Fly Up! 10

モドル | ススム | モクジ

「今日は寝坊しなかったね」

 由奈の言葉に「当たり前」と返答できずに武は口篭もった。自転車の速度にそって強くなる前からの風に遮られたよう見せかけて、話題を止める。左手で何度か口元を拭きつつ、武は考える。
 若葉や吉田にも怒られたことで寝坊癖を直そうと思ったのは確かだが、今、当たり前と返答するとこうして二人で休日にバドミントンをしにいくことを楽しみにしていたと思われそうだった。
 二人で行くことが楽しみだったのは事実だが、それを知られるのも恥ずかしい。

「休日にバドしに行くのも珍しいよね」
「そりゃあ……あれだけ先輩の試合見るとさ。もっと打ちたくなるんだ」

 地区大会のベスト8以上が試合をしたのが先週の日曜日。そこでは部長である桜庭が難なく一位を取り、三位に金田が入った。一位から三位までが次の大会へと進む。
 八人が八人とも武から見ればハイレベルなプレイヤーばかりだったため、武の血は燃えた。

「でも今度の試合に備えて団体戦のメンバーが練習してたら、最初の時みたいにコートで出来ないし」
「そだねー。私もいい加減普通にコートの中で打ちたい」

 武達がいる地区は北と南に分かれている。浅葉中は南地区にあり、次の試合は北地区から勝ちあがった選手と対決してようやく全道大会へと進む。更なる練習を行うため必然的に一年生は構われなくなり、最初の全員の準備運動以外は部活時間が終わるまで体育館に入れないという日が続いていた。
 そんな日々に耐え切れず、武は由奈を伴って日曜日に市民体育館へと向かったのだった。

「それにしてもなぁ……あれだけ速いスマッシュとかありえないよな。シャトル見えないとか」
「うん。でも武も結構速いよね」
「そうか? まだまだだよ」

 自転車に乗りながらの会話もスムーズにこなしていた。小学校の頃からたまにしていたことだが、中学に通うのにずっと続けていたからか、風に遮られても何を言っているのか予測できる。
 五月の終わり、夏に徐々に入ろうとしている時期の風は心地よかった。

「確か二時間まで取れるからさ。たっぷり打とうな」
「おーけー!」

 見えてきた体育館を前に、二人は笑いあった。そのまま一こぎして駐輪場に入る。自転車を止めてから、武はバッグを背負いなおした。中にあるのはいつも使う物と予備のラケット。袋越しに、カチャカチャとぶつかっている音が聞こえる。

(吉田に二つあったほうがいいって言われて買ってもらったけど……ついてきたカバー片方につけておくかな)

 消耗品であるラケットのガットは、試合の最中にいつ切れるか分からない。小学校の時はさほど気にしたことが無かった武だが、まだ二ヶ月も経っていない練習の間に一度、張っていたガットが切れたことがあった。それ以来、予備のラケットを持っている。

「お待たせー」

 場所が無かったため少し離れた場所に自転車を止めた由奈が傍にやってくる。隣に来たところで、タイミングを合わせて歩き出す。その時、ふと自転車の列に目が行き、後輪のガードに貼ってあるステッカーを捉える。

「あ、翠山中」

 由奈も目が行ったのだろう。武が呟く前に同じ言葉を言った。機会を逃して宙に浮いた言葉を追おうと思ったが、止めて武は頷くだけにする。今日の開放日はバドミントン専用であり、他の中学からくるとすれば武達と同じ目的でしかない。

(コート占領は……されてないよな)

 先週に行われた試合のように、コートは十分あるはずだった。中に入って使用者名簿に名を書き込んでいると、一つ、知っている名前。

『刈田篤』

(あいつか……)

 インパクトが強い巨体に、自分の妹をどうやら好きらしいという男。覚えていないわけは無かった。それに自分と同年代ということは、試合でも何度も闘うことになるかもしれない。どれくらいの実力なのか気になるところだった。

(まあ、今の俺は勝てないだろうけど)

 素直に認めて武は由奈と一緒にフロアの中へと足を踏み入れた。
 荷物を置くのは試合のときと同じく観客席。先週に自分達が置いた場所が空いていたため、そこに座って外靴からバドミントンシューズに履き替えると、今度は更衣室へと向かう。

「直接コートに向かってようか。あの端っこのコート」
「おーけー」

 由奈が更衣室に入っていくところを眺めてから、武も更衣室に入る。そこで、巨体にぶつかった。

「いたっ」
「お、ごめん……って、お前」

 相手は少し考えたようだったが、武はすぐに分かる。そして何故遭遇するのが似たようにぶつかるのか疑問に思えた。

「刈田君」

 同い年だが君付け。刈田のほうはようやく武の名前を思い出したのか、あーあーとオーバーアクションで頷くと、肩を叩いてきた。

「たしか相沢! お前も今日来てたんだな! 一緒に打たね?」
「……いや、友達ときてるから」
「そっか。残念だなぁ」

 言葉とは裏腹にあまり残念ではなさそうに刈田は言って去って行った。何度も遭遇しているのに心臓の鼓動が早まるのを止められない。そこに腹が立った。

(いい加減なれろよな)

 自分の情けなさを脱ごうとするかのように、思い切りシャツを脱いだ。



 体育館に出ると早速用具室へと赴き、武はポールとネットを持って自分達が割り当てられたコートへと向かった。用意をしている間に由奈も合流してくる。白いTシャツに下は紺のハーフパンツ。当たり前と言えば当たり前だが、飾り気のない格好。しかし、健康的な雰囲気をかもし出している彼女に、武はどぎまぎした。
 自分が何故心臓を高鳴らせているのかはっきりとは分かっていなかったが。

「お、やっといてくれてありがとー」
「ん……」

 動揺を気づかれないように言葉少なにネットをかける。準備を完了させると早速武はラケットバッグからラケットとシャトルを取り出した。由奈は一足早くアキレス腱を伸ばしたり身体をひねっている。武も習って一通り準備運動をしてから、さっそくシャトルを打ち出した。
 武が打つ前に落とすドロップショットを、由奈がコート奥へと打ち上げる。
 綺麗に上がるシャトルに、武は「おっ」と軽い感嘆の声を出した。

「由奈、うまくなったジャン」
「えーそう? ステージ上で打ってるだけだけど」

 だからこそなんだろう、という思いを言うのは止めておく。ある程度限られた空間で打つことによって、その場でのストロークは上達する。試合ではまだ対応できないだろうが、それぞれのショットの熟練度を上げるには効果的だった。

「じゃあ、今度俺な」
「おっけー」

 シャトルが五回落ちるまで繰り返してから交代する。由奈のドロップはまだまだ甘く、ネット前から更に前に落ちる。つまり、武の傍へと。結果、ほとんど前に詰めずに相手のコート奥へと打ち返していく。

(俺は、どれくらい強くなったのかな……)

 自分の成長はなかなか分からなかった。
 ドロップからプッシュ、ドライブ、ハイクリア、スマッシュなど徐々に肩を温めていく。汗がじわりとシャツの下を湿らせていく。夏へと向かっていく途中の午前中、密閉された体育館は中にいる人々が放つ熱気によって暖められていった。

「ふー」

 スマッシュを打ち終えて、額に浮かぶ汗を拭く。由奈もシャトルを拾う前にシャツの襟元をつかんでばたばたと風を送り込んでいた。彼らが思うよりも気温の上がり方は早い。

「じゃ、ヘアピン行くか」
「うん」

 バドミントンで使うストロークを一通り打つ基礎打ち。最後にネット前にシャトルをふわりと落とすヘアピンを持ってくる。直前のスマッシュで熱くなった身体をクールダウンさせ、また疲れている状態で繊細なショットを打てるように日頃から取りくむ意味もあった。
 距離が近づいて、由奈が話し掛けてくる。

「武、上手くなったねー」
「? そうか?」

 ヘアピンは昔からなれないと武は思う。少なくともそれだけ見れば、由奈よりもネットから浮いてしまう。もし吉田ならば少しくらい離れていても一瞬で間合いを詰めてプッシュを叩き込むだろう。
 そんな武の内心を知らず、由奈は続ける。

「強くなったよー。ハイクリアも返せなくなってるし、スマッシュも取れないし」
「んー、単純にパワーの違いじゃない?」
「違う違うー。なんか、打たれる場所とかが厳しくなったよ。前はもう少し打ちやすかった」

 そう言った由奈の顔を見ながら武は考える。小学校一年生の時から一緒にバドミントンをしてきたのは、由奈と早坂と橋本の三人。その中でも、由奈は幼馴染ということで一番打ち合ってきた。本来なら外でするようなものじゃないバドミントンだが、晴れた日には普通に外に出て打ち合っていた。だからこそ、見えるのかもしれない。

(七年、かー)

 幼稚園もあわせれば十年ほど。たった十三年しか生きていない中で四分の三以上の間一緒にいる由奈は、もしかしたらとても大事な存在なのではないかと、武は思った。

「ゆ――」
「おい、相沢ー」

 大きな声が、武の声を遮った。
 その声の主は顔を見なくても刈田だと分かった。武は由奈へと向けようとしていた言葉を遮られたことにより、何かが胸にわだかまる。それに名前をつけることは出来なかったが、武は何とかその暗いものを追い出して刈田へと顔を向ける。

「どうしたの?」
「身体もあったまっただろ? どう? 試合しないか?」

 刈田が指差したのは自分達が打ち合っていたコート。そこには三人、同じ学校の部員がいてこちらを見ている。どの顔にも笑みがはりついていた。不快にさせるには十分のもの。

(俺が勝てないって思って……由奈の前で恥でもかかせる気かな)

 不快ではあったがさほど怒りは湧いてこない。自分の実力が目の前の男に叶わないだろうことは分かっているし、由奈も勝つという期待はしていないだろう。不快さは、あからさまに悪意を向けてくる相手への純粋なものだ。

「いいよ」

 返事は簡潔で、冷静だったことからか刈田は顔をしかめた。怒りに燃えた言葉が放たれるのかと期待していたという予想は正しかったらしい。武は由奈に「ごめん」と言い置いて刈田と共に相手のコートへと向かった。

「そっちの彼女の相手はこっちの誰かがするぞ?」
「遠慮しますー」

 由奈は一足早くフロアから出て武が試合しようとするコートのそばにある観客席に陣取る。コートにいた三人のうちひとりが舌打ちをしたところを見ると、どうやら由奈に興味があったようだ。

(残念だったな)

 どこか優越感が生まれる武。コートに来ると何も言わずに彼らはラインズマンと走った。一人は審判へとつく。

「十五点のワンゲームでいい?」
「? 最後までじゃなくていいの?」
「別に俺はいいけど」

 どこまでも挑発的な態度。だが、武は柳のように悪意を流す。それも、勝てると思っていない。自分の力がまだまだだと自覚しているから。力んでも仕方がないというのは吉田との試合で学んだ。

(今出来る範囲で、出来ることをしよう)

 じゃんけんでサーブ権を取り、武はサーブラインの前に立つ。

「フィフティーンポイントワンゲームマッチ、ラブオールプレイ!(0対0)」
「お願いします」
「おねがいしまーす」

 刈田がラケットを上げて構える。それは左手をだらりとさげて、右腕だけが試合の体勢。初めて見るタイプに、武は一瞬ひるんだが、高くサーブを上げた。

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