酷い惨状だった。

 つい先日までは人々の笑い声が響き、街は活気に包まれていた。それが今は笑い声の変

わりに悲鳴が空を駆け抜ける。

「ぎゃああ!」

「がふぅっ!?」

 空から飛翔して襲いくる化け物達。漆黒の体に赤い翼、人間の腿ぐらいの太さがある腕

を振り回し、爪によって人々を切り裂いていく。

 そんな化け物が空を覆い尽くさんばかりに飛んでいるのだ。黒き魔物達によって見える

部分が少なくなっていく空が、この世界の末路のように人々は思い始める。街の人々は逃

げまどうが、その先に希望はなかった。次々と殺されていく人々。逃げながら横目でそれ

を見て絶望に心を沈ませる。

「ひ、ひぃ!」

 アレックスは足をよろけさせながらも大通りから横の小さな路地へと逃げ込んだ。溢れ

てくる吐息を必死に抑えてゴミの中に自分の体を隠す。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 しばらくして呼吸が収まると、アレックスはゆっくりと辺りを見回した。

(どうして……)

 油断なく視線を全方向に向けながらアレックスは思った。

(今までは何もなかったじゃないか? 俺はいつも通り店を開けて客の相手をして、アン

ジェには俺が丹精こめて作ったケーキをプレゼントする。それを何となく気恥ずかしく思

っていても結局、彼女は受け取る。それを見て俺は幸せな気分になる。そして店を閉めて

からゆっくりと風呂に入って寝るんだ……)

 つい先日まで変わる事のなかった、細かい違いはあっても、彼にとってはそれが今まで

の生活だった。誰にも犯される事のない不可侵領域。自分だけの生活。

 しかしそれは唐突に、何の予告もなく、理不尽に壊された。

(どうして、どうして……)

 アレックスの思考は混乱していた。昨日までの幸せな記憶がずっと頭を占めている。

 目の前で体を引き裂かれたアンジェを、辛い事実を受け入れたくはなかった。

 バサッ。

 物音がした。

 その音に仮想から現実に連れ戻されて彼は後ろを向いた。

 そこには魔物がいた。

「ひぃ!!」

 振り下ろされる魔物の腕。アレックスにはそれが、コマ送りのようにゆっくりと自分に

迫ってくるように見える。極限までに高められた恐怖が逆に神経を鋭敏にしてそう見せている。

 しかしその腕が彼に届く事はなかった。

「……」

 彼の視界は確かにとらえていた。化け物の腕が自分を飛び越えて後ろに着地するところを。

 次の瞬間には化け物が縦に真っ二つになる。

 その後ろには一人の男が立っていた。

「大丈夫……のようだな」

「あ、あ……あ」

「無理に話さなくてもいい」

 現れた男は胸までを覆うブレストメイルと呼ばれるものを身につけ、腰には一本の剣――

これであの化け物を真っ二つにしたのだろうか?――そして首からは何かの生き物の紋章を下げていた。

「神獣、フィニス……」

 へたり込んでいたアレックスはその名を呟いた。人類の守護神。神の御使いとして遣わ

されたとされる伝説の神獣。それをシンボルとして世界の平和を守る世界最強の部隊。そ

の名が頭に浮かんだ。

「《リヴォルケイン》」

「もう大丈夫だ。向こうに私の部隊がいる。早く避難するがいい」

 そう言って男は大通りへと歩んでいった。

 その通りにはまだまだたくさんの化け物がいるはずだ。

「あ、あんた! そっちには化け物どもが!」

 アレックスの悲鳴に男が振り向く。その顔に浮かんでいたのは笑顔だった。

「心配するな。私はそいつらを駆逐するためにきたのだ」

 大通りに出ようとする男に気付いた化け物が急加速して向かってきた。しかしアレック

スが悲鳴をあげる前に化け物は真っ二つになった。

「《リヴォルケイン》六団長、ゼクス=フォルクレフト。我が剣に斬れぬものは皆無」

 いつのまにか抜かれていた剣は少しの血の曇りもなかった。ついさっき化け物を両断し

たばかりなのに。

「我々の部隊の真価を発揮する時が来た! 行くぞ!!」

『おお!!』

 時の声が聞こえた。

 それと同時にアレックスの眼には一気に何十人、何百人もの人間が入ってきた。全て《リ

ヴォルケイン》の兵士達だった。何故かアレックスには彼等が光り輝いているように見え

た。希望の光をまとった戦士達、《リヴォルケイン》

 生きた伝説をアレックスは確かに目撃した。





「どこも同じような状態みたいだね」

 一見子供にしか見えない、少年としかいえない人間がいた。しかしいるところは人々が

恐慌に陥って逃げてくる通りの真中に立っているのだ。その視線の先には化け物の群。

「僕達は僕達の役割を果たすだけだ」

 少年は『浮かんだ』

 少年の姿は一気に空に舞い上がり、化け物達の注意が少年へと向く。

「さあ始めようか! 僕達の戦いを!!」

 少年の手の中に光が出現する。それは長い棒のような形に変わっていき、具現化した。

 出てきたのは杖で、口笛を鳴らしながら回転させて手に収める。

「『白』い輝石」

 静かに言葉を発する。すると空が白い閃光に包まれた。逃げ惑う人々はその現象に驚き、

足を止めて空を見上げる。そして驚愕した。

 空を覆い尽くしていた化け物の群が消えていた。あの白い閃光によって一瞬の内に消え

去ってしまったのだ。

「《リヴォルケイン》六団長、『大魔術師』フィアル=ノイエン。行くよ……」

 フィアル=ノイエンは凄絶な笑みを浮かべて戦闘を開始した。





 そして体が光に包まれる――

「みんな! 早く逃げ込んで!!」

 エリッサは逃げ惑う人々を《クラリス》本部へと誘導していた。ゴートウェルは完全防

衛体制で、迫り来る化け物達を迎えようとしていた。

 街に住む人々を最も安全な本部に移してしまえば、思う存分やれる、と考えたのだ。

「エリッサ! こちらの地区は全員避難させました」

「クーデリア副隊長、こちらももうすぐ終わります」

 駆けて来たクーデリアはエリッサと一緒になって人々を誘導する。そして数分後、全て

の人々が《クラリス》本部へと避難した。街は死んだように静まりかえった。

「……エリッサ、覚悟はいい?」

「……どのような覚悟ですか?」

 自分の命をかける覚悟ですか、そう問いかけようとしたエリッサよりも先にクーデリア

は言葉を発していた。それは口調こそ静かだったがはっきりとした意志を表していた。

「どんな事をしてでも生き延びる覚悟、よ」

「……」

 エリッサが何も言えない内にクーデリアは続ける。

「もう一度、ラーレスやレインに会うまでは絶対に死ねない。わたしは、必ず生き残る。

この街を焦土としても」

 急に空が暗くなっていく。それはけして雲が空を覆ったからではなかった。黒い雲に見

えるものは全て化け物達だった。

 警報が辺りに響き渡る。死んでいた街に鬨の声が上がる。住人の換わりに現れたのは重

武装した兵隊達。

「《リムルド・ヴィーズ》全員に告ぐ。なんとしてでも本部を、住人を守りきれ。街は幾

らでも再生できる。この街を廃墟と化してもかまわない。全力で魔物達を殲滅せよ!!」

『おおおお!!!』

《リムルド・ヴィーズ》が吼えた。同時に空へと注がれる閃光。巻き起こる爆発の中から

現れてくる黒き魔物達。

「『白』光!」

 エリッサは自分の心の内にわだかまる不安に気付いていた。その不安を払拭するために

精一杯の声で叫ぶ。

(もう駄目なのではないか? もう全てが手遅れなのではないか?)

 自分達のしている事は単なる悪あがきで、この世界はあのフェナと言う少女が言ったよ

うに古代幻獣王によって滅ぼされてしまうのではないか。今、頑張っても何も変わらない

のではないか……。

「エリッサ!」

「!!?」

 クーデリアの声に反応してエリッサは視線を上げた。

 そこには自分のすぐ傍に迫る魔物の姿。

(魔術は、間に合わない!!)

 脳裏に描かれる、自分の体が引き裂かれるビジョン。

 しかし次の瞬間には白光によって魔物は消し炭になっていた。

 唖然となって消し飛んだ魔物がいた中空を見つめるエリッサ。その頬にクーデリアの平

手が吸い込まれる。

「何呆然としているの! どうせもう駄目なんじゃないかって考えていたんでしょう!」

 エリッサが何も言えないでいるとクーデリアはエリッサの襟元を掴んで自分に引き寄せた。

「なんとしても生きるのよ! 最後の最後まで。格好悪くたっていい! ボロボロになっ

ても生きる事を放棄しちゃ駄目なの! 無駄な努力だったって言うのはね、全てが終わっ

た後に言う事で、最初から無駄だと決まっている物はないの!」

 クーデリアはエリッサを突き飛ばすと背後を振り返って手を掲げた。

「『白』き咆哮!」

 光熱波が空気を切り裂き、魔物を斬り裂く。凄絶な表情でクーデリアはエリッサを振り

返った。その瞳は生きる意志で満ちていた。

「いい!? 生きて、会いましょう!」

 クーデリアはその場を走り去っていった。更に魔物に向けて光線を放っていく。エリッ

サはしばらくその場に立ちすくんでいた。そこに魔物が迫る。

「……『白』光!」

 一条の光が魔物を引き裂く。発射点は、エリッサだった。

「わたしは、生きる!」

 エリッサの瞳にも意志の光が宿った。





 世界各地で化け物達が乱舞していた。

 漆黒の、空に浮かぶ大陸から飛来するその化け物達は次々と街を蹂躙していく。この世

界に存在する戦闘部隊、《リヴォルケイン》《リムルド・ヴィーズ》の力を持ってしても

世界全てをフォローするのは不可能な事だった。

 圧倒的に駒が足りない。

 各部隊の指揮官達、兵士達は一様にそんな思いに囚われていた。この広大な世界全部を

守りきるなどは到底不可能な事だ。しかもいつ敵の戦力が果てるとも分からない状況。

 苛立ちが募る。

 この状況を打破するとしたら一つしか方法はなかった。

 すなわち、あの浮遊大陸を破壊する事。

 最も難しいとされる方法しかなかったのだ。





 雪は既に止んでいた。

 この地に存在していた雪は全て溶岩によって溶け、あるいは押し流された。

 ただでさえ人々を遠ざけてきた死の土地、オレディユ山は崩壊した。

 残るは熱の冷めた溶岩で覆われた完全なる『死の土地』

「酷い有様だな」

 ラーレスはオレディユ山噴火の痕が収まった所までヴァイ達を誘導してから呟いた。

「全くだ。結局は、『最終章』を防げてはいないしな」

 ヴァイは疲れた顔でラーレスに応じる。精神的にも肉体的にもかなり消耗しているのは

明らかだった。座り込んだまま動こうとはしない。

「でも、まだ何とかなるんでしょ! だからあなたがいるんでしょ、フェナ!!」

 ルシータはラーレスの隣にいるフェナへと叫んだ。フェナは何かに耐えるように目をつ

ぶり、必死に歯を食いしばっている。

 やがて目を開けるとヴァイへと近づいて手を肩に当てた。

「何を……!?」

 ヴァイの顔が驚愕に変わる。

「力が……」

 フェナの掌からヴァイの体全体に金色の光が広がっていく。その光は暖かく、全てをや

わらげてくれるようであった。そしてヴァイの体を包みきると光は消滅した。

「体力が戻っている」

 ヴァイは立ち上がり体を動かした。今までのだるさが嘘のように消えている。

「ヴァイさん。わたしは『最終章』を終わらせるためにここにきました。何とかできる『鍵』

であるヴァルレイバーを手にするために」

「ヴァルレイバーが、『鍵』……」

 ヴァイは腰のヴァルレイバーに手を当てる。

「ヴァルレイバーが、『最終章』を止める『鍵』ってどういうことかしら?」

 レインがヴァイとフェナの間に入って訪ねる。フェナは一瞬躊躇したが、話し出した。

「ヴァルレイバーは『古代幻獣の遺産』ではありません」

「何だって?」

「何ですって?」

 ヴァイとレインが同時に声を上げる。すぐにヴァイは反論した。

「これはのわたしの父が持ってきたのよ。『古代幻獣の遺産』だと言って」

「ヴァイさん達のお父様はこれを『古代幻獣の遺産』だと勘違いしただけです。これは今

の幻獣達が造った『最終章』を終わらせるために必要な武器。最終兵器。それを我々幻獣

の長、ラムウはあなた達のお父様に託したのです。それを『古代幻獣の遺産』と勘違いさ

れたのでしょう」

「俺達の父さんが、幻獣と関わりあってた……?」

 ヴァイは心底驚いていた。自分達の父がまさか幻獣の長と呼ばれるような幻獣と関わっ

ていたなんて。だが続くフェナの告白は更にヴァイに追い討ちをかけた。

「そしてそれを知った……あなた達が『枢密院』と呼んでいる彼等が、ヴァルレイバー

を奪おうとして、あなた達親子を襲ったんです」

「『枢密院』が……アルスラン王が……」

 掌が痛む。

 いつのまにかヴァイは力いっぱい拳を握り締めていた。怒りで頭が沸騰する。

「つまり、俺の父さんはこの世界を救おうとしたから、『枢密院』に……<クレスタ>に殺

されたってわけかよ」

「……そういう事になります」

「――くっ、そ!」

 感情を制御できなかった。

 ヴァイは拳を地面へと叩きつける。血が拳から流れ出でた。だがヴァイは更に拳を地面

へと叩きつけつづけた。

「クソッ! くそ! くっそぉ!!」

「ヴァイ……」

 ルシータは泣きそうな顔で、レインは唇を噛んで震えながらヴァイを見ている。やがて

拳を打ち付けるのを止めたヴァイはフェナに向き直った。その瞳には一つの光が宿ってい

る。最後まで諦めない、という強い光が。

「ヴァルレイバーがあれば、『最終章』を止められるんだな」

「ええ。必ず」

「なら、行くしかないな」

 ラーレスがヴァイの横にまわって肩に手を乗せる。

「やるしかないわね」

 レインがもう一方の肩に手を乗せた。

「最後までつき合わせて」

 ルシータが一方の手を。

「必ず止めます」

 フェナがもう一方の手を握った。

「……マイス?」

 ルシータがそこでマイスが一言も言葉を発していない事に気付いた。ルシータが後ろを

振り返ると同時にヴァイ達も向く。

「……」

 マイスは俯いていた。体を震わせて。涙を流しながら。

「マイス……」

 ヴァイが一人、マイスのもとに歩み寄る。マイスはぽつりと言葉を呟いた。


BACK/HOME/NEXT