスで出る瀬名と打ち合いながら身体をほぐしているようだった。

「早坂ー。頑張れ!」

 自分の中にあるもやもやを吹き飛ばすように声を上げる武。その声に反応して早坂は瀬名からのシャトルを受け取ると武へと視線を向けて手を振った。その姿は特に緊張しているようにも見えず、それでいて緊張を感じないまま油断しているわけでもない。
 適度に力が入っている、というのが望ましい。

(うん。やっぱり、勝てる)

 武は心の中で確信する。瀬名もコートから出て、試合の準備が整う。審判が早坂と対戦相手をコート中央に呼び、握手が交わされる。

 そして、早坂の試合が始まった。
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