Fly Up! 111

モドル | ススム | モクジ
 夏の日差しは大人しくなり、周囲は徐々に秋へと姿を変えていた。涼しい風の中を武は自転車で進んでいく。
 夏休みを終えてから季節の変化を体で感じる。数週間前ならばジャージの中は既に汗が滲んでいたが、今は十分ほど自転車をこいでいても流れてはこない。

(もう秋だなぁ)

 市民体育館の隣にある広い公園にある木々も、きっと徐々に赤くなっているのだろうと武は想像を膨らませた。

(試合が終わった後にちょっと見ていくかな)

 市民体育館が視界に現れ、武はペダルを踏み込んだ。これから始まる大会。
 中体連と並んで全国へと繋がる大会の一つ。
 ジュニアバドミントン大会の幕が、今、上がる。

「おーい!」

 入り口にたむろする浅葉中の面々を視界に入れて、武は手を振った。庄司はもとより吉田や早坂などが既にその場で武に顔を見せる。いつもは仲間達の姿を見ながら最後に到着するが、今回は体の奥から生まれてくる熱が武を突き動かす。

(早く試合したい。練習の成果出したいし、安西達とも試合したい)

 夏休みの成果を他校のプレイヤーの前で披露したいという思いもある。それ以上に、同じくらい成長したライバル達としのぎを削りたいという気持ちもあった。夏休みの終わりに感じた切なさも正直な気持ち。そして、勝つか負けるかの瀬戸際で相手より上を行くことへの達成感もまた、武の偽らざる気持ちだ。
 矛盾しているかもしれないが、止められない。

(変かなぁ。変じゃないのか。わからないけど)

 吉田達を通り過ぎて自転車置き場に一気に寄せる。そこにちょうど反対方向から飛び込んでくる一台の自転車。主は体格は武よりも大きく、思わず武は見上げた。

「よっ。久しぶり」
「刈田。お前またでかくなった?」
「成長期かもな」

 スポーツ刈りの頭を右手でかきながら、刈田は笑っていた。身長も体重も増えたように武には見える。それが筋肉のためなのか、脂肪が多いのかはまだ分からない。武には刈田の太い二の腕から繰り出されるスマッシュがどの程度の威力になるのか予想できない。

「まあ、俺はシングルスだし、当面の敵は小島だけだな」
「あれって小島か?」

 刈田が名前を出したタイミングを計ったかのように、自転車をこいでくる人影が一つ。

「お、おそろいでー」

 小島がマウンテンバイクを駆使して刈田と武の間に滑り込む。

「小島。久しぶり」
「おうよ。なんか一年くらい会ってないような気分だ」

 小島は自転車から降りると武と刈田に向き合う。武以上刈田未満の身長。向かい合うとそれぞれ持つ雰囲気が違い、会話が止まった。

(き、気まずい)

 武は少し後ろに下がろうとする。考えてみればシングルスで因縁があるのは刈田と小島であり、武は今回は蚊帳の外だ。実際、刈田と小島は視線を互いに向け気味であり武のほうへはちらちらと向ける程度。このまま去れば問題はないはずだ。

「どうした、相沢?」
(そこで来るなー!)

 去ろうとした武の背中を押してその場にとどめさせる声。吉田が傍までやってきたことで、刈田と小島の視線がそちらに向いていた。武から注意が外れたことは嬉しいが、挟まれる形になり動けない。
 そうこうしているうちに見知った顔が集ってきた。明光中の安西、岩代。川瀬に須永。シングルスとダブルスでベスト四に食い込んでくる者達が一箇所に集り、言葉を交わす。

「今日は絶対に勝つぜ」

 安西が代表するかのように言う。その言葉が向かうのは小島と吉田。そして武。中体連の予選では安西達に屈したが、まだ吉田と武は学年の中で一位のダブルスなのだ。
 自分達がメインの代になってから初めての大会。ここで各校の今までのパワーバランスがリセットされて新たな時代が幕を開ける。

「今回は即全道大会だからな。順位がそのままトーナメントの優位に繋がるし、優勝は渡さない」

 吉田が堂々と安西達の視線を受け止め、返していた。自分と武ならば手が届くという揺ぎ無い想い。練習に裏打ちされたものだった。

(あ、でもそうか)

 武はここで一つのことに気づく。それは夏休みの終わりごろに庄司から聞かされた新たな大会のこと。学校を超えた仲間達との団体戦。ここでライバル視している皆が、来年には同じチームになるかもしれない。そう思うとまた別の視点が見えてくる。

「楽しみだなぁ」

 胸の奥から込み上げてきた思いを口にしてしまう武。それに怪訝な顔をして尋ねようとした安西だったが、自分の顧問から声がかかっていた。

「おっと。じゃあ、試合でな!」
「当たるまで負けんじゃないぞ」

 安西と岩代が台詞を残し、川瀬と須永は無言で後ろをついていく。その雰囲気が武には震えを感じさせた。

(あいつら、何か怖いな)

 川瀬と須永。安西達といる時は笑って話す姿も武は見ていたが、他校の生徒達と一緒にいる時にはほとんど会話がない。武も数度しか彼らの声を聞いた事がなかった。だが、それはいつものことにも関わらず今回、気になったのは何故か。

(んー、まあ、いいか)

 何かが武の心に残ったのは確か。しかし答えを探す前に必要なのは試合に臨むこと。関係ないことならばそのまま。試合に関することならば実際に対決する時に明らかになるだろう。

「相沢、行こう」
「うん。今回は絶対優勝するぜ」

 心に宿った疑念を霧散させて、武は吉田の後に続いた。


 * * *


 市民体育館のフロアに並び、大会の責任者である副市長の話を聞いていると武は眠くなる自分を抑え切れなかった。眠気に負けてくらりとした瞬間に、後ろに立っている橋本が背中をくすぐることで反射的に体が震えた。

(なにするんだよ)
(寝そうだからだろ)

 アイコンタクトで会話をしつつ、武は式をなんとか乗り切った。話の長さは自分の中学の校長に負けないなと思いつつ、背筋を伸ばしながら歩き出す。

「相沢。早く行こう。庄司先生がもうプログラムもらってるはずだ」
「おう!」

 今日のトーナメント表を確かめるために足を早める武。そこについていくように、由奈が近づいていった。

「武ー」
「どした?」
「あ、いや」

 返事をしてみると口をつぐむ由奈に武は首をかしげる。そして、ここ一週間ほど由奈と会話していないことに気づいた。
 けして避けていたわけではない。ただ、試合も近いということで部活でも吉田達とわき目も振らず練習し、帰りも少しだけ遅く残っていたため結果的に由奈と帰る時間がずれていた。
 フロアから出て荷物を置いている客席へと向かう間も、二人は何か気まずい空気を漂わせつつ会話を続ける。

「頑張って、ね」
「当たり前だろ! 優勝狙うよ」

 由奈に向けて左手の親指を立てる。どこかぎこちなかったが、それでも由奈は笑って頷いた。

「早さんも、武も応援してるから」
「ああ。あいつは大丈夫だろ。俺のほうもっと応援してくれよ」

 いつもの通りと感じる軽口を叩くと、今度こそ由奈は笑った。堪えきれず、という表現がぴったりな笑みだった。

「それは早さんに悪いよ……うん。私も頑張るから応援してね」
「当たり前だろ」

 武も由奈から伝わる気持ちに触れて、緊張を崩した。試合前に余計な気を張っていたからかもしれないと、一度深呼吸する。

「どうしたの?」
「なんでもないよ」

 気恥ずかしさをごまかすために足を早め、由奈より先に庄司がいる場所へと向かった。すでに吉田を含めて何人かが大会スケジュールを受け取り、中を見ている。
 武も自分の分をもらってから吉田に問いかけた。

「どんな感じ?」
「んー、大体学年別のと変わらんかも」

 吉田の言葉につられるように武もプログラムを開いてダブルスの箇所を見る。第一シードに武達。第二シードは安西と岩代。第三シードには川瀬と須永。
 そして第四シードには。

「おお、橋本達入ってるじゃん」

 第四シードに位置しているのは橋本と林だった。見事に浅葉中と明光中とでダブルス上位を独占している。

「運が良かったな。これで一山当てて実績作るかー」

 武の後ろから覗き込んで、橋本が言う。だが、それは簡単なことではないと吉田が釘を刺した。

「でもベスト8で藤本達に当たるぞ」
「翠山の一年か……確かにあいつ等強いもんな。ま、やるだけやってみるさ」

 吉田の警告をさらりと受け流して橋本は林の下へと歩いていった。

「こうして見ると、準決勝までは楽っぽいな」
「油断するなよ。第一シードが初戦でやられるとかあるからな」
「そ、そっか」

 吉田ならば軽口に乗ると思っていた武は真剣に否定されたことで落胆よりも驚きが勝った。そしてこの油断のなさが吉田の最も強い部分なのだろう。
 武は一度自分の頬を張って、気合を入れなおす。

「よっしゃ。油断しないで行く」
「その意気その意気ー」

 そう言って武の傍を通っていったのは大地だった。ラケットを持って体を捻りつつ、杉田と共に歩いていく。そこで武は第一試合に大地の名前があることに気づいた。
 シングルスを先に行い、次にダブルスという流れ。更にシードである武と吉田の出番は午後あたりになる。それまでは他部員の応援に回ったり線審をしたりとフル回転で動くだろう。武達の出番の前に、どれだけ仲間が勝ち残っているか。

『試合のコールをします。男子シングルス第一試合、清華中・溝端君。浅葉中、小林君。第一コートにお入りください』

(まずは大地の応援だな)

 フロアを見下ろせる場所の手すりに体を預ける。
 大地は杉田としていた基礎打ちを止め、着たままのジャージ上下を慌てて脱いでいた。単純に脱ぎ忘れたらしいと気づいて武は微笑ましく笑う。自分も試合に出る始めの時は脱ぐタイミングが良く分からなかったものだと。
 ユニフォーム姿となり、背中につけているゼッケンを確認する。一通り大丈夫だと思ったところで、大地は体を上下にゆすった。自分なりのリラックス法なのだろう。

(頑張れ、大地)

 まだ一勝が遠い。それでも徐々にショットにも正確さが出てきた。粘れば勝利はけして遠くない。
 プログラムを見て対戦相手を確認する。一年らしく、中体連にも出ていた記憶はない。珍しい苗字だけに、名前を見かけていれば頭のどこかに引っかかるはず。

(今日がデビュー戦なのかな?)

 外から見て、大地と同じくらい緊張しているのが分かる。言動がいちいち角ばっていて、じゃんけんで勝った時のリアクションはすでに一勝出来たと言わんばかりに大きい。
 互いのサーブ位置に戻ったところで審判が試合のコールをした。

「フィフティーンポイントスリーゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 ここで引いては主導権をとられる、という気迫が互いから武に伝わる。溝端のロングサーブから、試合は幕をあけた。

「やっ!」

 初めから大地はスマッシュで右サイドを狙った。シャトルがサイドラインより少し内側に流れた分、溝端のラケットは簡単に届き、真っ直ぐにヘアピンを返してくる。大地はスマッシュを打って移動していた重心を更に前に持って行き、自然と体はネット前に飛び込んでいる。シャトルがネットを越えたところでラケットを前に出し、ヘアピンを決める。ネットからほとんど遠ざかることなくシャトルは相手側のコートに落ちていった。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
「ナイッショー!」

 武や他の部員達の声援に大地はシャトルを取ってから笑顔を向けた。練習でも出来ないような綺麗なヘアピンを打てたことで、大地に自信が生まれる。その自信がより良いショットを生むことを武は知っている。

(こりゃ、初勝利、狙えるぞ)
「一本!」

 ラケットに振られている、という感が否めないスイングでロングサーブを放つ大地。溝端は後ろに下がり、様子を見る。ぎりぎりアウトか、インか。
 シャトルが落ちた瞬間、溝端の悔しがる顔が大地の目に飛び込んだ。
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