「そうか。そんな事が……」

 アルスランはシールからの報告を聞いて肩を落とした。

 つい先程、強烈に自分へと届いていた気配が途切れ、事態が終息したのだと分かる。

 それと同時にシールには強烈な思念が贈られてきた。

 おそらく同じ『ゲイアス・グリード』としてどこかで共鳴していたのだろう。

 今やシールには全て分かっていた。



 ルメニア。



 自分達の姉とも言える存在。

「私はな、シール。ルメニアに感情を与えなかった事を後悔したんだ。力をコントロール

できないという事以前に、やはり創られたとはいえ人間と変わらないと言うことを示したかった」

 アルスランは机に向かっていき、写真立てを取り上げる。

 そこには王を中心に三人の女が立っていた。

 シールはそこに誰が映っているのか知っている。

 自分を含めていずれも『ゲイアス・グリード』である。

「だが、最初は失敗し、ルメニアが生まれた。私は彼女を処分するしかなかった。古代幻

獣王の眼を欺くにはそれしかなかった。だが、彼女は生き延びていたんだな。雪の中で」

 どのようにルメニアを処分したのかシールは聞かなかった。一つ間違えば自分がやられ

ていたことだ。考えただけでぞっとする。

「そして感情を持つ事ができた、という。お前の言う通りなら、私は彼女を生み出して良

かったのだろうかな?」

「少なくとも、彼女はそう思って死んでいきました。ならそれで、いいのではないでしょうか?」

 真実は誰にもわからない。

 そこにあるのは事実。

 存在するのは事実なのだ。

 たとえ、何が真実であろうとも。

 アルスランはルメニアの存在を悔やんでいた。

 自分の不甲斐無さを悔やんでいた。

 それがたまらなくシールは辛く、思わずそう言っていたのだ。

「……そうだな」

 アルスランは少しだけ笑った。

 少しだけ、気分が晴れたと言う感じだった。





 シールが部屋に戻ってしばらくして、ノックの音がした。

 一言返事をするとドアが開き見知った顔が入ってくる。

「シール」

「どうした、アイン。定期見回りの交代はまだだろう?」

 アイン=フィスールは小さくそうだな、と呟いて二つある椅子の片方に腰を降ろした。

 どうやら何か長い話になるらしいと考えたシールは、仕事で緊張していた肩を回して解した。

「どうだ? つい最近に兵士からもらった珍しい紅茶があるんだが」

「頂くよ」

 アインの笑顔に、いつもシールは心乱されていた。顔が赤らんでいることを自覚しつつ、

それを隠すようにアインに背を向ける。

「シール」

 アインのやけに神妙な声がして、シールは手を止めた。次にでた言葉はかなり意外な物だった。

「俺と、結婚してくれ」

「……は?」

 自分でもらしくないほどの馬鹿面を見せているのだろうと冷静にシールは思った。それ

ほど意外で、でもどこか嬉しい言葉。

「俺は本気だよ。以前の恋も引きずっていないし、シールの事も本気で考えている」

「だが……無理だ」

 シールは悲しさで俯いてしまう。

「どうして?」

 なおもアインは優しく問い掛けてくる。シールはそんなアインの優しさが嬉しくて、逆に辛い。

「わたしは……『ゲイアス・グリード』だ。創られた人間が普通の人間と幸せになれるわけが……」

「どこが、創られた人間なんだ?」

 感触は一瞬で来た。アインの顔がすぐ目の前にある。

 自分がキスをしている事にシールはさほど動揺しなかった。アインとキスをしていると

いう事実に逆に嬉しさを感じている。

 唇を離してからアインは静かに、言い聞かせるように話した。

「お前は確かに創られた人間だな。でもな、人間は誰もが親に創られているんだよ。確かに、

最初から兵器として創られたシール達は普通の人間とは違うかもしれない。でも、ただ単に

兵器として育てられたなら、人間としての意志なんて必要なかったはずだ。アルスラン王は

シール達に人格を授けた。それは単なる兵器としてじゃなく、人間として生きてほしかった

からじゃないか?」

 シールは自然に涙を流していた。アインも笑顔でシールを抱きしめる。

「ありがとう……アイン」

 素直な言葉。

 シールが初めて自分から言えた、感謝の言葉だった。

 そして内心考える。

 だからこそルメニアを創り、捨てた事にアルスランは過度の後悔をしていたのだ。

 ルメニアにも人間として生きていて欲しかったのだ。

(でも、彼女は最後、『人間』として死んだ。そうだろう? マイス=コークス)

 自分の幸せと仲間を救ってもらえた嬉しさを噛み締めながらアインの心地よい抱擁にシール

は身を委ねた。





 一夜明けて、『蒼い月』本部消滅の報は『アステリア』全体を騒がせた。過去の『アステリ

ア』消滅事件を街の住人は知っている。アイズ達も事件とその件の無関係さを説明するのに

一日忙殺された。ようやく住民のパニックも収まって一息つけたのは深夜になってからだ。

「一日ご苦労様」

 クリミナはアイズとマイスに紅茶を入れた。

 治安警察隊本部に残っているのは三人だけ。他の隊員はもう帰宅している。

「なんだか、一日前まで命のやり取りしていたなんて夢のようだよ」

 マイスはまだ痛む体を支えながら笑う。それを横目で心配そうに見ているのはクリミナ。

 そしてアイズはクリミナの視線の意を察して自分からトイレに立った。

「……マイス。無理してる」

 アイズが部屋から去って、クリミナはすぐにマイスへと問いかけた。マイスは最初、表情

を崩さなかったが、すぐに溜息をついた。

「僕は、ルメニアを守れなかった。彼女は心の底では自分の死を望んでいた。自分が創られ、

捨てられた存在だという事に劣等感を感じて。僕は………彼女の気持ちを変える事が出来なか

ったんだろうか」

「それは……今になったら誰にも分からないよ。でも、ルメニアさんは最後、笑ってたじゃな

い。それだけでも、良かったんじゃないかな」

 確かに約束通り止める事が出来た。だが、マイスはルメニア自身を救いたかったのだ。

 死という形ではなく、生きていてほしかった。こんな気持ちは四年前にも体験した。

 あの、『魔大陸』での最後の時。

 師の腕の中から消えていった一人の少女。

 自分を犠牲にして、世界の破滅を救った少女。

 あの時の師の悲しみが今、自分に直接来るのを感じる。

「僕は結局、四年前から何も変わっちゃいないんだ」

「でも立ち止まる気はないんでしょう?」

 クリミナは速答した。マイスは小さく頷く。

 彼女には分かっている。

 今は辛さに耐えるために立ち止まっているだけだと。

 それほどマイスは弱い人間ではないという事を。

「人々は確かに変わっていない。でも、確かに変わっていると信じたい。それを見届けるため

にも僕は人々を守っていくよ。この街の人々を、また失いたくはない」

「そうだね……。そうだよね!」

 クリミナはマイスに抱きついた。マイスは驚いてクリミナを離そうとするが、クリミナは自

分を取り戻したマイスが嬉しくて聞いてはいない。

「ずっと守っていこうね! ずっと一緒に!」

「ずっとって……」

「あ……」

 二人の動きが止まる。近い距離で二人は見詰め合った。どちらからともなく距離が更に近づ

いていく。そして――

「そこまでだ」

 アイズの声に二人は一気に離れた。

「さあ、帰るぞ。まだ事後処理がすんだわけじゃないんだからな」

 アイズの口調は厳しかったが、どこか優しさを感じさせる物だ。内心、マイスの成長が嬉し

いに違いなかった。

 マイスもクリミナもお互いの顔を見合わせて笑いあった。





 人は生きていく。



 過ちを繰り返しても、何度転んでも、ゆっくりとでも進んでいく。



 悲しい出来事を乗り越えて。



 様々な想いを持ちながら――





 エンドレス・ワルツAD『氷結の巫女への夜想曲』完



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