Fly Up! 124

モドル | ススム | モクジ
 瀬名のストレートスマッシュをバックハンドからクロスに返す。体感速度で言えば渾身のものだろう。しかし早坂には軌道が丸見えだ。それは武のスマッシュに慣れているからというものではない。
 シャトルに追いついた瀬名だったが、軌道が低いためにバックハンドでストレートのドライブを打つしかない。それを完全に読んだ早坂は一歩前に右足を踏み込んでラケットをスイングした。顔は真正面を、しかしシャトルはクロスヘアピン。完全にフェイントに引っかかった瀬名は動けないままシャトルがコートに落ちていくのを見るしかなかった。

(何だろう……? 瀬名が打つ場所が分かる)

 ロングサーブから瀬名がハイクリアを打つと、スマッシュを左サイドに叩き込む。今までの早坂ならば序盤からスマッシュを打つことは少ない。それが頭の中にあったのか、慌ててシャトルを追うも届かなかった。

「一本!」

 ショートサーブを打った後で前に詰める。それにプレッシャーを感じたのか瀬名はロブを上げる。だが、早坂は初めから後ろに下がるつもりで右足を踏み出したため、反動で後ろに飛ぶように移動した。シャトル下に入り、ドロップを打つ。今度は瀬名も反応してヘアピンを打つが、すでに前へと早坂は走りこんでいって勢いそのままに軌道の低いロブを打った。ヘアピンを打ってから中央に戻るまでの動作が遅れて、瀬名はまた動くことが出来ない。

(今まで以上に、ラケットが体の一部みたいだ……)

 自分の中の変化が何に基づいているのか分からないまま、早坂は得点を重ねていく。点を取っていく中で瀬名の顔が青ざめていくことさえも見る余裕があった。ドロップも、スマッシュも、ハイクリアも。まるで予知しているかのように動きが読めて、慌てずに追いつける。そして狙った場所にピンポイントでシャトルを打てる。正確無比なコントロールに瀬名が小さなミスを繰り返していき、最後には修正できなくなった誤差によってシャトルが瀬名のコートに落ちていく。

「ポイント。イレブンラブ(11対0)。チェンジエンド」

 審判が十一点目を告げても、早坂は特に嬉しさがこみ上げはしない。精神が波紋一つ立たない水面のごとく静かだ。
 一方の瀬名は手も足も出なかった現実に顔は引きつり、汗に歪んでいる。精神と肉体両方から締め上げられるようなゲーム展開は普段は十分ある体力を確実に削っていた。
 第二ゲームに入ってからも、早坂は瀬名を追い詰めていく。強く攻めているわけではない。スマッシュやドロップなどで攻撃の糸口を掴もうとしているのは瀬名だ。その強打や間に挟まれる柔らかなショットはけして悪くは無い。
 しかし、早坂の打ち回しがそのどれもを悪手に変えている。
 前に落とされたシャトルをクロスヘアピンで瀬名の逆を突き、上げたところにラケットを突き出して、強打と見せかけて更に前に落とす。後ろへと飛ぶと思っていた瀬名は足でブレーキをかけて追いつくも、今度は早坂の鋭いドライブがコート奥へと飛んで行く。
 瀬名は諦めずにシャトルを追っていくが、遂にラケットは空を切って得点となった。
 ぎりぎり追いつけるシャトルと追いつけないシャトル。交互に打たれることで体力と共に精神さえも削られる。今追いつけなかったのは自分の動きが鈍ってきたからなのか、それとも届かないシャトルだったのか。試合を続けている中での曖昧な境界線が、更に自分への疑心暗鬼に繋がる。 自分の実力を信じ続けることが出来ればまだ対抗する気力は沸くが、自分さえも裏切るかもしれないと心に不安が過ぎる時、試合は一気に傾く。

「はっ!」

 早坂は感覚的に、瀬名の心が折れかかっている瞬間が分かった。今まで繰り返してきたシャトルの打ち分け。その中で、徐々に鈍っていく動き。それが決定的になった瞬間を、今の彼女は見逃さない。
 甘くなったハイクリアをスマッシュで沈める。決まっても感情を表情では見せずに左拳を腰の辺りで小さく握る。その回数が増えていくと共に、優勝への道が開けていく。
 瀬名を覆う悲壮感はどれほどのものか。
 そんなことを考える余地など早坂には残っていない。頭の中は全て「どこに打てば瀬名が取れないか」ということを見つけるべく動いていた。試合前に武に思考を乱されていた少女はどこにもいない。今、コートに立つのは中学生としては完成されてきているバドミントンプレイヤーだ。

「一本」

 小さく呟いて、ロングサーブ。息もほとんど乱れておらず、整ったフォームから繰り出されたシャトルは宙を伸び伸びと舞う。一方の瀬名は肩で息をして何とか追いつく、という体だ。なんとしてもサーブ権を奪い返そうとスマッシュをクロスに打ち込む。体力が落ちても速度が変わらないのは瀬名もまた成長してきた証。
 しかし、今の早坂は更に上を行った。
 早坂はスマッシュを完璧にタイミングを合わせてクリアでコート奥へと飛ばす。瀬名は後を追ってまたスマッシュを放つも、早坂は今いる位置から更に一歩前に出た。カウンターでシャトルを弾き返した時点で、早坂には次に来るコースの予測が付いている。相手が打てるコースと球種を限定させるように打ち、前に詰めることで自分を避けるように打たせる。そこで反応して移動し、打ち込む。それだけで相手も追い詰められていく。

(あと、三回)

 バックハンドで押し込んだシャトルを瀬名が滑り込んで打ち返し、コートに倒れる。その執念が実ったのか、シャトルは鋭いドライブで早坂の横を抜こうとする。

(あと、二回!)

 しかし早坂は急に後ろ側に反転し、遠心力を利用してバックハンドでシャトルを打ちぬいた。それはシャトルを打って倒れた状態から立ち上がろうとした瀬名の真正面に向かう。膝立ちの状態の瀬名は体を急に倒して強引にラケット面にシャトルが触れるようにし、腕を振りぬいた。

(あと、一回!)

 ネット前にふらふらと返って来たシャトルを、早坂はヘアピンで落とした。瀬名は立ち上がり、前に飛び込んでラケットを持った手を伸ばした。勢いを止められずに再びコートに胸部から叩きつけられてうめく声が早坂の耳に届く。
 しかし、シャトルは彼女の元へと届くことは無かった。

「ポイント。イレブンラブ(11対0)。マッチウォンバイ、早坂」

 十一対ゼロ。市内の決勝戦での圧倒的な結果。
 倒れ伏す瀬名と立ったままの早坂。
 それが二人の力の差を如実に表していた。

(勝った……)

 早坂は自分の中から湧き上がってくる感情を不思議に思う。
 それは歓喜よりも困惑。力を発揮できたにも関わらず、その力に戸惑っていた。
 今までの自分とは明らかに違う。
 コートが狭く感じ、相手の動きもまるでスローモーションのように見えた。どのコースのシャトルがどう打たれるのかが頭の中に浮かぶため、思い通りのショットを打たせることが出来た。それは正に試合の支配だ。長方形のコート上を相手さえも自在に操って、思い通りの試合展開を描いていく。登場人物である瀬名にはどうしようもできないのだ。

「ありがとう、ございました」

 自らネットの下を捲り上げて、瀬名へと手を差し出す早坂。瞳を潤ませながら瀬名は早坂を睨みつけていた。
 けして憎しみによるものではないだろう。あるとすれば、自分自身への憎しみ。圧倒的な力の差を見せ付けられ、それに対抗できず敗北した自分への怒りが瀬名の表情を歪ませているのかもしれない。

「ありがとうございました」

 それでも、押し殺した声でそう言いながら右手を握る。弱々しい力のまま離され、瀬名は自分のラケットバッグへと向かっていった。早坂も審判が持つスコアボードに勝利者の署名をしてから向かう。ラケットバッグにラケットを収めた時点で自分がほとんど汗をかいていないことに気づく。

(無駄の無い動きが出来たのかな)

 ラケットバッグを肩にかけて次の行動を考える。武達の試合を観にいくか、一度着替えに戻るか。汗はあまりかいてはいないが、放っておけば体温を徐々に奪う程度ではある。

(……先に飲み物、買ってこよう)

 意識をすると急に喉が渇いてきた。試合に臨む前と、試合の間は集中していたのか水分を取っていない。終わって緊張が解けたことで一気に体が欲している感覚がある。ふと視線を周りに向けると、すでに瀬名はいなかった。残り種目は敗者審判をする必要が無いため、あとは戻るだけだ。

「優勝、か」

 早坂は自分の中の感情をもてあます。今まで感じたことの無いもの。胸の奥から苦い何かが湧き上がってくる。
 勝利して得たものが達成感ではなく、別の何かだったことに困惑していた。何が今までと違うのか。不安が早坂の体を縛っていく。

(気のせい……だよ、きっと、うん)

 気を取り直すようにラケットバッグを背負いなおし、フロアの外に歩き出した。武達の試合も白熱しているのか、視界の外から歓声が聞こえてくる。見てしまったらおそらくその場から離れられないだろうと、早坂はあえて早足でフロアの外に出た。
 そこで、俯いて震えている瀬名の姿を見てしまった。
 扉から真正面にある長椅子。そこに腰掛けて瀬名は額を膝につけていた。他の人間は試合に釘付けになっているのか、そこにいるのは二人だけ。

「あ……」

 障害物の無い空間は、早坂の声を瀬名に届かせたのだろう。
 はっとした様子で顔を上げて、自分のほうを見る瀬名から早坂は視線を外せなかった。
 二人の視線が交差する。しばらくの間、二人の動きは止まっていたが早坂が先に動き出した。

「瀬名……さん」

 何度も試合をしていて話すのは初めてだった。
 早坂の言葉の何かがおかしかったのか、瀬名は口元を緩めて顔を笑みに変えた。かける言葉を探しながら、ようやく口を開いた早坂にとっては意外なことで、少し腹が立つ。

(何よ……心配損?)

 むっとしたまま更に口を開こうとした早坂よりも早く、瀬名が言葉を発していた。

「優勝おめでとう」

 思いもよらない言葉に早坂は息を止めた。瀬名の顔は完全に笑みが浮かんでいる。満面のとは言えず、明らかに無理をして作っているように早坂には見えるが、それでも瀬名は祝福してくれていると思えた。

「ありがとう」

 言葉と同時に右手が出る。意識して行動したわけではない。反射的に差し出した手を戻す前に、しっかりと握られていた。温かく包まれる右掌。瀬名の笑顔はしかし、すぐに崩れていた。
 涙が瞳から溢れても、少しの間は瀬名は笑顔のままだった。しかし一滴が床に落ちると共にくしゃくしゃに潰れて行く。体のうちから沸き起こる感情にむせながら瀬名は膝を付いて顔を下に向けていた。

「瀬名……」
「うっく……うぁ……悔しい……悔しい、よ……」

 両手で自分の肩を抱きながら蹲る瀬名。見下ろしてみる背中は、強烈なスマッシュを放つ背筋があるはずなのに、早坂にはとても小さく見えている。
 自分への悔しさ。早坂への悔しさ。ネガティブな感情に押しつぶされそうになる自分を必死に抑えている。それは早坂にも経験があったからこそ、分かった。

「瀬名」

 だからこそ、早坂は強く呟く。自分に出来ることは何か、短い間で考え付いた答えが正しいかどうかは分からないが、それでも伝える価値はある。

「私はもっと強くなるよ」

 嗚咽に挟み込むように言葉を送る。出来るだけ感情を廃して、淡々と事実だけ伝えるように。

「今のあなたじゃ絶対に勝てない。他の手を使っても、負ける気はないけど」

 瀬名の背中が震えている。徐々に嗚咽が収まり、まるで溜め込まれていた力が噴火する直前のような雰囲気が漂った。

「こんなところで泣いてる暇があるなら、もっと練習してきなさい」

 伝えきると、早坂は瀬名に背を向けた。もう伝える言葉はない。
 後ろから瀬名の怒号が聞こえる時にはもう二階に駆け上がっていた。

(ほんと、損な役回り選ぶわね、自分)

 それでも、早坂は悪い気はしなかった。自分は目標にされるのが性に合うらしかった。

(まあいいわ。私に追いかけるとか似合わないしね)

 最もそう言いそうな男の姿を思い浮かべて、早坂の口元からは笑みが零れていた。



 全日本ジュニアバドミントン選手権大会地区予選。
 女子シングルス優勝・早坂由紀子。
モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2008 sekiya akatsuki All rights reserved.