「ううぅ〜、冷えるぜ」

 近年まれに見る豪雪による気温の低下にステッドは体を振るわせた。目の前にあるスト

ーブに手を差し出して暖まっている。

「こんな雪の降る日まで犯罪を起こそうとする奴なんていないよなぁ」

 同様に暖をとっている男・エイルは早く帰りたいというニュアンスを思い切り込めて呟

いた。がたがたと窓枠が風に揺らされる音が部屋に響く。

 どこからか隙間風も入ってきているようで、足元に冷気が漂ってきた。

「でもなぁ……こういう時に限って事件が……」

 ガタンッ!

 ステッドは言いかけた言葉を飲み込んだ。ドアが明らかに風ではない力で外から押され

ている。エイルはすぐさま真剣な顔になってドアを注意深く開けた。そこには息も切れ切

れな男が倒れている。

「た、助けて……」

「何からだ?」

 とりあえず中に入れてストーブの傍まで男を持ってくる。顔を叩いて意識をなくさない

ように気を使いながら話し掛ける。

「ご、強盗が……わたしの……」

「了解」

 そう言って部屋の奥から出てきたのは一人の青年だった。この地域では珍しい金髪だ。

 治安警察隊のロゴが入った防寒具を着込んでいる。

「僕がそいつを追う。二人は本部に連絡取って」

「しかしまだ、どんな奴なのか……」

 ステッドがそう言おうとするのをその青年は遮って言った。

「大丈夫。魔術で思考を読んだから。追う人間の顔はしっかりと記憶したよ」

 平然と言われてステッドもエイルも口がきけなかった。人の精神を読む魔術など並外れ

た魔力と技能が無ければできるものではない。自分達よりも年下にしてすでに常人以上の

実力を持っているこの青年に二人はあらためて心から感嘆する。

「じゃあ、行ってくるよ」

「はい。マイスさん」

 ステッドの言葉に青年――マイス=コークスは微笑みながら建物から出て行った。





 吹雪を真正面に受けつつマイスは走った。雪が顔を打つがさほど気にはならなかった。

 マイスが気にしていたのはもっと別の事だ。

(既視感……か?)

 この光景は見覚えがあった。

 吹きすさぶ雪。

 吹雪は視界のほとんどを閉ざし、方向感覚は完全に失われる。

 今の状況はさすがにそこまではいかなかったが、それでもそんな事を連想させた。

(既視感なんかじゃない。実際に、こんな光景を僕は知ってる)

 マイスは思い出す。

 四年前の、あの日を。

(オレディユ山だ)

 世界のもっとも北にある、生物が存在するには過酷な場所として死の山と呼ばれた場所。

 常に極寒の地であり、人を遠ざけていたその山は世界を騒がせた組織『蒼き狼』の総本山だった。

 そしてそこから、最後の闘いが幕を開けたのだ……。

 世界の命運を分ける闘いが。

(四年だ。もう四年が経ったんだ)

 あれから四年。

 四年の間に自分は成長した。

 師と別れ、それまで一緒にいた仲間と合流し、今は元の鞘に収まっている。

 マイスは今更ながら、過ぎた年月を思った。

 と、その時、目の前に微かに人影が映った。白いカーテンで閉ざされている視界に微か

に浮かび上がる黒い影。

「『紫』鎧」

 言葉を呟くと同時に体が薄く発光する。するとマイスの走る速度が目に見えて上昇し、

すぐに必死で走っている影に追いついた。

「観念しろ!」

 吹雪はほとんどの音を掻き消していたが、それでも逃げている人物には聞こえたのだろ

う。振り向きもせずに速度を上げた。

「それなら……。『青』き格子!」

 マイスは走りながら言葉を発し、目の前を走っている人影に手をかざした。すると周り

の雪が盛り上がり、人影の前に立ち塞がる。

「なんだぁ!!?」

 人影の悲鳴が聞こえた。

 マイスが呟いた言葉は魔術起動の言葉だ。

 この世界の魔術法則は『色』をキーワードとしている。

 炎なら『赤』。風は『緑』と言った物だ。

 先ほどの『紫』は身体強化。

『青』は水を使った魔術を用いる時に使用する。

 今回は雪の元である『水』を媒体として魔術を放ったのだ。

 マイスの魔術によって支配された雪は逃亡者の手足に絡みつき、固めた。

「これで動けないぞ」

 マイスは逃亡者の前に回りこんで顔を見た。思った通り男で、強盗のいでたちだ。

 男は半狂乱になりながら必死で雪の枷を外そうとしていた。

「盗んだものを返せ」

 マイスは必死になっている男を無視してポケットなどを探した。するとジャケットの裏

ポケットに何かが入っている。

「……これは」

 それは金色の玉だった。しかし奇妙なのはそこから滲み出ている物

(これは……微力だが、魔力が蓄えられている……。一体、誰がそんな事を?)

 マイスは知らず知らずの内に玉を握り締めていた。自分の内に去来する不安が何を意味

するのか、その時はまだ分からなかった。





「マイス。何考え込んでるの?」

 クリミナ=フェルクスはデスクワークをしながら、どこかぼんやりしているマイスに話

しかけた。その腕の動きは見事なものだが、意識が伴ってない作業は必ずと言っていいほど失敗する。

「ほら、そこ間違ってるわ」

「……え? ああ!」

 マイスは慌てて間違った個所を修正した。

「なんか、前の時も同じように間違ってたわね」

 クリミナはそう言って記憶を探るように目を細めた。マイスはその顔を黙って見ている。

 前、とはおそらくつい先日にやった間違いを指しているのだろうが、マイスは更に昔を思い出す。

 マイス達の故郷『アステリア』は今から六年前に消滅した。文字通り、草木一本残らず

に。それは当時そこで研究されていた『古代幻獣の遺産』の暴走によるもので、マイスの

旅はそこから始まったと言える。

 そして今、以前の場所から少し離れた所に創られた新しい『アステリア』は、徐々に活

気を取り戻している最中だった。

 マイスがクリミナ達と別れた後、兄のアイズと協力して一から街を造ったのだ。

 幻獣信仰の街であったことから幻獣信仰者を近隣の都市から呼び込み、建物を建築し、

四年をかけて普通の都市の規模に戻した。

 王都からの投資の力もあったが、こんなにも早く再生できたのは明らかにクリミナ達兄

妹の功績だったのだ。

「……昔よりは、ましになったさ」

 マイスはしんみりとした雰囲気を取り払おうと明るい口調でクリミナに言う。

 クリミナは、マイスがどこまで記憶をさかのぼっていたかを隠し切れない雰囲気で悟っ

たが、何も言わずに頷いて先ほどの質問を繰り返した。

「ところで、何かあったの?」

 マイスは机の引出しからあの黄金の玉を取り出してクリミナに見せる。

 クリミナは不思議そうに玉を覗き込んだ。

「綺麗な玉ね。でも……何か不思議な感じ」

「これから微量だけど魔力が出てるんだ」

 マイスはクリミナに説明する。魔術を使う訓練を受けていないクリミナには魔力の波動

というものが見えない。おそらくこの玉を持っていた人もそうであったろう。

 マイスはその事が気になっていた。

「魔力の波動は訓練を受けていない人間――つまり普通の人には絶対に見えないし、気づ

かれない。クリミナが今言ったように綺麗な玉、程度にしか認識しないんだ、でも体や精

神に影響を与える事は出来る」

「それがどういう事になるの?」

 マイスの口調の微妙な変化にクリミナは気づいた。これは自分が思っているよりも重大

な事なのだと。

「つまり、この玉に込められた魔力によってその人がどうなろうと、その人自身には原因

不明なままになるって事」

「えっ……と」

 クリミナはいまいち要領を得ないと言った感じでマイスを見る。マイスはここで表情を

完全に変えた。普段の表情から、緊張を込めた顔に。クリミナはその表情が嫌いだった。

 マイスらしさがこの時、完全に消えるような気がして。

「ここから出てる魔力の波動は、どうやら人を操る効果があるみたいなんだ。一日持って

るだけじゃ全然足りないけど、何日も、それこそ何ヶ月も持たされた場合にこいつを創っ

た奴の支配を受けやすいようになってしまう」

「……誰がそんな事をしてるって言うの?」

 クリミナはようやくこの事の重大さに気づいて尋ねた。マイスは首を横に振る。目にか

かりそうな前髪が左右に軽く振れた。

「まだ分からない。しかし人々を自分の思い通りに動かそうとしてる人間がいるって事だ

よ。自分の目的を達成するために」

「その玉の出所は分かったの?」

「ああ。こいつが盗まれたから、盗まれた人にいろいろ聞いた」

 マイスは引出しから更に一枚の紙を取り出した。クリミナはそこに走る文面に目を通す。

「『蒼い月』って、ここの宗教集団じゃない」

 マイスは黙って頷く。その瞳は鋭くなっていた。



『蒼い月』



 クリミナとアイズが必死に住人集めをして、いよいよ街の再建をしようとした時に現れ

た男が立ち上げた宗教集団。瞬く間に信者を集めて建物の再建に多大な功績を上げた。

 しかしもう四年になるというのに教団の姿は今だはっきりとしていない。

 街灯で他の住民に呼びかけるのもほとんどなく、その実態は信者のみが知る。

 しかも信者はけして教団本部の中で何をしているのか口を割らない。

『アステリア』という街の中で『蒼い月』の本部は不可侵領域だった。

「この街が復興した時からあるのに、実態が謎に包まれていて私達も困っていたのよね。

何か犯罪に関与しているとか、噂が流れたりしたし。それもこれも教団の秘密主義にあ

るんだけど」

 クリミナは嘆息して呟いた。

「でもこれで介入のきっかけができるだろ? 僕はさほど興味なかったけど」

「そうね。じゃあ、近いうちにでも話を伺いに行きましょ」

 クリミナはそう言って部屋を出て行った。マイスはしばらくドアを見つめていたがすぐ

にデスクワークに戻る。

 しかしペンを少し動かしてまた止めた。

(幻獣信仰に、もう何の意味もない。でも人は知らずに、信仰しつづけるんだ)

 この世界にもう『幻獣』と呼ばれる存在はいない。

 この世界最初の住人である古代幻獣達も、現代にいた幻獣達も全ては四年前のあの日に

消滅したのだ。

 世界を襲った大惨事。

 関係者の間では『最終章』と呼ばれていた出来事。

 世界を滅ぼそうとした『古代幻獣王』は自分や自分の師。そして仲間達によって滅ぼされた。

 滅ぼすために幻獣達は全ての力を使って消滅したのだ。

 人間に次世代の夢を託して。

「でも、人は信仰を止めない。多分、その事実を知っても」

 人が信仰にすがるのは不安だからだ。

 その不安は人間に備わっているもので、けして消えない。

 不安に打ち勝つ人など少ない。だから信仰自体はやはりあったほうがいいのだ。

(それを利用して、何をしようとしているんだ? 『蒼い月』)

 かつて自分の敵だった組織の名を一部備えている教団に、マイスはどこか運命めいてい

る気がしてならない。

 師は『蒼き狼』を六年も追い続け、決着をつけた。

 自分は『蒼き月』が何をしているのか調べようとしている。

(本当に……なんなんだろうな)

 マイスにも誰にも気づかなかった。

 後に、また滅びの危機に陥る事など――





「我が教団に、どういったご用件で?」

『蒼い月』教主、キグニス=ブルーメは毅然とした態度でマイス達に言った。

 既に白髪が目立ち始めている頭に皺が刻まれた顔。

 しかし雰囲気はその歳相応の物とは言い難かった。

 相当な修羅場を潜ってきている、と感じさせる物だ。

 その中で目立っていたのは手袋だった。握手をするにしても手袋を外さずにしてきたのだ。

「少し前に火傷を負いましてね。あまりに酷いので人には見せられません」

 キグニスの言葉を聞いて、クリミナは顔に動揺は出さずに話を切り出した。

「先日、教団員の一人が持ち物を盗まれるという事件にあいました。幸い、すぐに犯人は

捕まり盗まれた物も取り返しましたが、どうやらそれはこの教団で貰った物らしいので、

他の教団員も狙われる可能性があるのです」

 マイスは注意深くキグニスの顔を見ていた。クリミナとキグニスはお決まりの言葉のよ

うに会話を交わしていく。その会話中にキグニスの表情の変化を見極めようというのだ。

 しかしその気配はない。

 全く動揺はなかった。

(不自然だな)

 それがまたマイスに疑わせた。完璧すぎる。

「……すいません。お手洗いを拝借したいのですが」

 会話が一区切りすると同時にマイスはキグニスに言った。キグニスは嫌な顔一つせずに

場所を教える。マイスは言われた場所に向かうのに部屋から出て行った。

 部屋を出てからマイスは自然な動作でトイレに向かう。

 しかし眼光は鋭く、自分の行く先にある物全てを見極めようとする目だ。

(望みは薄いだろうな)

 あれが演技だとして、あれだけ完璧な演技をする人物が簡単に目に付く場所に手がかり

を残すわけはない。

(一体何が行われているんだ……?)

 マイスが角を曲がった時、ちょうど反対側から来た人にぶつかった。

「あ、すみません」

 マイスは慌ててぶつかった相手に謝った。その顔を見てマイスの動きが止まる。

「……」

 腰まである金髪。どこか意志の曖昧な瞳。化粧気のない顔は、しかしマイスが今までで

あった誰よりも美しかった。

「あ、えーと……」

 口が回らない。心臓が激しく鼓動し、動揺する。どんな強敵が相手の時よりも、クリミ

ナを怒らせた時よりも緊張した。

「大丈夫です」

 感情のこもらない声で少女は言った。いや、少女と言うにはもう幼くはない。

 マイスとほぼ同じ歳であろう。

 それが分からなかったのはこの女性が持つ、どこか希薄な雰囲気のせいか。

「信者の方じゃ、ないみたいです、ね」

 女性の声に微かに感情がこもる。疑問と呼べる感情を見つけたことで少しマイスは落ち着いた。

「あ、ああ。僕はマイス=コークス。この街の治安警察隊隊員だよ」

 早口になって説明する。女性は困惑の感情を表情に出した。それに気づいたマイスは更

に言葉を重ねる。

「この教団の人が、教団で貰ってる物を盗まれた事件があったんだ。だから他の教団員に

も気をつけてもらおうと思って、言いに……」

 マイスは自分の言葉に戸惑っていた。普通ならこんな事は話さない。

 何故かこの女性を前にしていると焦って感情の変化が抑えられなくなる。

「そうでしたか。……私の名前はルメニア。この教団『蒼い月』の巫女です」

「巫女?」

「そうです」

 マイスはその時、初めてルメニアという巫女の瞳を見た。

 青い瞳。

 何も感情が映し出されていない瞳。

 マイスはその瞳に吸い込まれそうな感覚に襲われた。

 そして見た。

 その瞳が一瞬、金色に輝くのを。

(なん、だ?)

 その変化は一瞬だったので、マイスは目の錯覚だと思った。その時に感じた感情もある

が、それも確実性はない。

「それでは、これで失礼します」

 ルメニアはマイスの横を通り抜けて言った。マイスは遠ざかっていくルメニアの姿をし

ばらく見ていた。

(あの時の……顔)

 瞳が金色に輝いたと思った一瞬。

 その時の顔はマイスの瞳に焼きついていた。





「結局、教主は尻尾を出さず、か」

『蒼い月』本部から二人は帰っていた。空からは雪が降り始めている。

 マイスは雪の粒が鼻先に当たるのを指で拭う。クリミナはマイスの様子がおかしい事に

気づいて問い掛ける。

「何かあったの?」

「……巫女って知ってるか?」

 マイスの問に、クリミナは一瞬戸惑った。しかしすぐに理解して話す。

「ルメニアって人の事ね、多分。名前を知ったのは去年よ。どうやらこの街に来る前から

キグニスと一緒にいたみたいだけど親子じゃなかったみたい」

「……そうか」

 マイスの様子がおかしいのがその女性のせいだと分かるとクリミナは憮然とした顔になった。

「マイス。その女性がどうかしたの?」

 その声の険悪さに気づいてマイスは慌ててかぶりを振った。

「ああ、違う違う。クリミナが考えてるような事じゃないって」

「本当に?」

「本当、本当。確かに美人だったけど、気になるのは別の事なんだ」

 その声質にクリミナは不思議そうに見つめる。マイスはクリミナの視線に応えるように言った。

「その人さ、言ってるように見えたんだ」

「……何を?」

「……死にたいって」

 マイスが見た、一瞬の表情。瞳が金色に輝いた一瞬。

 その顔は、ひどく悲しげに見えた。





 それがマイスとルメニアの初めての遭遇だった。

 そしてその後、二度目の出会いをする事になる。

 その時、ルメニアは――


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