遮るもののない空は空の帝王――バハムートの一人舞台だった。見る見るうちに『魔

大陸』がその威容を増していく。そしてその異様な気配をフェナは感じ始めた。

「これは……この感じは……」

 耐え切れずにフェナは体を抱えた。やってくるとてつもない寒さに顔を青ざめさせる。

「これが、古代幻獣王の……」

《どうやら、厄介な奴が現れたようだ》

「厄介な奴?」

 ヴァイはバハムートの声に含まれる焦りに気付いた。この幻獣の帝王が動揺を見せている。

 自分の力でねじ伏せるのが困難な相手が迫っているというのだ。

《来た!》

 バハムートの声に三人が一斉に前を見る。そして言葉を失った。

『魔大陸』の一部が崩れていく。しかしそれは単に崩れたのではなかった。正確に言うと

大陸を構成する大地の一部が割れている。そしてそこから巨大な影が現れた。

「何だ、よ……あれは」

 ラーレスがやっとの事で口に出す。バハムートが表面上は冷静に答えた。

《古代幻魔獣・ギルムート。古代幻獣王を守護する者だ》

 その巨体はバハムートとほぼ同じ。しかし違う点はその背中に生える六枚の翼だった。

 翼が羽ばたく度に金色の粒を撒き散らしていく。そこから放たれるプレッシャーはあの

カスケイド以上だ。

《来たか。運命に逆らおうとする愚か者ども》

 突然頭に響く声にヴァイ達は顔をしかめた。強制的に思考に割り込んでくる異音に常人

は耐える事はできないだろう。今はバハムートの傍にいる事である程度耐性ができている

から無事なのである。

「うるさい! 運命なんて物に振り回されてたまるか! 必ずお前達を倒すぞ!!」

 ヴァイが声を張り上げる。その声に反応して巨大な影――ギルムートが微かだが頭を

ヴァイに向けた。

《人間……いや、違うな》

《彼は我等の切り札だよ》

 バハムートがギルムートの前に回りこんだ。既に互いの射程距離に入っているようだった。

《なら、ここでお前共々消す!》

《やってみろ!!》

 声と同時にバハムートの口から熱線が放たれる。しかしギルムートに届く直前に弾かれ

た。どうやら見えないバリアーのようなものがギルムートの周りに展開されている。

《消し炭になるがいい!》

 ギルムートの六枚の翼が限界まで開かれる。そこに集まっていく光。

「やばいぞ!」

 ヴァイが叫び、バハムートが回避する。その瞬間、それはやってきた。

 空気を斬り裂く轟音。そして熱線。その総量は明らかにバハムートのそれよりも上だっ

た。バハムートの周りに展開されていたバリアーの一部を突き破り、熱線はそのまま地上

へと向かう。そして……巨大な爆炎が地上から上がった。

「……なんて威力だ」

 ラーレスの声は驚愕で震えている。隣ではフェナも涙を流していた。あまりにも理不尽

な死が、今の爆心地で起こったのだ。フェナの頭に今の事態による死者の想いが流れ込んでくる。

「逃げるのも危険って事か」

《どうせ滅ぶ世界だ。今から我が滅ぼしても特に問題はないだろう》

「『白』き咆哮!!」

 ギルムートの言葉にヴァイは即座に魔術を放った。しかしその質量と比べてあまりにも

不足な光熱波はギルムートの羽根の一部に当たったが、さしたるダメージは与える事がで

きなかった。

《か弱き者よ。分かっていて何故我に牙をむく?》

「許せんからだ」

 ヴァイはあまりにも圧倒的な力の差を見ても瞳の強い光を失わなかった。より鋭い視線

でギルムートを見る。

《ならば、バハムートと共に滅びるがいい》

 ギルムートは再び羽根を広げる。バハムートは躱すために身構えた。





「後どれくらい……よ!」

 ルシータは魔物を切り裂きながら叫んだ。既に息はあがってきている。やはり物量の違

いは大きいようだ。

「後……うわ!?」

 マイスが律儀に答えようとしたところに魔物が爪を伸ばしてくる。マイスは咄嗟にかわ

してルシータの傍に寄った。

「はっ、はっ……。でももう少しのはずだよ。もう少し……」

「キュー!」

 レーテの放つ光が魔物を屠る。しかしその数は減るどころかむしろ増えていた。

「このままじゃ、流石にやばいわよ。マイス、何とかできない?」

「何とか……やってみる。時間稼いで」

 マイスはそう言うと一歩後ろに下がった。そして精神を集中させる。

「よっし! レーテ! 頑張るわよ」

「キュー」

 レーテはルシータに答えるように光を放つ。ルシータも魔物の群に突っ込んでいった。

 マイスはいつもよりも意識を集中した。それこそ周りの音が全く聞こえなくなるぐらい。

 自分の持てる全ての力を使って放つ魔術。

 今、考えうる最大の切り札。

(集中して……思い描く)

 マイスの頭の中に魔物達を覆い尽くす檻が形成される。それはもちろん実在はしない。

 しかし魔術を使えるものには見えただろう。実際の空間にマイスの脳裏に描かれている

図面がそのまま投影されている事に。

 それは『ヴァルキルエル』を取り囲むほとんど全ての魔物を含んでいた。

「レーテ!」

 マイスの声にレーテはルシータと自分を包み込んだ。これからマイスのやる事を本能的

に察知したのだ。

「『黄金』領域!!」

 ヴァイが使った切り札。光に触れた物を構成している要素を、強制的に崩していく自壊

連鎖。踏み入れる事を許さない聖なる領域。

 魔物達は次々と崩れ落ちていく。やがて完全に魔物達は消滅した。

 結界の中にいたルシータは魔物達の行く末を見て背筋をぞっとさせた。

「マイス! あんたやるなら最初から言いなさいよ! 間違ったらあたしがああなってるでしょ!」

 しかしルシータの声にマイスは反応しない。訝しがって見てみると、マイスは大量の汗

を滴らせていた。よほど魔力、体力を使うようだ。

 そして光が消えて、マイスは崩れ落ちた。

「マイス!」

 レーテの結界が解けてからルシータはマイスに駆け寄った。マイスは体を震わせながら

なおも立とうとする。

「まだ、全部片付けたわけじゃない、よ……」

「キュー! キュー!!」

 レーテの焦った声にルシータが振り返ると既に新たな魔物達が迫ってきていた。

「このままじゃ……」

 ルシータが弱気な声を出す。レーテが光を放って屠ってはいるが明らかに先ほどまでよ

りも動きが鈍っている。レーテも限界が近いのだ。

「もう! まだなの、レイン!」

『終わりよ』

 ルシータの声に返答が返ってきた。

 ルシータがきょとんとなったと同時に光が辺り一面を包む。

「な、何?」

 見ると『ヴァルキルエル』が光り輝いていた。それに呼応するかのように辺りも光って

いる。光の領域に近づく魔物達は瞬時に消滅し、魔物達は一定以上の距離から見ているだ

けになった。

「大丈夫?」

 そう言ってきたのはレインだった。ルシータの隣で倒れているマイスに近寄ると手をかざした。

「『紫』の祝福」

 レインの掌から光がマイスに浴びせられる。すると見る見るうちにマイスの顔に生気が

戻ってきた。やがて光がなくなるとマイスは平然と立ち上がる。

「す、凄い……」

「いい。これからやる事を説明するわ」

 マイスとルシータ、レーテを傍に立たせてレインは説明を始めた。

「これから『ヴァルキルエル』を発射して『魔大陸』の結界に穴を開ける。それと同時に

これを使って中に進入するわ」

 そう言って取り出したのは黒い四角い箱。

「これは古代幻獣の遺産で瞬間移動ができる。これの能力を最高まで引き出せればあそこ

までは移動できるはずよ」

「あそこって……」

 ルシータが『魔大陸』を見る。とてもじゃないが辿り着ける距離だとは思えない。

「やるしかないでしょ? もし届かなかった時はこの仔に頑張ってもらうしかないわね」

 レインはそう言ってレーテの頭を撫でる。

「カーバンクルには飛行能力があるわ。この仔にそれが出せるか分からないけど……」

「どっちにしても賭けですね」

「そういう事」

 マイスの不安な声に平然とレイン。

「わたし達にはもう手はほとんど残っていないの。たとえほんの少しの可能性でも、もうそ

れをやるしかない」

 しばしの沈黙。それを破ったのはやはりこの娘だった。

「行きましょ」

「ルシータ……」

「マイス、嫌なら残ってもいいわよ。あたしだけ古代幻獣王を見れないなんて事はいやよ!

ここまできたら絶対にその姿を見てやるわ!」

「……分かった。僕も行くよ」

 マイスはルシータに向けて笑顔を作った。自然に。無理せずに。

(この娘は不可能でも可能にしてしまう気がする)

 ルシータに元気付けられている自分がいる。マイスはふと思った。世界を救うのには、

何も特別な力など必要ないのかもしれない。もしかしたら本当に世界を救えるのはこの娘

のような人かもしれない、と。

「じゃあ、いくわよ!」

 レインが箱を構える。そしてそれと同時に指を鳴らした。

「『ヴァルキルエル』発射ぁ!!」

 無音の衝撃。

 そして閃光が大気を震わせて突き進んでいく。

 やがて光は『魔大陸』へと――





 衝撃が空間を斬り裂く。

 その衝撃を、ヴァイは体で感じた。

「……やばいぞ!」

 その瞬間、誰もその場で気付いている者はいない。ラーレスも、フェナも。バハムート

やギルムートさえも。ヴァイがその刹那に取った行動は正に賭けだった。

「『銀』の、翼!」

 バハムートを含めた空間転移。成功するという確証はなかった。しかしヴァイ達に残さ

れた道はこれしかなかったのだ。

 バハムートが消える。そこを『ヴァルキルエル』の光が貫いた。

《な、なんだと!》

 光はギルムートの翼の内一つを飲み込んで『魔大陸』へと吸い込まれた。無音の衝撃。

そして遅れて響く空気の振動。

 その大気を揺るがす振動の中で転移後に体勢を整えたバハムートは目を鋭くした。

《今だ!》

 背中に乗るヴァイ達の体が黒い球体に包まれる。

《お前達を『魔大陸』に転移させる。後は任せた!》

「分かった!!」

 ヴァイ達を包んだ球体が浮かび、一気にトップスピードに乗ってバハムートから飛び出

した。爆発の余波が薄れた『魔大陸』には穴が開いていた。正確には『魔大陸』を包んで

いたバリアーが破壊されていた。しかしその穴も少しづつだが閉じてきている。

「充分間に合うさ」

 ラーレスが言う。

「これからが、本番だな」

 ヴァイが顔を歪ませた。体中に気合がみなぎる。

「……ここからはわたし達の闘い、ですね」

 フェナの言葉には震えがなかった。今まで会話の端々にどこか怯えた様子があった。無

理もない。古代幻獣王をどうにかする方法を知っているのはフェナなのだ。逆を言えば、

自分が失敗すれば世界は終わる。

 しかし覚悟を決めたのかもうフェナの顔にも怯えはない。

(フェナ……)

 ヴァイは何か嫌な予感がしていた。この娘がどこか遠くに行ってしまうような、そんな

気がしていた。

「突入だ」

 黒い球体が遂にバリアーの内側に入った。

 そして光り輝く。

 次の瞬間には黒い球体は消えていた。

 ヴァイ達の姿も何処にもなかった。


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