生暖かい風が頬を撫でる。どれほどの時間が経過したのかはわからなかったが、ヴァイ

は自分が立っている事に気付いた。

 ぼんやりとした意識をとりもどしてから周りを見る。オレディユ山の中でも見た、どこ

か生物的な物を感じさせる壁。ヴァイはとりあえず触れてみた。不思議な感触が掌を伝わ

ってくる。

「どうやら無事、中には入れたみたいだな」

 そう言葉を出して自分を落ち着かせる。ここから先の自分の行動によってこの世界の命

運が決まるといって言いのだ。自然と肩に力も入る。

「……行くか」

 一度深く深呼吸してからヴァイは歩き出す。

 やるべき事は分かっていた。

 とりあえず探す事だ。

「フェナを探さないと、な」

 周りには誰もいなかった。とうやら突入の際に何らかの力が働いてラーレスとフェナ、

二人と離れ離れになってしまったらしい。

(それにしても、なんて邪悪な感じがする場所だ……)

 歩みを進めながらヴァイは思う。

 周りから何か嫌な感じがするオーラのようなものが出ている。それはヴァイが今まで感

じてきた物よりも数段強く、つい最近――旅に出てからは毎回味わってきた物だった。

(しかしその中でも一際強い――)

 ヴァイはあてもなく進んでいるわけではなかった。進行方法から流れてくる邪悪な気。

 そのあからさまな気は古代幻獣王の物だとヴァイは何となく感じていた。合っているに

しろ間違っているにしろ、何の手がかりもない状況に変わりはないので少しでも可能性が

あるほうに進むしかない。

 その考えは道の先が広い部屋になっている事に気付いた時、正しかったと認める事になる。

(……)

 ヴァイは腰からヴァルレイバーを抜き放った。フェナがいない以上、古代幻獣王を倒す

手段はない。しかし、もしこの先に待ち受けているのが古代幻獣王なら止めねばなるまい。

 ヴァイは意を決して部屋に飛び込んだ。

 そして眼に入ったのは巨大な肉の塊。

「これは……」

 その醜悪さにヴァイは思わず顔を背けようとする。しかし何とか堪えると改めてそれを

見た。明らかに普通の物ではない。それが発する気の色がヴァイには見えた。

 深い『黒』

 底が見えない、闇よりも黒い黒。

「それが、古代幻獣王の卵だ」

 聞こえてきた声にヴァイはその方向に向く。そこにいたのはアルスランだった。

「お前の父が破壊しようとした、全ての元凶だ」

「……どういう事ですか?」

 ヴァイはアルスランに近づいていく。アルスランは何も動じる事なく、言葉を続けた。

「シュバルツは幻獣達から本当の歴史を聞いた。どうやら幻獣達のほうからコンタクトを

とってきたらしい。幻獣達には分かっていたのだよ。お前という、救世主がシュバルツの

元に生まれるという事が」

 ヴァイの歩みが止まる。その動揺がアルスランには手に取るように分かった。

「幻獣達は最初からヴァルレイバーをお前に渡すためにシュバルツに託した。しかしシュ

バルツは自分で決着をつけようとした。何故だか分かるか?」

 ヴァイは答えない。アルスランが紡ぐ言葉の先を求めるかのようにその場にじっとしていた。

「お前を巻き込みたくなかったからだよ。シュバルツはそのために、誰にも知られないよ

うに一人で禁忌の土地に潜入し……失敗して王都に帰って来た」

 ヴァイはまだ動かない。全神経を聞くことだけに専念させているようだ。

「『枢密院』はその事件で、シュバルツが何か今までの歴史からは考えられない武器を持

っている事を知った。皮肉なものだ。自分の息子のためにやった事が、『敵』に切り札の

存在を気付かせてしまったのだからな」

 アルスランが『敵』という言葉を使ったのを聞いてヴァイは一瞬顔を歪める。アルスラ

ンはそれに気づいているのかそうでないのか、話を続けた。

「レディナルドとガルナブル。二人は古代幻獣王の意志を具現化するために創りだされた

者達だ。私も最初は彼等の力で洗脳されていたが、ある時来た幻獣によって洗脳を解かれ

たのだよ」

 アルスランの表情は変わらない。狂気に支配された者ではもち得ない意志を照らす瞳。

「それから私はずっと洗脳にかかっている振りをしてきた。目的はただ一つ――古代幻獣

王の完全なる消去」

 動かないヴァイに、アルスランのほうから近づく。

「そのために……私は大勢の命を見捨ててきた。だからこそ、ここで成功させなければい

けない。ヴァイス=レイスター。力を、貸してくれ」

 そうアルスランが言い終えた瞬間、ヴァイは無言でアルスランを殴った。

 アルスランは少々体勢を崩したが、その目はヴァイから離さなかった。

 顔には驚きもない。まるでこうなる事を予測していたかのごとく。

「……言われなくても、貸すさ。なんとなく、分かっていた。あなたに再び会った時に。

ただ、こうしなければ……耐え切れなかった」

「……すまない」

 アルスランはヴァイに背を向けた。ヴァイも黙って巨大な肉塊を睨みつける。その瞬間、

ヴァイの意識は闇に消えた。





「ラーレス。起きなさい」

 かけられた声にラーレスは反射的に起き上がりざま、拳を放つ。しかし手加減なしの拳

は簡単に片手で受け止められていた。

「……物騒ね」

 声の主は静かにそう言って手を離した。そのまま立ち上がる。ラーレスは呆気に取られ

ていたが何とか気を取り直して、とりあえず言った。

「レイン。どうしてここに……?」

 ラーレスも立ち上がってレインを見る。レインは肩をすくめて右手を開いた。そこには

ボロボロになった何かがあった。

「古代幻獣の転移装置でルシータ達とここに来たんだけど、どうやら何か特殊な力が働い

て離れ離れになったみたいなの。気付いたらここにいて、横にあなたが寝ていたってわけ」

「ルシータ達も来たのか! 彼女達には無理だ。どうして止めなかったんだ!?」

 ラーレスは思わず大声を出してしまう。レインはしかし、まったく動じずにラーレスに

言葉を返した。

「……止められなかったのよ。あの娘の眼、昔のヴァイスに似ていたの」

「……」

 ラーレスは何も言えない。《クラリス》時代にも、こんなレインの顔を見た事はなかったのだ。

「わたしもこの場に来て古代幻獣王を倒す手伝いをしたかった。だからルシータ達を連れ

てくると決めた時、あの子達を絶対守ると決めたのに……こうやって離れてしまうのは計算外だった」

 レインは本当に悔しそうに唇を噛む。そして言葉を続けた。

「こうなったら、一刻も早くルシータ達を合流しなきゃ。ラーレス、力を貸して」

 ラーレスはその問に思わず笑みを浮かべてしまった。レインは怪訝な顔をしてラーレス

を見る。ラーレスにとって答えはもう決まっていた。改めて考えるまでもない。

「当たり前だろう。好きになった女の助けになろうとしないわけがない」

「え……」

 レインはその言葉の意味が最初分からなかった。言葉が浸透するに至って、顔を思わず赤くする。

「……その答えは、この戦いが終わってから」

「ああ。分かってるさ」

 ラーレスは迷いのない瞳を通路の奥に向けた。そして呟く。

「とりあえず、あいつを何とかしなければルシータ達とは合流できないな」

「……そうね」

 レインはそう言ってからぶつぶつと呟く。すると虚空から自分の身長ほどもある剣が出

てきた。ラーレスも敵意が向かってくる方向に完全に体を向けた。

「さあ、もう隠れていないでいいぞ。出て来い」

「――いいのですかな? 返事を聞かないで」

 そう言って暗闇から出てきたのはレディナルドだった。ラーレスは初めてなので分から

なかったが、レインには何故か双子のうちのどちらか、というのが分かった。

「私はレディナルド。『枢密院』最高幹部の一人です。返事を聞かなくていいんですか?

あなた達に残されてるのは死しかないのですよ?」

「勝手に言ってろ」

 ラーレスは体中の筋肉をたわめ、いつでも全力を出せる状態に持っていく。

「勝手に俺達の未来を決めるな。お前を倒してルシータ達と合流し、古代幻獣王を倒しに行く」

「わたし達はここで死んでいられないのよ。『約束』があるの」

『約束』という言葉にラーレスは一つ心当たりがあった。昔、まだ残酷な時が刻まれてい

ない頃に交わされた約束……。

「……減らず口を!」

 レディナルドの周りに光の球が出現する。それは徐々に通路を埋め尽くしていった。

 ラーレスは一瞬にして戦闘モードに意識を切り替えた。

「三下なんかに用はない」

 ラーレスは右掌をレディナルドに向ける。

「たとえ相手が神でも、わたし達の未来を決める権利はない」

 レインも剣の切っ先を敵に向ける。刀身は見る見るうちに光を放ち、輝いていく。

「「いくぞ!」」

 二人は同時にレディナルドに突撃した。ラーレスは左。レインは右に。

「「『白』き咆哮!」」

 同時に光熱波を放つ。

 凄まじい熱量を含んだ光熱波は、辺り一面を火の海に変えた。そして荒れ狂う炎の中を

突き進んでくる一つの姿。

「『銀』の獣!」

 レインが咄嗟に空間断裂の魔術を放つもレディナルドはその射程外へと逃げ、レインに

向かってきた。

「『黒』き破壊!」

 ちょうどレディナルドの背中を見る形になったラーレスは空間爆砕させる。しかしそれ

さえも標的にぶつかる事はなかった。

 レディナルドは眼にも止まらぬ速さで射程外まで逃げると、両手を二人へと向けて気合

のこもった声を吐き出す。するとレディナルドの目の前の空間が歪み、歪みはそのまま衝

撃となりラーレスとレインは吹き飛ばされた。

「くっ……!」

 レインは剣を突き立てて何とかその場に踏みとどまったが、ラーレスは壁に激突した。

鈍い音がレインにも聞こえる。

「ラーレス!」

「よそ見している暇があるのですか?」

「!!!?」

 一瞬だった。

 ほんの一瞬、視線をラーレスに向けただけでレインはレディナルドに接近を許してしま

った。しかもなんの気配も感じさせずに。

 拳が鳩尾に食い込み、レインは血を吐き出しながら弾き飛ばされた。そしてラーレスと

同様に壁に激突する。

「……どういう事、だ」

 ラーレスは何とか自分に治癒の魔術をかけて立ち上がった。まだ完璧ではない。しかし

完全に治癒するまで待ってくれるほど相手は甘くない。隣ではレインも顔に脂汗を浮かべ

ながら回復魔術を使っている。

「簡単な事。空間を渡っているのですよ。しかもあなた方が魔術を放つ時の波動が私には

理解できる。だからより魔術は躱しやすいというわけです」

 余裕のつもりか、レディナルドは攻撃はしてこない。その間にラーレスは立ち上がる。

「あなた達に勝ち目はありませんよ」

「だから、勝手に決め付けないでよ」

 強い意志をもった声がレディナルドを貫く。レインは少しよろけながらも立ち上がって

レディナルドを睨みつけている。

「あんたが強いのは分かったけど、あいにくわたしも強いのよ!」

 剣を振りかぶってレインが突進する。そのスピードは常人のそれを軽く凌駕していた。

「はあ!」

 渾身の一撃をレインは叩き込むが、レディナルドの姿は砂になったように融けて空間に

消える。そこでレインは突然横を向いたかと思うと光熱波を放った。

 まっすぐ突き進む光熱波の延長上に、レディナルドは現れた。

「なっ!?」

 流石に躱しきれずに光熱波の直撃を受ける。そこがチャンスとばかりにラーレスも全力

で魔術を放った。

「『黒』き破壊!」

 空間を歪ませて生まれたエネルギーを爆発力へ変え、その力の本流はレディナルドへとヒットした。

「ぐはっあ!」

 レディナルドを中心にして大爆発が起こる。あまりの衝撃にレインとラーレスは再び壁

に激突した。

「うっ……。や、やったの……」

 壁にぶつかったショックで一瞬息ができなくなったが、レインはなんとか力を込めて立

ち上がった。ラーレスも同様に立ち上がって噴煙を見ている。

「……どうやら、まだみたいだな」

 煙の中から現れるレディナルド。その瞳は真紅に燃え上がっていた。流れてくる邪悪な

気にレインとラーレスは背筋を走る悪寒を止める事ができない。

「貴様等……殺すぞ」

「……あれだけ喰らって全く堪えていないなんてね」

「いくらなんでも硬すぎだな。――『銀』の砕牙」」

 レインは剣。ラーレスは魔力で創った剣を構えて目の前の敵を凝視する。

「排除する!」

 レインとラーレスの顔から汗が落ちた。





「レインー! 一体何処行ったのー!」

 ルシータは力いっぱい叫んだが、何の反応も返ってこない。何度か叫んだが同様の結果

になった事でどっと疲れが出たのか、その場に座り込んでしまった。

「まったく……。疲れちゃった」

「キュー」

 レーテがルシータの膝の上に乗って見上げてくる。レーテなりにルシータを心配しているようだ。

「少し休んだら、ここから移動しよう」

 マイスはやけに周りをきょろきょろと見渡しながら言ってくる。ルシータはそれを不思

議そうに眺めながらも同意した。しばらく無言の、重苦しい空気が流れる。

「……マイス」

「なに?」

 ルシータの声はやけに明るかった。マイスにはそれがひどく気になり、そくざに反応してしまう。

「クリミナ、元気かな?」

「……アイズさんがついてるから、大丈夫だよ。だからこの戦いが終わったら、会いに行きたいな」

「そう」

 ルシータはまた黙り込む。マイスにはその意味がようやく分かった。

「ルシータ。無理しなくてもいいんじゃない?」

「何がよ」

 少し口調に怒気が混じる。マイスは、どうやら自分が思っていた事があっていたらしい

事を確信すると強気に言った。

「ここには僕だけだから。無理に強がらなくてもいいよ」

「誰が強がってるのよ!」

 叫びに近い声を上げてルシータは立ち上がった。マイスは怯まずにルシータの眼をまっ

すぐに見つめる。しばらく視線を交わす二人。先に逸らしたのはルシータだった。

「……そうね。怖いわ。だってそうでしょ? 普通だったら考えられない事態だもの。

『古代幻獣王』『世界を滅ぼしてきた神』――そんな人知を超えたようなのが相手なの

よ。しかも勝つか死ぬしか道がないなんて……全世界の人の命がかかってるなんて……あ

たしには重過ぎるわ」

 ルシータはまたしゃがみこみ頭を膝に埋めた。マイスは逆に立ち上がり、何を思ったか

その場で背伸びをしてうーん、と唸った。

「でもルシータは分かってるでしょ? 先生達が平気な顔してるのも、空元気だって。先

生達にとっても今回の事態は――いや、今まで半年間関わってきた事件はほとんど普通、

人には手におえなかったと思うよ。でも先生達はそんな弱音を少しも吐かないで闘った」

「『空元気も元気』、か」

「え?」

「ヴァイが前に言ってたの。どんなに辛くても、うわべだけでも平気な顔してろって。そ

うすれば近いうちに事態は好転するって。それが『強さ』だって」

 ルシータは顔を上げた。

 その瞳には迷いは見えない。マイスは一安心と思うと暗闇に包まれている通路を見た。

「とりあえず、移動しよう。そうすれば他の――」

「きゃああ!!」

 マイスの言葉をぬって悲鳴が聞こえてきた。ルシータは即座にそれをフェナの悲鳴だと

見抜き、方向を確かめる。

「!! あっち!」

 開口一番、立ち上がってダッシュで声のした方向へと向かった。


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