「……?」

 アインは一匹の魔物を切り捨ててから眉をひそめて空を見上げた。『魔大陸』浮上から

変わらない曇り空。しかしアインは何かが違う、という気配を感じ取っていた。

(なん、だ? この焦燥感は?)

 意味不明な焦りが自分の中で湧き上がっていく。何か、自分は大切な何かを忘れている

ような、そのような感覚。

「ア、アイン!」

 アインは声のした方を向き、視線の先にシールの姿を認めた。その様子にただならぬも

のを感じてアインは急いで駆け寄った。

「どうした! シール!」

「こ、古代幻獣王が……」

 シールは体を振るわせてその場に座り込んだ。必死になって自制しようと体を両手でつ

かむ。しかし震えは益々広がっていった。

 刹那。

「……! これは!!」

 アインは『魔大陸』の方向からくる凄まじい、おぞましい波動に体を振るわせた。見る

と『魔大陸』の地表から天へと光の柱が昇っている。

 自制などという問題ではない。人間の中にある潜在的な恐怖をかきたてるような、それ

ほどまでの気配。

「古代幻獣王が復活した……?」

 アインの問にシールは答えなかったが、無言な事がそれを証明している。アイン達が呆

然としているとそこに魔物の大群が押し寄せてきた。

「くっ……、シール!」

 ほとんど戦意を喪失しているシールを無理やり立たせてアインは走りだした。なんとし

ても諦めるわけにはいかなかった。しかし……。

(強大過ぎる……)

 思考ではない。それよりも更に奥、生命の根源からの声がする。逆らうな。あれは抵抗

とか、そのような次元の相手ではない。空に向かって唾を吐いても返ってくる。雨は下に

降る。それと同じなのだ。

『古代幻獣王が現れた今、世界は終わりだ』

 声がする。

 深く、深く。強い精神を犯していく内なる声。

「ふざけるなぁ!」

 アインは絶望に向かう声を振り切らんと叫びながら剣を一閃し、立ち塞がる魔物を切り倒した。





『魔大陸』がすぐ傍に見える、小高い丘の上。そこに佇む一つの影があった。

「復活したか」

 精悍な顔つきに足まで届く長い、立派な髭。体を薄青のローブで覆い、手には一本の杖。

 幻獣を修める者、ラムウである。

「幻獣達よ、時が来た。今こそ悪夢のような運命を終わらせる時が来たのだ! 我々の存

在自体をかけて、古代幻獣王を完全に滅殺する! 集まれ、我の元へ! 幻獣王バハムートの元へ!!」

 ラムウの隣には傷ついた体を持ったバハムートがいた。バハムートの視線は『魔大陸』

から離れはしない。

《間に合うだろうか》

 バハムートが呟く。その呟きはラムウに向けられたものではなかったが、ラムウは反射

的に答えている。

「フェナと、あの人間次第ですな」

 その口調は淡々として感情を出してはいなかったが、その裏には願いがあった。成功を

祈る神はいない。神と呼べるものそれ自体が世界を終わらせようとしているのだ。

 突如強烈な爆発音がしたと思うと『魔大陸』から光の柱が天に上った。

 復活の狼煙。

 そして、破滅への秒読み。

「フェナ……」

 ラムウが弱々しくその名を呟いた。





 目を開けると部屋はひどい状態だった。『卵』があった場所から巨大な亀裂が走ってい

て部屋を今にも崩壊させてしまいそうだった。

 ヴァイは思いついて後ろを振り向く。レーテの防御結界の外、部屋の壁にアルスランの

姿があった。

「アルスラン様!」

 ヴァイの声にレーテは結界を解除してアルスランに駆け寄る。上体を起こすとかすかに

うめいた。どうやら命には別状ないらしい。

「……ヴァイ、さん……」

 フェナの弱弱しい声を聞いてヴァイはフェナに視線を向けた。必死になって這いながら

もヴァイに向かおうとするフェナ。その後ろに立つ影。

「ミスカルデぇ!」

 ヴァイは全速力でミスカルデに突進すると拳に魔力を込めた。

「『紫』の波紋!!」

 渾身の力を込めた一撃をミスカルデの顔に叩き込む。鈍い手応え。

 しかしミスカルデは動じもせずにその場に立っていた。

「……!!」

「弱い」

 ミスカルデは軽く腕を振った。少なくともフェナにも、ヴァイにもそう見えた。しかし

次の瞬間、ヴァイも下に倒れていたルシータやフェナ、レーテは衝撃によって壁に激突した。

「ぐ、ぐっは……」

 ヴァイは壁に背を預けながらなんとか立ち上がる。視線はミスカルデを見据えて。

「違うな」

 ミスカルデは淡々と言った。ヴァイはまるで心の中が読まれたような感覚が体を過ぎっ

て顔をしかめる。

「私は『古代幻獣王・ヴァルキルエル』この世界の創造主。そして――世界を終わらせる者」

 その瞬間、ミスカルデに変化が起きた。体中を黄金色のオーラが取り巻き始め、それに

伴って髪の毛が長くなっていったのだ。肩辺りまでだった髪が腰まで届くような長く、美

しい髪になる。

 その姿は神々しく、そして――美しかった。

「人間の体に閉じ込めようとは、浅はかな考えだ。この程度ならば一日程度でこの肉体を

食い破り、真の体を取り戻せる。それからが、世界の浄化の始まりだ」

「勝手に世界を終わらせるんじゃない!」

 ヴァイは背中を壁から離して両足で床を踏みしめながら叫んだ。はっきりとその顔に怒

りを滲ませて。フェナも、ルシータを静かに起こしてヴァイの横に共に立つ。

「俺達がなんとしても食い止める!」

「そうよ! 世界を終わらせないわ!」

 ルシータはヴァイの横で叫んだ。その手が震えている。それはヴァイにも分かった。恐

怖によって錯乱しないだけルシータが強いのだ。

「我を止める手段など無い。しかし、我の浄化の邪魔をするのならば、消す!」

 雷がミスカルデ――ヴァルキルエルの周りを覆う。ルシータはレーテに攻撃命令を出し

てヴァルキルエルへと掲げた。しかしレーテは何も行動を起こさない。

「どうしたの! レーテ!!」

 ルシータはレーテを見る。レーテは震えていた。

 純粋な恐怖。

 それがレーテを取り巻いている。

「幻獣には分かっているのだ。我には向かうのは無力だと」

「なら、俺が貴様を滅ぼす!」

 ヴァイは再びヴァルキルエルへと突進した。拳に魔力を込めて。そのスピードは先ほど

の比ではない。

「愚かな」

 ヴァルキルエルは姿をかき消したヴァイの行方が分かるのか、体中に纏った稲妻を横方

向に放った。着床し、ヴァイがたたらを踏む。

 ヴァイが眼を離した一瞬の間にヴァルキルエルはヴァイの眼の前に来ていた。その事に

驚愕する合間にもヴァルキルエルの拳がヴァイへと突き刺さる。

「くっ!」

 ヴァイは鋭い拳を何とか紙一重で躱して相手の鳩尾に渾身の一撃を叩きつけた。充分な

手応えがグローブ越しに返ってくる。しかしヴァルキルエルは応えた様子無くヴァイを睨みつける。

「無駄な事だというのが、まだ分からないか?」

「ふざけるな!」

 ヴァイはそのままアッパーを顎に食い込ませる。その衝撃に浮かんだ体に渾身の蹴りを叩き込む。

「効かないならば! 効くまで攻めるのみだ!!」

 蹴りの衝撃で飛ばされるヴァルキルエルの後ろに周り込んで背中に肘を叩き込む。その

まま前に回りこんで顎を蹴り上げた。

「うおおおおおお!!」

 下段回し蹴りでヴァルキルエルの体を宙に浮かせてから左の回し蹴りを叩き込み、その

まま体を回転させて連続回し蹴りを上昇しながら叩き込む。

「お……らぁ!」

 渾身の踏み込みからの両掌底。

 ルシータはこれまでの連続技を見て背筋が凍るのを実感していた。常人なら、それ以上

の魔物でも今の魔力を込めた連続コンボを喰らえばただではすまないはずだ。

 しかし……それは効かなかったのだ。

「な……!?」

 平然と立ち、ヴァイを見下ろしているヴァルキルエル。その口からは静かに呟きが洩れた。

「無駄な、事だ」

 次の瞬間、ヴァイの立っている床から電流が駆け上がった。

「ぐあ! あぐああああああああ!!!!!!」

 あまりの強さにヴァイの体が宙を浮く。そして身動き取れない体を電流が蹂躙していく。

「止めて!」

 ルシータは咄嗟に木刀を持って飛び出していた。レーテは床にうずくまり、フェナもま

だ身動きが取れる状態ではない。

「たあああ!」

 ルシータがヴァルキルエルに飛び掛り、木刀を振りかぶる。それを視界にいれたヴァル

キルエルは右手を上げて掌で一撃を受け止めた。

「力無き者がでしゃばるな」

 そうヴァルキルエルが言った瞬間、木刀の刀身が粉々に砕け散る。ルシータはその場に

しゃがみこみ呆然と砕け散った木刀を見ていた。

「先にあの世に送ってやろう」

 ヴァルキルエルが手を振り上げる。ルシータはそれに気づいた様子は無い。

「ル、ルシータァ!」

 ヴァイは体中の力を総動員して電流の呪縛を断ち切った。そしてルシータを抱えてその

場から飛びのく。ヴァルキルエルの一撃はヴァイの背中を掠めて床に叩きつけられた。

 轟音。

 床が叩き割られる衝撃にも後押しされてヴァイはフェナとアルスランが倒れている地点

まで飛ばされた。ルシータを自分の上にして床へと叩きつけられる。

「ヴァイ、さん!」

 なんとかふらふらと立ち上がってフェナはヴァイの元に向かった。ルシータも自分を抱

えているヴァイに気付いて呼びかけた。

「ヴァイ! ……ヴァイ!?」

 ルシータの声が悲鳴に変わる。

 ヴァイの体中に電撃による火傷が広がり、背中は無残にもずたずたに引き裂かれていた。

 完全に意識は失われている。

「あいつの攻撃が掠ってたの……?」

 ヴァルキルエルの先ほどの攻撃が当たっていたとしか考えられない。しかし掠っただけ

でこの威力とは……。

「絶望するがいい」

 ヴァルキルエルの言葉がやけにはっきり聞こえる事にルシータは驚いて振り向いた。

 ヴァルキルエルの立ち位置は変わってはいない。しかし声ははっきりと聞こえていた。

「世界は滅ぶべきなのだ。この世界が、泣いているのがお前達には分からないのか? 人

間達の争いによって大地は傷つき続けている。このまま行けば、いつか世界は完全に滅び

るだろう」

「……」

 ルシータは黙ってヴァルキルエルの話を聞いていた。その中には人間に対する愁いなど

微塵も見えない。そう言っているのは建前としか思えなかった。

「結局、あなたは『破壊』したいだけなんでしょ? そうとしか思えないような口調でそ

んな事言わないでよね」

 その言葉にヴァルキルエルが動揺したように、ルシータには見えた。それがどうしてな

のかは分からなかった。すぐにヴァルキルエルがルシータ達の所に向かってきたからだ。

「もう飽きた。お前達には死んでもらう」

(……終わり、なの?)

 ヴァイは倒れた。レーテも恐れていて闘えない。フェナにも自分にも戦闘力はこの敵を

前にしては無きに等しい。

 そう考えても絶望的な状況だった。

「だからって、絶望するわけにはいかないのよ!」

 ルシータは思わず叫んでいた。その直後、飛び込んでくる光熱波。

 ヴァルキルエルはその場から飛びずさってそれを躱す。その直後に真横に黒い影が出現した。

「『紫』の波紋!」

 影――レインは拳をヴァルキルエルの顔に叩きつけ、手応えがないと知るとすぐに飛び

のいて魔術を放った。

「『銀』の獣!」

 空間自体を斬り裂く魔術。ヴァルキルエルの胴体は一瞬で真っ二つに割れていた。しか

しそれが戻り、元のようにくっつくのも一瞬だった。

「……今のが効かないなんてね」

「たいした敵のようだ」

 光熱波がやってきた入り口に立つ男。黒いローブにルシータは声を上げる。

「ラーレス、レイン!」

「僕もいるよ」

 ラーレスの後ろからはマイスが。そしてすぐにヴァイとヴァルキルエルの間に滑り込む。

「フェナ。あなた、回復魔法は出来る?」

 レインは振り返らずにフェナに問い掛けた。フェナは声は出ないまま頷く。それでもレ

インには通じたようでレインは不適に笑うと言った。

「なら、あなたはヴァイスを回復させて頂戴。それまでの間は、わたし達が稼ぐわ」

「そして早く切り札を使うんだ」

 ラーレスが一歩ヴァルキルエルへと足を踏み出す。その一歩が震えている。襲いくるプ

レッシャーが予想以上のようだ。

「今は、君と先生が最後の希望なんだ」

 マイスもその場から動きはしなかったが手はヴァルキルエルをポイントしている。いつ

でも最大限の魔術を放てるように、だ。

「「「さあ、早く!」」」

 フェナは頷くと迷わずにヴァイの体に触れた。そしてフェナの体が光だし、ヴァイに伝

わっていく。

「ヴァイさんが全快するまで……十五分!」

「なら、それまで遊ぼうとするか」

 ヴァルキルエルの声が静かに響く。背筋に冷や水が垂れたような悪寒がその場にいた者

の体中を駆け巡る。

「ほ、ほざけ!」

 ラーレスは叫んで光熱波を発動させる。それが戦いの狼煙となった。





「かつて、我々がヴァルレイバーを与えた人間が言ったな。『運命を変えるのは自分ではない』と」

《そしてその予言めいた言葉通りにその人物は命を落とし、ヴァルレイバーは受け継がれ

た。その息子に》

「あの男――ヴァイス=レイスターともヴァイ=ラースティンとも呼ばれている男。あや

つは一体何者なのだろうか? 『過去の我等』……滅ぼされた先人の記録にもあのような

男の存在は載ってはいなかった。この世界の運命を握っている古代幻獣王でさえもその存

在をここまで感知する事は無かった」

《我々が考えているほど、古代幻獣王という存在は完璧ではないのかもしれないな。確か

に我々幻獣を創り出したのも、この世界の土台を創造したのも古代幻獣王だ。しかし創造

主自体が万能ではないと言うのは我を見ても分かるであろう?》

「……そうですな。この世界の本当の創造主であるあなたでさえ、この世界の行く末には

関与できない。見守っている事しか出来ない」

《そして古代幻獣王は見守っている事に耐え切れずに崩壊していく世界を滅ぼした》

 バハムートはそこまで言うと首を上げた。

『魔大陸』から発せられる魔気はさらに増大していた。世界を覆い尽くすほどの気。それ

による異常気象が各地で起きていた。それまで世界を覆うように存在していた魔物達はい

つのまにか消滅している。

 その役目を終えたかのように……。

《あの若者がどこから来たのか? とお主は言ったな》

 バハムートが『魔大陸』から目を離さずに足元にいる老人――幻獣ラムウに話し掛ける。

 ラムウはゆっくりと上を向いてバハムートの瞳を見た。

《きっと、『運命の流れ』が、彼を生んだのかもしれないな》

「『運命の流れ』?」

 初めて聞く言葉にラムウは顔をしかめてバハムートに問い返す。

《この世界が古代幻獣王に滅ぼされつづけている事をも含めた、この世界を内包する法則

の事だ。正確な名称はない。この名前も自分で考えた物だ》

「……その『運命の流れ』が、世界が滅ぼされるのを止めるためにあの若者を生み出した、と?」

《しかも可能性はほとんど無いという物だ。そう簡単に古代幻獣王の呪縛から解かれるわ

けにはいかないらしい》

「……そうならば、よほど『それ』は意地が悪いようですな」

 ラムウは皮肉めいた笑みを浮かべた。その顔は晴れない。

《この、ある意味『神』と言える流れは我々、この大地に生きる者に試練を与えつづけて

きた。おそらくこれまでも相応の試練を与えてきたのだろう。そしてそれはこの時になっ

てもっとも可能性のある未来を与えてくれるらしい》

 バハムートはもう一度ラムウへと視線を向けた。

《最後の鍵は……意外なところにあるかもしれないな》

「……それは?」

 ラムウの問にバハムートは答えなかった。ラムウは心の内に思いが芽生える。

(この方は、この闘いの行く末が見えているのではないか?)

 そう思った時、ラムウの頭にいろいろな声が響いてきた。

「……来たか」

 ラムウの呟きと同時にバハムートとラムウの周りに何体もの幻獣の姿が現れる。

「もう少しだな」

 ラムウの視線は『魔大陸』へと吸い込まれていった。


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