Fly Up! 140

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 男女共にシングルスの第一試合が終わった時、時刻は午前十一時半を過ぎていた。二時間半程度で終わったと言えば良いのか二時間半もかかったのかは武にも分からない。だが、どれも見ごたえのある試合ではあったが、結局は2対0でという試合ばかりだった。勝者と敗者の間には明確に差があるのだろう。

「一回戦を突破できたのは、男子三人に女子は早坂だけか」

 庄司の呟きに武は心の中で頷く。
 第一試合の杉田は多少苦戦したが、刈田や小島は危なげなく一回戦をクリアしていた。一方で女子は早坂以外の二人が一回戦で負け、涙を流した。

「まさか瀬名さんが負けるとはなぁ」
「……うぅ」

 何となく呟いた武の言葉に反応が返り、慌てて声のしたほうを振り向いた。
 そこにはまた目を潤ませた瀬名の姿。タイミング悪くフロアから敗者審判を終えて戻ってきたところだったらしい。

「あの、ええと」
「……勝つって思ってもらえてたんだ」

 瀬名は肩を落として呟いていた。それでもどこか言葉に嬉しさがこもっているのは何故だろうと武は思う。瀬名は武の困惑には気づかずに言葉を続けた。

「私も最初はいけるって思ってたんだけどね……試合が始まってちょっとミスして。どんどんあとは崩れていったんだ」

 武が座っている観客席へ腰を下ろす瀬名。自然にそのシチュエーションを受け入れた武だったが、考えてみればほとんど話したことがない他校の女子と二人というのは緊張してくる。

(ええっと……どうすりゃいいんだ)

 助け舟を探したが、庄司は一回戦を勝ったメンバーに対してアドバイスしており、ダブルスで出番を待つ安西達は試合の熱に当てられたのか客席から出て外で打ち合っているようだ。

「相沢君って強いよね。小学校の時から強かった?」
「ん? いや、強くないよ。小学生の時はずっと一回戦負けさ」
「そうだったんだ」
「瀬名、さんは……小学生の時からやってなかったんだっけ?」

 瀬名はうん、と頷いてから言った。

「私も、一回戦負けばっかりだった。でも小学校六年になってようやく勝てるようになって。でも早坂に簡単に倒されちゃった」
「そっか」
「あの子本当に強いんだもん。でも、目標があるって思ったらへこんでられなくて。自慢のスマッシュばかり鍛えたわ」

 瀬名の独白が続く中で、武は奇妙な感覚に包まれていた。それの正体は最初は分からなかったが、すぐにピンと来る。
 目標に向けて頑張ろうとする姿。自分の武器を研いだ。それは過去の、そして今でも続けている自分に通じる部分があった。

(なるほどな。似てるんだな、俺と瀬名さんは)

 言えばおそらく怒るのだろうが、瀬名が早坂に抱いている気持ちにはきっと憧れもあるのだろうと武は思う。自分がそうだったから他人もそう、と単純に思いはしないが、目標にする人へは何かしらそういった感情を抱くのだと武は知っている。早坂や吉田に対する感覚を知っているから。

「ジュニア予選の時、本当に悔しかった。自分では、試合をするまでは追いついた。勝てるって思ってた。でも、蓋を開ければ手も足も出なかった。あの子、ここ最近強くなる度合いが違いすぎるんだもの」
「確かに、早坂は今が思い切り伸びてるって感じがする」

 全道の一回戦を簡単に勝った場面を見ると特に感じる。地区予選でも全道一回戦でも、苦戦というものを全く見せない。練習をするたびに、試合をするたびに強くなっていくような。真綿が水を吸うように実力を吸収していくような気がする。

「でも、理由が今になって分かった気がする」
「?」

 瀬名はしばらく武の顔を無言で見つめた。その視線があまりに真剣で、武は緊張して視線をそらす。

(な、なんだろ。俺、何か駄目なこと言ったか?)

 敵意ではないとは分かる。しかし、何か正と負の感情を両方感じる視線が武へと注がれているように思えた。

「早坂はきっと、ようやく見つけられたんだなって」

 瀬名はそう呟いて立ち上がる。武は視線を戻してその言葉の真意を問いかけようとしたが、瀬名の言葉のほうが早かった。

「自分と同じ位置にいる人を」
「同じ……位置」
「やっぱり、一人は寂しいもの。早坂、凄くクールに見えて一人で大丈夫に見えるけど、きっと凄い寂しがりやなんだと思う」
「そうかもな」

 瀬名はそう言って去ろうとした。武は背中に声をかけようとするが、先に自分の背中越しに声が届いた。

「そういう話は本人がいないところで言いなさい」

 武は後ろから来るプレッシャーに動けなくなった。瀬名は逃げるようにその場から去り、武だけが取り残される。

「あー。庄司先生の話終わったんだ」
「さっきね。今日は多くてあと二試合あるから頑張らないと、ね」

 ベスト8まであと二試合。確かにその通りだが、武は何故か違和感を覚えた。言っていることは間違っていない。それでも何かおかしい。

(なんだろ? 何がおかしいんだ?)

 おかしさの原因を突き止めようと早坂を見つめてしまっていたのか、顔を赤らめて早坂は別方向を向いて呟く。

「そんな凝視しないでよ」
「あ、すまん」
(やっぱり。なんとなく変だ)

 何が変なのかの追及は諦めて、武は思ったことを口にする。いつもと変わらない早坂への信頼を。

「確かに。お前ならベスト8いけるよ。今はゆっくり休んどけよ」
「相沢も明日までにへんなことして足くじいたりしないでよね」
「それは確かに」

 互いの軽口に頬が緩む。和やかな雰囲気をその身で感じながら、武は違和感の正体が分かった気がしていた。それを告げると、おそらく早坂は機嫌を損ねて去ってしまうだろうから何も言わない。

(早坂から「あと二試合」とか聞けるなんてな)

 自分が「あと二試合勝てる」など早坂に言うことはあっても、早坂自身から先の試合に勝つという意志を聞けるとは思ってもみなかった。今までは試合に臨んだ結果、勝てただけというスタンスの早坂は未来を特に人には言わない。口には出さないだけで勝利への欲というものはあるかもしれないが、少なくとも口にしたのは今が始めてだろう。
 今までは勝利が口にする必要もないほど当たり前のものだったのか。
 それとも、早坂の中で何かが変わっているのか。

『早坂はきっと、ようやく見つけられたんだなって。自分と同じ位置にいる人を』
『やっぱり、一人は寂しいもの。早坂、凄くクールに見えて一人で大丈夫に見えるけど、きっと凄い寂しがりやなんだと思う』

 瀬名が言っていた言葉を思い出す。確かに一人は寂しい。小学生の時まで、きっと早坂は一人だった。
 自分が持つ突出したバドミントンの才能が、自分と周りを隔てる壁となった。それでもバドミントンが好きで練習した。それが、更に周りとの距離をとると分かっていてもせざるを得なかった。
 でも今は。
 ここにいる皆は誰もが早坂を理解出来る。だからこそ、心の内を自然に出しているのかもしれない。

「良かったな」
「何が?」
「なんでもないよ」

 武は話を外すように立ち上がり、背伸びをしながら歩いていく。手すりの場所まで歩いていくとフロアではまだ試合が行われていた。一回戦の試合が終わろうとしている。二回戦はもう少し、先。

(早坂や刈田、小島は心配なさそうだけど……)

 一つ、気になるのが杉田の試合。次は第一シードの淺川亮と対決する。
 下馬評通りなら勝負にもなりはしない。杉田と同じように中学から始めて、片方は今、全道大会に地区三位で出ることが出来た新参者。
 相手は一年にして全国を制覇した男。その実力は更に伸びていると雑誌にも報じられている最強の男。そんな相手に挑むという杉田は精神的に大丈夫なのかと。

「そういや、杉田はどこいったんだろ」
「庄司先生の話が終わったらすぐここから出ていったけど」

 後ろをついてきた早坂の声に「ありがとう」と答えて、すぐに武は客席から離れた。杉田の動きが気になる。一回戦は見事にプレッシャーに打ち勝ったが、次もまた同じように出来るのか。それはもう杉田自身の精神力によるものが大きいだろうが、何もしないでいるのはどうしても出来ない。
 自動販売機でペットボトルのスポーツ飲料を購入している杉田を見つけて、武は心が少しだけ軽くなった。その姿は落ち込んでいるようにも、気合が入りすぎているようにも見えなかったからだ。自然体の、いつもの杉田。

「あれ、相沢。どした?」
「いや。次の試合に緊張してるかなと思って」

 何を言って良いか分からず、ひとまず素直に自分の気持ちを伝える武。杉田は笑いながら武の肩を軽く叩いた。

「なに緊張することあるんだよ。相手は明らかに格上だぜ? 俺が勝つなんて誰も思ってないんだから緊張損だろうが」
「いやまあ、そうだけど」

 杉田はまるで人事のように戦力分析をする。自分にとって次々と不利な情報を紡ぎだし、全く勝てないと結論づけた。

「俺が勝つのは無理だろ。常識的に考えて」
「なんでそんな他人事なんだよ」
「客観的と言いな!」

 杉田は笑った後で急に真面目に顔を戻す。武もそこから放たれる気迫に気おされるように一歩だけ足を後ろに戻した。

「ふっつーに考えろって。相手は最強の男だ。誰も勝てるとは思わない。俺も、勝てるとは思わない。でも、負けるとも思わないぜ」
「負ける、とも?」
「そうそう。勝負はやってみないと分からないってね」

 そう、杉田が言った瞬間にアナウンスが聞こえてくる。フロアの外にいる者にも十分に聞こえるように。
 それは新たなステージの幕開けを告げる言の葉。

『試合のコールをします。二回戦第一試合、広槻中・淺川君。浅葉中・杉田君。第一コートへ起こしください』

 同じ言葉を二度繰り返して、アナウンスは次の試合のコールへと移っていった。武はいよいよかと拳に力が入り、杉田は左掌へと右拳を叩きつける。
 気合の乗った一撃は乾いた音を立てた。

「よっしゃ。いよいよ決戦ってところかな」
「応援してるよ」
「じゃあまずは基礎打ちの相手をお願いしよう」

 そう言って笑う杉田の後ろをついていく武。先にラケットバッグを取りに行かないと、と言うことで自分達のスペースへと戻ろうとする。だが、客席へと続く扉を開ける前に、向こう側から開け放たれる。
 そこには吉田の姿が。

「杉田、頑張って来いよ」

 杉田のラケットバッグが宙を舞う。それをしっかりと受け取って、杉田は親指を立てて返した。

「相沢。行こう。さっさと行って出来るだけ長く体ほぐす」
「おっけい」

 ラケットは杉田のものを借りれば良いだろうと思いなおす。結局は杉田の後ろを駆ける形になって、武はその背中に一瞬何かが被ったように見えた。

(何だ……?)

 その正体が分からないまま、コートが広がるフロアへと足を踏み入れる。第一コートには既にユニフォーム姿の淺川の姿が。その隣にいるのは、西村。

「ようー、相沢、杉田」

 無邪気に手を振ってくる西村に二人は同じように手を振り返し、杉田はすぐにジャージを脱いだ。下にはすでにユニフォームを着ている。
 審判が近づいてきていたが、まだ時間には余裕があるようだ。杉田が練習用のシャトルを打ち上げて、武は軽くハイクリアから入る。隣に西村が並び、淺川もハイクリアの打ち合いをする。

「練習を止めてくださいー」

 審判が審判台に上ってから言った。時間はあると思っていたが、付くと共にすぐ打ち切られる。予定はずれたが、あまり長く体をほぐして気合に穴が空くのも悪いだろう。

「杉田! ラストスマッシュ!」

 武は声にあわせてハイクリアを放ち、杉田は応じてスマッシュを放つ。
 その時だった。
 隣で先にシャトルが着弾したのは。

(……なん、だと?)

 それは紛れもなく、淺川が放ったものだった。
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