そこは、どこにでもあり、何処にもない場所。

 存在しているようで、その存在は非情に希薄な場所だった。

 表層世界からほんの少し壁を隔てた場所。

 表裏一体の世界。

 普段、人間達の住む世界の裏側にそこは存在していた。

 そんな世界を人々はこう呼ぶ。

『幻獣の里』と。





「ラムウ様。参上いたしました」

 暗闇に少女の声が木魂した。それに呼応するかのように周りに光が戻っていく。

 そこはどうやら建物の内部らしかった。しかし、窓などは一切なく、光源も見当たらない。

 一体どうやってこの部屋は照らされているのだろうか?

「よく来てくれた」

 少女に声をかけられた人物はゆっくりと少女へと振り向いた。

 かなり年老いた風貌をしている老人。しかし彼から発せられる気配は見た目どおりの

ただの老人とは言えなかった。

「呼んだのは他でもない。『最終章』が始まる」

「……!?」

 少女は顔に驚愕を浮かべた。ラムウと呼ばれた老人は予想通りの反応だったようで気

にせずに先を続ける。

「どうやら人間達の中の一部が『最終章』を早めようと画策したらしい。このままでは

もうすぐ封印が解かれ、『魔大陸』が浮上してしまう」

「……私はどうすれば……」

 少女は一歩ラムウに近づいた。ラムウは少女の動きを片手で遮って言った。

「お前がここに来てから、今まで修行させてきたのはある役目を果たさせるためだ」

「役目……」

 少女はその言葉をしっかりと理解しようと反芻する。ラムウは一瞬寂しげな表情を浮

かべたが、少女は気づかなかった。

「お前の役目、けして軽いものではない。お前は拒否する事もできる」

「しかし拒否すれば、全て終わってしまうのでしょう」

 今度はラムウが驚愕する番だった。少女はこれからラムウの言う事が分かっていたか

のように鋭く突いてきた。

「父様から私の能力の、真の力は聞きました。それから、こんな日がくる事は予想していました」

 少女は悲しげに顔を歪ませながらもしっかりと言葉を紡いでいる。

「私の能力は『最終章』を本当の意味で終わらせる事になる。そう父様は言われました。

 確かにそうなのでしょう。この『能力』なら終わりない運命を断ち切れるかもしれない」

「……お前の覚悟。分かった。話そう、全てを。そしてお前の役目を伝える」

 ラムウはしっかりと目の前の少女を見つめた。

「幻獣と人の狭間の子よ。お前に幻獣の長、ラムウから重大な役目を伝える」

 幻獣、ラムウは一切の感情を捨てて少女へと語り始めた。

「お前は世界を救う唯一の存在だ、フェナ=ノーストライン」

 少女――フェナは力強く頷いた。





 王都ラーグランはここ数日雨が降り続いていた。黒い雨雲に覆われた王都は太陽の光

と共に活気さえも失ってしまったようだ。

 人々はひっそりと日を生きている。

「アイン、どこに行く?」

 ライ=オーギュドは城の廊下を駆けていく同僚の戦士、アイン=フィスールに声をかけた。

 金髪碧眼の青年は眉をひそめて問い掛ける。アインは足を止めて振り向くと、少し焦

った口調で話す。

「アルスラン王に会う。ここの所、奇怪な事が起こっている。《リヴォルケイン》を活

動再開させて対処しなければ……」

「しかし、《リヴォルケイン》を活動停止させたのはあの考えがあったからだろう。今

のこの奇怪な出来事はつまり、『最終章』が目前だと言う事ではないか?」

 アインはライの冷静な口調につい、声を張り上げてしまった。

「だから! 今、《リヴォルケイン》が再開しないでいつするというのだ! 『最終章』

が始まってからでは遅いかもしれないのだ!」

 そう言ってアインは会話を打ち切って王の間へと走っていった。

 ライも心配そうな顔をして後を追う。

 やがて王の間につくとアインは挨拶も程ほどに扉を開いた。

「……アルスラン王?」

 アインはこの時初めて、ここ数日王に会っていない事を思い出した。それはライも同

様だったらしく同じように顔をしかめている。

 王の間には生活感がなかった。少なくとも一週間は人が入った形跡がない。

「? これは……」

 アインは部屋の中に一つの本が無造作に置かれているのを発見した。

 手にとって表紙を見てみる。今まで見たこともない本。それには歴史書とだけ記してある。

 アインは軽くその本のページをめくってみた。すると見る見るうちにアインの顔が青

くなっていく。

「どうした?」

 ライがアインの尋常じゃない様子に気づき肩に手を置いた。

「どうやら、俺達はかなり状況を楽観視していたようだ」

 アインの口調は震えていた。ライはアインという男を良く知っている。今のアインは

どんな強敵を前にした時よりも動揺していた。

 ライはアインの持っていた本を取って読んでみた。数分もしないうちに今度はライの

顔も青ざめる。

「これが本当だとすると……我々の抵抗は無力なのかもしれない」

 ライは力が入らずに本を取り落とした。しかしアインは違う感想を持ったようだ。ラ

イをしっかりと捕まえると震える声を何とか制御する。

「アルスラン王はこれを何とかする手段が見えていたんじゃないだろうか? だから、

俺達に黙って姿を消した」

「何故、黙る必要がある?」

「……それは、本人じゃないとな」

 二人は主のいない部屋の中でしばらく立っていた。

 この時、既に彼等の知らないところで事態は進んでいた。

 ちょうど、この時に王都から遠く離れた場所で。古代幻魔獣カスケイドが封印されたのだ。

 人類の未来を賭けた最後の戦いが、始まろうとしていた。



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