「殴る度に拳が砕けるのは嫌だね」

 尋常ではない魔力がマイスを取り巻いていく。ガルナブルは思った。

(どうしてこのような者がいるのだ?)

 今まで、自分は何度も世界の終末を見てきた。それが古代幻獣王様の願いであり、自分

が到達させるべき目標だったからだ。『超人類』などと言う異能者は今回だけの者達では

ない。いつの時も普通の人間が持ち得ない力を持った者達はいた。そして滅びに最後まで

対抗して、抗いきれずに死んでいった。それはひどく無駄な事に思えた。

 絶対的な滅びにささやかにも対抗する愚か者達。

 ガルナブルはその者達を醜いと感じた。しかし――

(この少年は、なんと美しい事だ……?)

 初めて、自分の存在がこの世界に生み出されてから初めて、ガルナブルは必死に生にし

がみつく者を美しいと思った。外面がいくら薄汚れていても、その内には気高さと美しさ

が秘められているという事を彼は初めて理解した。

「『銀』の! 消滅ぅ!」

 マイスが叫び、魔力が爆発した。ガルナブルは魔術の内容が分からなかったためにその

場に身構えた。一瞬の間、それがガルナブルに油断させる事になった。

 瞬時にガルナブルの四方に灼熱の光球が現れる。そしてそれは寸分違わぬタイミングで

ガルナブルに衝突した。

「ぐぅ、おおおおぉおぉぉおおお!」

「僕の全魔力を賭ける!」

 力一杯歯を噛み締め、口から血が滴り落ちる。急激に体内から抜け出ていく魔力に、マ

イスは立つ事が出来ずにその場に肩膝をついた。しかし瞳の輝きだけは失わずにガルナブ

ルを睨みつけている。

 しばらくの硬直状態。そして変化が現れたのは――ガルナブルだった。

「う、う? うおおおおおお!?」

 ガルナブルの悲鳴の質が変わった。苦痛の悲鳴から、更にもう一段階上がった悲鳴。

 ――消滅に対する恐怖の悲鳴だった。

「があああああ!!!」

 ガルナブルの体から煙が上がっていく。光球の温度が、ガルナブルの耐熱限界を超えた

のだ。徐々にその体の形を崩していくガルナブルにマイスは叫ぶ。

「消えろ、消えろ! キエロォオ!!」

(そうだ。世界を滅ぼす事が古代幻獣王の望みで、それを叶えるだけにお前達が動いてい

るのなら、僕も自分の望みを叶えるためだけに動いて何が悪い!)



 ボクハボクノノゾミヲカナエル!



 無音の叫び。

 次の瞬間、ガルナブルはその姿を完全に消した。

 対象物を失った四つの光球は激突し、大爆発を起こす。マイスはその衝撃に弾き飛ばさ

れて壁に激突した。

「――!!」

 もう声を上げる事も出来ない。マイスはそのまま倒れ伏した。

 徐々になくなる意識。しかし安堵はあった。僕の闘いは一時、終わったという確信。

 遠のきかけた意識下に、音楽が聞こえてきた。どうやって奏でられているのか分からな

い。しかし聞き覚えのあるその曲にマイスは自然と笑顔を浮かべていた。

(エスカリョーネ、さん)

 その曲を、『エンドレス・ワルツ』を奏でていた女性が視界に現れる。実際マイスの視

界は閉ざされていたが、マイスはその場にエスカリョーネがいるような感覚を覚えた。

(――)

 幻影のエスカリョーネが言った言葉は聞こえなかった。マイスはすでに意識を失ってい

た。顔は笑顔のままだった。





(私はどうしたら滅びる運命を変えることが出来るか考えてきた)

 アルスランとヴァイは何も無い荒野を歩く。それも精神世界の、現実にある空間を歩い

ているわけではない。しかしヴァイは踏みしめる大地の感触や、時々流れる緩やかな、冷

たい風を感じるたびにこれは現実の物なのではないかと思う。

 いつのまにか世界は滅びていて、その姿なのではないか、と。

(私は『真の歴史書』を見せられて思った。これを知ったからといって、それだけでは未

来は変わらないと。歴史を知っても、それに抗する手段がない事を知った。だから私は考

えたのだ。どうすれば、運命を変えられるか。古代幻獣王を滅ぼす事が出来るか)

 これが古代幻獣王の精神世界ならば、この会話は聞かれているのではないかとヴァイは

思う。しかしアルスランの言葉には衣を着せてはいない。

(そして私は……一つの事に到達した)

(それは……)

 ヴァイは歩き出してから初めて口を開いた。アルスランはヴァイを真正面に据え、その

瞳を向けてくる。ヴァイは身構えていた。何故か、体が警戒する。

(どうやら簡単にはいかないらしい)

 アルスランの言葉と同時にヴァイは後ろを振り返った。そして叫ぶ。

(『黒』の衝撃!)

 放たれた衝撃波は迫っていた獣をバラバラにした。崩れ落ちる獣の後ろから次々と新た

に獣が出てくる。

(精神を守るために防衛機能か)

 獣は四本の足でしっかりと立ち、背中には三枚の翼を持っている。その姿は神々しくも

あり、ヴァイには見覚えがあった。

(神獣……フィニス……)

 ヴァイはそこにない物を探るように胸に手を這わせた。かつて在籍した《リヴォルケイ

ン》の証。その紋章通りの姿がそこにいる。

(大した数だ。このままでは危ないな)

 人事のようにアルスランは呟く。ヴァイは内心焦っていた。自分一人ならば蹴散らしな

がら逃げる事は出来るが、アルスランには戦闘力はない。庇いながらの戦いになると逃げ

切れる自信があるほどヴァイは自分の実力を過大評価していなかった。

(……ん?)

 アルスランの声にヴァイは意識が少しだけフィニスの大群からそれる。耳に入ってきた

のは先ほども聞いた『エンドレス・ワルツ』。そして次の瞬間にヴァイは驚きを隠せなかった。

(神獣達が……?)

 自分達を取り囲んでいた神獣達が徐々にその姿を消していったのだ。砂に変えるように

消えていく様にヴァイは背中を走る悪寒を止める事が出来ない。

(一体どういう……)

 ヴァイが視線を向けるとアルスランも徐々に消えていくところだった。

(アルスランさ――!?)

 自分も消えていく。その事にヴァイは混乱した。何も感じない。消滅する事による痛み

などはなかった。全く事態が理解できない。

(大丈夫だ。我々は追い出されるだけだ)

 アルスランの言葉を最後に、ヴァイの意識は途絶えた。





「――わっ!」

 ヴァイは悲鳴を上げて、バランスを崩してその場に倒れた。一瞬呆然となるが、すぐに

上半身を起こす。視界の先には『古代幻獣王』の卵。そしてアルスランがいる。

「戻ってきただけだ」

 アルスランは振り返らずにヴァイに言った。ヴァイは気を取り直して立ち上がり、アル

スランの隣に並ぶ。目の前にある禍々しい『卵』。それは相変わらず脈打ち、そして唸り

のようなものを上げている。

「古代幻獣王は……敵なのでしょうか?」

 ヴァイはそんな事を口にしていた。アルスランは表情を変えずに、ただ返す。

「どうしてそんな事を聞く?」

「古代幻獣王は……どうしてこの世界を創ったのでしょうね。最初からこの世界を遊び半

分で創って、そして壊したくなると壊す。そんな物ならば、敵として、完全に消滅させな

ければいけないでしょう。しかし、もしも、話し合いの余地があるのならば……」

「そんな余地などないさ」

 アルスランがはっきりと言う。そしてヴァイのほうを向いて口を開く。

「古代幻獣王は、世界を創造した。そして自分の想像した世界が、壊れていく様を見るに

耐えなくなったのだろう。だから壊し、新たな世界を創った。しかしそれは暴挙だ。我々、

その場所に住んでいる者達への冒涜だ。我々は許すわけにはいかない」

 ヴァイはこの時、ふと心に違和感が浮かんだ。

(どうしてなのだろう?)

 何がどうしてなのか、ヴァイ本人にも分からなかった。ただ、無性に辻褄が合わない気

がしているのだ。古代幻獣王の精神世界を垣間見てから続いている違和感。

 一体何が自分をここまで不快にさせるのか?

(何かが、違うんだ……。今まで、ルラルタを出てきてから今までに遭遇した古代幻獣騒

ぎと、今この場にいて感じる事。確かに違う。これまでと今の事態は何かがずれていると

思えてならない……)

 ヴァイはなんとか脳裏に引っかかっている事を思い出そうと努めていたが、突然の大き

な揺れに中断せざるを得なかった。

「な、なんだ!?」

 目の前を見ると『卵』が激しく揺れていた。この『魔大陸』全部が揺れているのではな

く、『卵』の揺れによりこの場所が揺れているのだ。その中で、まるで場違いな曲が更に

大きくなって流れ始める。

「『エンドレス・ワルツ』! 一体お前はなんだ!」

 ヴァイは一つ違和感に気付いた。この『エンドレス・ワルツ』だ。今までヴァイが聞い

たのは『古代幻獣の遺産』が極限まで発動した際に、そこから聞こえていた程度だった。

 しかし『魔大陸』に入ってから聞こえてくるこの曲は多大な影響力を持っているように

思えた。精神世界から弾き飛ばされたりなど。しかし『古代幻獣王』としての力で考える

と大した力ではないように思える。そこが違和感の一つの形だった。

 古代幻魔獣・カスケイドは『僕らの原点』と言っていた。

 古代幻魔獣達の原点。

 自分達が、ここから始まったとでも言うのか?

 そんなヴァイの思考をよそに振動は激しさを増し、遂に『卵』が支えている物を壊して

床に落ちた。『卵』は更に揺れて部屋を転がっていく。

「……時が来たみたいだな」

「アルスラン様?」

 ヴァイはアルスランの声色に固い決意がある事に驚いた。

「アルスラン様! 何をする気ですか!!」

(何か、この人はとてつもない事をする気がする!!)

 立っているのもままならない中、アルスランはまるで空中を歩いているように振動に左

右されずに進んでいく。『卵』は転がるのをやめて空中に浮かび、その身を揺らしている。

「アルスラン様!」

「ヴァイス」

 はっきりとその声は聞こえた。ヴァイは自分を振り返って見返してくるアルスランに何

も言えなくなる。言おうと思っても口が開かない。

「私は一つの結論を出した。それは『古代幻獣王』その物の力を押さえつけたまま滅ぼそうと言う事だ」

 ヴァイは何も答えない。アルスランは更に先を進める。

「古代幻獣王が力を蓄えきってから復活するのは目に見えていたからな。ならば、不完全

な状態で復活させれば力は劣っているはずだと思った。笑うだろう? 一つの世界を統べ

る王がこんな誰でも思いつくような方法を取ろうとするのだから。しかし、そんな単純な

事だからこそ、レディナルド達に気付かれる事なくここまで来れた。そして私はこれから、

私が出来る最後の仕事をする」

 アルスランはそれからまた『卵』に近づいた。ヴァイの口からやっとの事で言葉が洩れる。

「や、止めてください!」

 その言葉にアルスランが振り向く。ヴァイは理解していた。これからアルスランが何を

やろうとするのかを。

「自分の体に、古代幻獣王を封印する気ですね!!」

 アルスランはゆっくりと、笑みを浮かべて頷いた。ヴァイは顔から血の気が引く。

「人間の体を媒体として復活すれば、強大な力を持つ幻獣でも無理やり押さえつけられる。

無理に力を解放しようとすれば母体となっている体がもたないからな」

「フェナがいます! フェナがいれば古代幻獣王を滅ぼせるんです! あなたが犠牲にな

る必要なんてない!!」

「フェナ……幻獣と人間のハーフの少女か。確かにそうかもそれない」

「ならば!」

「しかし」

 アルスランの言葉にヴァイは言おうとした事を止めた。止めざるを得なかった。

 凄まじい威圧感。ヴァイはこの人が王なんだ、と改めて理解する。

「念には念を、だ。私は全身全霊をかけて、この運命を終わらせる」

「……」

 ヴァイにはもう何かを言う力は残ってはいなかった。下を向き、拳を振るわせる。アル

スランはそれを確認して三度『卵』へと向かおうとした。しかしそこで足が止まる。

「……ミスカルデ?」

 その言葉にヴァイは顔を上げる。アルスランを超えてその先には『卵』の隣に立つミス

カルデと――。

「フェナ! ルシータ!!」

 ミスカルデの足元に倒れている二人を見てヴァイは叫んだ。アルスランも激しく感情を

高ぶらせて言う。

「何のつもりだ、ミスカルデ!」

「……望みを叶えにきたのです」

 ミスカルデは片腕でフェナとルシータ、そしてルシータに必死にしがみついているレー

テを投げ飛ばした。それはアルスランを超えてヴァイのほうに向かってくる。慌ててヴァ

イは二人をキャッチした。

「望みとはなんだ!」

「それは、ただ一つ……」

 アルスランが驚愕する。一瞬遅れて顔を向けたヴァイも戦慄した。

 ミスカルデの腕が『卵』の中に入っているのだ。そしてそこからどす黒い液体がミスカ

ルデの手を伝わってくる。

 耳障りな音が部屋を支配した。何かが割れるような、歪むような、そのような音。ヴァ

イはその音を聞いて心中で思う。

(これは破滅へのカウントだ)

 ミシ、ピシ、バキ、といった音が部屋を埋め尽くす。地鳴りは激しく、もう動く事すら出来ない。

「わたしはこの力を手に入れる」

「止めろ! ミスカルデ!!」

 アルスランが宙を駆け出し、ミスカルデに迫る。しかし後一歩まで迫ったところでミス

カルデは呟いた。

「時間切れだ」

 その瞬間、部屋に閃光が走った。ヴァイは目を閉じてくるであろう衝撃の備える。ルシ

ータとフェナをしっかりと抱いて。

「キュー!」

 押し寄せてくる風が減少した。おそらくレーテの防御結界が張られたのだろう。

 そして――





 カウントダウンは始まった。


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