『魔大陸』周辺。

 そこには最早生物と呼べるものはほとんど存在してはいなかった。

『魔大陸』がある地点の大地は『魔大陸』を取り巻いていた魔物達の死体が覆い尽くしている。

 爆音。

 空から降り注いだ閃光が魔物達の死体を瞬時に焼き尽くしていく。

 空には巨大な影が二つあった。

 古代幻魔獣ギルムートと幻獣王バハムートである。

《もう少しだな》

《……》

 ギルムートの言葉にバハムートは何も答えない。

《お前にも分かっているのだろう? 運命はそう簡単には変わりはしない。いくら不確定

要素が出ようとも、大いなる運命の波には何の意味もなさないと言うことを》

《黙れ》

 声と共に放たれる閃光。ギルムートは全く動かずにその閃光を体に受けた。

 おびただしく流れ出る鮮血。体の中央に巨大な穴を開けてもまだ、ギルムートは言葉を続ける。

《お前が連れてきた人間達……彼等には今までに無いものを感じる。だが、運命は変わら

ない。この世界に待っているのは消滅だ》

 バハムートは高度を下げながら言葉を続けてくるギルムートをひたすらに見ていた。た

だ黙っている姿はギルムートの言葉を肯定していると見えなくも無い。

《わたしは滅びるが、少しだけ人類の破滅が伸びるだけだ……》

 ギルムートの体が光だし、粒子のようなものが空中に撒き散らされていく。徐々に体を

構成する物質が消滅しているのだというのをバハムートは理解していた。

《お前も無駄な事をしたな、バハムートよ……》

 その言葉を最後に、地上に辿り着く寸前に、古代幻魔獣ギルムートはこの世界から消滅した。

 バハムートは視線を大地から離して『魔大陸』を視界に収めた。まる一日闘いつづけた

体はボロボロに傷つき、体の各所には致命的と思えるほどの傷がついている。それでもバ

ハムートは威風堂々と空にいた。

《凄まじい勢いで邪悪な気が強まっている。やはり古代幻獣王復活は、避けられないのか》

 脳裏に甦る過去の――前世の記憶。同じような時に、同じような場所で、同じように古

代幻獣王の復活を見た。そして、意識は消し飛んだ。

《しかし、今は違う。前世のどの記憶でも、この場所では復活しなかった》

『魔大陸』は外から見た限り、その動きを停止している。少しずつ邪悪な気を吸って巨大

化してはいるが、もう移動はしないようであった。

《これは何を意味するのか……》

 前世の何処にも無い今の状況。それが人類にとって、幻獣にとって、そして世界にとっ

て吉と出るか凶と出るかは世界を創造したバハムートでも――即ち神にも分かりはしなかった。





「おおおお!!」

 ラーレスは手に具現させた魔力剣を振りかぶってレディナルドに切りかかった。その斬

撃はあまりにも単調で躱すのは簡単なほどであったが、そこにレインが光熱波を放つ。

「ぬぅ!」

 レインの光熱波を躱した事で一瞬レディナルドに隙が出来る。しかしラーレスにはその

一瞬の隙で充分だった。

「『銀』の深淵!」

 空間隔離の魔術が発動してレディナルドを光の檻が包み込む。

「我に真空は通じ……ん!?」

「窒息死させるわけじゃないさ!」

 レディナルドは必死になって自分を覆う光の格子を破壊しようとするが全く触れる事が出来ない。

「お前を足止めさせれば充分だぁ!」

 渾身の一撃。

 ラーレスは歯を食いしばり、全身全霊を込めた一撃をレディナルドを包む檻ごと叩きつ

けた。光の檻を切断し、光り輝く切っ先はそのままレディナルドへと食い込む。

 まるでバターを切るかのごとく切っ先はレディナルドの体を斜めに切断していく。そし

て体の中心に届いた時点でその動きが止まった。

「ラーレス!」

 レインの焦った声が部屋に響いた。その意味は次の瞬間、唐突に訪れる。

「ぐああああああああ!!! ――効かんよ」

「な!?」

 今度驚愕したのはラーレスだった。レディナルドは驚いて体が硬直しているラーレスの

腕を掴みそのまま引き寄せる。

「しまっ――」

「馬鹿め!」

 閃く剣閃。

 レディナルドの両腕が切断され、ラーレスは一瞬早く後ろに飛びのく。後から来た閃光

はラーレスの体を巻き込んで、蹂躙した。

「――っあ! ぐあぁあああ!!!」

 肉の焼ける匂い。それが自分の体が焼けている匂いだと自覚して猛烈な嘔吐感と気の遠

くなるような激痛が脳に送り込まれてくる。

「『紫』の、十字架!」

 力の限り叫んで治癒魔法を自分にかける。全力でかける回復魔法は一気に激痛を減らし、

肉体は生命維持レベルを取り戻した。その後は少しゆっくりと傷が塞がっていく。

「無駄な事を」

 レディナルドは回復に手間を取られて動けないラーレスを冷ややかな目で見据えていた。

 切断された腕はいつのまにか修復されていて、全くダメージを受けていないように見える。

 今、攻撃を加えれば確実にラーレスを葬れるというのにそれをしない。

(正直、遊ばれている、のか)

 そう思って、すぐに思考を切り替える。

(今、この時の行動は嘘だ。レディナルドが自分を優位に見せようとしている。自分に余

裕がある事を見せて、相手の戦意を砕く気だ)

 どのくらいの時間闘ってきたのかはもう覚えてはいないが、相手が圧倒的な実力ならば

すでに決着はついているはずだ。少なくとも、相手も苦しいはずだ。

(しかし、どうやって奴を倒せばいい?)

 遠距離魔術は効果が薄いと判断してつい先ほど、やっと接近戦に持ち込めたのに、それ

さえも得体の知れない方法で回避されてしまった。レインがいなければどうなっていたか

分からない……。

「レイン?」

 不意に気付く。視線をレディナルドから動かすとすぐにその姿は見えた。

「レイン!」

 レインは体から煙を昇らせて倒れていた。体中から血が流れ出していて、早急に回復さ

せなければいくら強靭な生命力を持つレインでも、あと一時間もしない内に死亡するだろう。

「お前に考えている時間はないのだよ」

 ラーレスの視界にレディナルドが現れる。ちょうどラーレスとレインの間に立つ形になった。

「わたしを倒して、彼女を助ける事が出来るかな?」

「できるさ!」

 傷の痛みなど関係なかった。何よりも、レインを失う事による心の痛みのほうがラーレ

スには恐怖だった。自分はレインがいなくなった時、どのような反応をするのか。それは

古代幻魔獣を相手にする事よりも余程恐ろしい事だったのだ。

「俺はもう『二度と』レインを見失ったりはしない!」

 全ての力を振り絞ってレディナルドに突進するラーレス。作戦も何もない。ただ、自分

の全ての力を結集しての突進。レディナルドは笑みを浮かべた。その瞬間のラーレスが最

も美しく見えたからだ。

「すぐにあの世に送ってやるよ」

 レディナルドは手の内に剣を出現させて振りかぶる。ラーレスはただ前だけを見据えて

剣が自分に向かって振り下ろされる事も分かりはしない。

 遂にラーレスがレディナルドの剣の射程距離にはいった。

「死――」

「――ぬのはお前よ!」

 次の瞬間、レディナルドの右肩口から斜めに剣がはしっていた。苦痛は感じなかったが

驚きを隠し切れないレディナルドの注意が一瞬、後ろに逸れた。

「レ、レイン!」

「うおおおおおおおお!」

 その一瞬の隙にラーレスはレディナルドの懐に入り込んで斜め上に発動させた魔力剣を

振り切る。

 二つの剣の軌跡がレディナルドの中央で重なった。

「はあああぁあああああああ!」

「おぉおおおおおおお!」

 気合一閃。二人の剣は交差してレディナルドの体を突き抜けた。衝撃でレディナルドの

斬り裂かれた上半身部分は高く舞い上がった。

「な、何だとぉ!」

「「『銀』の獣!」」

 宙を舞ったレディナルドの上半身が、空間と共にこそぎ取られる。斬撃とはまるで違う、

自分の体を構成している元素が丸ごと抉られる衝撃はレディナルドに初めて痛みというも

のを痛烈に感じさせた。

「に、にんげ――」

「「『白』き咆哮!」」

 連続して最大級の光熱波がレディナルドに殺到する。光熱波は『魔大陸』の内壁を突き

破って外部へと突き抜けた。おびただしい熱量に包まれて、レディナルドは断末魔を残し

て消滅した。

 しばらくレインとラーレスは光熱波を放った体勢のままで立っていたが、やがてその場

に崩れ落ちた。二人とも仰向けになり薄暗い天井を視界に収める。

「……レイ、ン……。無事か?」

「……なんとかね」

 ラーレスは不意に笑いが込み上げてきた。何故かは分からない。まだ何も終わってはい

ない、これからが正念場だというのに。

 自分の意志とは関係なく引き攣った笑いが部屋に響く。笑うたびに激痛が走る体に回復

魔術をかけながらもラーレスは笑う。

 ラーレスの耳にもう一つの笑い声が聞こえてきた。もちろんレインのものである。

 二人は笑った。

 体はそのたびに悲鳴を上げたが、それでも今この場で生き残っているという幸運に感謝

した。しかしその笑いもレインが途切れた時点で終わる。

「……これ、は」

「……ワルツ」

 物悲しい円舞曲。それがはっきりと聞こえる。楽器を使って演奏しているのでも、歌を

歌っているのでもない。何の媒介を通しての演奏かも分からない。しかし、それは円舞曲だった。

「急いだほうが、いいみたいね」

「ああ」

 二人は回復魔法に集中し始めた。





「威勢が良かったのは、最初だけだったようだな」

 ガルナブルは冷ややかな視線を床にうずくまるマイスに向けていた。マイスは体を震わ

せて何とか体を起こそうとしているようだが、体は言う事を聞く気配は――無い。

「いくらお前が『超人類』といえども、我を凌駕するほどの力を内に秘めていても、全て

の力を発揮できていないのなら全ては無駄に終わる」

(そうだ)

 マイスは内心思う。

 具現化されない力など力ではない。過程はどうあれ、結果を出さなくては結局は意味が

無い。次に繋がる、というのは次がある時に言うものだ。

 この闘いに――次は無い。

「まだ、だよ」

 マイスは息も絶え絶え、体の震えも止める事は出来なかったが何とか立ち上がる。それ

を見てガルナブルは嘲りの意をこめた溜息をつく。

「無様な。そこまでして生にしがみつくとは」

「……無様で何が悪い」

 マイスはやっとのことで頭を上げ、ガルナブルを見据えた。その瞳は全く闘志を失ってはいない。

「僕は、最後まで生きる事を捨てない。死ぬって事は、無になるって事だ。僕の知り合い

達の中には残っても、結局存在自体は消え去るんだ。そんなの、耐えられない」

 マイスの中に何かが生まれるのをガルナブルは感じていた。今までとは何かが違う違和

感。その違和感がなんなのかをガルナブルはさほど気にしてはいなかった。気にできなか

ったというのが真実だろう。今のガルナブルはマイスの言葉に何故か聞き入っていたからだ。

「どんな事をしても生き残る。どんな思いをしようと、もう一度、クリミナに会うまで。

もう一度、ルシータと騒ぐまで、もう一度、先生にいろいろと教えてもらうまで! 僕は

まだまだ、しなければいけないことがたくさんあるんだ!」

「したい事を全て出来る人間など、どこにもいない」

 ガルナブルの言葉が鋭くマイスに突き刺さる。しかしマイスは叫んだ。

「なら、いっそうこんな所で死ぬわけにはいかない! 少しでも達成できるまで!!」

 マイスは体中の筋肉を撓めて、爆発させた。今までのとはまるで違うスピードにガルナ

ブルは驚愕する。

(極限状況で、自分の持てる力を引き出したか!)

「『紫』鎧!」

 体中に魔力をまとって接近戦を挑んでくるマイス。その構図は先ほどまでと同じだ。マ

イスは何度も接近戦を挑み、そして何度も地に這わされてきたのだ。

 最初の一撃、右ストレート。

 馬鹿正直な、戦闘の基本とも言うべき拳が自分に向かってくる。ガルナブルはもう何度

目になるか分からないが、それまでと同じようにマイスの左に回りこんで躱す。

 マイスはそこから前方へ行きかけた勢いを踏み込みによって相殺し、ストレートを放っ

た右をそのままフックに変換する。それもガルナブルは紙一重で後ろに下がって躱し、一

気に前に詰めた。

(これで、最後だ)

 ガルナブルはこれまでそうしてきたように、しかし今までよりも力を込めてマイスの喉

元に掌底を叩き込んだ。必殺の気を込めて。

「何だと!」

 ガルナブルは本気で叫んでいた。マイスの姿が消えていたのだ。絶対に見失うはずがな

いという自信があったにも関わらず、マイスはガルナブルの死角に回り込んだ。更にスピ

ードを上げて。

「僕を、なめるなぁ!」

 マイスの全体重、渾身の力を込めた一撃がガルナブルの脇腹に入る。これ以上ないほど

の手応え。マイスは自分の拳が砕けるのを自覚して、その痛みに耐えながらも最後まで拳

を振り切った。

「ぅおおおおおお!!!」

「がはぁああ……があ!」

 声を置き去りにしてガルナブルの体は常人には目にも止まらない速度で壁に叩きつけら

れた。マイスは砕けた拳に回復魔法をかけながらも視線は外さない。

(今のでダメージを与えられないなら……手は限られるな)

 マイスの頭は信じられないほど冷静に機能していた。自分の渾身の一撃が効かないのな

らば、この相手には直接攻撃は通じない事になる。今まで何度も試してみて、その可能性

は感じていた。

 そして、それはほぼ当たっていたと言える。

「……謝ろう、マイス=コークス」

 崩れた壁から出てきたのは、汚れてはいたが、さほどダメージを受けていないガルナブルだった。

「どうやら、打撃攻撃はほとんど効果ないみたいだね」

「今のは少々堪えたがな」

 マイスは両腕を掲げる。その動作にガルナブルはマイスに向かっていた歩みを止めた。


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