Fly Up! 112

モドル | ススム | モクジ
 大地の先制。手を振り上げて「よし!」と叫ぶ大地の姿に凛々しさを武は感じ取った。まだ序盤であり、互いの戦力を測る段階ではあるが、大地にとっては攻めきったという経験は何よりも大きい。

「一本!」

 続けて大地のサーブが大きく宙を舞う、かに思えた。シャトルは甲高い音を立ててふらふらと中途半端に上がり、すぐに落ちていく。それでも溝端に対しては有効打だった。サーブでのフレームショットという初歩的なミスがくるとは思っても見なかったのか、後ろへと動いていた体を止めることもできずにシャトルが落ちるのを見送った。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 運が大地に向いている。相手は実践に慣れていない。序盤で連続して運寄りとはいえ得点できた。この勢いはそのまま相手を飲むかもしれない。

「大地、大丈夫かな」

 だが、隣に近づいてきた橋本が大地の様子を見ながら呟く。大地は失敗しないようにということなのか、数度深呼吸をしてからサーブを打つ。今度は普通のロングサーブだった。

「大丈夫、じゃないか?」
「意図しないトリックプレイは逆に自分を狂わせるからな」

 トリックプレイを主とする橋本ならではの台詞に武は息を飲む。大地に視線を戻すと、溝端とクリアでラリーをしていた。体格が小さい大地は徐々に押し負けていく。五度目のクリアを打ち返した時、溝端はスマッシュで大地のいない箇所を狙っていた。そのシャトルへと大地はまったく手を出せずに終わる。

「サービスオーバー。ラブツー(0対2)」

 サーブ権が移動し、溝端のサーブ。大地を真似たのか、ロングサーブを打つと見せかけてのショートサーブだった。大地は反応してロブを上げるものの、中途半端に上がったシャトルを溝端が打ち込み、あっという間に点を取られる。悔しそうにして、大地はシャトルを拾った。

「これで今まであったアドバンテージは消えたな。これからは実力差が出てくる」
「大地は、負けない」
「気持ちだけはな」

 橋本の物言いに武は一瞬だけ怒りを覚えた。すぐに沈めて、冷静に状況を読む。試合になると橋本は敵味方関係なく状況を冷静に読む。武もまた、橋本に促されるように大地を見た。

「ポイント。ツーオール(2対2)」
「ストップ!」

 大地の声に悲壮感がすでに混じっている。
 溝端の圧力に押され始めている。まだ最初の二点で得た利息がなくなっただけで、プラスマイナスゼロ。これからいくらでも挽回出来る。
 気持ちが切れなければ。
 溝端に連続して取られた二点によって、相手は大地の本当の実力が分かってきただろう。大地もまた、自分の実力では正攻法で勝つことは出来ないと分かってしまった。
 橋本や武ならば、相手の弱点を探してそこを突くというやり方を思いつけるが、大地にはそれが難しいはずだった。実戦経験以前に、大地には部活のメンバーに勝った経験がない。
 勝つという事を感覚的に理解できていないため、どうすれば「勝てる」のか思考展開がまだ出来ないのだ。勝つことの青写真を描けなくとも、一点を確実に取っていけば勝つことは出来るが、十五点先の結果を想像出来ないまま続けていくのは精神的にも辛い。今の大地に耐えうる精神力があるのか武には分からなかった。

「一本!」

 溝端から発せられる気合。最初の臆した様子はもう見られず、大地に向かって全力でシャトルを打ち込まんとする。大地はしかし、気おされつつもけして下がらなかった。ロングサーブからドリブンクリアで相手の体勢を崩そうとする。溝端は遅れつつもシャトルに追いついてクロスドロップを放った。ドロップの鋭い軌道ではなく少しふわりと浮いた甘い軌道だが、大地にとってはそこに向かうまでが遠い。ラケットを思い切り伸ばしてようやくシャトルを捉えた。飛ばす力はなく、必然的にヘアピンとなり、ストレートに落ちていく。しかし目の前に詰めてきていた溝端はシャトルをコート奥へと落としていた。

「ポイント。スリーツー(3対2)」

 審判のポイントに溝端が喜ぶ。シャトルを拾いに行く大地の背中は武には寂しそうに映った。
 しかし――

「このままじゃすんなり負けるかもな」
「いや、大地は負けないさ」

 橋本の言葉に武は自信を持って返した。
 大地がシャトルを拾い、溝端を振り向くと柔らかにシャトルを上げていた。シャトルはゆっくりと降下して、溝端の胸の前にあった手へとすっぽり入る。
 笑顔を向けたままで。

「あれ、狙ってやったのか?」
「まさか」

 一瞬前の諦め顔から一転、驚きに染まる橋本の顔を見ながら武は首を振った。注意して溝端に見えないように。

「大地は諦めてないよ」
「ストップ!」

 武の言葉を証明するかのように、大地が吼えた。

「でも、大地に勝ち目はあるか?」
「実力が上の相手に勝つのはお前の専売特許だろう?」

 橋本に言い返してから大地を見る。すでに試合は再開されていて、シャトルが大地の横を通り抜けて落ちたところだった。

「ポイント。フォーツー(4対2)」

 大地は微笑を浮かべながらシャトルを返す。その様子は打ち込まれることがなんら堪えていないようだ。

「大地は、諦めない。たとえ勝てなくてもな」

 橋本とは違う声が聞こえたことで視線を向けると、杉田が立っている。先ほどまで下にいたはずだが、と武が思っていると自分の席に向かっていき、ラケットバッグを背負ってからまた武達に近づく。

「今、コートでやってる試合終わったら、多分俺呼ばれるからな」

 現在、コートでは男子と女子のシングルス第一試合が行われている。杉田は二回勝てば第三シードの明光中・長井と当たる。

「長井にも勝って、刈田に勝ってやるよ。で、小島も倒す。これで浅葉中は吉田と相沢だけじゃないことを分からせてやるぜ」

 にやりと笑う杉田に武も気おされて頷いた。大地といい杉田と言い、今回の試合に賭ける思いは何か違う気がしていた。夏休み初日を休んで以来、頑張っていた姿を見ている武には、二人が大きなものを背負ったように思えたのだ。

「っと、俺より大地だよ」

 杉田の言葉に大地へと視線を戻すと、すでに九点を取られている。そこまで視線をはずしたとは思えなかったが、サーブから一回、二回で点を取られたなら納得出来る点数だ。大地の顔は負けていても変わらない。対して溝端は勝っていても表情は晴れなかった。
 勝っているのにまるで敗者。
 負けているのにまるで勝者。
 対照的な二人を見ながら、橋本は呟いた。

「大地のやつ。最後まで諦めないんだ、な」

 ロングサーブを打ち返し、スマッシュを前に落とす。それは単調で読まれていたが、そこにつけこめるほど溝端の技量は高くない。結果、試合は徐々に長引き始める。
 得点が二桁になり、十五点へ向かって着々と進んでいくのに反比例して試合の時間は伸びていった。

「ポイント。フィフティーンツー(15対2)」

 最初のゲームを溝端が取る。大地は悠々とコートを出てラケットバッグごと向かいのコートに移動した。その足取りは停滞しない。逆に溝端の足取りは重かった。

「何かあると裏を読もうとしてるのかな」
「そりゃあれだけ堪えてないそぶり見せていれば思うだろう」

 武の呟きに橋本が反応する。大地の様子は負けているプレイヤーのものではなかった。溝端のサーブで第二ゲームが始まっても、一ゲームと変わらずに溝端のショットを大地が返し、次に溝端が大地のいない場所へと打ち込んでポイント。やっていることは第一ゲームの途中から全く変わっていない。そして実際、溝端は勝っている。

「大地の強さは、どこから来るんだろう」
「勝てる可能性があるからだろ」

 橋本の呟きに杉田が答える。武もその根拠を知りたくなり、杉田の言葉に耳を傾ける。

「自分の実力じゃ勝てなくても、粘っていれば相手が怪我したりするかもしれないだろ?」

 あまりにも神頼みな回答。橋本も武も聞き終えて少し肩を落とす。それが本当ならば凄まじく低い可能性だ。

「でもゼロじゃない」

 武達が思っていることが分かったのか、杉田は続けて話す。

「自分から諦めなければチャンスが転がり込むことを大地は理解してるんだ。あいつはお前らの試合を見てきたんだ。そこで学んだんだろう」

 他の同期が試合をしている中、一人応援やラインズマンをしていた。いつも仲間達の勝つ所、負ける所を見ていた。
 大地がその先に見つけた結論は、確かに武達が体感しているものだ。

「自分の実力なんて自分がよく分かってる。だから大地は信じてるんだ。自分が諦めなければ可能性はあるって」

 シャトルを追いかける大地の顔には悲壮感は全くない。ただシャトルを追い、打ち返すことだけに集中している顔。やっていること、やろうとしていることは武達と変わらない。相手のいない場所へ打ち、体勢を崩すこと。
 ネットに引っ掛けても。溝端に追いつかれて逆に打ち込まれても。
 シャトルを打ち続ける。ただ、勝利のために。
 それでも現実は残酷で、点差が広がっていった。

「ポイント。フォーティーンラブ(14対0)。マッチポイント」

 結局、一度もサービスオーバーすることなくマッチポイントを迎える。溝端も残り一点の余裕からかそれまでの不快そうな顔を潜めていた。

「ストップ!」
「一本!」

 大地の声に被せるよう、溝端が叫んだ。それと同時にショートサーブ。

「やあ!」

 後ろに下がっていた大地は文字通り飛び込んでシャトルをヘアピンで返していた。
 シャトルはスピンがかかって不規則な軌道を描く。そのままネットを越えて溝端の側へと落ちていた。そして大地はコートに大きな音を立てて倒れる。
 音の大きさとうつぶせに倒れた大地に驚いて、溝端が慌ててネットを迂回して駆け寄ろうとした。だが、大地は先に起き上がって溝端を止める。

「大丈夫です」

 痛みがあるように胸元をさすっていた大地だったが、すぐに手を放してシャトルを拾う。そして自分のサーブ位置に戻って構えた。

「一本!」

 言葉に押されるように溝端も急いで戻ると構えていた。
 放たれたのはロングサーブ。さほど飛距離もなく、威力十分なスマッシュを簡単に打ち込めそうなもの。

「はっ!」

 溝端は大地のバックハンド側を狙ってスマッシュを打ち込む。大地はバックハンドに持ち替えてシャトルにラケットヘッドを当てたが、打ち返したシャトルはネットに阻まれてしまった。
 再び戻るサーブ権。そして、溝端は間髪いれずにシャトルを拾うと吼えていた。

「ラスト一本!」

 大地が声に反応して構えると、すぐさまロングサーブを放つ。おぼつかない足取りでシャトルの下に入ると、大地はストレートにドロップを放った。
 しかし、そこには溝端の姿。

「らっ!」

 溝端はラケットヘッドを立ててプッシュで落としていた。シャトルがこつんと軽い音を立ててコートに落ちる。一瞬の静寂の後、審判が試合が終わったことを告げていた。

「ありがとうございました」
「ありがとうございました」

 溝端から差し出された手を掴み、大地はちゃんと正視してから手を離す。ラケットバッグを取りに行ったところで、審判からシャトルとスコアボードを手渡され、審判員席に向かった。それを武達は何も言わず見送る。

「勝てなかった、か」
「でも諦めなかった」

 大地の成長振りを、武はちゃんと見届けた。当人は勝利を望んでいただろうが、ともに頑張ってきた成果が出た。
 次はきっと勝てる。そう思える負け方。

「さて、次は俺の番だな」

 杉田が肩を回しつつ、武達の傍を離れる。発せられる気合は武の背筋を寒気として上っていく。杉田の秘める思いの欠片に、大地を見た気がして武は呟く。

「頑張れ、杉田」

 第一回戦第一試合。
 小林大地、敗退。
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