ラーグランの城を巨大な地震が襲う少し前。

「ここ、か……」

 ヴァイは軽く上を見上げて呟いた。

 視線の先には巨大な水晶の塊。そしてその中には巨大な獣が眠っていた。

「幻獣王、バハムート。この世界が『創られた時』、つまり古代幻獣王が眠りについた時

に『古代幻魔獣・ヴェリアリス』を自分の内に封印して眠りについた幻獣達の王」

 ミスカルデが感慨深げに水晶を見上げながら言う。その表情には何も浮かんではいなか

ったが言葉尻は隠せてはいなかった。特に隠す気もなかったのだろうが。

「それで、ここまで来てどうするつもりだ?」

 レイがミスカルデに言った。その口調は刺々しく、明らかに苛立っている。

「まだゴーダの事を気にしているのか? あの場に置いていった事を」

 ミスカルデの言葉にレイはあからさまに怒りを露わにして地面を蹴った。

「死んだ人間はもう人間じゃない。人の形をした肉だ」

 その言葉がとどめだった。レイが剣を引き抜きミスカルデへと突きつける。

「俺らを先に進めるために死んだ奴に向かって言う言葉じゃないな」

「お前はもう理解したかと思ったがな。自分達がどうしてここにいるかを」

 レイの怒気には反応せずにミスカルデはヴァイやマイスには分からない事を口にした。

 見る見る内にレイの怒りが冷めていく。行き場のない悔しさに変わって。

「ちっ……」

 レイは剣を戻して視線をバハムートに向けた。ヴァイは会話の内容が気になったがミス

カルデが言葉を発してきたので黙った。

「これからバハムートの封印を解く」

 ミスカルデは自分のスーツの胸ポケットからペンダントを取り出した。

「キスル……バーハ……ネルデスク……パール……フェルデシュク……」

 ミスカルデとスフィーダが意味の分からない呪文を詠唱していく。ヴァイとマイスとレイ

はそれを少し離れた所からただ眺めている。

「レイ」

 小声でヴァイがレイへ言った。レイの首が少し傾くのを確認してヴァイは殆ど独り言

のように呟いた。

「どうして、お前はここにいる?」

 その言葉は的確にレイの心に届いたはずだ。先ほどのミスカルデの言葉をそのまま用い

たのだから。

 どうして、ここにいるのか?

『ゲイアス・グリード』と『ハイスレイヤー』。

 二つの特殊な種族に混ざってレイがいる理由。そう、ゴーダも『ハイスレイヤー』だっ

たのだ。レイは普通の人間だった。

「……別に。ただ、自分の眼で真実を確かめたかっただけさ」

 レイの瞳はただ一点、クリスタルの中のバハムートを見ていた。他には何も映らない。

「レイ……」

 マイスも心配そうな視線を向けていた。感じる気配がこれまでと全く違うのだ。

 まるでこの場にいないかのような希薄な気配。その事にマイスは得体の知れない肌寒さ

を感じている。

「グレバー……ヴァルカス……ディスピニ!」

 二人の呪文の詠唱が一際大きくなったところで止まった。ミスカルデが持っていたペン

ダントからおびただしい量の光が溢れ出し、やがて一つに集束するとバハムートが入って

いるクリスタルへと一直線に伸びていった。そしてぶつかる。

 ピシッ、という渇いた音と共にバハムートを覆っていた水晶が割れていき、徐々に崩れていく。

「あのバハムートが本物なら俺達が今、中にいるこれは何だ? この山自体がバハムート

じゃなかったのか?」

 ヴァイの問に近づいてきたミスカルデが答える。

「古い皮は脱ぎ捨てる。それだけだろう」

 その一言を言ってミスカルデは崩れゆく水晶を見ていた。徐々に大きくなっていく地震。

 ヴァイは背中に悪寒が走るのを感じた。こういう予感の時はよくない事が起こる。

<クレスタ>にルシータがさらわれた時。

『魔鏡』の魔力が暴走して、目の前でそれを阻止しようとしていた時。

 強大な力を秘めた人型の人形と戦おうとした時。

『古代幻魔獣』を前にした時。

 いずれにしてもかなり危機の時だった。

「やばい!」

 ヴァイが言った瞬間に頭上からヴァイ達に崩れてきた岩が降ってきた。





 今までで最大の揺れがルシータ達を襲った。

「きゃあ!」

「キュー!!?」

 頭上から降ってくる岩をレーテが防御結界を張って防ぐ。レインは結界の外でアルスラ

ンを睨みつけていた。

「あなたはやはりヴァイス達を……!」

 レインの手に剣が現れた。アルスランはゆっくりと身を起こす。アルスランとレインの

間にレディナルドとガルナブルが立ち塞がった。

「いよいよ始まる、な。『最終章』が」

「ようやくだ。本当に……」

「何が目的なの!」

 レインは切っ先を三人へと向けた。アルスランは一度視線を落とした後にレインに向けて言った。

「『最終章』の幕開けだ。バハムートの復活がその起動キーだったのだ」

「なんですって!? ってきゃ!」

 ルシータが戸惑いをアルスランへとぶつけようとして上から落ちてきた岩に驚く。

「『古代幻獣王』と幻獣王バハムートは彼等の奥底で通じているのさ。いわば半身という

ところだろう。どちらかが眼を覚ませば、もう片方も目を覚ますのだよ」

 レディナルドが声を張り上げた。その声は歓喜に満ちていてこれから始まる殺戮の予感

を感じさせた。

「それを分かっていてどうしてバハムートを復活させようとしたのよ!?」

「世界を滅ぼすためだ」

 レディナルドが――何故かレインには分かった――が。ルシータの言葉に何の反応もせ

ずに言い放った。続いてレディナルドが答える。

「《蒼き狼》は『古代幻獣王』の命によりあの方を復活させるために創られたのだよ」

「……そんな!」

 突如レディナルド達の後ろから声が響いた。驚いた様子もなく王と側近は振り向く。

 立っていたのは深奥へと入っていった――五人?

 レインは現れた人数を見てすぐにゴーダと呼ばれた男がいなくなっている事に気付いた。

「どういう事ですか、アルスラン様!? 今、言った事は本当なのですか!!?」

 先ほども絶望的な声音を吐いた女――スフィーダは更にアルスランへと詰め寄った。

「あなたがわたし達『ゲイアス・グリード』を創りだしたのは、この世界を救うためでは

なかったのですか? なんとしてでもこの世界を救うために、どんな手段を用いても、ど

んな犠牲を払おうとも世界を救うために!!」

 スフィーダが表す激情を、ヴァイはいたたまれない気持ちで見ていた。

 何か、決定的な物を失ってしまった痛み。

 自分もかつて経験した事のある痛みがスフィーダの中に育っていくのがよく分かった。

「あなたはわたし達を騙していたのですか!?」

「……そうだ」

 声は後ろから聞こえた。

 抵抗する間もなくスフィーダは胸を貫かれていた。後ろから来た――ミスカルデの手刀で。

「あなたは捨て駒だった。まあ大して役立ちはしなかったけど、ね」

「ミ、ミスカ……」

 スフィーダの体が地面へと崩れていった。それをヴァイは唖然とした顔で見ている。

 ミスカルデがそんな様子のヴァイを一瞥して笑みを浮かべた。醜悪な笑み。その笑みを

見てヴァイはようやく我に返った。

「……俺達はお前等に利用されただけって事か」

「そうだ。これで私の目的も大づめへと入る事ができる」

 アルスランは特に感情のこもった話し方をせずに言葉を吐いた。そして一言。

「さらばだ」

 そう言って懐から何かを取り出す。

『何か』は一瞬光ったかと思うと、次の瞬間には二人の側近と自分自身。そしてミスカル

デの姿をその場から消していた。

「くっ……空間転移か!」

 ヴァイとマイス、レイはアルスランがいた場所へと駆け寄ったが何の痕跡も残ってはいない。

「ヴァイ!」

「ヴァイス……!」

 ルシータとレインがヴァイ達の傍につく。揺れは更に激しくなり、とうとう立ってはい

られない程の大きさになった。

「とりあえずここから脱出しないと」

「分かった……?」

 ヴァイの視界に何かが見えた。激しい揺れに苦労しながらもその正体にヴァイは唖然となった。

「ガード、だ……」

 先ほどヴァイ達の進路を妨害してきたガード達がその姿を表した。しかも激しい揺れの

中で特に影響される事なく移動してくる。

 追いつかれるのは時間の問題だった。

「なんとか逃げるぞ!」

 ヴァイはそう言ってルシータの手を取って何とか走り出す。それにマイスとレインが続

く。最後に続こうとしたレイといった隊列だ。しかしヴァイはふと視線を巡らせて、スフ

ィーダの体が微かに動くのを見た。

(生きている!? 揺れで動いたんじゃない……確かに動いた!)

 そう思うなりヴァイはスフィーダの元へ向かおうとした。しかしそれを遮るように飛び

出していく一つの影。

「レイ!」

 ルシータの悲鳴に近い声が地鳴りの中に響いた。レイはスフィーダの体を抱き起こして叫ぶ。

「まだ生きている! こいつを連れてくから先に……」

 その時だった。

 突如地面が割れたと思うと、そこから火の柱が立ち上ったのだ。この山はどうやら火山

だったらしい、とヴァイはどこか冷静に分析する。

 火柱が噴出したのはちょうどヴァイ達とレイの間だった。あまりの熱量にヴァイ達は近

くに近寄る事ができない。

「レイ! レイ!!」

 ルシータが叫ぶ。辛うじて向こう側には通じたようで声が返ってきた。何故か、その声

ははっきりとルシータの耳に入った。

「先に行け!」

 その言葉に真っ先に動いたのはレインだった。一瞬、揺れが収まったところを見計らっ

て出口へとダッシュする。マイスも同様にレインの後に続いた。

「ルシータ行くぞ!」

「でも、レイが……」

「行くぞ!」

 ヴァイが強引にルシータの手を引いて出口へと引っ張っていく。

「レイー!!」





 ルシータの絶叫は、レイの耳に届いた。

「嫌な叫び声だ」

 レイは自分を取り囲む溶岩を見ながら、聞こえてきたルシータの声に顔を歪めた。

「な、ぜ……放っておかなかった」

 スフィーダはまるで理解できないという顔でレイを見る。その顔にはすでに死相が出ていた。

「同じだったからだよ」

「同じ……?」

「大事な物。自分にとってもっとも大切な『何か』。それをなくしてしまったんだよな、

あんたは。ヴァイや……俺みたいにな」

 レイの言葉にスフィーダはそっぽを向いた。精一杯体で否定しようと。

「違う……」

「なら、どうして泣いている?」

 スフィーダの目から涙が零れ落ちていた。スイッチが入ったようにスフィーダの嗚咽が始まる。

「……俺は、こうなるだろう事を知っていた」

「……?」

 スフィーダはわけが分からないといった顔でレイを見る。

「ミスカルデに話を聞いたのさ。俺はヴァイのために犠牲になるべきだってな。お前が生

きているのを知ったら、あいつは絶対に助けに来た。だから俺が先に助けに来たんだよ。

あいつは……『最終章』を何とかする事に意識を向けていればいい。」

 レイは一度言葉を切り、スフィーダの眼を見つめた。その瞳は虚ろだった。

「ミスカルデは俺に真実を話した」

「しん、じつ……」

「そう、真実だ。今までの事が全て説明できる真実。それは……」

 レイはスフィーダの顔を引き寄せた。すでにスフィーダは息をしていない。レイはふう、

と嘆息した。

「伝えてやればよかったな。そうすれば、この女も……」

 ガード達を飲み込んだ溶岩がすぐ傍まで迫る。レイは不思議と穏やかな気分で呟いた。

「ヴァイ=ラースティン。いや、ヴァイス=レイスター。お前次第だぞ。『最終章』が止

まるか、完成するかは」

 自分のいる位置の地面が熱くなっていく。この一帯はもう完全に溶岩が噴き出る事だろ

う。スフィーダの体をしっかりと抱き、レイは上を見上げた。揺れによって上の岩盤が崩

れてきたために空が少しだけ見えた。

「お前達に会えて、よかったよ」

 今までの記憶が甦る。これが走馬灯というやつか、と思いながらレイは呟いた。

「あばよ。みんな」

 次の瞬間、溶岩が二人を飲み込んだ。





「……あ」

 ヴァイはレイの言葉が聞こえたような気がして振り返った。

 次の瞬間、オレディユ山の頂から火柱が天を貫く。

 その場にいる誰もが何も言えなかった。

 それは破滅への号砲の如く、しばらくの間耳障りな轟音を立てていた。



 今、『最終章』が始まる。


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