『魔大陸』――それは古代幻獣王の揺り籠だった。

 全てを破滅に追いやり、また永い眠りにつく古代幻獣王が自分を閉じ込めた大陸。

 そこは何一つ普通の大地と変わらずに、この世界と共に育っていた。

 しかし、一つだけ他の場所とは違う事があった。それは――





「あそこは俺達《リヴォルケイン》の間では禁忌の土地とされてきた」

「禁忌の土地?」

 バハムートの背中に乗って『魔大陸』を目指す途中、ヴァイはラーレスとフェナに言った。

「どういった意味での禁忌なんだ?」

「あの土地は過去の記憶が甦る」

「「過去の記憶……?」」

 ラーレスとフェナは同時に声を上げる。共に初めて聞く単語だったからだ。しかしフェ

ナは何かに気付いたようにあっ、と声を洩らす。

「過去の記憶とはまさか……」

「そう。正に過去の記憶だよ。今までに起こった事がその地に行くと現れるんだ」

「……どういう事だ?」

 ラーレスはまだ要領を得ないようだ。そこにバハムートがフォローを入れる。

《過去の記憶。つまり歴史上起こった事実が、その土地に行くと自分達の目の前で展開さ

れるという事だ》

「その通り」

 ヴァイは軽い声を出す。それは誰が見ても無理して出していた。これからの闘いのため

に少しでも気分を軽くしようとしているのだろう。

《それもそのはずだ。古代幻獣王はいくつも歴史を見聞きし、その都度、滅ぼしてきたのだ

からな。おそらく実際この世界では起こってはいない事もその場所では発現したはずだ》

「それは……」

 ラーレスは要約合点がいったようで顔をしかめる。

「そう。下手をすれば知らない歴史を見る事になる。そんな理由とは俺達は知らなかったが、

アルスラン王はその場所を閉鎖した。俺達でも近づけないように、王室の最大機密として」

 ヴァイは拳を握り締める。アルスランの名をだして先ほどの怒りが戻ってきたのだ。

「その『魔大陸』だが……、いったいどういう事だと思う?」

「何がだ?」

 ヴァイがラーレスの声色の変化に不思議そうに見つめる。しかしその疑問に答えたのは

フェナだった。

「『魔大陸』が……大きくなっています」

「何!?」

 ヴァイが前方の『魔大陸』を見る。

 遠近法のせいではない。確かに、『魔大陸』は巨大化していた。それに伴い周りをとり

まく黒い雲――魔物達も数を増大させている。

《どうやら『魔大陸』がこの世界のエネルギーを吸い始めたらしい》

「この世界のエネルギー!?」

《ああ。そして全てのエネルギーが吸い取られた時、古代幻獣王は完全に復活し、生きる

力を失った世界を滅ぼすのだ》

 ヴァイは戦慄した。ルシータに言った『規模が違う』と言う言葉。今更ながらに自分で

納得する。この戦いに後は無い。失敗しても次は無い。

 次は自分達のいない、新しい人類が築きあげた社会に訪れるのだ。

「そうは……させるかよ!」

 ヴァイはバハムートの背中に立つと真正面を見据えた。そして吼える。

「バハムート! 後どれくらいで着くんだ!!」

《お前達の時間で後、一時間だ》

「よし! 一刻も早くけりをつけるぞ!」

「応!」

「はい!」

 ラーレスが、フェナが同じようにバハムートの背に立つ。ちょうどそこに『魔大陸』か

ら飛んできた魔物達が襲い掛かる。

「『黄』の裁き!」

 声に呼応して、ヴァイの体の周りに無数の電磁球が発生する。ヴァイが振りかぶって投

げる動作をすると電磁球は魔物達の群に襲いかかった。電磁球の直撃を食らった魔物は次

々と大地へと落ちてくる。それでも勢いは衰えずに襲い掛かる魔物達。

「『緑』の疾風!」

 手加減無し、最大威力で放たれた魔力は凄まじい突風を生み、迫り来る魔物達を弾き飛ばした。

《るぅおおおおおおお!!》

 バハムートが吼える。

 バハムートの口から熱線が放たれて進行方向の魔物を薙ぎ払う。その火力はヴァイ達と

は桁違いだ。

《このまま一気に進むぞ!》

 急激に速度が上がるのをヴァイ達は肌で感じる。何らかの力が働いているのか、体が慣

性によって後ろに押されるのは少しだけですんだ。何の防護もなしに力を受けていたら間

違いなくヴァイ達は宙を舞っていただろう。

(必ず止めるぞ……父さん!)

 自分の父に託された希望――ヴァルレイバーは今、自分の手にある。この剣には確かに

父の意志があるはずだ。ヴァイはその意志に報いる為にも……。

 ヴァイはそう考えて腰に下げている剣を力強く握った。







「来たわよ」

 ルシータが強張った顔で空に視線を向けた。マイスも顔に浮かび上がる恐怖を無理やり

押さえ込むためにか、拳を握り締めた。

『ヴァルキルエル』の周りは完全に冷えた溶岩に囲まれている。死滅した大地に響く死の

足音――空飛ぶ魔物達の羽ばたきが遠くから来ていた。

「ルシータ」

 マイスがルシータに顔を向ける。ルシータはその声に含まれる物に何かを感じたのか、

顔を向けた。

「もしさ、この戦い……最後の戦いがさ、終わったら……」

 ルシータはただマイスを見ている。いつものように口を挟もうとはしない。ルシータに

も分かっているのだ。今回は、今までと違って死ぬ確率が断然高いという事に。

「また、皆で旅しようね。今度は目的なしにさ。ただ、世界を見てまわるんだ。いろいろ

困ったりするだろうけど、また皆で力合わせてさ、世界を見てまわろう!」

 マイスは言葉を言い切った。その表情に、もう恐怖は見えなかった。

 恐怖が消えたわけではないだろう。だが、確固たる意志を持つ人間には迷いは見えない。

「そうね」

 ルシータは微笑んだ。全く同意見だったからだ。

 今、自分達の――おそらくヴァイの考えも同じはずだ。

『また、皆で旅をする』

 別に世界を救うとか、そんな大それた目的などいらない。

 もともと人間個人に世界を変える力などない。

 他の人から見れば大した事のない望みでも、生きる活力になりえるのだ。

 そして一人一人が自分の個人的な望みを積み重ねた結果に、今の世界がある。

 ただ、それが古代幻獣王を呼び覚ましてしまうとしたら、それを乗り越えなければ人間

に未来はないのだろう。何の根拠もなかったがルシータはそう思った。

「負けないわよ」

 ルシータは木刀を抜いた。レーテが腕から地面に降りて額の宝玉から光を放つ。

 光は木刀を取り巻いて輝いた。

「準備オッケイ!」

 勢いよく木刀を振り切る。緑色の光の粒が空気中を舞う。

「『白』光!」

 マイスの咆哮と共に白刃が放たれる。光は空間を引き裂き、魔物達の群に炸裂した。

「キィシャアアアアア!!」

 魔物達が見るからに怒りを露わにして襲い掛かってくる。

「キューイ!!」

 レーテも光を放ち、迫ってきた魔物を消滅させた。

「えい!」

 ルシータもレーテとマイスの魔術攻撃を掻い潜ってきた魔物を一刀の下に斬り裂く。レ

ーテの力で木刀は普通の剣と変わりない切れ味になっている。しかもルシータの動きは前

までとは明らかに違った。幾多の修羅場を経験してきた事により実践剣術の腕も飛躍的に

上がっていたのだ。

「行けるわ! 残り二時間、防ぎきるわよ!」

「了解!」「キューイ!」

 ルシータ、マイス、レーテ。死に支配され始めた世界にささやかだが小さな未来の声が

響き渡った。





「ほほう。幻獣王バハムートがじきじき来たか」

「そのようだ。しかし他の幻獣達が息を潜めているのはどういう事であろう?」

 レディナルドとガルナブルは少しだけ顔を歪めた。何から何まで同じ容姿を持つ二人に

少しだけ個性が見えるのはこの時だと、ミスカルデは観察していた。

 レディナルドとガルナブルが顔を歪めた時、少しだけガルナブルはその度合いが大きい。

 たったそれだけの事だが、それこそ、この男達が人間だと示していると思っていた。

 個性を失った人間は人間ではない。たとえば、自分のように……。

「ミスカルデ」

 レディナルドがかけてきた声にミスカルデは無言で顔を向けた。

「アルスラン様は何処におられる?」

「アルスラン王はヴァルキルエルの所よ」

「貴様……!」

 レディナルドはミスカルデに近寄って掴みかかった。

「ヴァルキルエル様を呼び捨てにするな……!」

 レディナルドから膨大な魔気が膨れ上がる。それは既に人間の物ではない。

(やはり、こいつらは古代幻獣王に支配されているだけか)

 ミスカルデは嘆息しつつ、内心では安心していた。

 これで、誰にも邪魔されずに計画を実行できる。自分の望みを叶える事ができるかもしれない……。

「聞いているのか、きさ……!??」

 その瞬間、何が起こったのかレディナルドには分からなかった。分かった事は一瞬、閃

光が走ったかと思うと、次の瞬間にはレディナルドは床へと崩れ落ちていたのだ。

「き、き……」

「ここで争っても仕方がないだろう」

 ガルナブルがいつのまにか近寄ってきていた。そしてレディナルドを抱える。

「ミスカルデ。お前が何を考えているかは分からないが、ヴァルキルエル様の力は絶対的

だ。誰も逆らう事はできない。それを知ってまで、何かをしようというのか?」

 ミスカルデは答えない。これ以上何を言っても無駄だと思ったのか、ガルナブルは一瞬

にして姿を消した。

「人間は誰も、ヴァルキルエルには逆らえない」

 ミスカルデは呟く。心なしかその声は悲しそうに思えた。

「そのために、我々がいるんだ。なあ、ヴァイス……いや、ヴァイ=ラースティン」





「『灰色』の使者!」

 ヴァイが勢いよく手を振りおろす。指定領域に浮かんでいた魔物達が重力の枷に囚われ

て、大地に落ちていく。

「『緑』の烈陣!」

 ラーレスの手から放たれた真空の刃は一度に数十もの魔物を真っ二つにした。

「き、キリがない……」

 フェナはヴァイとラーレスの間に身を潜めて呟いた。既に飛翔して一時間。当初の予定

なら既に着いていたはずだった。しかし『魔大陸』に近づいてはいたが、激しさを増す魔

物達の攻撃にまだ到着できずにいる。バハムートの圧倒的な火力を持って一気に魔物を蹴

散らしはするが、すぐに前方を更なる魔物達が埋める。ヴァイとラーレスの魔術も魔物を

屠ってはいるが、圧倒的な物量の前には殆ど焼け石に水だった。

「バハムート、一度引き返してくれ」

「! 一体何を……」

 ヴァイが言った事にフェナは思わず言っていた。しかしラーレスは何も言わない。どう

やらヴァイの考えを理解したようだった。それはバハムートも同じだった。

《分かった!》

 言葉と同時にバハムートは急激に上昇を始めた。一気に『魔大陸』から発せられる魔物

達全体が視界に入る。

(今なら、できる!)

 ヴァイは意識を集中した。頭の中に一つの形を描く。全ての魔物を包み込む大きな檻。

「『黄金』領域!!」

 目を見開くと同時にヴァイが咆哮する。

 ヴァイの前方の視界。バハムートやラーレス、フェナが見ていた視界が全て金色に包み

込まれる。魔物達全体を覆う浄化の光。

 ラーレスとフェナは表情に驚愕を貼り付けたまま、硬直していた。

 光が晴れた時にはあれほどいた魔物達が全て消え失せていた。

「……行くぞ」

 流石に息を切らせていたが、それほど疲労した様子がないヴァイにラーレスは戦慄した。

(これが、ヴァイの真の力、か)

 正直、ヴァイの力が前よりも上がっている事には驚いてはいなかった。六年の歳月が《リ

ヴォルケイン》時代よりも力を減退させていたのは分かっていたのだ。だが、真の力がこ

れほどとは思わなかった。

(どういう事だ? 人一人が持つには大きすぎる力だ……)

 ラーレスは心の内に浮かぶ不安を意識せずにはいられなかった。強大な力は強大な敵が

いるからこそ均衡が取れる。この闘いが終わって生きていた時、ヴァイはその過ぎた力を

どうするつもりなのか? この世界はヴァイをどうするのか?

 そんなラーレスの思いをよそに、バハムートは障害がなくなった『魔大陸』に全速力で

向かった。


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