その夜は青白い月が街を照らしていた。 物音一つしない、静かな夜。だが、建物の影から幾人もの人影が走り出していく。その 集団が目指す建物は他の建物よりも背が大きく、空へとそびえ立っていた。 建物を隠れて見る事が出来る場所に集団は止まり、様子を伺う。 警備は入り口に二人だけ。 先頭にいた人影は手を上げ、後ろに合図を送った。 一斉に駆け出す集団。 それらに気づいた警備兵達はしかし、一瞬で覚める事の無い眠りにつくことになった。 無言で合図を送りあい、建物の中へと潜入する集団。 中はすでに灯りが消えており、窓から月明かりが差し込んでくるだけ。他の人は見あた らない。そこにきて、集団は疑問を持ったようだった。進行速度も鈍り、先頭の人物へと 問いかけようと足を次々と足を止める。 「そこまでだ」 不意に、声が響いた。 それは先頭にいた男が崩れ落ちるのと同時。そして後ろの人影達も後ろに飛びずさり、 身構えた。その数は約二十名。 それだけの数が狭い廊下にひしめいている。 「お前等が何のためにここに来たかなんて、馬鹿な質問はしない」 対して立ち塞がる者は一人の男だった。 男は腰に下げていた剣を抜いた。鞘鳴り一つせずに抜かれた剣は窓から差し込んでくる 月光に反射し、眩いばかりに輝いている。 「もうこの世に飽きた奴だけ来い。俺がすぐあの世に送ってやるよ」 アイズは顔をにやり、とさせた。集団は互いに頷きあい、アイズへと向かう。 「馬鹿野郎どもが……」 アイズの剣が暗闇を斬り裂いた―― 襲撃が今日の夜だと知ったのは本当に偶然だった。 アイズが壊滅させた盗賊団の一人の記憶を念のために魔術で読み取っていたら、無意識 下に眠る情報を得る事が出来たのだ。それからのアイズ達の行動は素早く、すぐさま警備 体勢を整えたのだ。 そんな中、マイスは雪野積もった道を全力疾走していた。 ただ一人で目指す場所へと走る。すでに降りてからしばらく経った雪はそんなにマイス の行く手を阻まない。月明かりが雪に反射して眩しく感じるが。 (警備は俺達が引き受ける。お前は『蒼い月』の本部へと向かえ!) アイズの言葉が頭の中に過ぎる。集団で動けば『蒼い月』にも悟られる。 だからこそ、アイズはマイスの単体戦闘能力に賭けたのだ。 「……でもそう簡単には行かないみたいだな」 マイスは目の前に立ち塞がる人の集団を見ていた。その眼は虚ろで、自分の意志を持たない。 「全員、倒さなくちゃ駄目か……」 マイスは走りながら拳を握り締める。見据える先にある、『蒼い月』教団の本部。 無関係の人間を巻き込む教団への怒り。そしてあのルメニアの涙への怒り。 「お前等、僕を恨むなよ! 『紫』鎧!!」 マイスの体が光に包まれる。その直後に疾走スピードが上がる。 通常の半分の時間でマイスは集団の前へと進み、拳を振るった。 拳と共に舞い散る雪。 一度に数人を吹き飛ばし、更に進む。 「『黒』鉄!」 マイスの突き出された手から真空の刃が空間に舞い踊る。向かってくる人々の足や手を 軽く切り裂く。浅くとはいえやはり傷の痛みに怯んだところをマイスは打撃を与えて昏倒 ようとする。だが、倒すたびにすぐ起き上がってくる人々。 「やっぱり駄目か……」 考えてみれば分かる事だった。 元々自分の意志がないのだから、昏倒しても操られて起き上がってくるはずだ。 「なら……行動できないようにしてやる!」 マイスは雪道に手をついて一呼吸を置いて吼えた。 「『青』き格子!!」 雪が急に水状のものへと変化し、操られた人々を覆い尽くす。そのまま水は固まり、氷 となって人々を固めてしまった。うめいて格子を外そうとするが、格子はしっかりと固ま ってしまっていて壊れはしない。 「しばらくそれで我慢して!」 マイスはそのまま駆け出した。ここまで大掛かりな魔術を使ってしまっては『蒼い月』 も気づいてしまっているだろう。 (と言っても、気づいているからこうして信者をよこしたんだろうな) だからこそ、素早くこの事態を沈める必要があった。 焦る理由は他にもある。 (何か、取り返しのつかない事態になる気がする……) それは予感だった。 マイスの中に生まれた黒い予感。 それはルメニアの姿を見た時から感じていた物だ。 (こんな気になるのは……あの時以来だ。四年前、あの『魔大陸』が上昇した時!) マイスは『蒼い月』と関わりだしてから四年前の記憶を手繰る事が多くなった事に気づ いた。あの時の事はいつ思い出しても背筋に汗が流れる。 弱い自分を払拭する事が出来た時でもあるが、もっとも恐怖に怯えた時でもある。 だからこそ自分の中ではあの時の戦いに触れたくなかった。 しかしこうまで連想されるというのはもう無関係な事柄だとは思えなかった。 (間違いなく、今回の事件はあの時の続きだ! まだ終わってなんかいないんだ!) マイスは『蒼い月』本部へと辿り着いた。何日か前に訪れたその建物はその時と変わら ない容貌を雪の中に見せている。気がつくと、いつのまにか雪が降り始めていた。 「行くか」 呟き、また走り出す。 玄関は開いていた。あたかも入ってくるがいい、と言わんばかりに。 一歩前に足を踏み入れるとマイスは殺気を感じて立ち止まった。目の前を通り過ぎてい く何か。ひゅん、という風を切る音と共に右から左に通り抜けた何かは壁に突き刺さって 渇いた音を立てた。 「随分、反射神経がいいな」 廊下を歩いてくる男がそう言ってくる。 マイスは右足を後ろに下げて左肩を前に出すという簡単な戦闘スタイルを作る。右足の 指にかける体重を移動させるという微妙な体重移動で前に飛び出す機会を見る。 「闘う気か? 一人で来たことは感心するが、ここは『蒼い月』だ。ここに歯向かうとい うことはヘタをすればこの街自体を敵に回す事になるぞ。いくら治安警察とはいえどもた だじゃすまないんじゃないか?」 「うるさい」 それは一瞬だった。 マイスは一瞬で男の前に飛び出して、こめかみへと拳を放つ。 男は反応できずに一撃を喰らい、床に倒れ伏した。 「……『超人類』の身体能力を舐めるな」 マイスは言葉とは違ってその事を毛嫌いするかのような表情を浮かべていた。 その部屋は椅子と机の二つだけがあった。 そして机には男が腰掛け、椅子には女性が腰掛けていた。 電気はついてはおらず、窓から入る月明かりだけ。それでも二人には関係ないようだった。 「とうとう、時が来たな」 「はい」 『蒼い月』教祖キグニス・ブルーメは優しい口調でルメニアへと問いかけた。ルメニアは いつになく瞳に表情を浮かべている。 それは、悲しみだった。 「君を拾ってから、いろいろあった。だが俺は、君の望みを叶える為だけに生きてきた。 それが今日、叶う」 「はい」 キグニスは机から離れてルメニアの顎を軽く取る。顔を近づけて、そのまま口づけをし た。長い、長いキス。しばらくして唇を離したキグニスは恍惚の表情を浮かべていた。 「君の望みを叶えよう。君のためなら何もかもを捨てても、働こう。この世界中を敵に回しても」 「はい」 ルメニアは涙を流していた。その理由は分からない。キグニスは涙を流している事さえ も気づかない。ただ、ルメニアの手を取って自分の頬になすりつけているだけだ。 明らかにマイスが以前訪れた時の状態ではない。 「……邪魔者が入ったようだ」 キグニスの表情がいきなり厳しくなる。ちょうどその時にマイスが『蒼い月』本部へと 入り込んだ所だった。 「これから始末してくる。ルメニアは大人しくここにいてくれ」 そのまま部屋を出て行くキグニス。 ドアが閉まる音がしてしばらく、ルメニアは椅子から動かなかった。 そして、次に起こした行動は――泣き崩れる事だった。 「……う、うう……」 口に手を当てて嗚咽を堪えようとするルメニア。 「どう……して……」 誰もいない虚空への問いかけ。 答えてくれる者のいない空しい、悲痛な問いかけは虚空へと消えていく。 だがそれにも関わらずルメニアは言い続ける。 「どう、して! どうして……こうなの?」 ルメニアは椅子をきっ、と睨みつけると右腕を振り上げて思い切り振り下ろした。 椅子に当たり、鈍い音が部屋に響く。ルメニアは一心不乱になって椅子へと右腕を打ち つけ続ける。息を切らして自分の腕を見ると赤く腫れ上がっていた。 だが次の瞬間にはみるみるうちに傷が塞がっていく。 そして数分もすると完全に元の白い綺麗な腕に戻ってしまった。 「マイスさん……わたしは……」 思い出されたのはあの青年。 自分の事をまるで普通の少女のように接してくれた青年。 どうやら今、彼がこの建物の中へと潜入しているという。 「マイスさん……わたしを……止めて」 月明かりが徐々に部屋から消えていく。どうやら月が雲に覆われていくようだ。 部屋が完全に暗闇と化した時、ルメニアは悲痛な叫びを上げた。 闇の中に一点、金色の光が見えた。 マイスはある部屋を目指していた。そこは教団の聖堂。 そこに行けばルメニア、あるいはキグニスに会える気がしたからだ。そしてその予想は 当たり、聖堂へのドアを開けて見えた人影はキグニスその人だった。 雲に隠れていた月が顔を出したのか、聖堂の窓から入ってくる月明かりは徐々にキグニ スの全体を浮かび上がらせる。 「待っていました。マイス=コークス」 「キグニス……。お前は何を考えている?」 親しげに話し掛けてきたキグニスに、マイスは鋭く言い放って牽制した。だが、キグニ スは動揺する様子もなく言葉を続ける。 「あなたはここに来ると思っていましたよ。我が神の目的を阻止せんとする邪悪な存在。 あなたを削除する事が、我が神への忠誠となる」 「我が神……? 古代幻獣王の事か?」 「違う!」 キグニスは叫ぶと同時にマイスへと向かってきた。何の型も無い、不恰好な突進。だが、 スピードは桁外れに速い。 だがマイスは一歩横にずれ、キグニスの鳩尾に拳を打ち込んだ。 「おごぉ!?」 肋骨の折れる鈍い音と共に充分な手応えがマイスの手から伝わる。そしてそのまま右足 を踏み込んで前方へと吹き飛ばした。だが、キグニスは体を一回転させて着地する。 「『ハイスレイヤー』か」 マイスは少々の驚きを含めて言った。キグニスは薄ら笑いを浮かべるだけで答えようと はしない。その瞳はすでに常軌を逸している。 「……まさか」 マイスは自分の考えが間違っている事に気づいた。 これまではこのキグニスが全ての元凶だと思っていた。あの魔力を込めた金の球もこの 男が配って信者を操っているのだと。だが、実際にこの男も操られている。 それも酷く強力に。 おそらくもう支配が切れる事は無いだろう。 「なら、犯人は――」 「きしゃあああ!!」 マイスの一瞬の隙を突いてキグニスが飛び上がる。『超人類』の力を解放したキグニス は聖堂の天井を蹴ってマイスに向けて加速する。マイスは間一髪で避けた。立ち込める煙 が晴れると床が陥没し、キグニスの体が埋まっている。 「ふはははっははははは! 我が神の行く手を遮る者供全て皆殺し!」 キグニスは埋まった体を強引に取り出してまたしてもマイスに向かう。マイスは苦虫を 噛み潰したような顔をしていたが、拳を突き出す。 「悪く思うな! 『赤』光!!」 マイスの手から出る火の矢。全体を覆うほどの巨大な火矢にキグニスは巻き込まれた。 炎に巻かれて聖堂のドアを突き破り、通路の行き止まりまで飛ばされるキグニス。その まま壁に激突して火は消えた。 焼け焦げてはいるが生きてはいる。失神しているようで動こうとはしなかった。 「……」 マイスは一息ついて片腕を下げた。 酷く、体力を消費する気がする。それもそのはずだった。 今までよりも気が進まない闘いだからだ。 (結局、真実は彼女が握っていると言うわけだな) マイスは気を取り直して走り出そうとした。 キグニスの我が神――ルメニアの元へ。だが、その前にキグニスが吹き飛ばされていっ た廊下から足音が聞こえてくる。マイスは新たな刺客へと対抗するために身構えた。 そして姿を表した相手に驚愕する。 「ルメニア……」 「……」 ルメニアは立っていた。 前で両掌を組んで、虚ろな瞳をして静かにマイスを見据えていた。 今この時、この空間の時間は止まっていた。それを引き戻したのはマイスの一言だ。 「……全てを、話してくれ」 マイスの言葉にルメニアは頷く。 そして、語り出した。 「わたしは、十年以上前の記憶がありません。わたしは、自分がいつ生まれて何歳なのか も分からない。最初に意識が戻って見たのは……雪。辺り一面雪に覆われていた。それで も寒さは感じなかった。わたしは歩こうとしていたの。目の前に大きくそびえる山に」 (オレディユ山、だ……) 直感的にマイスは思った。彼女の正体に、無意識に気づいていたからかもしれない。 「そこで、キグニスさんに出会った。彼はわたしを引き取ってくれた。わたしの望みを叶 える為に。そしてわたしは気づいた。いつのまにか、キグニスさんを思い通りに操れている事に」 一瞬、月明かりが隠れた。どうやら再び雲に月が隠されたらしく、ルメニアの立ってい る場所が暗闇に包まれる。するとそこに金色の光が浮かび上がった。 マイスは息を飲む。 「わたしの目は金色に輝いた。すると不思議な力を使う事が出来た。これが何なのか分か らなかったけど……気づいたら、わたしの意志を離れて働くようになってきた」 起こる爆発。 マイスは地面から突き出してきた棘に体を貫かれて吹き飛ばされる。 「止めて!!」 涙を浮かべて叫ぶルメニア。だが、生まれた刃はマイスの体を蹂躙し、床へと叩きつけた。 「……ぐ……はぁ……」 マイスは何とか立ち上がった。そして回復魔術を自分にかけながら考えをめぐらす。 行き着く答えは一つしかなかった。 「『ゲイアス・グリード』」 「え?」 マイスの呟きが聞こえたのか、ルメニアが疑問の声を上げる。マイスは一歩前へと踏み出した。 「昔……話さ。昔、一人の男が世界を救おうとした。彼は人間が踏み入れてはいけない領 域に足を踏み入れたんだ。『古代幻獣の遺産』で『人間』を創りだした。強大な力を持ち、 世界を救える人を。その人達の総称さ。君は……多分、それだ」 「わたしが……創られた人間?」 ルメニアの動揺がマイスにも分かった。人間ではなく兵器だと宣告されたのだ。 だが、マイスは続けた。言葉が空しい物だとしても。 「でも君は君だ! 創られたとかは関係ない! 君はルメニアという人間。それでいいじ ゃないか!!」 「でも……わたし!!」 再び床がまくれ上がる。 床板の破片がマイスを襲った。しかしマイスは動かずに全ての破片を体に受ける。 「マイス!」 ルメニアの叫び。だがマイスはその悲痛な叫びを否定するかのように笑った。 「それでいいじゃないか。何が違うんだよ。君と俺と、何が違うんだよ!」 マイスはまた歩いて行く。ルメニアの『力』が近づく事を拒むかのようにマイスへと襲 い掛かり、マイスの体を傷つけていく。 「止めて! もう来ないで!!」 一際大きな破片がマイスの頭部を直撃した。 仰け反り、倒れそうになるマイス。だが、体勢を立て直して踏みとどまった。 「君のその『力』は君の心の象徴だ。君は無意識のうちに人を拒んでいる。人の温もりを 恐れている。自分が創られた者だと本能が知っているから」 マイスは何の影響も無いように血塗れの体を進めていく。そして、遂にルメニアの前に立った。 そしてルメニアの手を握る。 「ほら、何が違うんだ? 君は確かに創られた人間だよ。……僕も、普通の人間じゃない。 でも、僕等は何が違う? この手、この体。そして――」 マイスは心の中でクリミナに謝った。その直後にルメニアの唇に唇を重ねる。 ルメニアは驚愕で目を見開いた。 すぐに顔を離し、顔を赤らめてマイスは言葉を続ける。 「ほら。違わないだろ?」 ルメニアは呆然としていた。目の前の青年は自分に何をした? 創られた人間のわたしに、何をした? その意味が浸透してくると、ルメニアは顔を赤らめる。そして自分の中に特殊な感情が 広がっていく事が分かった。今まで生きていて、初めて生まれる感情。 そして、暖かさ。 ルメニアは得体の知れない力に怯えながらも笑みを浮かべていた。 しかし今は、そんな力を恐れる事なく浮かべる事が出来る。 「……はい」 ルメニアが、笑った。 最高の笑みを浮かべた。 頬から流れる涙は悲しみの涙ではない。 自分を知り、尚且つ受け止めてくれたマイスへの想い。 それはルメニアの心の氷を完全に溶かした。 「もう大丈夫だ。君の望みは、叶えなくてもいい」 はっとしてルメニアはマイスを見た。マイスは頷く。 「君は、きっと自分の居場所を探していた。そして、一から創ろうとしたんだ。全てを壊 して、この『アステリア』に。でもそれでは本当の場所は得られない。本当にそんな場所 が欲しいならまずは、心の中から出てくるんだ。自分から拒絶していては、本当の場所は 手に入らない」 「……はい!」 今まで以上に感情を取り戻したルメニア。 異変が起こったのはその時だった。 「な、なに……?」 ルメニアの体から光が発せられた。その光は強力な斥力となり、マイスを吹き飛ばす。 「ル、ルメニア!!」 マイスは傍に近づこうとするが近づけない。先ほどまでの力とは全く違う強大な力。 斥力のせいだけではなく、プレッシャーによって体が押しつぶされそうになった。 「まさか……この力は!」 マイスは最悪の可能性に気づいた。 『るぉおおおおお!!!』 ルメニアの口から人外の咆哮が洩れる。 そして聖堂はそのエネルギーによって崩壊した。 『蒼い月』は空から見ていた。 全ての出来事を。 そして、これから起こる出来事を―― 全ての人々を――