Fly Up! 113

モドル | ススム | モクジ
 大地の後に続く浅葉中の男女は特に大番狂わせもなく一回戦を突破していった。武と吉田も二回戦から登場し、難なく勝利を収める。

「ポイント。フィフティーンスリー(15対3)。マッチウォンバイ、吉田・相沢」
「ありがとうございました」

 対戦相手は清華中の一年生ペアだった。第二ゲームの後半からすでに戦意を喪失し、武のスマッシュが取れる範囲にきていたにもかかわらず、手を出すこともなく点を取られていた。握手もそこそこに、頭を垂れてコートを出て行く。

「なんだろな。あのやる気のなさは」
「怒るな怒るな。難しいよ、とても勝てない相手に戦意喪失しないのって」

 吉田はあっさりと言い、武をたしなめる。武も数度息を吐いて落ち着こうとするがなかなか上手くいかずに愚痴を言ってしまう。

「勝てない相手なら尚更がむしゃらに挑まないと駄目なんじゃないかなぁ。俺は小学生のとき弱かったけど、最後まで勝とうとしてたぞ」
「それは相手が常識内の強さだったからだろ」

 武の憤りの原因も、吉田にとっては慣れ親しんだものなのかと問おうとした時、先に吉田が答えていた。

「俺とかしょっちゅうだったぞ。一回戦とか二回戦とか、コートに立ったとたんに『運が悪いな』みたいな空気出してくるんだ。打ち合っててもけして弱くないのにさ。そんなやつにいちいち怒ってても仕方がないだろ」
「……そうか、なぁ」
「そうそう。相沢みたいなやつが珍しいの」

 ラケットバッグを背負い、吉田は立ち上がる。次に備えてジャージの上だけ着て客席へと上ろうと歩き出す。武も後ろを追ったが、沸き起こる声援に足を止めていた。

(あっちって、シングルスのほうか)

 ダブルスよりも少し早めに開始されたシングルスは、ベスト4を決めるところだった。第一シードの小島と第二シードの刈田は順当に勝ちを決めており、残る椅子は二つ。人が集まっている場所は第三と第四シードが決まる試合が繰り広げられているはずだ。

『おおお!』

 感嘆の漣が起こる。武はコートの合間を抜けて近づいていった。
 ちょうど人の顔が判別できる距離についたところで、片方の試合が終わる。

「フィフティーンナイン。マッチウォンバイ、石田。清華中」

 石田と呼ばれた男は喜びを全身で表した。両手を掲げてのガッツポーズは見ている武からして心地よくなる。
 清華中の石田、という名前に心当たりはなかった。小島や他の清華中部員に叩かれ、賞賛されている様を見ると下級生らしい。一年でのベスト4。相手は翠山中の二年。刈田以外に名前を覚えていなかった武はぱっと思い出せなかったが、学年別でもベスト4に食い込んでいたはずだ。
 事実上、学年別のベスト4がシングルスの四強。その一角を崩したことになる。

「しゃぁああ!」

 しかし、石田の勝利に喜ぶ清華中の歓喜を、隣のコートから吹き飛ばした男がいた。

「……杉田」

 武は唖然として咆哮の主を見る。ネットをはさんで膝をついているのは明光中の長井だった。安西をトップとして、五番手。それでもベスト4の実力を持っている以上、武も油断ならない相手だった。その相手を、杉田が見下ろしている。

「ポイント。フィフティーンサーティーン(15対13)。マッチウォンバイ、杉田。浅葉中」

 バドミントンを始めて一年と半年。杉田は武達と同じ領域へと足を一歩踏み出していた。
 シングルスでのベスト4。勢力図が塗りかわった瞬間だ。

「これで次は刈田だな」

 武の後ろから吉田の声。振り向くことなく頷き、武は杉田の様子を見る。
 四強の一角に食い込んだとはいえ、事実上この地区は小島と刈田の二強。人によっては小島に勝てるものはいないと考えられている。実際、唯一対抗できそうな吉田はダブルスに回っていた。刈田は吉田に勝った実績がないため、やはり評価は低い。
 ここからが杉田の勝負だ。

「今の杉田の気合なら、もしかしたらやるかもしれないぞ」
「もともと、杉田は蓋が開けばやれるとは思っていたからな。まだ驚く場所じゃないさ」

 吉田は武の背中を軽く叩いて離れる。武もすぐにきびすを返して後を追った。自分達の試合も後に控えている。杉田の応援もするが、まずは休むために行動しよう。

「本当に蓋が開くかは、刈田との試合にかかってるな。あいつ、ここ最近で急激に強くなってるし」
「試合見れたのか?」
「ああ、少しだけだけど。あの変なフォームでも体重移動がスムーズになってたしな。あと、前に飛び込むフットワークの反応も良くなってる。よほど練習したんだろうな」

 練習量ならけして浅葉中も負けてはいないはずだと、武は頭の中で肯定する。

(自分の試合と同じくらい楽しみだ)

 自分の勝利と合わせて浮かれていく武。
 そして――

『試合のコールをします。男子シングルス準決勝第一試合。小島君、清華中。石田君、清華中の試合を第一コート。第二試合。杉田君、浅葉中。刈田君、翠山中の試合を第二コートで行います……』

 放送がかかったところで杉田が「しゃ!」と短く吼えた。そこまで熱い男だったかと驚いている武を尻目に、橋本や大地に「勝つぜ! 歴史を変える!」とビックマウスを披露している。そのままダッシュでフロアへと降りていくところを武が見ていると、庄司から声がかかった。

「相沢。基礎打ちの相手してやれ」
「分かりました」

 庄司に頷いて杉田の後を追う。早足で階段を降り、フロアに続く扉の前に行くと、杉田が壁に手を突いて立っていた。

「杉田?」

 声に反応して振り向いた杉田の顔は、汗がいくつも浮かんでいた。顔が青いというわけでもないようだが、何か調子が悪そうに武には映る。

「何があった?」
「いや、なんでもない。なんでもないんだ」

 武の問いかけに首を振り、しかし壁から離れない杉田。武は近づいて更に問いかける。

「おい。調子悪いなら棄権したほうが」
「違うんだ。武者震いだよ」

 壁に突いた右手を離すと、かすかに震えていた。握りこむと少し収まるが、やはり武にも分かるほど揺れている。

「はっ! これからお前らしか相手にしてなさそうなあいつと当たるんだ。めちゃくちゃ楽しみなんだよ……でも、こうやって震えが止まらない。やっぱり俺は、怖がってるのか?」

 蘇る吉田の言葉。実力差がある相手に戦意喪失しない自分が珍しいのだと言われた。
 しかし、武は思う。実は諦める者は少なくて、こうして苦しんで前に進もうとしているのではないか。
 今の杉田に必要な言葉を、武は少し考えて止めた。
 思っていることを伝えるしかない。

「お前っていいかっこしいとか言われたことない?」
「たまに、聞く言葉だな」
「なら、今回もそうだって。相手のほうが格上なんだから負けても仕方がないだろ?」
「仕方がないって言葉自体みっともない――」
「ああ。だから」

 武は言葉を切って杉田の背中を叩く。咳き込むほどではないが、それでも杉田は痛みで動きが一瞬止まる。

「勝てば何も言われないさ」

 最も難しいことを、武はさらりと言った。
 あまりにもあっさり言い放った武に、杉田の顔は徐々に笑みに崩れていく。堪えきれずに笑った頃にはもう杉田から硬さは消えていた。

「お前なぁ。それが一番難しいっちゅーの」
「そりゃ難しいさ。だから、いつもどおりやりなよ」

 武の言葉に杉田は頷き、扉を開けてフロアへと歩いていく。基礎打ちの時間はどうやらないようで、武は入ってすぐのところにあるスペースに陣取ると杉田の背中を見る。

(俺が出来る励ましはここまで。あとは杉田自身がどうにかするしかないぞ)

 杉田が進む先には刈田の姿。コートに立つ刈田を見ると、やはり一回り大きくなったような威圧感がある。しかし杉田は臆することなく前に立ち、自分から握手を求めていた。挑まれた勝負を受けるように手を握る刈田。すでに二人の間に火花が散る。
 握手からじゃんけんに切り替わり、サーブは刈田が取る。コートはそのままと指定して、互いのサーブ位置に戻る。刈田は主導権を握るために。杉田は出鼻をくじくために。

「フィフティーンポイントスリーゲームマッチ。ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 審判と互いへの挨拶が被り、刈田はそのままロングサーブを放った。素早く追っていった杉田は刈田の左側へとスマッシュを放つ。右に比べてスペースが空いていたからだが、刈田はすぐにシャトルへとラケットを追いつかせる。ストレートドライブで返されたシャトルをロブで打ち返し、杉田はコート中央に陣取った。

「らぁ!」

 咆哮と激しい音がフロアに響く。凄まじい速さで杉田へと迫ったシャトルはしかし、バックハンドでしっかりと返されていた。
 まぐれではなく、完全なリターン。刈田は予測していなかったのかスマッシュ後の初動が遅れ、バックハンドでハイクリアを打ち上げる。
 シャトルの下に回り込んで、杉田が振りかぶる。今度は自分の番とでも言わんばかりに。

「うおおらぁあ!」

 叫び、ジャンプする。そのままスマッシュを打てばジャンピングスマッシュが完成するが、武は目を見張った。練習で一度も打ったことがないはずだと知っていたから。

「はぁ!」

 杉田は思い切りラケットを振り切り、シャトルはカットされて鋭くネット前に落ちていた。

「……ここでカットドロップか」

 武は体の震えを止められなかった。本当に刈田に勝てるかもしれないと、その瞬間に体が興奮していた。


 ◇ ◆ ◇


(なんだ。よく見えるな)

 杉田は熱くなる体は逆に、冷えていく頭に戸惑っていた。熱さにほぐれた体はスムーズに動き、頭が冷えていることで試合の一挙先ではなく全体が見える。自分の行動に対して刈田がどう動くかが想像でき、次へのカウンターを探している。

「はっ!」

 杉田があげたロングサーブから、刈田のスマッシュが杉田の右横を抜こうとする。しかし、ただラケットを軌道に乗せるだけでシャトルは勢いよく跳ね返った。ネット前に落ちるシャトルに刈田は飛び込み、ヘアピンを落とす。
 そこを狙い済ましたかのように杉田はラケットヘッドを立ててプッシュした。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 試合を見ていた選手達の間からどよめきが起こる。誰もが刈田のワンサイドゲームを予想していたのだろう。まさか得点を先に奪われるとはというどよめき。

(そりゃそうだろうな)

 杉田は額から流れる汗をぬぐって自分のサーブ位置に戻る。以前の杉田ならいらついていただろう外部の反応は、今はもう気にかからない。

(俺が弱いのは当たり前だからな。中学から始めてるやつが小学生からのバドミントン馬鹿に勝てるわけないだろ)

 返されたシャトルの羽根部分を丁寧に整えてから、ロングサーブを放つ。ストレートドロップは無理せずにロブをクロスに上げ、刈田をコートの奥へと走らせた。再びストレートドロップ。それをロブであげる。繰り返しの中で、刈田が遅くなるタイミングを探していく。

(あの体だ。フットワークを多用してれば確実に鈍る。そこでヘアピンをかければ……)

 しかし、杉田の思考は一発のスマッシュによってかき消された。右肩口に放たれたスマッシュに体は反応したが、ラケットを持ち上げきれずにフレームショットになる。ふらふらと刈田のネット前に上がったシャトルが、間髪いれず叩きつけられた。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
「しゃ!」

 自分の前に転がるシャトルの羽根がぼろぼろになっている。今のスマッシュで少し前に整えた羽根の惨状を見て、改めて刈田のスマッシュに杉田は驚く。

(速さ……相沢よりも上だな)

 純粋な力だけで武と同等だった刈田が、スムーズな体重移動を身に着けてきた。その結果、最大の武器が更に磨かれている。

「面白い」

 躍る心を素直に表し、杉田はシャトルを拾った。
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