「もう、手段は選んでいられない」

 アインは入ってきた報告を聞いていても立っても居られなくなり、部屋から出て行った。

 ライもアインを追って部屋を出る。

「《リヴォルケイン》の活動を再開する。そうして各地の凶暴化した生物をその地域の治

安警察隊と協力して混乱を抑えるんだ」

 アインとライは城から出た所にある広場まで来た。そこでライが突然足を止める。

「待て、アイン」

 ライのただならぬ様子にアインは振り向いてすぐに気配を鋭敏にする。

 広場はいつもと何ら変わらなかった。空は曇り、今にも雨が降り出しそうである。

 いつものように警備兵達が自分達に挨拶を――。

「警備兵達が!」

 アインは違和感の正体を知ってライに叫んだ。いつも見張りをしている兵士が白目を向

いて倒れているのだ。その光景にアインとライは戦慄した。

「そうは、行かないのよ」

 アインとライの耳に聞きなれた声が入ってくる。その人影は城の正門から堂々とした足

取りでアイン達に近づいてくる。ライが、先に声を出した。

「シール……」

 その銀髪の女性――《リヴォルケイン》六団長シール=ツァリバン。しかしその顔はラ

イが知っている顔ではなかった。顔が変わったというわけではない。その、持つ雰囲気が

全く違っていたのだ。

「……どういう、事だ?」

 呆気に取られていたライの後ろからアインが回り込んでライの前に来る。

「シール。お前、裏切ったのか?」

 アインの言葉を聞いてシールは高らかに笑い出した。

「違うわよ。あなた達を裏切ったんじゃない。最初から私は敵だったの」

 ひとしきり笑い終わってからシールは今までとは違う、凶悪な笑みを浮かべた。

「私は最初から、《蒼き狼》だったのよ」

「……それで、他の奴等は何処に行った?」

 ライはショックから立ちなおり冷静に努めて質問しようと思った。それは成功し、ライ

の言葉ははっきりとシールに伝わる。

「大丈夫よ。私は無駄な殺しはしない。他の奴等は全て眠らせてあるわ。現在、この城の

中で目が覚めているのは私達三人だけよ」

 シールの瞳が紅く輝く。するとシールの周りに何かが集まり出した。それはシールの体

を揺らめかせる。

「……大気中の水が集まっているのか?」

 アインはそう呟いて腰の剣を引き抜いた。ライも無言で剣を構える。周りの気温が急に

下がったような気がしていた。

 シールの周りに集まった物――水はシールの手に一気に集中すると凍りつく。まるで剣

のように鋭く光を放った。

「『最終章』を起こす邪魔はさせない」

「どうして、自ら進んで世界を滅ぼそうとするんだ」

 アインは一歩前に進み、シールとの距離が縮まる。シールは微動だにせず、アインを見

つめるだけだ。その瞳に曇りが生まれる。アインはふと思った。

(涙の……曇り……か?)

 我ながら馬鹿な事を考える。そう思い、そんな考えを思考の外に追いやる。

 しかしシールはアインの考えを見透かしたように言葉を紡いだ。

「……悲しみは、終わらせなければならない」

 手に持った氷の剣をアインとライに突きつけて、シールは呟いた。その瞳には涙が浮かんでいる。

「……何が、お前を泣かせる?」

 ライはアインとシールの間に体を割り込ませるようにして対峙した。その瞳は油断無く

シールを見ている。シールは視線を下に落としたがすぐに上げた。顔には笑みが浮かんでいた。

「ライ!!」

 アインの叫びとライの悲鳴。シールの嘲笑が重なる。

 その瞬間、ライの肩から胴にかけて深い裂傷が刻まれた。声も無くライの体は中空に投

げ出され、アイン達がいる地点からかなり離れた場所に落ちる。アインはすぐに行動に移った。

 手にした剣を横に一閃する。

 しかし既にシールは前にはいなかった。アインからかなり離れた地点に立っている。

「流石ね。あれだけの不意打ちでもまだ息があるんだから」

 シールの言葉にアインがライへと視線を戻すとライが起き上がるところだった。しかし

すぐに崩れ落ちる。多量の出血が地面を濡らしている。とてもじゃないが早急に傷を塞が

なければいけない。

「傷を塞ぐ暇なんて、与えないわ」

 シールがアインとライの間に割り込んだ。アインは剣をシールに向ける。

「俺を、本気で怒らせるな」

 アインの殺気がシールの髪をなびかせた。

(これは……)

 シールは自分に鳥肌が立っている事を認めざるを得なかった。『ゲイアス・グリード』

として、戦闘マシーンとして『創られた』自分が怯えている。その事にこそ、シールは恐

怖を感じた。

「見せてもらいましょうか。《リヴォルケイン》六団長、アイン=フィスールの力を」

「望むところだ」

 アインの鼻先に雫が当たる。降り出した雨の中、二つの影が凄まじいスピードで近づい

ていった。





 その部屋――部屋というのが正しいのかは分からなかったが、そこはいささか奇妙だった。

 まず光源が無い。なのにもかかわらず、部屋は明るかった。二つ目は入ってきた入り口

のちょうど反対側に六つの扉が見えた。その扉には取っ手が無い。どうやって開けるのだ

ろうか? そして一番奇妙だったのは他でもない。その部屋にずっと響いている音だった。

「何の音だ?」

 レイが不思議そうな顔をして辺りを見回している。壁は赤色というか橙色に近い。相変

わらず壁は意思を持っているように蠢き、ルシータは近寄ろうともしない。

 辺りを見回しているレイの傍にヴァイは近づいていって耳元で囁いた。

「ツヴァルツァンド家の息子だったとはな」

「……」

 ヴァイは無言でこちらを見ているレイに言葉を続けた。

「王家の親戚筋で、この世界の歴史を管理している一族。古代幻獣の遺跡などの本格的な

調査を全て引き受け、誰よりもこの世界の歴史を理解している……ツヴァルツァンド家次

期当主。行方不明だという噂だったがな」

「そんなたいそうな身分はいらねぇよ」

 レイは不機嫌にヴァイから体を放した。

「俺はあんな辛気臭い家なんてどうでもよかった。軟弱な貴族どもに愛想を尽かしていた

しな。だから俺はツヴァルツァンドの名を捨ててレイ=スティングを名乗った。経過は違

うがお前と似たようなもんだろう?」

「……そうだな」

 お互い過去を捨て今を生きている二人。

 何も、言う事は無い。

 ヴァイはその会話をそこで終わらせた。ミスカルデが緊張した声で皆に言ったからだ。

「ここから先が、正念場だ」

 ミスカルデが指し示すその方向にあるのは六つの扉。

「一体あの扉が何なんだ?」

 レイが尋ねるとそれにゴーダが答えてくる。

「あれは深奥への入り口さ。しかし、地獄への入り口でもある」

「どういうことですか?」

 ゴーダの物言いにマイスが顔を青ざめさせている。冗談めかして言ったゴーダだが、マ

イスにはゴーダが持っていた雰囲気がつかめていた。即ち、恐怖の感情。

「あの扉には一人しか入る事はできない。そしてあの中で何が起こるのかも分からない。

しかし、分かる事はある。中に入っていった者が、この部屋に死体として転がるという事だ」

「全くの未知の領域か」

 ヴァイは肌でこれからの危険を感じ取っていた。先ほどから続いている心臓の激しい鼓

動。意味の分からない焦燥感が心臓を鷲掴みにしているようだ。 

「ぐずぐずしている暇は無いんじゃないか? さっさと行こうぜ」

 そう言って足を踏み出したのはレイだった。青ざめているマイスの隣を悠々と通り過ぎ

て扉へと近づいていく。

「そういう事だ」

「……」

 ミスカルデとスフィーダが後に続いていく。ゴーダも拳を一度打ち付けてからその後ろ

を歩いて行った。

「……先生」

「マイス」

 ヴァイは青ざめた自分の生徒の顔をじっと見た。目蓋にしっかりと焼き付けるように。

(まるで、これから特攻していく兵士みたいじゃないか)

 自分の行為におかしさを感じて苦笑する。その苦笑をどう捉えたのかマイスが言ってくる。

「笑わないで下さい。僕は……怖いんです。『ハイスレイヤー』なんて言われても僕には

ピンと来ないし」

「そうだな。『ハイスレイヤー』だからどうした? そんなものは関係ない。ここまでき

たら、自分の力を信じるだけだ」

 ヴァイはマイスの背中に手をやって一緒に歩みを進める。そして肩を掴んでしっかりと

した言葉をマイスへと向けた。

「生きて、会おう」

「……はい」

 マイスの言葉には少なくとも、もう怯えは見えなかった。

 二人は六つの扉の前へと来た。近くに来ると、とてつもなく大きく見える。

「ここを抜ければ、深奥だ」

 ミスカルデの言葉に皆がほぼ同時に頷く。

「自分の力を信じて、ここを乗り切って欲しい」

 ヴァイはこのミスカルデの言葉に今までとは違うものを抱いた。今までのように感情を

出さない言葉ではない。今の言葉も、抑揚の無い声で言ったにもかかわらず、抑えきれな

い感情があるようだった。

「生きて、また会おう」

 ヴァイはミスカルデの言葉の中に確かに見た。

 それは、願いだった。心からの願い。再び生きて会おうという、願い。

 そして扉が開かれた。





 そこは部屋と呼べるかは分からなかった。

 全てが闇に包まれていて先も見えない。後ろにあったはずの、ここに入った扉もいつの

まにか消えている。

「なんだろうな、ここは」

 ヴァイは自分が浮遊しているかのような感覚を覚えた。床がはっきり見えないのもある

が、何かここは現実の空間とは遊離したかのような錯覚があった。

「出口も見えない。何処にも行けるが、何処にも行けない、か……」

 昔見た、歴史書に載っていた言葉が思い出される。

 ヴァイは歩き出した。

「何処に行くか分からない。だが、進まなければ道は無い」

 それからしばらく無言で歩いて行く。すると前方に光が集まり出した。

 ヴァイは無言で腰のヴァルレイバーに手をやる。

 光は徐々にその光量を増し、ヴァイと同じくらいの背の高さになった。それからゆっく

りと姿が整っていく。そこに浮かび上がったものにヴァイは驚愕した。

「そんな……!?」

 光から浮かび上がったのは顔に精悍な口髭を持った、がっしりとした体つきの男。その

顔の造型は疑いなくヴァイに似ていた。ヴァイの父、シュバルツ。その姿は六年前に<ク

レスタ>に殺された時のまま、神官衣に身を包んでいる。目頭が熱くなるのをヴァイは感じた。

 思えば葬式の時も放心していて両親を見送る事さえもできなかったのだ。

「父さん!」

 ヴァイは駆け出した。シュバルツが腕を広げる。その瞬間、ヴァイの体に悪寒が走る。

 ヴァイは咄嗟に前方に向かっていた勢いを殺して後ろに飛びのいた。ヴァイが居た空間

を剣の輝きが通り過ぎるのはほぼ同時だった。

「……どういう、事だ?」

 シュバルツは剣を構えていた。その剣の軌跡はヴァイでもやっと見える程度だった。

「お前が父さんであるはずが無い。何者だ!」

 ヴァイの問に答えたのは風を切る音だった。ヴァイはヴァルレイバーで恐ろしいまでの

速度で振り下ろされた剣を受け止めた。

(この力……、このスピード……)

 シュバルツは弾かれるようにヴァイから離れると今度は横薙ぎの一撃を見舞う。それを

屈んで躱して拳をシュバルツの腹に叩き込もうとしたヴァイは、上からくる風圧を感じて

叫んでいた。

「『銀』の翼!」

 ヴァイの姿がその場から掻き消える。一瞬後に少し離れた地点にその姿が出現し、シュ

バルツのほうを見た。シュバルツの剣は地面に刺さっていた。ちょうどヴァイがいた場所だ。

 横薙ぎの一撃をヴァイが屈んだと同時に振り下ろしに変化させたのだ。並大抵の技量と

膂力でできる芸当ではない。

(そしてあの技。間違いなく父さんのものだ)

 ヴァイはまだ混乱している頭の片隅で湧き上がる感情を抑えることができなかった。

「俺が知っている中で……最強の戦士……。俺の力が、何処まで通じるのか試せるわけだ」

 ヴァイはヴァルレイバーを右手に持って構えた。

「父さんの姿をした事を、俺の思い出を汚した罪を償わせてやる!!」

 そして闘いが始まった。


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