「が……は……」

 ヴァイは体中を焦がしながらも何とか立ち上がった。焼け付く肌の匂いに吐き気を覚え

る。しかし、どうやら動けないほどのダメージではなさそうだ。

「『紫』の十字架」

 自分の体に魔術をかけて傷を癒す。その間、油断無く目の前の『シュバルツ』に視線を

向けていたが、攻撃してはこなかった。

「どういうつもりだ?」

 ヴァイは再び戦闘態勢を取る。『シュバルツ』も同じように体勢を作ると、瞬時に間合

いを詰めてきた。

「『紫』の波紋!」

 繰り出した拳は片腕で受け止められていた。しかしヴァイは動揺せずに密着状態で魔術を放つ。

「『赤』い稲妻!」

 右掌から放った火球は掴んでいる『シュバルツ』の手を焼いた。手を持って身を仰け反

らせた『シュバルツ』へとヴァイは追撃をかける。

「『灰色』の使者!」

 いつもよりも激しい重力が『シュバルツ』へとのしかかる。『シュバルツ』は雄叫びを

あげて重力を弾き返してヴァイへと突進してきた。凄まじいスピードで手にした剣が振り

下ろされる。しかしヴァイには何故か、その軌跡がスローモーションで見えた。

 難なく躱して懐に潜り込む。そのまま拳を鳩尾に当て、右足を渾身の力で踏み出した。

 爆発音に似た大きな音と共に、『シュバルツ』は吹き飛ぶ。更にヴァイは魔術を放った。

「『黄』の裁き!」

 幾つもの電磁球が『シュバルツ』の体を貫く。

『シュバルツ』は倒れこんだ。ヴァイはその光景を見て、自分が先ほどまであった焦燥感

が無い事に気付く。

「力が……上がっている?」

 自分の中の眠っている部分が急激に目覚める感覚。

 体の内から力が溢れてくるようだ。

「昔の力が……戻ってきている、のか……」

 かつて人類最強と呼ばれた力。

 長い年月で錆び付いていた感覚、能力が『シュバルツ』と闘った事で一気に覚醒してき

ているのだ。

「この力なら……負ける気はしないよ……父さん」

 ヴァイは立ち上がってくる『シュバルツ』を見た。自分に向けて憎しみのこもった視線

を向けてくる『シュバルツ』。ヴァイは幻影を振り払うかのようにヴァルレイバーを一振りした。

「お前が誰だか分からないが……、あの頃の父さんに会えて嬉しかった」

『シュバルツ』が叫び、突進してくる。そのスピードは今までの比じゃなく、一瞬の後に

ヴァイの背後にまわっていた。

「さよなら」

 その言葉は、『シュバルツ』の背後から聞こえた。次の瞬間には『シュバルツ』の首が

宙を舞っている。『シュバルツ』を超えるスピードでヴァイは背後にまわっていたのだ。

 ヴァイが、父を完全に超えた瞬間だった。

 たとえ仮初めの存在としても、『シュバルツ』はヴァイの父だったのだ。

「悪趣味だったが、悪くはなかったな」

 ヴァイは『シュバルツ』の体が消滅すると同時に現れた出口へと歩みを進めた。

 その顔は、笑顔だった。





「マイス、もう楽になろうよ。このまま生きていても、苦しいだけだよ?」

 マイスの脇腹から手を引き抜きながら『クリミナ』は笑顔で言った。その表情はまるで

子供のようで……瞳には何も映っていなかった。

「……」

 マイスは口と貫かれた腹と、二つの個所から血を滴らせていた。

 止まらない血。

 徐々に冷たくなってくる体。

 無意識に間合いを取る様子を『クリミナ』は黙ってみていた。その、何の感情も浮かん

でこない瞳で。

「マイスって昔から辛い事はしたくなかったでしょ? 言ってたじゃない。人間にはそれ

相応の役割があるって。自分の能力以上のものなんてできやしないんだからって」

『クリミナ』は再びマイスとの距離を詰めた。マイスの血で汚れた掌を口に持ってきて嘗める。

「これから起こる事はマイスだけじゃない、人間みんながどうしようもない事なんだよ?

いつか終わる命なら、苦しまない内に終わろうよ。ヴァイさんについていって、マイスは

苦しい思いばっかしたでしょ?」

「……違う、よ」

 マイスは顔を上げた。苦しそうに、顔を青ざめながらも瞳の輝きは失われてはいなかった。

「『紫』光」

 魔術によって傷口が塞がっていく。しかし今度は『クリミナ』は待たなかった。

「死のうよ」

 右腕を振り上げてマイスへと飛びかかる『クリミナ』。しかしマイスは飛び込んでくる

『クリミナ』の懐へと入り込み、拳を突き出した。

「がはぁ……!?」

 マイスの拳が『クリミナ』の鳩尾にめり込んでいた。苦しそうに口を喘がせる『クリミナ』

 拳で串刺しにしているかのように、マイスは『クリミナ』の体をそのまま持ち上げた。

「違うよ、クリミナ……」

 そこから渾身の力で『クリミナ』の体を投げ飛ばす。体は床に叩きつけられた。

「確かに言ってたよ……、自分の能力以上の事なんてできやしないって」

 傷は完全に塞がり、マイスは自分の血にまみれた服を見て顔をしかめつつ、『クリミナ』に近づく。

「でも、それは本当に自分の持った能力を全開してもできなかった人が言う事なんだ。僕

はそれさえもしていない。ただ、逃げるために言っていたんだ……」

『クリミナ』が立ち上がったところで、マイスは『クリミナ』の顔を掴んだ。そのまま腕

の力だけで持ち上げる。何処にそんな力があったのか? 驚愕に『クリミナ』の顔が歪む。

「さっきまで混乱したけど、やっと思い出せたよ。僕は力を手に入れるために、先生につ

いていったんだ。クリミナ、君を守れる力を、得るために」

 マイスの顔は穏やかに微笑んでいた。その表情とは裏腹に腕には更に力が入っていく。

「先生に会って、僕は諦めないという事を知った。自分の能力以上の事はできない。だか

らこそ、諦めずに自分の力を一滴残らず注ぎ込む必要があるんだ。その事を、あの人は教

えてくれた」

 マイスはもう一方の拳を握り、力を溜める。

「少なくとも先生が諦めない限り、僕も諦めない。そう誓ったんだ。先生が『世界の危機』

なんて巨大な物に挑んでも、先生が諦めない限り僕は全力で先生と共に戦う。そして、い

つかあの人を……ヴァイ=ラースティンを超えるんだ!」

『クリミナ』の顔が恐怖に歪んだ。

 マイスの放った拳は綺麗に『クリミナ』の顔面を捉え、殴り飛ばした。

 中空に浮かぶ『クリミナ』の体。

「『白』光!」

 放たれた光熱波は『クリミナ』の体を包み込み、爆発を起こした。跡形も無く『クリミ

ナ』の体が砕けた。

「もう僕は昔の僕じゃない……」

 マイスは少しの間、顔を下に向けていたがやがて顔を上げた。

 その表情はもう迷いなどない。

 ただ、ひたすらに前を見つめていた。

 光り輝く、出口に向かって。





「君、暗いね」

 その男は突然言ってきた。初対面なのにもかかわらず、無遠慮にそう言ってきたのだ。

「いきなりそれは酷くないか?」

 そもそも読書をしていたのにそれを妨害して言う台詞ではけしてない。

「悪い悪い。僕は思った事をすぐ口にしてしまうんだよ」

 屈託無く笑う。その顔は人に不快感を何故か抱かせなかった。

 この時からだ、アルヴェリアスとの友人付き合いが始まったのは――





 高速で振り下ろされた刃をレイは何とか受け止めた。重い一撃に手が痺れる。

「流石だね、レイ。僕の渾身の一撃を受け止めるなんて……。剣術を教えたかいがあったよ」

『アルヴェリアス』は笑顔で言ってくる。次々と繰り出される斬撃にレイは焦燥を募らせ

ていった。あたりまえだが、その太刀筋は本気で自分の命を奪うものだった。

 自分が最も欲しかった『親友』。手に入れ、失ってしまったものが自分の前に再び現れ

て自分を滅ぼそうとしている。肉体的にも精神的にも苦しかった。

「でも、もういいんじゃないか? 『最終章』が起こってしまうのは自然の摂理なんだよ。

 そして世界は終わって、また新たな生命が誕生する。誕生・発展・滅亡……世界は終わ

らない、永遠に奏でられ続ける円舞曲のようなものなんだよ」

 一際甲高い音を立ててレイの剣が弾き飛ばされた。レイは手を抑え、無表情で『アルヴ

ェリアス』を見ている。

「君は変わらない。君が否定しても君がツヴァルツァンド家の人間という事実は変わらな

いんだよ。君はいつまでも満たされない。生きていく事が辛くなる……」

「……変わらないものなんてない」

 レイの呟きと拳と、どちらが早かったかは分からなかった。

『アルヴェリアス』は言葉途中に顔面を殴られて床に叩きつけられる。

「アルヴェリアス。俺は君以外に心を許せる連中に会えたよ。あいつ等なら、俺がツヴァ

ルツァンド家の人間だと知っても普通に接してくれる。俺は奴等に出会って本当に良かった。

あいつ等がいる限り、俺はもう絶望に沈んだりしない。死に逃げたりはしない」

 レイの顔は晴れやかだった。心の底からその言葉を言っているのが分かる。

 浮かぶのは金髪の、いつも元気な少女。気の弱そうな、しかし内には激しい闘争心を抱

えている少年。そして――いつも未来を守るために闘っている男。

「もし、お前の言う通りなら、俺がそれを変えてやる。『最終章』は俺が……俺達が変えてやる!」

 レイは剣を拾うと分離させて飛ばした。『アルヴェリアス』の体に絡みついた刃はその

体を少しずつ斬り裂く。

「一つ教えておいてやるよ」

 レイは冷静に、その言葉を紡ぎ出した。

「人は生きるのは目的を探すためだ。生きる事の目的を。もういいなんて事はない。死ぬ

まで探しつづけるんだよ。だからこそ、俺は死に、最後まで抗ってみせる!」

 昔、言われた言葉。

 刃を突きつけているものと同じ顔をした人に言われた言葉。

 自分の、もっとも大切な言葉。

「これ以上、俺の親友を侮辱するなぁ!!」

 剣を握った手を勢いよく引いた。その刹那、『アルヴェリアス』の体は絡みついた刃に

よって切り刻まれ、バラバラになった。

 バラバラになった個々は煙になって蒸発する。

 その光景をレイはただ、見ていた。

 しばらく経って、レイは自分が泣いている事に気付いた。その涙が悲しさのためかなん

なのかは、分からなかった。

「あばよ、『親友』」





「が……は」

 シールは膝をつき、息を荒げながらも目線はアインから放さなかった。体中に刻まれる

痕。流れ出る血はすでに体の周りを紅く染めている。

「これが、俺の力だ」

 アインは手にした剣をシールの首に突きつけた。苦痛と恐怖でシールの顔が歪む。

(なんて力だ……あのヴァイス=レイスターにもけして引けは取らないのでは……)

「もう勝負はついたろう? 話してくれないか?」

 アインは静かに言った。シールはその口調に自分を侮っていると感じて声を荒げる。

「いい気になるな! お前がこないならこちらから……」

 シールの言葉は最後まで続かなかった。

 突然シールの体が前に崩れ落ちる。後ろにはライが立っていた。どうやら気付かれない

ように後ろにまわって首を打ったらしい。

「これ以上相手にするのも辛いだろう?」

「ああ……ありがとう」

 アインは深く溜息をつくとシールを抱えた。そして城の中へと歩き出す。

「とりあえず今は動けないな。こいつからいろいろと聞き出すしかない」

「そうだな」

 アインの口調は固かった。ライはアインの中にある葛藤を理解してか、何も言わなかった。

(きっとこの事件の中心にはヴァイスがいる。俺は……何もできないのか)

 アインの拳はあまりの握りの強さに白くなっていた。

 雨は更に強さを増し、アインとライを打つ。

 落雷の音がした。

 あたかも、何かが始まる号砲の如く――





「いよいよ始まるのか」

 幻獣ラムウは空を見上げて呟いた。表情は苦悩に満ちている。木々の合間をぬって降り

注ぐ雨がその体躯を濡らしていた。

「『最終章』を早めるとは……どういう事だ? 人間よ」

 心底思う疑問。

 最大の脅威をあえて呼び覚ますとは一体どういう事なのか?

 警告のつもりで『真の創世記』を見せたというのに、見せられた当人が進んで復活させ

ようとしているのだ。

「お前が望むのは救済なのか? それとも破滅なのか……」

 ラムウはその言葉を最後に森の奥に姿を消した。


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