カスケイドから送られてくる視線にヴァイは背筋が凍りつく感覚に襲われた。 (なんてプレッシャーだ……) ヴァイは気を抜くとその場に座り込んでしまうと思えるほど重圧を受けていた。カスケ イドから発せられる気は今までとは桁違いのものだ。 (こんな感覚、前にも……) 「ヴァイ〜」 ヴァイは聞こえてきた声に内心安堵の溜息をついた。もしもう少しこのままでいたら確 実にプレッシャーに押しつぶされていただろう。 ルシータはヴァイの隣に並んで木刀を構えた。その横ではレーテが体を強張らせている。 「マイスやラーレス達は?」 「それが、あのデイジーって奴が……」 「何……?」 「ちょうどいい」 ゲイルはその顔に再び冷笑を浮かべてヴァイを見据えた。 「止めて! お父さん、お姉ちゃん!!」 響いてきた声にゲイルの顔が歪む。 「ミリエラ……」 傍らにいて無表情に徹していた女性――エスカリョーネが寂しげに呟いた。 声の主、ミリエラは息を切らしながらヴァイ達の所に来て再び声を上げる。 「もう止めて! こんな事、もう止めてよぉ!」 ミリエラの目には涙が浮かび、半分は叫びだった。ゲイルとエスカリョーネの瞳には悲 しさが宿っている。しかしそれもすぐに消え、ゲイルは再びあのぎらついた瞳になった。 「お前のためだ」 そう呟いた瞬間、ゲイルの体は飛び上がりヴァイへと飛び掛っていた。 「切り裂け『紫』」 「!? 『紫』の波紋!」 ゲイルの体重を乗せた手刀とヴァイの拳がぶつかりあう。飛び掛ってきた分、ゲイルの ほうの力が強く、ヴァイはその場から弾き飛ばされた。 「ヴァイ!」 ルシータがヴァイに助けに入ろうとする。しかしその瞬間、目の前にエスカリョーネが 飛び込み、光が両者の間を通り過ぎた。 それがエスカリョーネが持った剣の軌跡だという事はミリエラには分からなかった。 ルシータは一瞬にして木刀を弾き飛ばされ、剣を首筋に突きつけられる。 「邪魔はさせないわ」 エスカリョーネの声色は無感情だ。 「お姉ちゃん!」 ミリエラが叫んで傍に駆け寄ろうとする。しかしエスカリョーネは更にルシータの首に 剣を突きつけた。 「大丈夫よ、ミリエラ。レーテ、あなたも下がってて」 「キュー」 レーテは少し寂しそうに鳴くとその場から離れ、ミリエラの傍に寄った。 「さて……、どうしてこんなことするのよ!」 ルシータはミリエラとレーテが十分離れた事を確認するとエスカリョーネに対した。 「あの娘のためよ」 エスカリョーネは、相変わらず無表情だったがルシータはその後ろに悲しみが隠れてい るような気がした。 「お前には礎になってもらう」 ゲイルはヴァイを前にして淡々と言った。ヴァイは目の前の人物が強敵である事を瞬時 に悟っていた。 (俺よりも、魔術の使い方は巧い、な。なら……) 「貫け『白』」 ゲイルが光熱波を放ってくる。ヴァイはそれを躱すでなく光熱波へと向かって行った。 「『白』き螺旋!」 光熱波と接触する瞬間に光の螺旋がヴァイを包み、光熱波を弾き飛ばす。そのままヴァ イはゲイルとの間合いを一気に詰めた。 (体術ならこちらが上だろう!!) 光の螺旋が消え去ったときには既にヴァイとゲイルの間合いは完全に接近戦のものだった。 「はぁ!」 ヴァイは体に捻りを加えて渾身の回し蹴りを放った。しかし次にはヴァイの予想しない 事が起こった。 ゲイルは何の苦もなくヴァイの回し蹴りを受け止めていたのだ。 「なっ……」 「吹き飛べ『黒』」 がら空きになったヴァイの腹にゲイルが空いている手をやって魔力を開放する。急速に 集まった空気の固まりはヴァイを弾き飛ばした。 「ぐあぁ!」 「貫け『白』」 間髪いれずにゲイルが光熱波を放つ。ヴァイはそのままではなすすべなくそれを喰らっ てしまう。 「『白』き……螺旋!!」 ヴァイは咄嗟に防御魔術を唱えて光熱波を弾いた。ゲイルがほう、と感心したような声を出した。 「流石だな。ヴァイス=レイスター。最強とまで呼ばれただけのことはある」 ヴァイはその名前に反応してすぐさま起き上がり、ゲイルを見据える。 「その名前、どこから知った?」 「教える義理はない」 二人の間に闘気の渦がぶつかりあう。そして再びお互いの魔術を発動させようとした時、 その声は聞こえた。 「ヴァイ〜、みーつけたよ……」 「……デイジー」 ヴァイが視線を転じた先にはデイジーが立っていた。しかしその目は虚ろで、ヴァイに は徐々にデイジーが狂気へと落ちていっている事が見て取れた。 「お前、どうしてここへ!」 ゲイルが焦って声を上げる。ハリスはそれに構わずにヴァイへと向いて言葉を紡いでいる。 「もうすぐだよ子供達。もうすぐ、こいつを殺すよ〜」 デイジーの胸の辺りから青白い光が溢れ出す。それをヴァイは見た覚えがある。 「まさか、あれは……」 「もうすぐだよぉ!」 そうデイジーが叫んだ瞬間、デイジーの体が膨れ上がりたちまちヴァイ達の三倍はある 体格へと変化していた。 『死ねぇ!!』 くぐもったデイジーの声が口から飛び出すと同時に無数の光の珠が出現し、ヴァイとゲ イルへと降り注いだ。二人は共に反対方向へと避けデイジーと間合いを取る。 「ちっ、やっかいな!」 ヴァイは手をデイジーへとかざした。 「『白』き……」 「砕けよ『黒』!」 ヴァイが魔術を放とうとしたその時、立っていた場所が突如爆発してヴァイはその場か ら弾き飛ばされた。 「ぐっ……」 ヴァイはその眼でゲイルを睨みつける。ゲイルは片手をデイジーへと向けながらも意識 はヴァイへと向いている。 「デイジー、この男を殺しては意味がない。もう止めろ」 『うるさい』 デイジーがそう言うと同時に今度は先ほどの数倍の数の光の珠が出現した。 「いかん!」 ゲイルは叫び、防御魔術を張る。ヴァイも光の珠が向かってくる直前に光の螺旋によっ て体を包んだ。しかし、光の珠はヴァイ達を飲み込むだけではなかったのだ。 「きゃあ!!」 「!? ルシータぁ!」 ヴァイが悲鳴のしたほうを向くのとルシータ達のいた床が崩れ落ちていくのは同時だった。 どうやってあの光の珠の直撃を逃れたかは分からない。でもどうやらレーテが危険に気 づいて防御幕を張ってくれたということは分かった。でもその後にくる浮遊感。 自分が中空に浮いていると気づいたのは正にその最中だった。 「きゃあああ」 ルシータは浮遊感に包まれて冷静さを失いつつも自分が助かるということは無意識に分 かっていた。なぜなら、周りは全て緑色の光に包まれていて、床がそのままくりぬかれた ような上体で落下していたからだ。 引き伸ばされた意識下ではかなりの時間に思えても、実際には数秒ほどしか経ってはい なかった。 鈍い衝撃と共に落下が収まる。ルシータは反射的に閉じていた眼を開けた。そして目の 前に広がっている光景に眼を奪われた。 「綺麗……」 レーテが張っていた緑色のフィールドがなくなると、そこには一面の花畑が広がってい た。ルシータは床がただの石造りだと知って思う。 (こんな所に花を咲かせるなんて簡単なことじゃないわ……) 「この花は、この娘のお気に入りだったのよ」 「!?」 ルシータは突如聞こえてきた声に後ろを振り向く。そこには膝にミリエラの頭を乗せた エスカリョーネがいた。あまりの出来事に思わず存在を忘れていたのだ。 「この花は私達、家族の思い出の花なの」 エスカリョーネは先ほどまでの無表情とはうって変わって顔に寂しげな表情を浮かべて いた。その表情を見てルシータは胸が熱くなるのを感じる。 「私達の母が一番好きだった花。もう絶滅してしまって……ここに咲かせるのは苦労したわ」 「どうして、ここに?」 ルシータは先ほどまでの嫌悪感は消えていた。今、目の前にいる人には人を殺せる事な どできはしないと感覚的に分かっていた。 「ミリエラが頼んだのよ。ここに、私達の花畑を作ろうって」 エスカリョーネは笑った。その笑みには本当にその時を大切に思っている思いが伝わってくる。 「私達は母が死に《クラリス》から追放されてここまで来た。母を死に追いやったウイル ス、ヒクルスを何とか治療できないかと方法を模索しながら」 ドクン。 自分の心臓がはじけたような感覚をルシータは味わった。それは自分の父をつい最近に 死に追いやったウイルスだったからだ。 「殺されない限り絶対死なない不老不死……。私達はそれを追い求めた。魔術の禁忌に触 れるものと分かっていても私達はそれを追い求めたの。私達のような思いをする人を増や したくなかった。最初この遺跡を見つけたとき、私達は歓喜した。まだ未発見の遺跡に何 か不老不死への手がかりがあるかもしれない。しかし……」 エスカリョーネはそこで一息をつくと再び顔を上げた。そこには少し涙が滲んでいた。 「この遺跡に辿りついた時、妹は母と同じようにヒクルスに犯されていた。あの娘が…… あの娘の命が燃え尽きようとしているのに、私は何もできなかった……」 エスカリョーネの表情が苦痛に歪む。ルシータにはエスカリョーネの苦しみが自分の流 れ込んでくるような感覚に襲われた。ふと、前に会った少女の事を思い出す。 (フェナも、こんな思いしていたんだ……) 他人の苦痛を知覚できる少女。その痛みに苦しんでいた少女の気持ちをルシータはわか る気がした。 「私、あの娘が目を閉じると同時に気絶したの。目が覚めた時、あの娘、私の隣で寝息を 立てていたのよ。私、凄く嬉しかった……でも」 「でも?」 エスカリョーネはしばらく間を置いた。今から言う事のために覚悟を決めていると言う ところか。ルシータはそう解釈した。 そしてようやくエスカリョーネは口を開く。 「でも、それは仮初めの命だった。私はある日、カスケイドからミリエラの命はカスケイ ドが与えた擬似生命だということを聞いた。五、六年もしたら消えてしまう命」 「どうして、ミリエラの記憶を操作したりしたの? 生き返らせることを百歩譲って認め たとしても記憶まで消すことないじゃない! 自分達の都合で記憶を書いたり消したり、 そんなの……」 「仕方がなかったのよ!」 ルシータの言葉をエスカリョーネは遮った。今までにない感情の高ぶりだった。 「仕方がなかったのよ! 私とお父様との話をミリエラは聞いてしまったのよ! そして ミリエラは……死を選んだ」 「えっ……」 「雷の谷から飛び降りたの。私達は止めようとしたけど間に合わなかった。ミリエラは死に、 またカスケイドに助けられた」 (またカスケイド……) ルシータはだんだんとその古代幻獣の生き残りというカスケイドに疑念を持ってきた。 思えば全ての元凶はこの幻獣ではないのだろうか? 「カスケイドは自分の判断で勝手にあの娘の記憶を変えてしまったの。また自殺されると 困るって。そして私達にあの娘に本当の生命を与える代わりに五人の魔術師をここに連れ てくるように命じた。自分への生贄として」 「そんな! 何の罪もない魔術師達を犠牲にするなんて……」 「あなた、ミリエラのこと好き?」 エスカリョーネの突然の問いかけに一瞬言葉を失ったルシータだがすぐに肯定の頷きを返した。 「ミリエラが死んだら、悲しいでしょ? だから私はこの娘を救うためならどんな事でも するわ。たとえ、悪魔に魂を売ったとしても……」 「もう、止めて、お姉ちゃん」 エスカリョーネの言葉にルシータが言葉に詰まったとき、ミリエラが合間を縫って話し かけてきた。 「そんな事されても、私、なにも嬉しくない……」 ミリエラはすがるようにエスカリョーネの胸に顔を埋めてくぐもった声で言った。 「あなたのためなの」 エスカリョーネは答える。その口調は悲しさを一杯に詰め込んだ、切ないものだった。 「私のために罪を重ねるのはもう止めて!」 ミリエラが顔を上げて精一杯の声で叫んだ。そこに爆発音が重なる。そのすぐ後に眩い 光が差し込んできた。 「……第四の、封印が……解けた」 「封印って……まさか、ヴァイ!」 ルシータは泣きそうな声で叫んでいた。 ルシータ達が床下へと落ちてから少し。 ヴァイは何度目かの地面への叩きつけへ受身を取っていた。 「はぁ、はぁ……」 ヴァイの息は荒い。ここまでに幾つも魔術を使ってきたのだからそれは当然の事だ。い かに普通の人よりも魔力がすぐれていても消耗度は同じなのだ。 『ひゃははっはははははああっは!』 化け物に変貌し、正気を失ったデイジーは片膝をついているヴァイへとじわりじわりと 近づいていた。 ヴァイは右手を掲げて魔術を放とうとする。しかしそこにゲイルが放つ魔術が炸裂し、 声亡き悲鳴を上げてヴァイは弾き飛ばされた。 『そこだ!』 吹き飛ばされたヴァイにデイジーは瞬時に近づき、軟体化した腕を巻きつけて締め付け 始めた。 「ぐ、がああああ!!」 体の軋む音と共にヴァイの悲鳴が遺跡に響く。 「やめろ、デイジー! 殺してしまっては何の意味もない!」 ゲイルが叫ぶようにデイジーに声を投げるがデイジーは全くその言葉が届いてはいない。 『しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねぇ!!!』 デイジーは更に締め付けを強める。 「うああああああああああ!!」 ヴァイが絶叫した。デイジーがそれを聞いて狂ったように笑いつづける。 「くっ、しかたがない」 ゲイルが今度はデイジーに向けて魔術を放とうとした。しかしそれより早くデイジーの 背中に光熱波が炸裂した。 『がっ!?』 デイジーが苦痛の声を上げてヴァイを離す。ヴァイは床に落ちるとすぐさまデイジーの 傍から離れた。 「……遅い、ぞ」 「悪かった。後で不満は聞こう」 ヴァイの傍にいた人影。それはラーレスだった。