Fly Up! 114

モドル | ススム | モクジ
 刈田のスマッシュが左シングルスライン上に落ちるのを見て、杉田はため息をついた。落胆はあえて隠さずにシャトルを拾い、雑にならないように返す。
 ポイントは五対一。サービスオーバーを取られてから五連続得点。全てスマッシュでもぎ取られていた。ついていけると思った矢先に離されていく現実に杉田は自分の見通しが甘かったことを知る。

(まさかスマッシュが速くなるとは思ってないだろ)

 体が温まったことからか、刈田のスマッシュは打つごとにその力と速度を上げていった。一点目を取られた時点で杉田はラケットを出すことが苦しくなり、五点目の今は目で追うことしか出来なかった。体が今まで受けたことがない速さに対応できていない。

(この試合中に慣れるしかないんだが……慣れるには沢山打ってもらわないと)

 刈田のサーブを右奥へと返す。出来るだけ飛距離を稼ごうと飛ばすが、それに対して刈田はドロップを打ってくる。綺麗な弾道は叩き落とせずに、杉田はヘアピンを打つしかない。前にスライドしてきた刈田はシャトルを更にクロスヘアピンで沈めてくる。きわどいシャトルを杉田は上げるしかなく、跳ね上げて中央に戻ったところで右サイドにスマッシュを叩き込まれた。
 更にポイント。そして同じことを六回繰り返したことになる。
 選択肢を封じられて、いい様にあしらわれている。

(なんか打開策打たないとなぁ)

 徐々に劣勢に傾いているというのに、杉田の心の中はざわついていなかった。以前の自分ならば、実力差に憤って自滅していった。しかし今は特に何も感じない。
 諦めではない。自分の心の内で勝利への炎は全く揺らいでいないことは分かる。頭だけがクリアになっている。

(これが刈田か)

 杉田の中でデータが集っていく。
 その体格から繰り出す強烈なスマッシュに騙されるが、もっとも真価を発揮するのはヘアピンやドロップだった。それらの鋭さで甘い球を上げさせて、元々強力なスマッシュで叩き落す。十分な体勢でさえ取りづらいのだから、体勢を整えようとする一瞬に放たれたならば返球は厳しくなる。その間隙を狙って打ってきているとは思えないが、結果として出ている。

「ストップ!」

 小さくではあるが、鋭く言って身構える。刈田のサーブが放たれたところで、杉田は攻め方を変えた。ハイクリアではなくドロップをストレートに落とす。刈田は前につめてヘアピンを打ったが、それまでと違って少しだけネットから浮いた。
 それは外から見ればかすかな違いだったが、試合をしている二人……特に杉田には十分すぎる隙だった。前にラケットを伸ばし、ほんの少しだけプッシュする。威力はいらず、ただ刈田の後ろに飛ばすだけ。
 シャトルは刈田の肩口をふわりと飛び越えてコートについていた。

「ちっ」

 ネットを挟んですぐの場所で、刈田が舌打ちする。自分のミスに素直に悔やみ、杉田を半ばにらみつけるように視線を送ってからシャトルを取りに行く。
 刈田からの圧力を受けながらも、杉田は臆せずに立つ。その場から動かずにシャトルを受け取り、サーブ位置へと取って返す。

(一応打開策っぽいことは見つけたが)

 ようやく取ったサーブ権。一度体勢を整えるのに時間を置くように見せて、刈田が構えているのを見るとすぐにロングサーブを打っていた。相変わらずのスマッシュを打ってくる刈田。シャトルが唸りを上げて自分へと向かってくる錯覚を払い、杉田はヘアピンでネット前に落とす。今までと違うのは、ストレートではなくかすかにクロス方向へと落としたこと。前に詰める刈田の動きが一瞬にぶり、結果、またしてもヘアピンが浮いていた。

「だっ!」

 前に踏み出して、ぽんっとシャトルを押しだす。全く威力がないシャトルが通り過ぎていくのを刈田は見ていることしか出来なかった。

「ポイント。ツーシックス(2対6)」

 杉田のポイントに拍手が起こる。それまで攻められていただけに、浅葉中の面々の拍手は大きかった。杉田の耳に入って、口元が緩む。

(煩いっての。特に相沢)

 目線を向けなくても、一番大きな拍手をしているのが武だということは分かる。
 分かるようになった、一年と半年。
 長くはないが、けして短くない期間を共に練習に打ち込んでいた仲間。その温かさが、自分を包み込むように杉田には感じられた。

「一本!」

 だから、杉田は武の真似をして叫んでみる。大きな拍手に後押しされるように、自分の前にある山を一つ越えようと決めて。
 ロングサーブに見せかけてのショートサーブ。多少山なりになったが、後ろに引こうとしていた刈田は一度後ろに行く体を止めて前に飛ぶ。ラケットを前に突き出してクロスにヘアピンを放ってきた。杉田は無理せずにロブを上げ、ネット前から中央に戻る。今までとは違い、今度はスマッシュが放たれる前に体勢が整った。

「はっ!」

 刈田からのスマッシュは杉田の左を抜けようと飛んでくる。それまでは一瞬の遅れからチャンス球を上げてしまっていたが、今度はその遅れが埋まっている。杉田はラケットを軽く前に出し、シャトルの勢いを殺していた。
 ただ、返されたシャトル。しかし、ふわりと飛んでネットぎりぎりに落ちていく。刈田も高い位置でシャトルを捕らえることが出来ずにロブを上げた。
 初めてネット前の競り合いに勝ったことにも、杉田は思考を休ませることはない。上がったシャトルをどこに叩き込むか視線を這わせ、狙いを定めてラケットを振る。
 カァン!
 打った当人さえも肩を落とすような甲高い音。フレームに当たったシャトルはしかし、ふらつきながら刈田のコートへとネットに一度当たりつつも落ちていった。突然のことに反応できず、ただシャトルを見送る刈田。告げられるポイント。

(調子出てきた、かな)

 頭を下げてから、杉田は自分でシャトルを拾った。
 偶然とはいえ、フレームショットの成功率が高くなるのは自分の特徴だと練習から知っている。このタイミング出たことに自分の調子を当てはめて、上向きだと悟る。

「一本!」

 今度は中央ラインに乗せるような軌道でサーブを放つ。少し横にずれたが、ほぼ思惑通り。そして、いつも構える位置よりも前に腰を落として構えた。刈田は躊躇なくスマッシュを杉田の左側へと打ち込む。杉田は体を切り返してラケット面をシャトルに当てる。威力をなくしたシャトルは前に落ち、そこにつめていた刈田はクロスヘアピンで杉田から離れていくようにシャトルを打った。

「なろ!」

 バック側にあったラケットを強引に引き、シャトルに当てる。押し出されてコート中央に落ちようとするシャトルに追いつき、刈田は杉田に背中を向けたままバックハンドで打ち返した。
 しかし、ちょうど杉田の真正面に来たことでプッシュでカウンターを取り、シャトルを沈めていた。
 着々とポイントを重ねる杉田は、今までぼんやりとしていた何かを掴みそうな感覚を得る。何も特別なことではなく、この試合の間で気づかずに実践していたことだ。
 シャトルが刈田からふわりと山なりに返されて、バラバラと散らばっていたパズルのピースがはまる。

(そう、か。俺の特技、見つけたぜ)

 杉田の目に確信の光が生まれる。ここまで試合が流れて初めて気づく。
 ロングサーブにスマッシュ。ヘアピンにロブ。最初に杉田が六点取られた時と同様に、今度は刈田が同じパターンで失点していく。
 得点はいつしか八対六。試合中の動きは二人とも速かったが、試合の流れは遅い。
 しかし、このペースは杉田が作り出したものだと刈田も気づいたのだろう。タイムをかけて顔から流れる汗を拭きに自分のラケットバッグに近づいていく。杉田もバッグの中からスポーツドリンクを取り出して一口だけ含み、少し時間を置いて飲み込んだ。

「ふぅ」

 汗を拭いている刈田を見ながら、杉田は自分のラケットを軽く上下に動かした。
 今まで互角以上に戦えている要因。武のスマッシュや、吉田の反応速度。橋本のトリッキーなプレイに林のドライブ。それぞれに特有の技能に負けないものを、ようやく杉田は見つけていた。
 それを教えてくれたのは刈田のスマッシュ。

(強く返せないなら返さなきゃいいんだ)

 威力に押し負けるならば、完全に威力を殺せばいい。強打に対してラケットで弾き返すのではなく、包み込んで送り出す。芯を外さなければ変な方向には飛ぶことはない。
 何より、威力のあるショットだけが点を取れるものではないと知った。
 たとえ全く力がなくとも、シャトルに相手のラケットが届かなければ点は取れるのだ。

「一本!」

 続けていたロングサーブを止めて、ショートサーブでシャトルを送り出す。
 刈田は構えていた場からは動かずに、ラケットを思い切り振り上げた。シャトルは高く舞い、杉田のコート奥を浸食する。

(うお!)

 体の動きによる力の伝達をまったくせず、右腕一本の力だけで打たれたシャトルに反応が遅れた。慌ててシャトルを追いかけ、真下に入るとスマッシュで刈田の左側を襲う。そのまま中央に戻ってシャトルを待ち構えようとした杉田だったが、気づけばシャトルはネット前に落ちていた。

(な、に?)

 いつ打たれたのか全く分からなかった。刈田から目を離したわけではなかった。刈田は中央から少し右側に立っていて、ラケットをバック側に構えていた。杉田のスマッシュに対して、いくつか選択肢はあるにせよ中央に移動すればどれにも対応できるはずだった。しかし実際はヘアピンを決められている。

(何をした? 一体、なんで分からなかった?)

 打つ瞬間がいつだったのかさえ分からない。
 杉田の動揺をよそに刈田はシャトルを握ると早速サーブを放とうと構える。その圧力に負けまいとラケットを掲げるも、内心は荒れていた。このままではまた得点を取られていってゲームを取られてしまう。

(ここまで来たらやっぱり勝ちを目指すだ……ろ!)

 思考の間に放たれたロングサーブ。シャトルに追いついてクリアを打つ。ストレートに打たれたシャトルに対して刈田は今まで以上に俊敏に動いた。今までならば腕を伸ばしてクリアを打っていたようなシャトルの真下に入り、けたたましい音と共に杉田の右側を過ぎていくシャトル。スマッシュの威力に負けじとラケットを差し出してフレームに当ててしまうと、シャトルは真上に舞ってから落ちていた。

(くそ。さすが、ってところか)

 シャトルを刈田へと返してレシーブ位置に戻る。一気に加速して追いつき、強力なスマッシュを放ってくる。動きが読めなかったことも不思議だが、今まで反応できていたスマッシュにも反応できなくなっているというのに疑問点が残る。何か刈田が仕掛けてきているのかと考えているうちにロングサーブ。何か見極めようとドロップで刈田の右前を狙う。ラケットを前に差し出したまま前に突進してきた刈田の動きを、一瞬たりとも見逃さないようにと集中していた杉田だったが、次にはクロスヘアピンが点をもぎ取ろうと鋭い軌跡でネット前を襲った。

「うらぁ!」

 しかし、下に落ちるぎりぎりの位置で、杉田のラケットがシャトルをすくっていた。浮かび上がるもネットを越えた瞬間に沈み、ころんという擬音が聞こえそうな動きで刈田のコートへと入るシャトル。しかし刈田は器用にロブを上げていた。

(ようやく分かったぜ!)

 杉田は勢いを緩めずにシャトルに追いつき、ラケットを強く振り下ろす。スマッシュで狙うのはコートの奥。刈田にフォアハンドでショットを打たせるために。
 威力があるとはいえ、長い飛距離は十分に刈田が追いつく隙を与える。ラケットを振りかぶってラケット面でシャトルを捉える瞬間、杉田は斜め前に飛び出していた。通常ならばクロスに打つにはきつい位置。しかし刈田ならば可能だと踏んだ杉田の勘。
 それは見事に的中した。

「らぁ!」

 杉田は構えたラケットの前に吸い込まれるようにやってきたシャトルを叩き落していた。
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