激しい音を立てて一つの馬車が雪に覆われた荒野をかけていた。御者台にはヴァイが一

人、激しく手綱を動かし、全速力で馬車を進めている。馬達もヴァイの心情が伝わってい

るのか自分達から加速しているようだ。

 降りつづける雪をものともせずに進んでいる馬車の中は重々しい空気が支配している。

 中にはルシータ、ミリエラ。そしてラーレスとエリッサの姿もあった。

「……一体どういう事なの」

 沈黙をエリッサの怒気を含んだ口調が斬り裂いた。ミリエラの体が僅かにだが震える。

 エリッサはミリエラに近寄ると胸倉を両手で掴んだ。

「何とか言いなさいよ!! あなたの父親のせいで、世界が滅ぶかもしれないのよ!! 

どうしてゲイルは古代幻魔獣なんか復活させようとしてるの!? あなたの父親の事なの

よ! 知らないなんて言わせないわ!」

「止めなさいよ!」

 ルシータが耐え切れずにエリッサとミリエラを放した。その顔にはあからさまなエリッ

サへの敵意が見える。

「ミリエラは悪くないわ! ミリエラは記憶を操作されていたのよ! 何も知らずにあた

し達をここに連れてきただけだわ!! ミリエラは悪くない!!」

「確かに、彼女をここで責める意味はない」

 ラーレスがルシータについで言葉を発した。エリッサはしぶしぶながらもミリエラから

間合いを取って腰を据える。

「……我々が今できることを知る事が第一だ。ミリエラ、エスカリョーネという女がヴ

ァイをあの場所に呼ぶように言った事は、古代幻魔獣復活と何か関係があるんだな?」

「はい……」

 ミリエラはあの丘での出来事を思い出していた。





「ミリエラ、あなたは本当はもう死んでいるの」

 その言葉にミリエラは動けなかった。その場にいる誰もがそうであったろう。ヴァイで

さえも、マイスを取り戻そうと動こうとするのを忘れていた。

 その一瞬の間が、エスカリョーネには十分な間となった。

 突如エスカリョーネの後ろに巨大な黒い塊が現れる。エスカリョーネはそれにマイスを

近づけると、マイスの体は黒い塊に吸い込まれてしまった。

「マイス!」

 ヴァイが即座にエスカリョーネへと突進する。しかしそれも地面の下から突如現れたモ

ンスターに阻まれた。

「この子を返して欲しければ、カスケイドの神殿に来て。大丈夫、来てくれればこの子に

危害を加えたりはしない……」

 エスカリョーネはそう言うと自分も黒い塊の中に入ってしまった。

 黒い塊はエスカリョーネを飲み込むと唐突に収縮し、まるで最初からなかったかのよう

に消滅した。

「ちっ!! 『灰色』の使者!」

 重力の檻がモンスターを雪原へと押し付ける。モンスターは咆哮し、体をよじるが束縛

からは逃れる事はできない。

「キュー!!」

 そこへレーテの光線が入り、次の瞬間モンスターは轟音を立てて消滅した。

「……」

 ヴァイはもう近辺に殺気がないことを確認するとミリエラへと近づいていった。ミリエ

ラは放心したようにその場にしゃがみこんでいる。

「ミリエラ、マイスはどこに連れて行かれた?」

「ちょ、ちょっとヴァイ!」

 ルシータがミリエラに近寄ってミリエラを抱き寄せる。

「そんな口調で言わなくてもいいでしょ!」

「どこに、連れて行かれた?」

 ヴァイは淡々と言った。それは無理やりにでも感情を廃しようとするかのようであった。

「……カスケイドの神殿……古代幻獣の遺跡です。雷の谷の……」





 その後、雷の谷と呼ばれる場所に行く準備をしていたところへラーレス達が合流し、現

在に至っている。ミリエラはエスカリョーネが言った事は全て話したが、一つだけ分から

ない事があった。

「どうしてゲイルは魔術師をさらっているんだ?」

 ラーレスのこの疑問にミリエラは答えられなかった。そもそも自分が……生きていた頃

知っていたのはカスケイドという古代幻獣が生き残っていた事と、古代幻魔獣を開放する

事が不老不死につながることだということだけだったからだ。

 自分が意識を失い、核によって再生するまでの記憶はあたりまえだが完全に抜け落ちて

いる。その他にも、どうして別の記憶があったのか、いつその記憶が植え付けられたのか

ということも抜け落ちていた。まだ記憶は完全ではないらしい。

「なるほどな。結局は……」

「行くしかないってことだ」

 ラーレスが溜息をつきながら言葉を放とうとしていたところへ御者台のヴァイが口を挟んだ。

「今ここで推測を並べても仕方がない。目的地が分かっていて、そこに答えがあるのなら

俺達は一刻も早く目的地に着くことだ」

「そうだな」

 ラーレスはそれ以来ずっと黙っていた。エリッサも初めの怒気はいくらか弱まり、ミリ

エラを時折睨みつけるように見るが何も言わなくなった。ミリエラはルシータの腕の中で

体を震わせている。ルシータは……強くミリエラの体を抱きしめていた。





 そこには雪が積もっていなかった。

 オレディユ山へ行くルートからは完全に外れてはいても北の果てに近いということは

変わらないはずなのにそこには冬の気配がなかった。

 雷の谷、そう呼ばれる谷は今、ヴァイ達の眼前に広がっていた。

「これのために、ここは全く調査できなかったんだ」

 ラーレスが溜息をついて呟く。その呟きにヴァイも同感だった。

 雷の谷。

 その地形に使われている特殊な土に蓄えられている電気によって終始雷が降り注いでい

た。その間隔は全く不規則で、一度雷が落ちてからのタイムラグは一瞬でもあれば数時間

の物もあった。

「本当にここを抜けていくの……?」

 ルシータが不安げな表情を浮かべて谷を見ている。最初は雷が落ちるたびに声を上げて

いたが流石に慣れてきたようだ。

「ここの中にあるとしたら、そうするしかないな」

 ヴァイは至って平然とルシータに言った。この場では焦っても仕方がないということは

分かっていた。それこそ相手の思う壺だと。

「もうすぐです」

 ミリエラが自分の腕にある時計に眼をやって言った。

 それが合図だったかのように谷の上空にあった黒い雲が霧散していき、谷に蒼空が覗いた。

「ここはある時刻になるとこうやって雷が収まるんです」

「なるほどな……」

 ラーレスが簡単の嘆息を出す。しかしミリエラの顔は優れなかった。

「ヴァイさん。やはり、ここからは私一人で行かせて下さい」

「ミリエラ……」

 ルシータが少し驚きの表情で言った。

「元はといえば私の父が原因ですし、説得して何とか止めて見せますから……」

 ヴァイはミリエラの眼に先に感じたものを再び感じた。

 誰か、大切な人をなんとしてでも止めようとする者の瞳。

 ヴァイは笑みを浮かべるとミリエラの横を通って谷に向かった。

「ヴァイさん!!」

「ミリエラ、お前が言ってゲイルが止まるのか?」

「……」

 ミリエラは答えられない。ヴァイはミリエラに背を向けたまま言った。

「俺はお前の仲間だ。困っているときに助け合うのが、仲間だろ?」

 それだけ言うとヴァイは再び谷に足を進める。

 呆然とそれを見ているミリエラの手をルシータが掴んで歩き出した。

「そうだよ。ヴァイなら何とかしてくれるって!」

「君の説得で止まるなら、最初から幻魔獣を復活させる事はしないだろう」

 ラーレスが二人を追い越しざまに言う。

「世界の平和を守るのは私たちの仕事なんだから、あなたはちゃんと見届けなさい。この結末を」

 次いでエリッサも追い越してラーレスの隣に並んだ。すでにヴァイは谷の下へと降りて

いっている。

「……はい」

 ミリエラはあの丘から初めて、笑った。

 胸にわだかまる重みが、少しだけ軽くなったような気がした。





 谷は切り立った岩が乱立していて視界はけして良好ではなかった。しかしミリエラは迷

いを見せる事なく真っ直ぐに目的地へと向かっているようであった。

「この谷があるのってやっぱその、古代幻魔獣を封印するため?」

 ルシータが殺風景な景色に飽き飽きした様子でヴァイへと問い掛ける。ヴァイは襲撃に

注意していたがルシータの問いかけに対する余裕はあった。

「ああ、そうだろうな。しかし気になるのはむしろ……」

「気になるのはカスケイドという幻獣の存在だ」

 ヴァイの言葉を遮って言ったのはラーレスだ。隊列的には先頭にミリエラ。そのすぐ後

ろにヴァイとラーレス。次いでルシータ。最後尾にエリッサという前後両方からの攻撃に

対処できるような陣形である。

「ミリエラ、そのカスケイドというのは本当に幻獣なのか?」

 ラーレスの問いかけにミリエラは不安げな表情を浮かべる。

「私には……カスケイドの放つ気配っていうか……そういったものが、少なくとも人間で

はないのは確かです。でも実際幻獣に会ったことは私にはありません」

「ゲイルは、あるのか?」

「いいえ、父にもないはずで……」

 その時、地面が音を立てて振るえた。

「な、なに?」

 ルシータが揺れる地面になんとか足を落ち着かせて木刀を抜き放ち周囲を見回す。ミリ

エラは耐え切れずにその場に座り込んでしまったがその他はミリエラを囲むようにして身構えた。

(何処だ……)

 ヴァイは眼を閉じて気配を探った。耳から地鳴りの音が入ってくるがそれさえも除外する。

 眼を閉じる事で耳に頼りそうになるのをあえて止めさせ、体全体で気配を掴もうとする。

(同化だ。周りと気配を同化させろ……)

 すぐにヴァイの耳からは音が消え、何もかもが静まり返ったようにヴァイには感じられ

た。近くにいるラーレスの、ルシータの、ミリエラの、エリッサの気配が伝わる。眼を閉

じていてもどんな体勢でいるのか理解できた。

 そして、光が、見えた。

「そこだぁ!!」

 ヴァイは目を見開きその地点へと手を向ける。

「『赤』い、稲妻ぁ!」

 ヴァイの手から巨大な火の玉が現れてその地点へと飛んでいく。そして地点に着弾する

と耳を劈く爆音と共にその地点を吹き飛ばした。

「くるぞ!」

 ヴァイは叫んでその場を飛びずさる。ラーレスとエリッサも同様にし、ルシータはその

場にレーテの結界を張らせた。ミリエラを守るためである。

 ヴァイ達がその場から離れて一瞬後、爆炎の向こうから突如稲妻が迸り一瞬前にいた地

点を直撃した。むろん、レーテの結界は突き破れない。

「『灰色』の使者!!」

 ヴァイは晴れてきた爆炎の向こうに巨大な生物の影を確認するとすぐさま魔術を放つ。

 重力に囚われたモンスターはその場にもがきながら埋もれていく。

「『赤』い稲妻!」

「『白』狼牙!」

 そこにラーレスとエリッサの魔術が同時に降り注ぐ。巨大な火球と光熱波はモンスター

に吸い込まれ、再び大爆発を起こす。

「これで……」

 エリッサが会心の笑みを浮かべたその時、再び煙の中から雷が降り注いだ。油断してい

たエリッサにかわせる余裕はない。

「きゃあ……」

 思わず顔を覆い衝撃に供えるエリッサ。しかし雷が届く瞬間に緑色の球体に包まれた。

そして雷を弾き返す。

「レーテ、ありがと!」

「キューイ」

 ルシータの言葉にレーテが答える。ヴァイは皆の状態を確認するとモンスターに向き直

った。すでに煙は消え、その姿が完全に覗いている。体を棘に覆い、額には巨大な角が生

えている。そこは先ほどから放電していた。よく見ると体全体が放電している。

「なるほどな。体の周りに電磁場を張って魔術を退けたわけか」

 ヴァイは苦々しい口調で言う。

「こいつは今までよりも手ごわいな」

「心配するな! ここがお前の墓場になる!!」

 声は唐突にヴァイ達の上から聞こえた。

「あ、あれは!」

 ラーレスが驚愕の声を出して上空を見上げた。ヴァイもつられて上を見る。その瞬間に

光が迫ってくるのを確認した。

「ちっ!」

 ヴァイは横っ飛びに光――光熱波をかわして身構える。その行動で皆のいる位置から

少し離れてしまった。

(合流しなければ……)

 ヴァイは急いで合流しようとしたが突如モンスターが跳躍し、ヴァイとラーレス達との

間を塞いでしまった。

「しまった!」

 モンスターの向こうからラーレスの声が聞こえる。ヴァイも内心焦っていた。

(分断されたか)

 そんな焦燥が心に染み込んできたときに目の前に一つの人影が現れた。

「お前は!?」

「覚えててくれたかい? ヴァイ。私のことを」

 その人影はヴァイの良く知っている人物だった。しかしそれには何か違和感があった。

「お前はまだ回復していないはずだ……デイジー」

 ヴァイの目の前にいる人影――デイジー=ローフィールドはヴァイの言葉に一瞬わけが

分からないといった表情を浮かべたがその理由に気づき、笑い出した。

「そう思うのは仕方が無いわよね。でも、私はデイジーなのよ……ハリスでもあるけど」

「なんだと?」

 外見も声もデイジーである相手にヴァイは困惑していた。

「ハリスは死んだ。でも、何故か私の体の中にハリスの意志が入ってきたの。その影響で

私とハリスの意志が一つに解けたようなのよ……。これも、お前を殺せということかしらね!!」

 デイジーは更に狂ったように笑い声を上げる。ヴァイは正確な事は分からなかったが、

どうやらハリスとデイジーの意志が一つになっていると言うのは納得できた。

 デイジーの体から二つの気配の流れを感じる。

(そして、強い魔力を)

 ヴァイは無言でヴァルレイバーを引き抜いた。その様子にハリスが笑いを止める。

「ヴァイ、私が掴んだ力を見るがいい!!」

 次の瞬間、ヴァイは横に飛んでいた。そのすぐ横を光熱波が通り過ぎる。

「呪文無しで魔術だと!?」

 ヴァイは流石に驚愕した。そんなことができるのはもはや人間のレベルではない。

「この力で、お前を倒す!!」

(くそ!)

 ヴァイはデイジーの攻撃から逃げるために谷を更に奥へと進んでいった。


BACK/HOME/NEXT