「なんだ!?」

 轟く爆音にアイズは耳を押さえた。既に廊下には全ての侵入者が倒れている。殺意を持

った敵を全て昏倒させる辺り、アイズの力量がうかがえる。

 だが彼は勝利の余裕は無かった。

「……何なんだ? あの光は?」

 窓から見えるその光の柱はアイズの心の底から恐怖を与えた。この世に生きる全ての者

を否定するかのような光。

 それは存在してはいけない物だった。

「兄さん!」

 クリミナが入り口から走ってくる。その顔を見れば、あの光を恐れて走ってきた事は明白だ。

「あの光!」

「ああ。何かが起こっている。『蒼い月』で」

 アイズは部下を呼び、転がっている侵入者達を捕らえるように言い、駆け出した。その

後ろをクリミナもついていく。

「クリミナ! 危険だ。お前は来るな」

「嫌よ! わたしは一人で取り残されるのは嫌なの!!」

 クリミナの瞳には決意の光が灯っている。こうなっては梃子でも動かないだろう。

 アイズはそのまま走り続ける。

「どうなっても知らないぞ!」

「うん!」

 クリミナはアイズに反対されても行こうと決めていたのでいささか拍子抜けした。

 だがすぐに気を取り直す。

 これから行く場所には何か得たいの知れない物が待っているはずだからだ。

(この感覚は……初めてじゃない)

「お前も感じているのか? クリミナ」

 クリミナの思考にアイズの言葉が入る。クリミナは頷いた。

「この感覚は初めてじゃない。俺達は三回、この感覚を経験している。最初は『アステリ

ア』が滅びた時。二回目は『魔鏡』を巡る闘いの時。そして――」

「四年前の、あの日」

 アイズの言葉をクリミナが引きついだ。

 四年前のあの日。

 あの、魔物が空を覆い尽くした日。

 正にこの世の終わりかと思われたが、世界を覆い尽くした暗雲は王立治安騎士団の働き

で晴れたという。

 真相は明らかにはなってはいない。

 ただ、邪悪な気配はあの時世界の人々全員が感じていた事だった。

「もしかしたら、『魔鏡』と同じ状況なのかもしれない。『古代幻獣の遺産』が暴走して

いるのかも……」

「なら、止めないと。『アステリア』をまた消滅させるわけにはいかない!」

 クリミナとアイズは雪道を疾走する。

 二人の心の内には更に一人の男の事が過ぎっていた。

(マイス!)

 おそらくあの光の柱にいると思われる男。

 無事なのか、衝撃に巻き込まれてしまったのかそれは分からない。

 クリミナはただ無事を願っていた。





 マイスは瓦礫を押しのけて這い出た。

 辺りを見回すと『蒼い月』の本部は単なる廃墟と化している。凄まじいまでの威力に体

中の毛が逆立つのを感じながら、マイスは目の前を見た。

 光の柱が天高く昇っている。

 それは破壊を招いた元凶とは思えないほど綺麗だった。

 中心に見えるのはルメニア。

 長い金髪が上空への流れに乗ってゆらゆらと流れている。

 首にかけられたペンダントから溢れる光がマイスの眼を細めさせた。

「やっぱり、か」

 マイスは苦い表情を出して、手をルメニアへと掲げた。

 意識を集中し、溜め込んでいた力を一気に解き放つ。

「『白』光!」

 解き放たれた光熱波はしかし、ルメニアに届く前に消失した。まるで吸い込まれるように。

『無駄だ。我には傷一つつけることなどできない』

 ルメニアの顔、そして声。

 だが、話しているのは全く別の人格だった。

 以前と同じような虚ろな瞳には、マイスの姿は映っていない。

「答えろ。お前は何者だ?」

 マイスは半ば答えを予想していたが聞かずにはいられなかった。最後まで否定したかっ

たのかもしれない。だが、ルメニアの中にいる『物』ははっきりと答えた。

『我はオルクロス。古代幻魔獣が一体』

 正体を明かしたと同時に吹き付ける殺意の波動。

 あまりの強力さにマイスは後ろに押し流された。

(古代幻魔獣……)

 マイスは自分の内に絶望が侵食してくるのを止める事が出来ない。

『古代幻魔獣』は破滅の象徴。

 古代幻獣王ヴァルキルエルが生み出した憎悪の産物。

 その一体だけで世界を滅ぼせるほどの力を持っている幻獣達の総称だ。

 四年前、関係者の中で言われている『最終章』の中で四体の『古代幻魔獣』が眠りにつ

き、また命を散らした。それは全てマイスや彼の師、仲間達によるものだったが、どれも

尋常じゃない力の持ち主達が文字通り命を削って戦った結果なのだ。

 そして、最後の一体がここにいる。

 見るとルメニアのペンダントが光っていた。おそらく『古代幻獣の遺産』だろう。

以前、自分の師から聞いたところ、古代幻魔獣は『古代幻獣の遺産』を通して世界を見

る事が出来るという。そして、その体を乗っ取る事も。

 正にルメニアの体は最悪の魔物に乗っ取られてしまったのだ。

 今、ここには自分しかいない。

 とても勝てるとは思えなかった。

「でも」

 マイスは震える拳を握った。

 両足を肩幅よりも少し広めに広げて地面を踏みしめる。

 両手を前に突き出して、全力を込める。

「先生はいない。《リヴォルケイン》もいない。僕が、ここで食い止めなくちゃいけないんだ」

 マイスは自分自身に言い聞かせるように呟く。その様子を見ていたオルクロスは片手を

突き出した。

 すると次の瞬間、凄まじい衝撃がマイスを襲い、マイスは遠くに吹き飛ばされた。

「ぐあ……!」

『そうか』

「!!?」

 吹き飛ばされて空中にいたマイスの後ろに一瞬でオルクロスは移動し、背中に蹴りを入

れて上空へと飛ばす。

 あまりの衝撃にマイスの口から鮮血が迸った。

『お前は……』

 またしても一瞬で今度はマイスの上へと移動する。そして鳩尾に蹴りを入れた。

「……!!?」

 凄まじい衝撃にマイスは意識が一瞬飛ぶ。その間に地面へと激突して瓦礫に埋まる。

『まだ、楽しませてくれ。お前は我等が王を滅ぼした人間だろう?』

 オルクロスは呟き、ペンダントから光が放たれた。光はいくつにも分裂してマイスが埋

もれた瓦礫へと降り注いだ。

 マイスを蹂躙した閃光はしばらくして止み、オルクロスは上空からゆっくりと地上へと

降り立った。

『これで、終わりか?』

 オルクロスが呟くと同時に瓦礫が勢いよく中空へと弾かれる。

 マイスは全身を傷だらけにしながらも立ち上がった。

「……まだ、まだだ……」

 しかし足元はふらつき、今にも倒れそうになる。

『これから我は世界を滅ぼすという使命がある。もうお前と遊んでいる暇は無い』

 オルクロスは手を上げた。その掌に絶大なエネルギーが集まってくるのが見える。

 マイスはしかし一歩踏み出してオルクロスを睨みつけた。

「……何でだよ」

 その声の調子は悲痛な物だった。オルクロスは不思議そうな表情を見せて動作を止める。

「何で、お前はまだ世界を滅ぼそうとするんだ!」

 その時、クリミナとアイズがその場に到着した。そしてマイスと、向かい合うルメニア

の姿を見てクリミナは悲鳴を上げて走り出しそうになるが、アイズが引きとめた。

 マイスは気づいた様子もなく続ける。

「古代幻獣王はもういないんだ。憎しみはもうない。全ては四年前に終わったんだよ。な

のに、お前はまだ続ける気かよ!」

『我々は古代幻獣王様の望みを叶える為に生み出された。世界の破滅。これこそ、我が主

の望み。我が主がいなくなろうともそれは代わらない。そしてこれは、この少女の望みでもある』

「ルメニアの……!?」

『この少女は自ら我を受け入れたのだ。自分自身では気づかなかったようだが。だからこそ、

普通の人間は逆らえずに操られた。この少女と共にいた男も我の魔力で支配されていった』

「貴様が……」

 オルクロスはマイスの異変に気づいた。

 マイスの体に刻まれた傷が凄い速度で癒されていく。

「お前の力のせいで、彼女は孤独になり、世界を憎むようになったんだ!」

『それは違う。少女は最初からこの世界を憎んでいた。世界を救うために創り出され、不

要だとして捨てられたのだよ』

「!?」

 オルクロスの言葉はマイスに衝撃を与えた。更にオルクロスは続ける。

『少女は記憶を自分で操作して、消していた。我は最初、凄まじい悪意を見つけてその中

に入ったのだ。それがこの少女だ。少女の記憶を辿るとなかなか面白い物が見えたよ。

この少女は『ゲイアス・グリード』とやらの最初の一人だそうだ。だが最初、少女は感

情を与えられる事はしなかった。そのために力は暴走し、失敗作とみなされて捨てられた

のだ。少女は自分を創り出した人間を恨んだ。そして、そんな自分を生み出さざるを得な

かった世界を恨んだ。記憶をなくしてもその憎悪は胸の奥からは消えない。

だから我と彼女の利害は一致したのだ』

「……」

 それでもマイスは気づいていた。

 ルメニアは最後に憎悪を捨てる決意をしたのだと。

 これから先には明るい未来が彼女には待っているはずだったのに。

「彼女は憎悪を捨てようとしていた。お前が彼女の未来を奪ったんだ。必ず追い出してみせる」

『憎悪は消えない。どんな奇麗事で塗り固めようと一度生まれた物は消えないのだ。そし

てもう少女の魂は無い。お前にも分かっているはずだ』

 マイスは悔しさに拳を握り締める。

 古代幻魔獣が乗り移ってその人を助けられたという事は、マイスが聞いた覚えは無かっ

た。自分の師が闘った暗殺者も、古代幻獣王が乗り移った『ゲイアス・グリード』も助か

らなかった。

「言ったよな、ルメニア」

 マイスは握り締めた拳をオルクロスへと向けた。

「お前を止めてやるって」



『もし、わたしが、人に迷惑をかけるとしたら……あなたは止めてくれますか?』



 その時のルメニアの顔を、マイスは忘れなかった。

 悲しさに顔を歪めていたルメニアを。

 そして、マイスは約束を守ると誓った。

 それは今、最悪の形でマイスの前にある。しかしマイスはもう決めていた。

「止めてやるよ。ルメニア」

 マイスは駆け出した。そのスピードは今までの比ではない。

 オルクロスは手を掲げてエネルギーを発射しようとした。だがその顔が驚愕に歪む。

『まさか――』

「『紫』鎧!」

 マイスの魔力のこもった拳がルメニア――オルクロスの鳩尾を抉る。そして体を回転さ

せて渾身の一撃をこめかみへと叩き込んだ。

 衝撃に吹き飛ばされるオルクロス。

 そのオルクロスへとマイスは最大限の力を放出した。

「『白』光!!」

 膨大な量の光熱波はルメニアの体を包み込み、地面を抉って爆発した。

 爆風で弱った体のマイスは吹き飛ばされ、瓦礫に体を打ち付けそうになる。そこを救っ

たのはアイズだった。

「大丈夫か? マイス」

「アイズ、さん……」

 よくみると、傍ではクリミナも心配そうにこちらを見ている。爆風が収まるとマイスは

心配無用と言わんばかりに勢いをつけて立ち上がった。

「おっと……」

 よろけてしまうがすぐに体勢を立て直すマイス。アイズもクリミナもとりあえず安心し

て問いかけた。

「一体何があった?」

「ルメニアさんが、犯人だったの?」

 マイスが答えに窮した瞬間、再び爆発が起こった。爆風から目を庇いつつも中心地を見

ると、そこにはルメニアが立っていた。

『少し、効いた。だが、我はこの程度では倒せない』

「ルメニア、さん……?」

 クリミナは押し寄せるあまりに強力な悪意の前に座り込んでしまった。アイズも同様で

立ってはいるが動けない。

 そんな中、マイスが前に進む。

「マイス!」

「約束したんだ」

 熱に浮かされるようにマイスは呟き、右手を上に掲げた。

 オルクロスは身構えてマイスの攻撃を待つ。

「先生も、『古代幻獣の遺産』もない。でも、僕は負けない。お前には、絶対負けない!」

 マイスは手を振り下ろすと同時に声高らかに叫んだ。

「『金』色の世界!!」

 それは滅びの言葉だ。

 全てを崩壊させる言葉。

 どんな物体の存在自体をこの世から消す事が出来る禁断の言葉。

 瞬時に黄金に包まれた場。

 中心地に立っているのはオルクロスだった。

『ぐ……ぐあああああああ』

 初めて、古代幻魔獣が悲鳴を上げる。マイスには分かっていた。

 先ほどの攻撃が簡単に通ったのは、オルクロスの力が急速に無くなってきているからだと。

 マイスは感じる。

 オルクロスの中にはっきりと、ルメニアの意志がある事を。

「ルメニア。君が、全てを賭けてくれたチャンスを。僕は無駄にはしない」

『おおおおおのおおおおれえええ!!! 小娘ぇえ!!』

 オルクロスが最後の力を振り絞って魔術を押し返そうとする。

 しかし既にオルクロスの――ルメニアの体の崩壊は始まっていた。

 内から押さえ込むルメニア。そして外から押し切るマイス。

 二人の力が今、一つになる。

 最初に突き出した手が先から消失し、足の先から徐々に消えていく。

『我が、望み……我が、主の! 少女の本当の望みは――』

「――自らが、消える事」

 マイスは不意に聞こえた声にルメニアを見た。ルメニアは笑っていた。

 正真正銘、ルメニアの顔で。

「ありがとう、マイスさん……」

「ルメニア……」

 消失は下半身まで及んでいる。その時になって、失われたと思われたルメニアの魂はオ

ルクロスを押しのけて表面へと出てきた。

「生まれてきた目的が分からなかった。必要とされなかった。でも、ここで消えるのは…

…みなさんの役に立ちますよね」

「ああ、そうさ! 君のおかげで皆が助かったんだよ! あの子供も!!」

 いつかの公園で遊んでいた子供を見て微笑んでいたルメニア。

 彼女もその光景を思い出していたんだろう。微笑みは穏やかだった。

「わたし、生まれてきて良かった。そう思って、いいんですよね……」

 ついにルメニアは顔だけになり、下から徐々になくなっていく。マイスは急いで、ルメ

ニアに声が届くまでに力の限り叫んだ。

「当たり前だ!」

 その声が届いたのか、結局分かる事はなかった。

 マイスは開いていた掌を閉じた。それと同時に黄金の光も消滅する。

 光の粒子が辺りに飛び散った。

 ルメニアが立っていた場所には巨大なクレーターが残っている。そして少女の姿はどこ

にも探せはしなかった。

 マイスは脱力感に耐え切れずにその場に崩れ落ちた。

「マイス!」

 アイズが寄るのよりも先にクリミナが駆け寄った。アイズはそのまま身を引いて辺りを

散策し始める。

「マイス……」

 マイスはクリミナの膝枕に頭を乗せながら、こんな光景をどこかで見たような気がしていた。

 それがどこだったかは思い出せない。

 それを考える程の体力は残ってはいなかった。

「ルメニアさんは、一体?」

 マイスはどこから話せばいいか考えようとした。しかし頭が痛み出してどうにも考えが

浮かばない。

 強力な魔術を使った反動で体が悲鳴を上げているのだ。

「あの人みたいには、まだいかないか」

「え?」

「……何でもないよ。それより、しばらくこのままにしててよ。気持ちいいんだ」

「……分かった」

 しばらく二人はそのままでいた。アイズはその間に瓦礫を押しのけたりして、証拠が何

か残っていないか探す。

 そしてある瓦礫を除けた時、ぐったりとしたキグニスを発見した。

「おい、生きているか?」

「……う」

 どうやら命には別状ないらしい。

 アイズはキグニスが逃げないようにその場に座りなおしてクレーターを眺めていた。

「結局、一件落着で……いいのか?」

 キグニスに問い掛ける。答えが返ってくるとは思ってはいないし、実際に答えは返って

こない。それでもアイズは言わずにはいられなかった。

「一番辛い役回りを、俺達はマイスに押し付けたんだな。あいつは、人間はそんなに強く

ないのに。だから一緒に支えあえる仲間が必要なんだよな」

 アイズはマイスに、そして自分に言い聞かせるように呟いた。

 そこまで呟いてアイズは、何かが聞こえたような気がした。

 辺りを見回してもそれらしい影は何もない。

 それは、何かの曲のように聞こえた。

 ちらほらと降り始める雪。

 その光景に重なるように聞こえたような気がする曲。

「さしずめ、夜想曲と言ったところか」

 幻想的な雰囲気が辺りを占める中、雪は更に降りしきる。

 アイズも、マイスもクリミナも、しばらく動かないままその光景を眺めていた。





 雪が降る。

 少女は雪から生まれ、そして雪に還っていった。

 ルメニアの望みは――叶えられたのだ。

 クレーターに埋まったペンダントから流れてくるメロディは、やがて終わりを告げる。

 ペンダントは風が吹くとその形を崩壊させ、欠片は宙を待った。

 夜が開けると共に、夜想曲は夜を過ぎていった。


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