「『蒼い月』が街頭で?」

 一人の治安警察隊員が運んできた情報を耳にしてマイスは眉をひそめた。

 今まで完全に秘密主義で通してきた『蒼い月』が街の真中で演説を行っていたと言うの

だ。演説をしていたのは巫女であるルメニア。

「それで、どんな事を言っていたの?」

 別の部屋で仕事をしていたクリミナもマイスの傍に来て、先を即す。

「教団の主義。幻獣の信仰について、ですが……」

 そこまで言って隊員は別の隊員に呼ばれて部屋を後にした。

 マイスとクリミナ二人が残される。

「どういう事だと思う?」

「見当がつかないわ。自分達が狙われているかもしれないって事を伝えた次の日にそんな

事をするなんて。もし、教団自体が目標なら近いうち必ず被害を受ける」

 マイスは腕組みをして考え込んだ。 

 クリミナが言ったように、教団が標的と決める要素はまだ少ないが、可能性が全くない

わけでもない。昨日、教団が団員に与えた物が盗まれる事件が起こっている事を伝えてい

るのだから自分達の身に危険が降りかかるのも予測できるはずだ。

 少なくとも、あの教主ならば。

「不自然だな。今の次期にやるのも、今までの秘密主義を破るのも」

 不自然。

 確かにそうだった。

 しかしマイスもクリミナも、その不自然さがどうして起こっているのかという根本的な

問題に全く辿り着く事ができない。もどかしさにマイスは机の足を軽く蹴った。

「情報が決定的に不足している。もっと教団について調べる必要があるかもしれない……」

「マイス」

 考え込んでいたマイスに部屋の外から声がかかった。クリミナは驚きを顔に浮かべながら言った。

「兄さん! いつ帰ってきたの?」

「ついさっきだよ」

 男は長身に短い髪。鋭い相貌をたたえた整った顔。屈強な体つき。

 アイズ=フェルクス。クリミナの兄であり、アステリア治安警察隊隊長。新生『アステ

リア』を建設した功労者の一人。

 アイズは十人の隊員を連れて山向こうの武装盗賊団を討伐に向かっていたのだ。

 十人で一大勢力であるその盗賊団を壊滅できたのも、アイズの戦闘能力のおかげである。

「一つ山を越えたのは流石に疲れたよ」

 アイスはさほど疲れた様子もなく肩を回した。

「今、飲み物でも持ってくるわ」

 クリミナはそう言って部屋を出て行った。その後、アイズはドアを閉じるとマイスの元

に近づいた。

「マイス」

「? ……なんですか?」

 アイズの声色の変化にマイスは思わず身構えた。次にアイズの口から出た言葉は……。

「やけにクリミナと一緒にいるようだな」

「……」

「クリミナの指にいつのまにか指輪がはまっていたな」

「……」

 アイズの手がマイスの首に回される。もう少し強めるとマイスの首を締めるほどだ。

「本気か?」

「……本気です」

 アイズの瞳をまっすぐにマイスは見つめた。一つの迷いもない。迷いによる翳りもなに

も瞳には映っていない。

「分かった。なら、俺の言いたいことはただ一つだ」

 アイズは手をマイスから離して言った。

「死ぬな。クリミナを悲しませるなよ」

 それは心からの言葉だった。

「……はい」

 マイスが頷くとほぼ同時にクリミナが飲み物をいれてきた。アイズとマイスは手渡され

たコップに口をつける。

「……ところで、お前の追っている事件」

「『蒼い月』の事ですか。情報が早いですね」

 瞬時に話題を摩り替えて、クリミナに気取られる事なく会話を続ける二人。

「『蒼い月』は想像以上に怪しい」

「どういう事ですか?」

 アイズは顔をしかめて言う。

「俺が壊滅させた武装盗賊団。どうやら誰かに依頼されていたらしいんだ」

「依頼?」

 クリミナも興味が出てきたのかアイズのそばに寄る。三人が部屋の中央に顔を寄せ合う

形になる。

「この街を襲撃する事を、だ」

「襲撃……!」

 アイズは立ち上がり、窓の縁に手をついた。そのまま外に視線を向ける。その瞳は遠く

に見える教団本部を見ている。

「まだ『蒼い月』が関わっているか分からん。しかし奴等のアジトに信者が出入りしてい

た形跡を見つけた。もし奴等が何をしようとしているのなら、俺達が止めてみせる。折角

平和な時代になったんだから、な」

 その呟きはマイスとクリミナには聞こえなかった。しかし何よりも強い意志で紡がれた。





「誰に依頼されたか、まだ話す気はないか?」

「……」

 アイズと相対している男は一言も喋らずにそっぽを向いた。アイズは軽く嘆息する。

 武装盗賊団を壊滅させてから丸一週間が経過しようとしていた。しかし生き残りはまっ

たく自分から話そうとはしない。

 部屋の中は薄暗かった。電灯が切れかけているせいもあるが、何か空気が重苦しい。

「まだ口を割らないんですか?」

 マイスが扉を開けて入ってきた事にアイズは内心ほっとした。

「ああ。全然話さん」

「なら、僕がやってみます」

 マイスはアイズと席を変わると男を真正面に見据えた。男は視線を外したままだったが

マイスが座ると共に顔を見る。

「……!!」

 その瞬間、男の背筋を悪寒が走りぬけた。何度も危ない橋を渡ってきた。命を失いかけ

たのも一度や二度ではない。しかし、だからこそ男には分かった。

 今、目の前にいる男には逆らえない、と。

 そして男は先ほどまでとは態度を一変させて話し出した。

「本当に、しらねぇんだ。ボスがある日、俺達に言ったんだ。『あと一月もしたら、アス

テリアを襲撃する』って」

「……何故、いきなりそんな事を言い出したんだ?」

「わからねぇ。いきなり人が変わっちまったんだ。そんな山一つ越えた方まで出て行くよ

うな人じゃなかった。まるで……」

「洗脳されたみたい、か?」

 マイスが言った言葉に男は深く頷いた。

「何かに取り付かれたとしか思えないんだ。それからみんなの前に出るのも少なくなった

し、一人で居る時になにやらぶつぶつ呟いているし」

「なるほど、な……」

 マイスは少し考えてから言葉を口にした。

「お前達のボスがおかしくなる前に何かを持っていなかったか?」

 マイスは身を乗り出して男に迫った。男は呆気に取られたようだったが、しばらく考え

てはっとしたように顔を上げた。

「そういえば……、何か綺麗な球を持ってたな」

「球?」

「それは……金色の、か?」

 アイズが不思議そうに顔を歪めるのを横目で見つつ、マイスは男に視線を集める。

「ああ……。そうだよ。間違いない」

「そうか」

 マイスは椅子から立ち上がった。





 取調べを終えてマイスは街に出ていた。

 釈然としない気分を少しでも紛らわせるためだ。

(人を洗脳する事が出来る球、そして襲撃の依頼)

 間違いなく『蒼い月』はこの街で何かをしようとしている。そしてそれは限りなく危険

な事のように思えた。

(アイズさんの言う通りだ。折角平和になった世界を、人間の手で壊そうとするなんて)

 ふと、マイスは足を止めた。

 四年前に滅びた世界の破壊神は、自分達の手で世界を滅ぼそうとしている人間を憂いて

狂ってしまったのだと、自分の先生は言っていた。同じような感覚なら、この四年間で何

度も味わっている。

 いくらでも出てくる罪人。

 彼等を捕まえるために力を使う毎日。きっと古代幻獣王はその様子をずっと見てきたのだ。

 永遠とも思える時間の中で。

「結局、人は変われないのかな?」

 世界を滅ぼすのを阻止した自分達。

 しかし愚かな人類は変わらない。自分達がした事は全く無駄だったのだろうか?

(自分が世界の救世主だと奢ったことは無い。でも、あれだけの危機を経験しても人々は

更に犯罪を起こし続ける……)

「……?」

 マイスは思考を中断した。視界に普通ならありえないものが入ってきたのだ。

「あれは……」

 目の前には食材屋がある。

 問題はそこから出てきた人影だった。思わず大きな声で呼びかけてしまう。

「ルメニア?」

「……?」

『蒼き月』の巫女、ルメニアはマイスの事が分からないからか首をかしげている。マイス

は気を取り直すと更に言葉を続けた。

「あ、僕はマイス=コークス。前に教団の本部で会ったんだけど」

「マイス……さんでしたか。すみません。記憶力はあまりよくなくて……」

 相変わらずの、意志が伺えない瞳。通り過ぎる人が皆、目を向ける容姿。マイスは自分

の事のように気恥ずかしさを感じてしまう。

「それで……なにか……」

「いや、見かけたから声をかけたんだけど……荷物、持とうか?」

 マイスは言うや否やルメニアから荷物を取った。ルメニアは最初に戸惑っていたのか動

きを止めていたが、頭を軽く下げ歩き出した。

「それにしても、どうして買い物なんかに? 普通は巫女ってそう言うのは……」

 ルメニアは歩きながらマイスに視線を向けていた。どう答えたらいいのか悩んでいると

言うよりは、何を言われたかを理解できていないように見える。

「ええと……」

「好き」

「えっ?」

 突然の言葉にマイスは顔が赤くなるのを感じた。話の流れから言って自分の事を言って

いない事は分かっていても、だ。どこか儚げな雰囲気をかもし出している女性にそんな言

葉を言われるとどぎまぎしてしまう。

「買い物……というか……人と接するのが、好きなんです」

 ルメニアは視線を前に移した。視線の先には公園があり、子供達が元気に走り回ってい

るのが見える。二人は公園の中にあったベンチに座った。

「人々が平和な中に暮らしている。それを見るのはとても気持ちが穏やかになるんです」

(この娘、は……)

 マイスは困惑した。ルメニアの言葉に嘘がないのは明らかだ。もしこの言葉が嘘ならば、

この娘は余程の詐欺師だろう。それほど、言葉に真実味があった。

 ルメニアは心の底から平和を願っているのだ。

(じゃあ、『蒼い月』の悪巧みって言うのは……)

 脳裏に浮かぶ一人の男。

 司教・キグニス=ブルーメ。

「どうかしましたか? マイスさん」

 ルメニアの声に我に返ったマイスは慌てて対応した。

「なんでもないよ。子供達が元気で、平和だなぁって思って」

「本当に」

 ルメニアとマイスはそのまましばらく座っていた。子供達がボールを蹴って遊んでいる。

 そのうち、少年の蹴ったボールがルメニアの所に転がってきた。

「おねーちゃーん! ボール取ってぇ!」

「……はい」

 ルメニアはぼんやりと少年に微笑んだ。少年もその笑顔に心臓が早鐘を打ったのか、顔

を赤らめている。ルメニアが両手で転がしたボールは少年の所に転がっていった。

「気をつけてね」

「う……うん! ありがとー」

 少年はそのまま子供達の輪の中に戻っていく。

(本当に、好きなんだな)

 マイスはルメニアの横顔を覗いた。そして驚く。

「どうして、泣いているんだ?」

 ルメニアは涙に濡れた瞳をマイスに向ける。流れ落ちる涙を拭いもせずに。

「悲しい……。人々は、こんな平和な世界を、壊そうとする……」

 それはマイスがさっきまで思っていた事だった。ルメニアは泣きだすのを我慢するよう

に少し俯き、嗚咽を防ぐために口を押さえる。

「それは、仕方がない、事だよ。人間は、元々争いながら生きてきたんだ」

 そうだ。

 人間は闘争の生き物なんだ。

 それでもマイスはそんな真実を変えようとこの四年間頑張ってきたつもりだった。

 しかしその意志に揺らぎが生じているのも事実。

 最近、特に無駄なのではないかという考えが頭を過ぎる。

「人と接する事が争いを生むのならば、人はどのように生きていけばいいのでしょう?」

 マイスは答えられない。ルメニアの悲しみを癒すのは表面だけの言葉では駄目だという

事が分かったからだ。自分で納得できない事を他人に納得させる事は出来ない。

「マイス、さん」

「……なん、だい?」

「もし、わたしが、人に迷惑をかけるとしたら……あなたは止めてくれますか?」

「……」

 マイスは気づいた。

 彼女は何も知らないのではない。

 全てを知っていて、教団が何をしようとしているのかを全て理解していてなお、平和が

破られる事に涙しているのだ。

 止める事の出来ない自分の無力さにも。

「ルメニア……」

「わたしは、わたしの下に還りたかった。ただ、それだけだったのです……」

 ルメニアの言葉を、マイスは理解できない。でもそれが、彼女の真摯な願いだと言う事

は理解できた。たとえ何か破滅的な印象があったとしても。

 ルメニアが立ち上がり、マイスから離れていく。マイスはその後姿に静かに声をかけた。

「止めてやるさ。絶対に」





「マイス。ルメニアさんと仲良くなった?」

「……何を言ってるんだよ」

「昼間に公園にいたでしょう? 二人で」

「ああ、いたよ」

 クリミナは上の空のマイスに文句を言おうとしたが、マイスが表情を険しくした事に口をつぐむ。

「何が、あったの?」

「『蒼い月』は、間違いなくこの街を狙っている」

 クリミナの質問には答えずに、マイスは拳を握り締める。

「何としてでも、奴等を止めるぞ。どんな思惑があろうとも、絶対阻止だ」

「マイス……」

 マイスの鬼気迫る表情にクリミナは何も言えなかった。それがルメニアのためだと感じ

ていても、何も言えなかった。





 それが始まりだった。

 四年前の出来事から連なる事件、それの。

 全てを終わらせるための、闘いが……。





 シール・ツァリバンは部屋で書類に眼を通していた。しかしあまり集中できずに席を立

って窓の外を見る。

 あの得体の知れない気配を感じたのが前日。

 そしてシールは事の真偽を確かめるために自分の創造主であるアルスラン=ラート国王

の部屋に行った。そこでシールは事実を聞かされたのだ。



「『ゲイアス・グリード』は四人いた」



 その事実はシールの胸に深く刻まれ、そして自分の感じている予感が正しい事を示して

いた。その予感を伝えるとアルスランはしかし、自嘲的な笑みを浮かべて首を振ったのだ。

「最後の……いや、最初の一人はすでに死んでいる。わたしがこの手で葬ったのだ。間違いない」

 結局、その件に触れる事は出来なかった。

 そう言うアルスランの顔があまりにも悲しそうに見えて、それ以上追求する事はできなかった。

 自分達の創造主に、父親と同様の感情をシールは抱いていたのだ。

「……危惧? そんなものじゃない」

 一日経ってシールは『気配』が増大していくのを感じていた。

 今までほとんど感じる事のなかったそれは一気に膨れ上がっていく。

「今からでは《リヴォルケイン》は間に合わない。だが……」

 シールは、今や気配のする場所を完全に特定する事が出来た。

 自分と同族の気配は間違いなく、一都市から発散されている。

「『アステリア』か。あそこにはあの男がいるはず……。四年前の闘いを生き残ったあの

男に賭けるしか、ない」

 シールは他人に任せる事しかできない自分を悔やんだ。

 だが今はどうしようもない。

 頼るしかなかった。

 世界を救った英雄の――弟子に。

「マイス=コークス」

 呪文のように、シールはその名前を呟いた。


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