Fly Up! 123

モドル | ススム | モクジ
 吉田と武がネット前に向かうと、すでに橋本と林が立っていた。シャトルがコートへと最後に着地した瞬間からすでに動いていたのだろう。勝利に歓喜していた分、武達が遅れたというわけだ。

「ありがとうございました」

 審判がネット下を持ち上げたところで、握手を交わす。四人とも激闘で汗をかいていて、橋本が一足先に手を離して顔を拭いた。

「ったく。汗まみれだよ」
「本当。それくらい強かった」

 武は素直に感想を洩らす。実力差があれば汗を流すことなく試合は終わる。実際、大会直前の部活まではまだ汗はほとんどかかなかった。練習と試合で何か違うのか。あるいは試合一日だけで急激に成長したのか、橋本と林は間違いなく武達を本気にさせる実力を持っていた。

「それでも、ストレート負けだしなぁ。あまり嬉しくないぜ、誉められても」
「今までと比べたら大進歩だよ。二人とも」

 吉田がそう言って、コート外に歩いていく。その後を追うようにして、三人もコートを出た。ちょうど視線の先ではもう一つの試合が終わっている。
 ガッツポーズと笑顔を見せているのは安西と岩代。順当に明光中の一位が勝ち上がってきた。
 学年別と、中体連。一勝一敗。
 今年に入って三度目の対決を制するのはどちらか、と武は内に猛る炎を感じる。
 しかし、隣から橋本が声をかけてきたことで意識は外へと戻った。

「なあ。俺ら、あいつらと試合やって勝ったら全道だよな」

 ラケットを片付けてジャージを着るまでを黙々と行っていた川瀬と須永を指差しながら橋本が言う。武は頷いて橋本と林を鼓舞するように言った。

「ああ。橋本達ならあいつらにも勝てるよ。一緒に全道いこうぜ!」

 明るく言った武だったが、二人は黙って川瀬達を見ている。いぶかしむ武だったが、彼らの視線が正確には川瀬達ではなく、試合のスコアを見ていることに気が付いた。
 武もそのスコアを見てみる。
 十五対十二。第二ゲームは意外と競ったらしい。明光中の一位は安西達だが、その彼らにここまで迫る川瀬達も侮れない。

「結構強くなったな」
「ああ。何か、不気味だ」

 橋本は武の言葉に返答し、フロアの外へと歩き出した。武は言葉の意味を捉えられずに首をかしげつつもその後を追った。
 四人が浅葉中の控え席に戻ると拍手が沸き起こった。準決勝に相応しい試合への労いが感じられ、武は照れに顔をそむける。

「あー照れてる?」

 唐突に近づいてきた気配に武は一歩引く。いきなり視覚の外から話し掛けられることへの耐性がついてきたと武は自分でも思う。

「先に誉め言葉はないのかよ、由奈」
「うん。凄い凄い」

 由奈の言葉はそっけなかったが、武には十分嬉しかった。言葉の奥にある優しさが読み取れる。他の部員がいることで素直に誉めることに抵抗を感じたのだろう。
 つかの間の休息。試合が終わって十分ほどの休みが終われば、決勝戦だ。

「あ、そういえばシングルスはどうなった?」

 自分達の試合が終わって余裕が出たのか、武は杉田の結果を確かめる。時間的にはもう終わっているはずだった。
 杉田はすでにラケットをしまって、ジャージを着込んでいる。もうあとは表彰式に並ぶだけと言わんばかりに。
 近くに寄った武に向かって杉田は言った。

「ああ。俺、三位になったよ」
「マジで!? 石田に勝ったのか!」

 武が喜びを表そうとしたところで、しかし杉田は首を振る。その行動への疑問を口にしようとしたが、杉田は先に口にしていた。

「なんかな、石田のやつが足を痛めたらしい。小島との試合の途中で倒れてよ」

 杉田の言葉に武も、傍で聞いていた吉田や橋本、林も唖然となる。

「俺も次の相手だってことで見に行ってたんだけどさ。シャトルに追いつこうとして無理したようでさ。両サイドから支えてもらえないと動けないくらいだったみたいだ。当然、すぐさま病院に向かって俺との試合は流れたってわけ」

 武達がしのぎを削って決勝への椅子を取り合っている間に、あっけなくシングルス最後の一席は埋まっていたというわけだった。拍子抜けの結果にしらけた空気が場を包む。

「おい!? 俺のせいじゃないぞ!? てか、せっかく一緒に全道いけるんだから祝ってくれよ!」
「だってなー」
「不戦勝で全道ってしまらないよね」
「最悪だね」
「同意」

 橋本、林、武、吉田と棘のある言葉を杉田に打ち込んでいく。言い返そうとするもその通りと自分でも思っているからか、杉田は鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
 さすがにからかい過ぎたと武がなだめ様とした時、放送が流れた。

『あと五分後に、男女ともに決勝戦を行います』

 アナウンスと共に武と吉田の中に一本の芯が通る。
 先ほど準決勝を終えて緩んでいた気を引き締めるために。

「部員集合」

 庄司の号令に部員達が一箇所に集まる。その中心にいるのは庄司だが、実質的な中心は主役である武と吉田。そして早坂だった。
 男子ダブルスでは武と吉田。女子シングルスでは早坂。男子ダブルスの三位決定戦に進む橋本達も今は脇役と化す。

「これから男子と女子の決勝が始まる。少し遅れて三位決定戦も始まるだろう。そこには男子は橋本と林が出場する」

 拍手が起こり、橋本は両手を上げてアピールした。林は控えめに片手を上げただけですぐに引っ込める。

「そして男子ダブルスは吉田・相沢組。女子シングルスで早坂が決勝に進む。日頃の練習の成果が最も出た三人だ。お前達も応援する中で、三人の技術を盗むように。強い者を研究することが自分達の強さに繋がる」

 庄司の言葉を誰もが真剣に聞いていた。武も自分にかかるプレッシャーが肥大化していくのを感じる。自分達がどれだけ注目されているのかということを庄司は言っているのだ。

「三人も、これからは自分自身との戦いになる。プレッシャーを自分のものにするんだ。そうしなければ、上に行くことは出来ない。相手にも自分に打ち勝て! 以上!」
『はい!』

 声が一つになる。武は自分の中に巣食った怖れによる硬直を吹き飛ばす。練習によって手に入れた力。
 最初は自分のため。自分が上手くなるために練習に励んだ。
 次は吉田のため。パートナーに追いつくために。
 そして今、武は浅葉中バドミントン部のために戦おうとしている。
 部員達の目標となるべく。

「おい、相沢」

 自分に気合を入れていた武をガス抜きするかのごとく、吉田が肩を叩く。実際、集中していた気を紛らわされて風船から空気が抜けたように脱力した。

「なんだよ、吉田」
「お前、悪い癖でてるぞ。気負い過ぎだって」

 吉田は笑いながらもう一度武の肩を叩く。

「お前の考えてること分かりやすいよ。浅葉中バドミントン部のため! とか思ってるんだろ」
「……吉田はどうなんだよ」
「俺は自分のためさ。俺自身が俺自身のために強くなれば、それが相沢のためになって、やがて浅葉中のためになる。自分が強くなる理由はやっぱ自分じゃないとな」
「……なるほどなぁ」

 吉田の言葉に、武は何も言えなかった。
 吉田は自分の世界を作り上げている。上にいる者の精神力の源を垣間見た気がして、武は感嘆に詰まった胸を落ち着かせるために深く息を吸ってからゆっくりと吐く。自分のモチベーションの上げ方がどこにあるのかは後から。今は目の前に安西・岩代ダブルスとの勝負のみ。そう考えると落ち着いてくる。

(実は何も考えないのが一番いいかもしれないな)

 武の頭に一つ考えが浮かんだところで、アナウンスがかかる。最後の戦いへのアナウンス。ちょうど客席の傍にあるコートが選ばれ、三位決定戦と決勝が同時に応援できる位置になる。

「さあ、行って来い」
『はい!』

 吉田と武の声がそろう。二人ともラケットバッグを背負い、フロアに向かう。その後ろに早坂が付いていく形になった。吉田、武、そして早坂の順番になって階段を降りる際に、早坂が武に話かける。

「相沢」
「ん?」
「お互い、頑張ろうね」
「ああ」

 早坂の言葉尻に何かしらの弱弱しさを感じ、武はバッグを背負いなおす中で呟く。それは前に行く吉田に聞こえるか聞こえないかという微妙な声量。

「勝つって信じてるよ」

 その言葉に息を飲む気配が伝わる。武は普段の自分が言わないような言葉に驚いたと思い、してやったりという表情を浮かべながら少し先に行った吉田に追いつかんと小走りになった。早坂はペースを守り、追ってこない。

(まあ、思ってることを言ったまでだからな。嘘は言ってないだろ?)

 自分が言ったことに改めて赤面しつつ、武はフロアへと足を踏み入れた。


 ◇ ◆ ◇


(相沢は不意打ちすぎなのよね……)

 武の突然の言葉に、早坂は二人から距離を取らざるを得なかった。傍にいれば自分の異変が気づかれる可能性が高い。心臓は高鳴り、頬は赤くなっている。武の言葉に動揺したなど早坂にとっては認めたくない現実だった。

(元気付けてくれたんだろうけど、かえって動揺したじゃない!)

 その理由までは深く考えず、ただ表面的な事実に怒る。だがそのおかげが試合への緊張や弱気などは吹き飛んでいた。体の奥から力が漲ってくる。目の前の困難を吹き飛ばす力が溢れてきた。

「ありがとう」

 すでに姿が見えない武に向かって呟き、早坂もまたフロアへと足を踏み入れた。
 自分が向かうコートには挑戦者の姿。
 明光中の瀬名。早坂に次ぐ実力者だ。
 学年別大会、中体連大会と対戦してきて三度目。前二度とも勝利してきた。その内容は両方とも精神的に押されていて楽勝とまでは行かなかった。そもそも実力も早坂に次ぐものがあり、スマッシュ力ならば早坂以上だ。勝ち続けた早坂が持っていなかった精神力を瀬名はもっており、中学に入ってから最も苦しめられた相手だろう。
 しかし、今の早坂の精神状態は過去二度の対戦とは明らかに違っていた。

(落ち着いてる……決勝だなんて嘘みたい)

 握手を交わしても、じゃんけんでシャトルをとっても心持ちは変わらない。
 心の中に湖があって、そこに一滴の雫が落ちる。波紋が広がっていくが、それだけ。それ以上小波立つことはない。

(相沢の言葉が効いたのかな)

 試合前にその事実を認めることに抵抗があったが、今は何も思わない。ただ事実は事実として受け取り、心の中にすんなりと落ちていく。

「イレブンポイント。スリーゲームマッチ、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 瀬名が鬼気迫る表情で迎え撃つ体勢を作る。早坂はゆっくりとサーブ姿勢を作って狙いを定めた。瀬名の立つ位置は絶妙で、どの場所にサーブを打っても得意のスマッシュを放ってくると予測できた。
 どこに打っても同じならば――

「一本!」

 早坂のサーブでシャトルが左奥へと飛んで行く。
 瀬名は素早くシャトル下に入って構えた。力を存分に込めて、小細工無しでショットを放とうという気合が見える。
 早坂は中央から少し左寄りに待ち構えた。それを見た瀬名がどう判断したのか早坂には分からなかったが、シャトルは鋭く早坂の左側へと突き進む。女子ならば間違いなく最速。自分以外の女子ならばシングルスでは捉えられないだろうと早坂は思った。自尊でもなんでもなく、単純な事実。

(ここ!)

 見極めた軌道上にラケット面を起き、少しだけ斜め前に押し出す。それだけでシャトルは勢いそのままに右ネット前に落ちていく。最も遠い場所に落とされたシャトルに追いつけず、瀬名はコート中央で止まってしまった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 ポイントを告げる言葉がフィルターがかかったかのごとく遠い。代わりに瀬名の動き、シャトルの動きが良く見えた。自分が打ったシャトルの軌跡と共に。

(負ける気が、全然しない)

 早坂の中にある扉が開こうとしていた。
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