すぐ後ろにも足音があるのを聞いて、マイスも後を追ってきているようだ。

 どういう風に進んだかは分からなかったが、すぐに前にいた部屋のような大きな部屋に

出る。ルシータがそこに出た瞬間にマイスは叫んだ。

「『白』光!」

 その声を聞き瞬時にしゃがみこむルシータ。その頭上を光熱波が薙ぐ。今まさにフェナ

に剣を振り下ろそうとしていた影に光熱波が直撃し、壁へと吹き飛ばす。

「ルシータ!」

 フェナが急いでルシータと合流する。ルシータは喜びの声を上げそうになったが、突如

現れた殺気を感じてその場からフェナを巻き込んで飛びのく。一瞬後、ルシータがいた空

間を何かが薙いだ。

「ほう。今のを躱されるとは驚きですね」

 マイスとルシータ達の間の空間がまるで陽炎のごとくゆらめく。ルシータはフェナを背

にして木刀を構え、レーテも威嚇の声を上げる。マイスはその影から目を離さなかった。

「我等の望みを妨げるものは、いかなる者も許さぬ」

 遂にゆらめきがその姿を表す。オレディユ山で会った、金髪の双子の片割れ。

「我が名はガルナブル。古代幻獣王様から生まれし、意志を具現する者」

 ガルナブルは両手をそれぞれマイスとルシータに向けた。次の瞬間、凄まじい衝撃が二

人を襲う。

「きゃああ!」

「うわぁ!」

 耐え切れずに弾き飛ばされて二人とも壁に背中を強打する。そのままルシータは気を失

い、マイスも体を振るわせる。

「さて。邪魔者は動けないようなので、あなたを始末しましょうか」

「……そう簡単には諦めない」

 フェナは両手をガルナブルへと突き出して叫んだ。

「マインド・ブレイク!」

 一瞬の光。

 しかし何も起こりはしなかった。フェナは顔を青ざめさせてガルナブルを見ている。

「私には幻獣の力は通じないようになっているのです。私とレディナルドには、あなた達

の王、バハムートの力も効かないのです」

 穏やかな言葉とは裏腹に眼にも止まらぬ速さで腕を振りぬくガルナブル。

 頬を殴打されてフェナは床に倒れこんだ。

「あなたさえいなくなれば、もう人間達の願いを叶える事ができる者はいなくなるようで

すね。全てが無駄になるのです」

 ガルナブルが手を掲げると手の内に剣が出現した。切っ先を倒れているフェナに向けて

いつでも突き刺せるような体勢にする。

「……」

 フェナはまだ光が失われない瞳でガルナブルを睨んでいる。しかしなんとかして体を動

かそうとしても体はいうことを聞かなかった。

「さあ。断末魔の叫びを聞かせろ!」

(――もう、駄目!)

 突き出される剣。

 次に来る衝撃に対して眼を硬く閉じるフェナ。

 しかし突き出された剣は半ばから砕け散った。

「!?」

 ガルナブルは驚愕から立ち直る前に自分に迫る拳を見た。それを避ける暇もなく顔に喰

らい、殴り倒される。

「……マイス」

 フェナは眼を開けて目の前に立っている人影の名を呼んだ。息を切らせながらマイスが

鋭い視線をガルナブルに向けている。

「フェナ。ここからルシータと逃げるんだ」

「えっ?」

 そう言って立ち上がりかけているガルナブルへと歩いて行くマイス。

 フェナは思わず声を出す。

「ガルナブルに一人で闘うなんて無理よ!」

「でも、君やレーテの力はあいつには通用しないんだろ」

 マイスの返答にフェナは答えられない。マイスが振り向いた。とてもやさしい顔で。

「今こそ、僕がやらなくちゃいけない。君は僕達の希望だ。絶対守ってみせる」

 フェナはもう迷わなかった。立ち上がるとすぐにルシータの所へと走り、まだ気絶して

いるルシータを抱えた。

「また、生きて会いましょう」

「ああ」

 フェナは自分でも心から思えない事を言ってから通路へと消えていった。マイスはその

間ずっとガルナブルを見ている。ガルナブルはフェナの足音が消えてからようやく体を起こした。

「……おのれ……雑魚が」

 ガルナブルは抑えていた頬から手を離した。そこは焼けただれたようになっている。

「僕の魔術は効くみたいだな。お前はこの先には行かせない」

 マイスは一歩引いて構えた。ヴァイ譲りの先頭の構え。ガルナブルは怒りも露わに叫んだ。

「貴様如きが俺を倒せるか! 骨も残らないように消し炭にしてくれる!!」

 声と同時に放たれる炎。マイスは迫り来る炎を躱してガルナブルの懐に飛び込んだ。

「『紫』鎧!」

 マイスの体を光が包み込む。マイスは勢いを殺さないままにガルナブルに組み付いた。

「な、何を!?」

「おおおおおお!!!」

 予測不能なマイスの行動に動揺した隙を突いて、マイスはガルナブルの体を一気に持ち

上げた。そしてそのままバックドロップを仕掛ける。ガルナブルは頭から床へと叩きつけられた。

「ぎゃああ!」

「まだまだぁ!」

 マイスは拳を力一杯に握りこみ、渾身の一撃をガルナブルの顔に叩き込んだ。そしてそ

のまま馬乗りになって拳を乱打する。

 魔術の力で保護されていても拳が傷つくほどの力でマイスは殴り続ける。ガルナブルは

しばらくくぐもった叫び声を上げていたが、やがて声を上げなくなった。

(――!!)

 それに気づくのが一瞬でも遅かったなら、マイスはその瞬間に絶命していただろう。

 マイスが馬乗りの状態から飛びのいたのと同時に銀光が走る。

 銀光はマイスの前髪を掠めてガルナブルの手の中に戻った。

「――小僧。一つ訊く」

 起き上がりながらガルナブルは静かに、はっきりとマイスへ声をかけた。マイスは身構

えながらも聞く体勢は作る。

「お前はどうしてここにいるのだ? お前は本来ここにいるような奴ではないだろう。こ

こにいない選択肢もあったのではないか?」

 マイスはガルナブルの真意が掴み取れずに凝視したままだ。だから、本心を言う事にした。

「仲間がここにいるのに、僕だけ蚊帳の外は嫌だったのさ」

「お前は最初、拒んでいたのではないのか? 恐怖で、ここに来ることを」

 マイスは息が詰まった。確かに怖かったのは事実だ。

「お前は巻き込まれただけなんだ。この、最も過酷な戦場に迷い込んだだけなのだよ。分

かるだろう? お前はここから立ち去るがいい」

「嫌だ」

 即座に否定するマイスにガルナブルは眉をひそめた。自分が言葉と共に展開しているマ

インド・コントロールが効いていない。その事は驚愕に値した。

「確かに今でも怖いさ。それに僕は自分の命をなげだしてまで世界を救おうなんてできや

しない。でも、僕の中には自分が思っているよりもより強い力がある。だから、この世界

を救おうと、自分の命まで投げ出そうとするような人を手助けする事はできるんだ。

 僕がここから逃げたら、お前はフェナを追うだろう。フェナが死んだらその人がやって

きた事がすべて無駄になるんだ」

 脳裏に甦る、レイの顔。彼はヴァイのために自分を犠牲にした。それは何となくだが分

かっていたのだ。自分には命を犠牲にするなどとはできないだろう。死んでしまってはそ

れで終わりだという考えが離れない。

「僕は、最低でも僕にできることはやり遂げる。この世界を救える可能性を持った人が、

全力でその事にとりくめるように。お前を、フェナのところには行かせない!」

 マイスは右掌をガルナブルに向けた。ガルナブルの目が細くなる。

「ならば、殺すまでだ」

 殺気が膨れ上がる。

「やってみろ!」

 マイスは精一杯の声でそう叫んでいた。





(ここは……)

 ヴァイは心地よい浮遊感に包まれていた。周りは暗く何も見えない。

(俺はどうなったんだ? 確か『古代幻獣王』の卵を見て………)

 ヴァイは状況を整理しようとした。すると突然目の前が光り輝き、あまりの眩しさにヴ

ァイは眼を開けることができなくなった。

(一体なんだ、これは?)

 しばらくの間光はあたりを包んだが、やがて暗闇に戻る。ヴァイはうっすら目を開き、

そして驚愕した。

(……!)

 目の前には死体が並んでいた。

 並んでいたと言うのはいささか語弊がある。正確に言うと、そこはどこかの戦場のよう

に争う事によって命が途絶えた者達があたり一面に倒れていたのだ。

 漂う血臭。凄惨な光景。

 ヴァイは自分の中に生まれる不快感を止める事が出来なかった。

(くそ……何なんだよ!)

 ヴァイは周りを見渡した。しかし何処もかしこも死体しかいない。この死体を築いたと

思われる者の――者達の姿が何処にも見当たらない。

 ヴァイは死体の海を歩き出す。

 歩くたびに血溜まりを踏む音や、何か柔らかい物を踏む感触が伝わってきて不快感は増幅する。

(おい! 誰かいないのか!?)

 叫んでみるが、誰もいない。しばらく歩いてみると村らしきものが見える。

(村? 街じゃないのか?)

 自分の中に浮かぶ疑問はこの時は横に置いてしまった。この異常な世界で誰かを見つけ

たかったからだ。今のヴァイにはこの世界が何なのかを正常に理解する事は出来なかった。

 村に辿り着いたヴァイはとりあえず一軒の家を訪ねてみる。

(すみません。誰か……)

 そこで言葉が止まる。

 人がいた。

 確かに人はいたのだ。

 物言わぬ死体になって。

(この村全体が……?)

 ここには死体しかいない。その事に思い至ったヴァイは初めて、この異常な世界が何な

のかを理解しようとすることに思考を向けた。

(そうだ。俺は古代幻獣王の卵の前にいたはずだ。そして急に目の前が暗くなって……な

ら、ここは精神世界みたいなものか?)

 あくまで自分はあの場から動いてなどはいない。この世界は何らかの理由で自分の精神

の中に築かれたものなのだと考えが至る。

(やはり、古代幻獣王が見せているのか……)

 ヴァイは家から出て村を見渡した。そして考える。

(しかし、何故そんな事を?)

(そうしようとしてしているのではない)

 不意に聞こえた声にヴァイは顔を向けた。そこにはアルスランが立っていた。

(何故、あなたがここに……?)

(お前は、これが自分の精神世界だと思っているようだがそれは違う。私達が、ヴァルキ

ルエルの精神世界に引き込まれているのだ)

(……)

 ヴァイは何も答えない。アルスランが、この事態の理由を知っているようだったので、

何も言わずに聞こうと思ったからだ。アルスランもその意思をくんだようで、話の先を続けた。

(ヴァイス。お前はこの世界を見て、どう思った)

 ヴァイはそう言われてしばらく考える。最初に死体が散乱していた時は不快感が出てき

た。行けども行けども誰もいない。とても……悲しい。

(悲しさしか、なかった)

 ヴァイは正直に自分が思った事を言った。アルスランは少し悲しげな表情をして頷く。

(ここには完全に悲しみしかない。他に何もない。そしてそれこそ、古代幻獣王が感じて

いる物なのだ)

(これが……古代幻獣王の……)

 ヴァイはそれを聞いて何も言葉が見つけられなかった。この世界には救いが無い。それ

はすなわち、古代幻獣王の精神には救いが無いと言う事なのか。

 ただ立ちつくす二人の耳に音楽が聞こえてきた。

 ヴァイにとってはもう耳慣れた曲――

(エンドレス・ワルツ……)

 物静かなワルツ。最初ヴァイはその曲がこの場所には似合っていると思った。しかしア

ルスランが口を開く。

(この場には似合わん曲だ)

 この時、何故アルスランがこう言ったのかヴァイには分からなかった。その意味を知る

のはもう少し先になる。

(古代幻獣王はこの世の全ての悲しみを吸い込んでしまった。そしてそれが飽和した時、

世界は崩壊した。古代幻獣王はこの、私達が住んでいる大地その物なのだろう)

(……もしそうなら、この世界が、俺達人間を排除しようとしているのですか?)

 ヴァイは自分の言った言葉に鳥肌が立つ。もし本当にそうであれば自分達の今までして

きた事は無駄になるのではないかという考えが頭を過ぎったからだ。

(もちろん。その物ではないだろう。ただ、限りなく近い存在なんだろう。元々この世界

を創り出した幻獣王を創ったのが、古代幻獣王なのだから)

 ヴァイはもう一度周りを見渡した。

 累々たる死体の数。血の匂い。澱んだ大気。日が射さない空。

(古代幻獣王も……苦しんでいたんですね)

 ヴァイの眼からは涙が流れていた。自分の眼に映る光景を見て、不意に悲しくなったからだ。

(この悲しみに飲み込まれるか、止める事が出来るか。そんな戦いなんだろうな。この戦いは)

 アルスランが言う。その言葉にヴァイはただ頷いた。





 背中に乗っているルシータが意外に軽い事にフェナはほっ、と溜息をついた。レーテは

器用にルシータの頭に乗っている。

 走り出してから――十分と言ったところか。

 もう何も爆発音などは聞こえない。『魔大陸』の中に入った時から邪悪な気は周りを取

り巻いていたが、先ほど襲い掛かってきた敵の気は、まだ判別できた。

(まだまだ、追っては来ない)

 その事にフェナはひどく安堵する。追ってくるという事はマイスの命が無くなっている

という事と同じだからだ。

(できるなら、みんな死なないで欲しい)

 フェナはそんな事を考えられる状況ではなかったが、そう思わずにはいられなかった。

「誰も、死なせたくない」

 誰も犠牲になんかさせたくない。そう犠牲になるなら――

「迷っているようだな。お嬢さん」

 フェナはかけられた声にはっとして目線を上げる。

 視線の先には一つの影。何時の間にその場にいたのか全く分からなかった。

「キュー!」

 レーテが最大限の警戒態勢を取り、体を硬直させているのが分かる。フェナもじりじり

と後退した。

(そう、この人は見た事がある)

 確かに見覚えがあった。あれはいつだったか……。

「う、うー」

 そんな声を上げてルシータが起きる気配がある。どうやら目が覚めたらしく、フェナの

頭にルシータが頭を覚醒させるために軽く振った感触が伝わる。

「ルシータ」

 フェナはそう言ってルシータを背中から降ろした。もちろん視線は前の人物から動かさ

ない。ルシータは降りてから前を見て言葉を失った。なんとかすぐに思い直して木刀を抜く。

「ミスカルデ……」

 ルシータが言った言葉に女――ミスカルデは笑みを浮かべた。


BACK/HOME/NEXT