Fly Up! 11
サーブを打った瞬間、武は今までの自分のそれとは違うことを一瞬で理解していた。今までよりも楽にラケットが進み、打った感触も軽い。しかし、シャトルは乾いた音を立てて相手のコート奥へと飛んだ。そこに刈田は左腕を下げたまま追っていき、そのまま右腕を振りぬく。
「はっ!」
ハイクリアを打った瞬間の音は、まるで大砲のようだった。
太い腕に恥じぬ強さ。バドミントン本来のフォームは左腕を上げてシャトルをロックオンし、そこから右腕を振りぬくことで威力を生み出す。
だが、刈田は純粋に右腕の力だけで尋常ではない破壊力を生み出していた。
直線でコート上を飛ぶシャトル。しかし、武はすぐに下へと回りこんでいた。
(軽い――!?)
シャトルを追っているのに刈田の顔が見える。彼は自分の打つコースが完全に読まれていたと思っているのか顔をしかめていた。しかし、武は読んで移動したという認識はない。
ただ、刈田のフォームから力の流れが『見えた』
シャトルの下に回りこみ構える。ここでも変化が現れていた。シャトルを見つつ、視界の下方に刈田の姿がある。
コートの左奥から少し真ん中へと寄っていて、武から見て右前ががら空きになっていた。
(あそこ――)
思い浮かぶのは金田や桜庭がよくするフェイント。思い切り叩こうとしつつ、インパクトの瞬間に威力を殺す。
スマッシュを打とうとしつつ、寸前でドロップへと変化させる。
パ、ン……。
軽く打たれたシャトルは綺麗な鋭い孤を描いて刈田のコートの左前へと落ちて行った。全く動けずに見送る刈田。その瞬間、時が止まったかのようだった。
「ぽ、ポイント、ワンラブ(1対0)」
審判も意外なことだったのか、一瞬口篭もってからカウントを宣言する。刈田もシャトルを拾いに歩く動きが鈍く、少しだけ強くシャトルを返してきた。
「思ったよりやるな」
「ありがと」
さらりと答えたが、驚いていたのは武自身だ。あまりにも小学校卒業時点と動きが違う。自分の中で何かが変わっていそうだ、とは思っていたが具体的な成果は何もなかった。
練習ではランニングと玄関での打ち合い。縦横という二次元の動きはやってきたが、コートの中を動く三次元の動きには自信がなかった。しかし、それでも身体は動く。
(身体が、覚えてるのか……)
小学校の六年間と、中学の始めの練習。
二つが重なる気配を、武は感じていた。
再び武のサーブ。今度もまた、過去の自分と決別するかのように高く遠くへと向かうシャトル。しかし、刈田は顔をきつく変化させると少し飛び上がりシャトルを思い切り叩いた。
体重があるからかさほど大きくはジャンプしない。しかし、先ほどのハイクリアと同じく大砲のような音が響き、今度は直線にスマッシュが打ち込まれる。武は速さに目はついていくものの、身体が反応せず取れなかった。
突き刺さったシャトルが反動で壊れそうになるほど跳ね上がる。
「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
威力の余韻を残して転がるシャトルを見ながら武はため息をつく。威力だけなら、おそらくは桜庭と同レベルだろう。
しかし、桜庭のシャトルは眼で追うことが出来ない。鋭さならば明らかに向こうが上。
(それでも、取れないだろうけど)
シャトルを拾って刈田に返してやりながら武は考える。どんなに威力があろうとも、軽いシャトルは当てることが出来れば返すことが出来る。ただ、ガットの中央で打たなければまずいいショットは打てない。
刈田の打ち返してくるスマッシュも、目で追う事は出来るが当てられてもタイミングがつかめずに相手コートに打ち返すのは至難だろう。
(スマッシュを打たせないか、ヤマはって打つしかないか)
ばんっ! と力強い音と共にシャトルが飛んでくる。刈田のロングサーブをとりあえずハイクリアで返したところで武は自分の失態に気づく。
(打たせないって思ったばかりなのに!)
案の定、刈田はスマッシュを思い切り武へと向けて打ってきた。ボディアタックは有効であり、なかなか取れるものではない。咄嗟にバックハンドに持ち替えたが、ラケットのフレームに当たって武の左肩を超えて後ろに飛んで行った。
(本当、威力が弱まらないな)
刈田のポイントを告げる声を聞きながら、武は思案を巡らせた。まずはスマッシュを封じなければ始まらない。打たせて慣れるにしろ、相手のサーブ権の間ではただ点を取られるだけ。
(やっぱ、まずはサーブ権奪い返さないと)
武の闘志が徐々に燃え上がってきた。
「ポイント、ワンオール(1対1)」
審判の宣言と同時に刈田がサーブを放つ。先ほどと同じようにハイクリアを誘う大きなサーブ。前にドロップで落とそうと武は構えたが、直前で考え直してハイクリアを返した。
「うわ!」
前に足を踏み出していた刈田は、悲鳴を上げて右足をコートに叩きつけると後ろに下がる。タイミングを外されたにも関わらず、強引に身体を後ろに飛ばしてシャトルに追いつくと、スマッシュを放ってきた。タイミングが遅れ、不十分な体勢から、武へと真っ直ぐ向かってくるスマッシュ。それでも、ラケットのフレームに当たって明後日の方向へと飛んでいく。
「ポイント、ツーワン(2対1)」
(あれでも打てるか。中途半端なフェイントじゃ無理か)
タイムをかけてシューズの紐を結びなおす。いくつか刈田の体勢を崩すようなフェイントを思いつくも、今の自分の引き出しにはどれも入っていない。
逆にチャンス球を上げて相手に打ち込まれるのが関の山だ。
(……よし!)
自分の中での方向性を決めると共に、紐を思い切り結ぶ。シャトルを返してからアキレス腱を何度か伸ばし、鋭く息を吐いた。
「ストップ!」
自然と出る気合の声。思ってもみない声を武が出したからか、刈田を含め他の面子がきょとんとする。その後に浮かぶのは冷笑。さすがに武も腹が立ってきていた。
(窮鼠猫を噛むって言うんだぜ、確か)
うろ覚えの知識から引用して武は笑った。そして刈田以外を意識から外に出す。
刈田がサーブを打つ。おそらくは試合の間変わることがないのだろう、ロングサーブ。三度目のサーブからのショット。
「はっ!」
渾身の力を込めて、スマッシュを放つ。刈田がいない方向へのクロススマッシュ。飛距離が長い分取られやすいが、刈田にスマッシュを打たれず、また前に詰め寄られずに返せる唯一の手。
思った通り、刈田は追いついてシャトルを高く上げる。武はすぐ下に移動すると再びスマッシュをクロスに放つ。
「――この!」
刈田は今度は左側へと走り今度は前に落とす。武は前に詰めてヘアピンで同じように前に落とした。
慌てて前に詰めて高く上げる刈田。武はまたしてもスマッシュを放つ。
(我慢比べだ! 打って打って打ちまくる!)
返されたシャトルを、武はスマッシュで刈田のコートへと沈めていた――
◆ ◇ ◆
武のスマッシュが刈田のコートに突き刺さる。ドロップでコート左前に誘い込まれていた刈田には、反対側の中央へと叩き込まれたスマッシュを取る余裕はなかった。前かがみの体勢から唸りつつ立ち上がり、転がったシャトルを拾い上げる。
「ポイント、セブンシックス(7対6)」
刈田はサーブの時に立つ位置を回りだした。息を小刻みに吐き、吸う。そうして息を落ち着かせるのだろう。三周ほどしたところでラケットを構えた。武のサーブを待ち構える。
(そろそろショートサーブかな?)
由奈は彼らの頭二つほど高い位置にある観客席から、試合を見下ろしていた。そこから見ると、刈田の立つ位置が初めに比べて三歩ほど下がっているのが分かる。今ならばショートサーブを打てばアドバンテージを取れるだろう。
しかし、武は今まで通りロングサーブを打った。今までと違うのは弾道が普通のロングサーブに比べてかなり低いこと。腰の上から打ってはいけないという制約がバドミントンにはあるが、ぎりぎりの位置から武は放った。
結果、ドライブ気味のサーブとなり刈田の虚をつくことになる。
「くそ!」
刈田は強引にスマッシュを打ち、案の定高さが足りずにネットにぶつかる。落ちたシャトルを取ろうと歩きかけたが、武が向かうほうが早かった。
「ポイント、エイトシックス(8対6)」
「いっぽーん!」
今、畳み掛ければ一気に押し切れるかもしれないと思った由奈は咄嗟に声援を送る。刈田は一瞬、由奈のほうを睨みつけてから武を見る。その一瞬だけで由奈は恐ろしさを感じ、口をつぐんだ。
(なによ。自分が勝てるとか思ってたからいらついてるんじゃない)
由奈もまた武が感じていたように刈田達の悪意に気づいていた。自分に向けられる好色な視線も。自分が可愛いとは思っていなかったが、女子というだけで嫌な視線を向けてくるような男達とはあまり関わりあいたくなかった。だからこそ、すぐに観客席に逃げた。
(武、やっちゃえ!)
また睨まれては叶わないと、由奈は心の中で応援する。その時、横から近づいてくる人影に気づいた。
「あれ、由奈」
「あ、早さん」
早坂由紀子だった。Tシャツに黒いスパッツといういでたちでバッグをしょて立っている。髪の毛はすでに結ばれており、いつでもコートに入れるといったところだ。
試合をしている武のほうへと視線を向けて、早坂は呟く。
「日曜デート?」
「まさか!」
由奈の否定の声が思いのほか大きく、試合をしている二人以外の翠山中の部員達が彼女達を見る。新たに現れた女子に視線を固定しようとしたが、刈田のスマッシュの音に驚いたようにコートへと視線を戻した。
「さ、サービスオーバー。シックスエイト(6対8)」
武はシャトルを拾い上げ、羽根がボロボロになっているのを見ると刈田に向けてひらひらと見せつけた。
「シャトル変えよう」
「……おお」
刈田としては一気に押し切りたかったのかもしれない。しかし、武がシャトルを変えたことで試合の流れが一度止まる。新しいシャトルを何度かラケット面で軽く跳ね上げてから、刈田へと返す。
「間の外し方、いつの間に覚えたのかしら」
由奈は、早坂が意外ときつい視線を武へと向けていることを不思議に思った。しかし、今まで試合を見ていたことで思ったことを素直に話す。
「早さんもけっこうしてたじゃない?」
「……そうだけど。ずっと見てたのかな?」
今まで立っていた早坂はバッグを置いて由奈の隣に腰を降ろす。複雑な思いを閉じ込めているような表情を、由奈は何となく切ない思いをしながら見た。
「武、小学校の頃一度も早さんに勝てなかったじゃない? やっぱり悔しかったみたいだよ」
「私も、負けないくらいは練習してたし」
「うん。だから、早さんの技術を盗もうと頑張ってたみたい」
早坂は由奈の言葉に返さず、試合の推移を見守っていた。由奈も話すのを止めて武の動きを追うことにする。明らかに小学生の時とは違う動き。バドミントンプレイヤーの動きになっていた。
「ポイント! エイトオール!(8対8)」
刈田のスマッシュがうなり、同点に追いつかれる。それでも武はゆるぎない視線を向けて闘志を萎えさせない。その強さが、小学生の時と違う点なのかと由奈は思う。その心に気づいたかのように早坂は呟いた。
「体力さえ付けば、相沢はすぐ強くなれたよ」
それが自分に向けての言葉ではないと気づいたから、由奈は何も言わなかった。
「相沢はフォーム綺麗だもの。それは力をちゃんと伝達できるってこと。バドミントンの力の一つは基礎。どれだけきちんとしたフォームで打てるか」
独り言はトーンを変える事はなかったが、由奈の耳にはその強さはより強くなっていった。
「体力付けば、あっという間に抜かれる……」
その声音の寂しさに、由奈も少しだけ切なくなった。
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