疾走する馬車。吹きすさぶ雪の中を特別仕様の馬車が走り抜けていた。御者台に乗って

いるのはラーレスとフェナである。

「あっ……」

 突然身を縮こまらせたフェナにラーレスは動揺した。異常なまでに体を震わせている。

「どうした!? 寒いのか?」

 ラーレスは馬車を止めて、問い掛ける。

 自分でも馬鹿な質問だと思う。見た目にも明白だった。フェナが何かに怯えているという事は。

「……近い」

 フェナは何とか単語を口に出した。顔は青ざめ、体は震え、今にも死んでしまうかのよ

うな、そんな状態。

 今、フェナの中にはヴェリアリスの意識が流れ込んできていた。フェナは人、物を問わ

ず『想い』を知覚する事ができる。そして今、『想い』が流れてきているのは目指してい

る先、オレディユ山からだった。

「果てしない闇……。どこまで行っても闇しかない。他に何も……ない!」

 無論、ラーレスには今、フェナに何が起こっているかは分からない。たとえフェナの能

力を理解していたとしてもそれがもたらす恐怖を理解できるわけではなかった。

 だから、ラーレスはフェナの体を抱きしめた。

「君は……『運命』を変えに来たんだろう? ならば、ここで挫けているわけにはいかな

いだろう! 最後まで、諦めるな!!」

 深い闇に囚われているフェナの心に一筋の光が走った。そして自分がラーレスの腕の中

にいるという事に気付く。顔を赤らめてフェナは体を離した。

「……ありがとうございます。なんとか制御できました」

 ラーレスもきまりが悪そうに離れてから再び馬車を進め始める。

「一体何があった?」

 フェナは一度言葉を詰まらせながらも話す。

「『古代幻魔獣』の一体が復活したようです」

「なん、だと……」

 ラーレスは即座にカスケイドの事を思い出していた。あんな化け物がまた復活した?

 あの時も何とか残っていた封印装置のおかげで封印できたというのに?

「それが、オレディユ山にいるってわけか」

「はい……。しかも、そうならば、進入した誰かは『深奥』に最も近いという事です」

「『深奥』?」

 初めての単語にラーレスは首をかしげる。フェナは完全に落ち着きを取り戻し、ラーレ

スの瞳を覗き込んだ。

「はい。幻獣王バハムートの意識が眠る場所。バハムートは自分の命と引き換えに一体の

古代幻魔獣を封印したんです」

「……ヴァイ、達か……」

「……」

 フェナは黙り込んだ。その静寂はけして驚きのためのものではなかった。

「知っているのか? ヴァイ達の事を」

「……はい。おそらく、この事態を何とかできるのはヴァイさんだけです」

 ラーレスはフェナの顔を横目で見る。それはけして軽はずみな発言ではなかった。

 瞳の色が真実を伝えている。

「……幻獣じゃなく、『ハイスレイヤー』が世界を救えるっていうのか?」

「『ハイスレイヤー』が救うのではありません。ヴァイさんが、世界を救えるんです。私

は……それを手伝うために向かうんです」

 そこからの会話はなかった。どんな話を聞いてもラーレスがするべきことは一つしかな

かったからだ。

「もう少しだ」

 吹雪で覆われた視界の中、遠くにうっすらと高い頂が見えた。





 放たれた光線をヴァイ達は別方向に散って躱した。広い空間を利用してヴェリアリスを

取り囲む体勢になる。

「おい! あの野郎はどうした!?」

 レイが剣を構えながら声を荒げる。ヴァイが気付いて見回すとゴーダの姿がない。

「さっきの爆風で意識を失っているんじゃ……」

 比較的レイの位置に近いマイスが答えてくる。レイは舌打ちしてからヴェリアリスに意

識を戻した。

『哀れな虫ども。幻魔獣の俺様に勝てると思っているのか?』

「「そんな事は勝ってから言え」」

 スフィーダとミスカルデの声がハモる。同時に雷撃と風の刃がヴェリアリスの肉体を蹂

躙した。

「『黒』き破壊!」

「『黒』破ぁ!!」

 続いてヴァイとマイスの空間爆砕が放たれる。寸分違わず同じ場所に爆発が起こった。

「お……らぁ!!」

 レイが剣を分離させて飛ばす。幾本かの触手を一気に斬り裂いた。

「隙は与えない!」

 ミスカルデは更に電撃を強める。体の周りに幾つもの――何百もの電磁球を発生させて

ヴェリアリスへと放つ。

「はぁあああ……はぁ!」

 スフィーダが意識を集中して一気に解放する。するとヴェリアリスの周りに風が巻かれ、

それが巨大な竜巻へと変化する。

 風によって斬り裂かれた肉片が竜巻の合間から飛び出す。

「『黒』き……破壊ぃ!」

「『白』光!」

 再びヴァイの空間爆砕。それも今度は最大威力で放たれる。文字通り、空間が震えた。

その尋常じゃない威力は以前とはまるで違った。

 そして空間爆砕で抉られた個所にマイスの光熱波が炸裂する。いつのまにかいいコンビ

ネーションが二人の間に出来上がっていた。

「ここまでやりゃあ……!?」

 レイが安堵の息を吐こうとしたその時、背筋を悪寒が駆け上がった。

「逃げ……ろぉ!!」

 レイが叫んだと同時に最初よりも更に凄まじい光熱波が降り注いだ。それも全方位に。

「うわああああ」

 上がる悲鳴。次々と爆発していく床。逃げ場を見失うほど降り注ぐ光熱波の嵐。

(やばい……! こんな奴に勝てる気がしない!!)

 レイは心が絶望に侵食していく気がした。実際、自分達は追い詰められている。自分達

の全力攻撃に耐え、更にそれ以上の攻撃を放ってくる相手にどうやって勝てるというのか?

 何とか躱しながらヴェリアリスのほうを見る。すると噴煙の中にうっすらと輝くものが見えた。

(あれは!)

 レイは周りを逃げるのを止めてヴェリアリスに接近した。その間も光線は避けている。

 そして『それ』を確認すると剣を分離させて光目掛けて放った。

 キンッ

 微かな手応え。そして、絶叫。

『ギャアアアアアアアアア』

 あの凄まじい攻撃にも何も堪えていなかったヴェリアリスが叫び声をあげている。一瞬

の後、光は消えて光熱波の攻撃がなくなった。レイはすぐさまその場を離れて空間の端に寄る。

「大丈夫かよ?」

 レイは足元にうずくまっているマイスに尋ねた。

「かなりきつい……ですよ」

 血塗れになった右腕を魔術で治療しながらマイスは答えた。脂汗を拭いてやりながらレイは話す。

「弱点を見つけた。もう一回、今の攻撃を出させれば勝てる」

「そいつは本当か?」

 声は別のところから聞こえてきた。いつのまにかマイスの横にゴーダが立っている。

「今まで何処で寝てやがったんだ?」

「悪い、あまりに爆風が心地よくてなァ」

 ゴーダはあくまで悪びれずにレイに話す。レイも一瞬嘆息した後に話を続けた。

「今の激しい攻撃の時、奴の『核』が顔を出す。そこに全力攻撃を仕掛ける。奴も簡単に

は出さないだろうし、すぐに見せなくするかもしれない」

 そこまで言って、レイはゴーダを見た。ゴーダはその視線の意味をすぐに理解する。

「……俺のスピードが必要って事だな。他の奴等は分散しちまっていて、奴に気付かれな

いように今のを伝えれたのは俺だけだしな」

 ゴーダは拳を打ちつけた。

「いいだろう。俺は全力で『核』を破壊する。お前等は全力で奴の攻撃を誘え」

「了解」

「分かりました」

 レイとマイスは再びヴェリアリスへと向かっていく。ゴーダはその場で構えを取り、い

つでも全速力を出せる状態を作った。

(まずは……俺からか)

 内心そう思う。何が自分からなのか? それはこの場にいる人間ではゴーダとその他数

名しか知らない事だった。





 ゆっくりと目を開けると天井が見えた。その瞬間に彼女は素早く立ち上がり、周りを見

回す。そして視界に入った人影に向かって跳躍する。

「はああああ!!」

 瞬時に右手に氷の刃が形成されてそれをそのまま人影に切りつける。しかし氷の刃は粉

々に砕け散った。そして彼女は床に叩きつけられていた。

「――驚かすなよ」

「アイン……」

 彼女――シールは自分を押さえつけている手を一瞥して呟いた。

「どこを触っている?」

「あ……、す、すまん」

 アインは顔を赤らめて抑えた手を離した。それでも全く隙を見せない。シールは無駄な

抵抗は止めてゆっくりと立ち上がるとベッドに座った。外を見るとまだ雨が降り続いてい

る。一瞬の雷。その光に照らされて、シールの銀髪が光を帯びた。

「アイン……っと、目がさめたか」

 ノック無しでドアを開けて入ってきたのはライだった。上半身はシャツ一枚で、包帯が

胸に巻かれているのが分かる。

「さて、シール……。話してくれないか?」

 アインはライが椅子に腰掛けるのを見てから話を切り出した。

「何が、お前を泣かせる?」

 戦いの時にも尋ねた質問。今度は、シールは拒まなかった。

「『ゲイアス・グリード』とは何か、知っているか?」

 シールは俯いたまま話し出した。その表情は伺えないが、声の調子から言ってけしてい

い話ではない。

「《蒼き狼》の中でも特別な戦闘能力を持つ者達の総称」

 ライがよどみなく答える。それを聞いてシールは失笑したようだった。

「何も……分かるはずがないな、お前達には」

 シールは顔を上げた。その瞳からは涙が溢れ出していた。そのあまりの美しさにアイン

とライは一瞬心を奪われる。

「『ゲイアス・グリード』とは古代幻獣の言葉で『皇帝の十字架』。その名の通り、十字

架を背負わされて生まれてきているのさ。我々は……」

 シールは言葉を切った。というか涙の量が増してきて言葉が詰まってしまったのだ。

 抑えることのできない嗚咽を二人は静かに見つめていた。そして理解する。

(シールは……『ゲイアス・グリード』という奴等は、深い悲しみを持っているんだな)

 やがて嗚咽を何とか抑えるとシールは先を続けた。

「我々は『最終章』のために『創られた』存在。古代幻獣の遺産によって、この危機を終

わらせるためだけに創られた者達なんだ」

 その言葉の重さに、アインとライは何も言えなかった。





「そろそろか」

 アルスラン=ラートは静かに眼を開けた。その呟きは誰にも聞かれる事なく口から流れ出る。

「いよいよ、私の望みがかなう時が来た」

 開けられた目蓋の下には強い意志の光。誰をも寄せ付ける事のない、どんな事をしてで

も目的を達しようとする、強い意志の光。

「『最終章』までもうすぐだ」

 目の前には背を見せたレディナルドとガルナブル。その二人の間に見えるのはレインと

ルシータだった。そちらを見た時、ルシータの胸に抱かれていたカーバンクルの幼生と目

があった。その瞬間に流れてくる意識。

(大丈夫だ)

 アルスランはカーバンクルの幼生に心で頷いた。幼生はアルスランから眼を離し、眼を閉じた。

(必ず私の望みを叶えてみせる。だから……)

 思考の途中に起こる地響き。これまでのものとはまた違った大きさの地鳴り。『下』で

繰り広げられている戦いの激しさが増しているのだろう。

(無事でいろ、ヴァイス)

 それはヴァイの事を心から心配しているように見えた。


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