雪が降っていた。

 重い大きな雪片が降り続いていた。

 空を見上げれば一面の白。青い空も、灰色の雲も見えなかった。

 ヴァイは、いつも着ている同色のジャケットの上に羽織ったコートの肩に軟着陸してき

た雪の欠片をまじまじと見つめる。

 雪の結晶が見えるほど大きい雪の欠片はすぐに消えてなくなったが、その上から間断な

く雪が降り続く。

 肩から視線を外して前を見る。一面の雪景色の中にかすかに残る山道の後。

 ほとんど雪に埋没している状況だったが、ヴァイにはそれが、つい最近に一度雪をかき

分けられていることに気づいた。

 溜息を深くつく。

 真っ白な息はそのまま風と共に上空に上がっていった。

「とにかく、来たわけだ」

 ぼそりと呟く。

 ここはオレディユ山。死の山と人に恐れられている山。

 そして、ヴァイの目的地。

「それで、俺はどこにいけばいい?」

 ヴァイはしばらく眼前の光景を見てから後ろを振り返って言った。後ろにはヴァイと同

じようなコートをの下に、黒いつなぎのようなボディスーツを来た女。

「少し下がれ」

 女――ミスカルデはヴァイの前に出るとスーツのポケットから宝石を取り出した。

 それを高く掲げて呪文を唱え始める。

「いったいどうするつもりかしら?」

「凄い寒さです……」

 ヴァイの後ろにいた二人――ルシータとマイスは寒さに凍えつつミスカルデのやる事を見ている。

 コートの前を抑えるようにして二人とも体を寄せ合って凍えている。それは無理も無い

事だった。ヴァイが肌で感じる温度は、少なくとも零度を軽く下回っている。

 ミスカルデから視線を端して二人を見ていたヴァイは、また深く溜息をついた。

 この頃何度もついた溜息だった。

 即ち、不安による陰鬱の形として。

 二週間ほど前の古代幻魔獣カスケイドの事件がすんだ後、ヴァイ達はミスカルデの案内

でここまでたどり着いた。

 話によると、ヴァイの姉、レインも既にオレディユ山へと到着していると言う。

「でも、レイはどうしたのかしら?」

「そうだな」

 それも気がかりの一つだった。

 レイとはヴァイ達と一緒に旅をしていた傭兵だが、一時期にヴァイ達から離れてここで

再会しようと書置きを残していた。。

 しかし、結局今までで合流はできてはいなかった。。

(何もなければいいんだが……)

「あ!」

 ヴァイの物思いはマイスの驚愕の声で遮られた。

 視線を向けるとヴァイもルシータも絶句する。

 ミスカルデが宝石を掲げた先の雪が、正確には地面が音を立てて左右に割れていくのだ。

 まるで権威ある人物が道を通る時に道端に避ける人々のように。

「ここだ」

 ミスカルデがヴァイ達へと言う。雪が割れた下からは巨大な入り口が口を開けていた。

 鍾乳洞のような穴。しかし天然のものではない。

「いくぞ」

 ミスカルデは静かにそう言って中に入っていった。ヴァイ達も慌てて後を追う。

 ヴァイはミスカルデに追いつくと周りを見回した。そして不快感を掻きたてられる。

「この壁……動いてる?」

 ルシータが気持ち悪そうに壁にやっていた手を離した。ルシータの肩の上ではレーテが

体を縮ませている。

 足元も岩のようにゴツゴツとしたものではなく、何か不快感を煽るような柔らかさを持っている。

(まさか……)

 ヴァイはある考えが思い当たり、ミスカルデへと訊こうとする。しかし、ミスカルデは

機先を制してヴァイの言葉を遮った。

「お前が抱えている疑問は、いずれ明らかになる」

 それからしばらく無言でヴァイ達はミスカルデの後ろを歩いていた。

 何も無い通路。ただ、壁が生き物の如く蠢き、今にも何かが吐き出されてくるような不

安感が心を支配する。

「気持ち悪い……」

 ルシータはぞっとした表情を顔に張り付かせ、マイスは極力通路の真中を通ろうと気を

つけている。

 やがて通路が一際大きな部屋へと繋がった。そこは冷えているようで、何か異様な空気

が支配していた。

 ヴァイはそこでミスカルデの姿の向こうに久しく見なかった姿を見た。

「レイ!」

 傭兵で《リヴォルケイン》団員レイ=スティング。ヴァイと共に旅をしていた仲間だ。

「先に着いてたの!?」

 ルシータが懐かしそうに顔をほころばせてレイへと近づく。レイは一瞬顔を悲しげに歪

ませたがすぐ痕跡を消した。

「まあな。嬢ちゃん達も久しぶりだな」

 レイはそう言ってルシータの頭を撫でる。ルシータはくすぐったそうにしてレイの手から逃れた。

「それにしても何だったんですか? 用事って」

 後からきたマイスが不思議そうに問い掛ける。しかしレイは言葉を濁してマイスへの回

答を避けた。

「それよりも……どうやらお出ましのようだ」

 レイがそう言って振り向くのと声が聞こえてきたのは同時だった。

『ようこそ。オレディユ山、《蒼き狼》総本山へ』

 その声は響いてきているというわけではなかった。頭の中に直接響く。ルシータとマイ

スは不快感に顔を歪ませ、ヴァイは鋭い目つきで虚空を見上げた。

「いいかげん、姿を現したらどうだ? 『枢密院』!」

『ヴァイス=レイスター。よく来てくれた。君がいれば我々の目的は達せられる』

「俺はお前達に訊きたい事があってここまできたんだ! お前達に協力する気はない!」

 ヴァイは『声』に向けて叫ぶが『枢密院』は全く取り合わずに話を進める。

『もう一人が来れば役者は大体揃う。それまでは……』

「すでに、ここにいるわ」

「!?」

 突然聞こえてきた声にルシータとマイスは驚いて振り返る。ヴァイは少し前から気配が

していたので、さして驚かずに声の主を振り返った。

「姉さん……」

 レイン=レイスターがこの部屋の入り口に立っていた。

 悪戯っぽい笑みを浮かべてヴァイを見てからレインは虚空を見上げる。

「私がゴートウェルから持ち出した『これ』が欲しかったんでしょう? 私から届けてあ

げたんだから、感謝して欲しいわね」

 レインはそう言って懐から何かを取り出した。それは淡い青い光を放っている。それは

不思議と暖かさを感じさせた。

『ようこそ、レイン=レイスター。君達姉弟が今回の主賓だ』

 声がそう言うと急に辺りが眩く輝いた。

 思わずヴァイは瞳を閉じる。凄まじいほどの白光は目蓋の裏の眼球に届き、それが去っ

た後もしばらくは眼を開けることができなかった。

「ヴァイス……見なさい。目の前に、あなたが追ってきた真実がある」

 耳元でレインの声がした。ヴァイは自分の手を姉が握っている事が分かった。そしてそ

の手が異常なまでの力強さだと言う事も。

 ヴァイはしばらくしてゆっくりと眼を開けた。

 霞む視界に見えたのはまずミスカルデだった。その隣にはレイ。

 そしてその先には……。

「……どういう事だよ」

 ヴァイは言葉に完全な怒りを込めて紡いだ。視界がはっきりして予感が核心になる。

 目の前にいた人物はヴァイの理解の範疇を完全に超えていた。

 自制を失い、力の限り叫ぶ。

「どういう事か、説明してください! アルスラン国王!!」

 ヴァイの言葉の先にいたのは国王、アルスラン=ラートだった。





「……国王が《蒼き狼》の頭だと言うのか!?」

 ライは半ば叫ぶようにアインへと回答を求めた。アインはそれに無言で返す。それは即

ち肯定の意味だった。

 二人がアルスラン王の部屋で『歴史書』を見てから数時間。ずっとある部屋に入り浸っ

ていた。その部屋とは国の全ての情報が集中している部屋。

 通称『天の板』だった。

 膨大な情報量の中からアイン達が探したのはある記録だった。

《蒼き狼》が活動停止していた時期と、再開した時期との記録。

「ああ。思った通り、国の財源から出資不明金が出ている。しかも我々《リヴォルケイン》

の情報が《蒼き狼》が再開された時から巧妙にだが流出している可能性がある」

「それと王が《蒼き狼》の頭だと言うことにどう繋がりがある?」

 アインは手を休めてライに向き直った。

「少なくとも無関係ではあるまい。そして、無関係でない以上、王が主導権を持っている

のは目に見えている」

 アインは拳を握り締めて悔しがった。ライにはその意味が分かった。

 ヴァイの――自分の親友、ヴァイス=レイスターが両親を失い、《リヴォルケイン》を

出て行くきっかけになったのは《蒼き狼》が原因だからだ。

「しかし、アルスラン様が《リヴォルケイン》を休止させていたのは『最終章』のために

力を蓄えるためじゃないか? 一体何の目的で………」

 アインは怒りに身を焦がしながらも冷静に状況分析する事を忘れなかった。その疑問に

ライが少し自信がないように答える。

「おそらく、王は……」

 雷が鳴った。轟音はライの言葉をかき消したが、アインの耳にはかすかにだが入る。

 アインの顔が驚愕に歪んでいた。





「《蒼き狼》は、《リヴォルケイン》の影だったのだ」

 アルスラン王は驚きに顔を硬直させているヴァイ達を目の前にして軽い口調で言った。

驚愕しているのはヴァイとルシータ。マイスの三人だけだが。

 レイは傅き、ミスカルデとレインはそのまま視線を向けているだけ。

「だから、どういう……」

「言葉どおりだ」

 ヴァイの言葉を遮って言ってきた人物がアルスラン王の後ろから姿を現す。

「レディナルド……」

 ヴァイはその人物を見て呟く。

「久しぶりですね。《リヴォルケイン》最高傑作、ヴァイス=レイスター」

 その人物に続いて新たに人が現れる。

「ガルナブル……。そうか、そういうわけか」

 現れた二人の人物は瓜二つの顔をしていた。

 金髪を肩までおろした美丈夫。唯一に違いは纏っているコートが白と黒だと言う事。そ

れ以外は顔も声も体格も全く同じだった。

「ち、ちょっと! ヴァイ、一体何なの? あの人達?」

 ルシータが気持ち悪そうに新たに現れた二人を見る。マイスも何も言えずにルシータに

ついてきているだけだ。

 ヴァイは視線をアルスラン王から外さないままルシータに言った。

「レディナルドとガルナブル。国王の懐刀さ。そして彼等が《蒼き狼》の頭、『枢密院』

だったって事だ」

 ヴァイは最後の言葉に力を入れた。ルシータが聞いた情報を反芻している内にマイスが気づいた。

「じゃ、じゃあ先生の両親を殺したのは国王様の命令なんですか!?」

 その言葉に場の空気が急に冷え込んだ。ルシータでさえその急激な変化に気づく。

「ヴァイ……」

 ヴァイは拳を強く握り締めてアルスラン王を凝視していた。

「アルスラン様が……命令したのか? <クレスタ>に、俺の父を殺せと」

 アルスランはヴァイの殺気のこもった視線を受け止めながらも平然と立っている。ただ

の国王には到底耐え切れないほどの物だ。

 その顔も、口が開くと同時に苦渋に満ちたものに変わった。

「信じてくれ、とは言えないが……違う。<クレスタ>を止められなかったのは私の責任だ」

 そう言ってアルスランは頭を下げた。その場の誰もが驚愕する。

 殺気を込めて視線を向けていたヴァイさえも突然の事に混乱した。

「とりあえず、あなたが企ててきた計画を話してもらいましょうか。全てはそこから分かる事よ」

 レインが言ったその一言にレディナルドがきっ、と鋭い視線をレインに向ける。

「貴様! 王に向かって何て口を訊くんだ! この……」

「今のあなたは《蒼き狼》のリーダー。もし全てを話して父を殺した理由に納得いかなか

ったら……ヴァイスが許しても私があなたを殺すわ」

 その言葉にヴァイは驚いてレインに視線を戻す。レインの顔は無表情に見えたがかすか

に目蓋が動いている。

(完全に怒っている時にああなるのは相変わらずか……)

 この状況に昔と変わらない姉の一面を見て懐かしんでいる自分にヴァイは困惑したが、

すぐにそれを打ち消すとアルスランへと向いた。

「そうだな。全てを聞かせると言われてここまできたんだ。納得のいく説明を聞かせてもらいますよ」

 アルスランは顔に浮かんだ苦汁を消し、無表情を作った。

「いいだろう」

 そうして、アルスランは自分の計画を話し始めた。





 ラーレス=クルーデルはゴートウェルには戻らず、クレルマスにそのまま滞在していた。

 それというのも、自分が一連のデイジーが関わった事件を担当している間に起こってい

た不可思議な出来事を調査していたためだ。

「やはり、ここ数週間に集中している」

 ラーレスはそう呟くと持っていた書類を隣に座っていたエリッサへと手渡した。

「そうですね。これはどういう事なんでしょうか?」

 エリッサも首を捻って書類を見ている。

 その書類に書かれていたものはここ数週間で起こっている事件だった。

 一般に山の奥や森の奥に生息している凶暴な動物が突然、街中に現れて騒ぎになってい

るという報告書だった。しかしそれが書かれた書類の次にまた紙があり、そこに明記され

ている事もどうやら関わっているらしかった。

『古代幻獣の遺産』

 そう表紙にかかれた書類を見るとそれと同時期に古代幻獣の遺産が突然光だし、そこか

ら奇妙な曲が流れてくるというものだった。

 その曲は、一日数回鳴るのを記録されている。どうやらワルツのようであった。

 これはゴートウェルの《クラリス》本部からきた情報で、おそらく王都でも同じような

現象が起こっているという調査報告書だった。

「この曲と凶暴な動物達の動きが関連していると見るのは、おそらく正解だろうな」

「ええ。また、カスケイドのような古代幻魔獣が絡んでいるのでしょうか?」

 エリッサはカスケイドと言う名を少し強張った表情で言った。少し前に実際に対峙した

ときの恐怖感はまだエリッサの中に残っている。

「そうだとすると……」

 ラーレスは何かを言おうとして言葉を止めた。エリッサは少しきょとんとした顔でラー

レスを見ていたがすぐに異様な気配に気づいて顔を入り口に向ける。

「だ、誰!?」

 エリッサは突然ドアの前に現れた人影に怒鳴っていた。

 何の気配も感じさせずにその人物はゆっくりとラーレス達に近づいて、話す。

「そう、このままでは世界は終わります」

 その声音は酷く幼い少女のものに思えた。しかし纏っている雰囲気はそれ相応の年齢で

の物ではない。

「どう、いうことだ?」

 ラーレスは少し躊躇しながらもその人物に話し掛けた。その人物はその言葉を聞くと歩

く速度を上げてラーレス達が座っている椅子の前にきた。

「このまま『古代幻獣王』が復活すれば、世界は滅びます」

「……詳しく、話してくれ」

 ラーレスはその人物が持っている緊張を見て取ると、居住まいを正して話の先を即した。

「先に、名前を教えてくれ」

 ラーレスがそう言うとその人物は緊張した口調のまま言った。

「私はフェナ=ノーストライン。『幻獣の里』からの使者としてオレディユ山に向かわな

くてはいけません。事態を説明しますから、手伝ってください」

 フェナは悲痛な声で、ラーレスに嘆願した。


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