しばらくしてハリスは無残に残されたダムの後で、二本の柱が支える細い足場へと降り

立った。ヴァイとラーレスはそこから一つ間がある場所へと降り立つ。

「ラーレス、ここからは俺が行く」

「……分かった」

 ラーレスをその足場へと残してヴァイはハリスの待つ場所へと降り立った。そこはさな

がら二人の決闘場のように感じられる。

「ハリス……」

「ヴァイ、動くなよ」

 そう言ってハリスは腕を掲げた。

「『黒』狼陣」

 ハリスが放った真空波がヴァイの足を斬り裂く。

「ぐ、あ……」

 必死の顔で苦痛を堪えるヴァイ。それを見てハリスの顔は愉悦に歪んだ。

「『黒』狼陣! 『黒』狼陣! 『黒』狼陣!……」

 次々と唱えられる魔術。それと共に発生する真空波。それにより次々と傷を苦痛の悲鳴

と共に体に刻んでいくヴァイ。

「ぐあ、が、うわぁ、がは!」

 何度も体を抉られてヴァイは遂に片膝をついた。

「ヴァイ!」

「ヴァイさん!!」

 ラーレスが、ミリエラが叫ぶ。ラーレスが見ていられずに加勢しようとするがハリスが

鋭く機先を制した。

「お前が動けばヴァイに止めを刺すだけだ」

「くっ……」

 ラーレスは体全体に怒りを溜めながらチャンスを伺っている。ハリスはそれを見て笑い

声を上げた。

「ヴァイさん! 私はどうなってもいいです!! 死んじゃ嫌ぁ! ヴァイさんを助けて!」

 ミリエラが涙を流してハリスに訴えかける。しかしハリスは少しも気に止めない。

「馬鹿を言うな……」

 ヴァイが膝をついた状態から立ち上がった。ミリエラは顔を喜びにほころばせ、ハリス

は憎悪に曇らせる。

「ミリエラは大切な仲間だ。絶対助ける、助けるぞ……」

 ヴァイは一歩、一歩と踏み出してハリスとの間を詰めていく。ハリスは更に激情を表に出した。

「なら、死ねぇ!!」

 ハリスが魔術を放とうとする。その時、その手をミリエラが掴んだ。

「だめぇ!!」

 捕まれた事でハリスは一瞬怯み、バランスを崩す。

「『緑』の烈陣!」

 ひたすらチャンスを待っていたラーレスはこの隙を見逃さなかった。即座に真空波を放

ち、ハリスの右腕を斬り裂く。

「ぐあっ!?」

 その勢いでハリスの体は仰け反り、ミリエラとハリスの間があいた。

 そこにヴァイがとても手負いとは思えないほどの速度で走りこむ。

「『紫』の波紋!!」

 魔力強化された拳をスピードに乗せてハリスの鳩尾に叩き込むヴァイ。ハリスはその衝

撃に耐え切れず苦痛のうめきを吐き出した。

 勢いに乗ってハリスの体が宙に飛ぶ。そこにヴァイの掌が向けられた。

「今度は直撃だ……」

「ひっ……」

 ハリスはこの時、一瞬だったがヴァイと視線が交錯した。そしてハリスの体の細胞一つ

一つにまで染み渡るかのような殺気を感じた。ハリスはこの時、初めてヴァイに本当の恐

怖を感じたのだった。

「『白』き咆哮!」

 渾身の力で叫んだヴァイから放たれた光熱波は、ハリスを完全に飲み込みそのまま空気

を貫いていく。

 そして遠く、ダムの岸壁にぶつかり噴煙を上げた。爆発音がダムの決壊による水流が収

まって行く音に反比例して大きく響く。そのまましばらくは誰も動かなかった。しかしも

う何もないと分かるとヴァイはゆっくりと膝をつく。

「……終わった、か」

 ヴァイはそう呟くと力尽きたように倒れ、そのまま下に落下した。

「ヴァイさん!!」

 ミリエラが悲鳴をあげる。ラーレスも助けが間に合わない。と、声無き叫びを上げた。

 しかし落ちていくヴァイが水面に落ちるのを防いだ人影があった。その人物は水面下の

安定した家の屋根に降り立っている。

「あれは……?」

 ラーレスが不思議そうにその人物を見る。その人物は白髪に威厳漂う白髭を持っていた。

 ラーレスは知りようもないがエスカリョーネと話していた人物である。

 白髪の人物は自分の腕の中でぐったりとしているヴァイをしばらく眺めていたが、やが

て屋根に静かに下ろした。そして上を見上げた視線がミリエラと重なる。

「……えっ?」

 ミリエラは戸惑った。その瞳はどこかで見たことがあったようなものだったからだ。

 白髪の人物はしばらくミリエラを見つめていた後に、何事かを呟くと風に乗ってその場

から去った。

「彼は……」

 ラーレスは訝しげに白髪の人物が去っていった方向を見た。しかし既に姿は見えない。

 何も解決はしていないのでは。

 そう、心の中でラーレスは思った。

 今回の終わりは新たな始まりの一歩ではないか、と人知れずラーレスは呟いていた。





 マイスは体を覆う不快感が気になって眼を覚ました。

 唐突に自分が巻き込まれた状況がフラッシュバックする。

「そうだ、僕……」

 起き上がり、体のあちこちを触れてみるが特に痛む場所は無かった。何事も無かったよ

うに、ただ衣服が水分を含んでいるだけで何も他は普段と変わらなかった。

「どうして、だ……?」

「マイスー!」

 遠くからエリッサが呼ぶ声がする。マイスは首をかしげながらも自分が無事な事に安堵

感を隠せなかった。少しよろめきながらも立ち上がり、声が聞こえてくる方向に向けて声

を出す。マイスがいる所は、ちょうどエリッサからは死角になっているのかなかなか探し

には来ない。

「僕が行ったほうが早いな」

 マイスはそう呟き、その場から動こうとした。その時、背後から視線が注がれているよ

うな気がして振り返る。しかしそこには何も、誰もいない。

 多少不思議に思いつつ、マイスはエリッサのところに向かう。

 しかし、マイスの視線から少し外れた場所にはエスカリョーネが立っていた。

 その瞳は悲しみが多く含まれていて視線はマイスへと注がれている。

 そのまましばらくエスカリョーネはその場に佇んでいたが身を翻して姿を消した。

 後には花が一輪残されているだけだった。

 名も知らぬ花、ただ一輪だけが。





 結局、ヴァフリーズは復興する見込みは無く、元々いた住人は近隣の街に移住する事になった。

 家の品は全て流されてしまったが、住人に死者、重軽傷者が出なかった事が唯一の救い

だろう。人が無事ならば、いくらでも人生はやり直しが聞くのだ。

《リムルド・ヴィーズ》の根回しのおかげで、今回の事件は一般民には怪物の来襲だけで

説明はかたをつけた。実際得たいの知れない怪物が街を飛び回っていたことは事実なので

ごまかしはわりと簡単にきいたのだ。まだまだいろいろな問題を抱えた事件であったがひ

とまずの終局をここに迎えた。

「我々は一度本隊に状況報告をしに戻るさ」

 ラーレスは手荷物を片手に軽い口調で言った。エリッサはマイスと別れの挨拶をしている。

「まあ、すぐ会う事になりそうだがな」

「どういう意味だ?」

 ヴァイがラーレスの言葉の意味を問う。しかしラーレスは苦笑いを浮かべたまま言った。

「言葉通りだよ」

 そしてしばし会話を交わした後、二人はヴァイ達とは逆方向に道を辿っていった。

 ただただ、後ろ手に手を振りながら。

「ねぇ、ヴァイ。これからクレルマスに行くの?」

 不機嫌な声色でルシータが言う。これもハリス達が違う場所に戦う場所を移すのに追い

つかず、結局その場についた頃には全てが終わっていたという疎外感からなのだが。

「ああ、まあ気になることもあるしな」

 ヴァイは簡単に話題をはぐらかして御者台に乗り込んだ。

「もー、話を――」

「ルシータ、早く行こう」

 マイスが馬車の中からルシータを急かす。ルシータは仏頂面になりつつも、しぶしぶ中に入った。

「さあ、やっとクレルマスですねぇ〜」

 ミリエラは晴れ渡る空を見上げて気持ちよさように背伸びをした。どことなく嬉しそう

なのは気のせいではないだろう。

「ヴァイさん」

 ミリエラは小さな声でヴァイに話し掛ける。ヴァイはその声色の示すままミリエラに体

を近づけた。

「ありがとうございます。仲間って言ってくれて」

 ミリエラはそれだけ言うと素早く馬車の中に入った。その後、ヴァイは苦笑を浮かべる。

「さあ、行くか」

 ヴァイが手綱を軽く振った。それに応じて馬達も歩き出す。

 遠くでは雨雲が次第に広がっていた。

「嵐になりそう……」

 誰かが、呟いた。





「ぐ、は、は、はぁ……」

 ハリスは自分のアジトに満身創痍で帰ってきていた。

 血塗れの体を椅子へと預ける。横に座らせたデイジーの体に自分の体をなすりつけていた。

「母様ァ、痛いよ。くそ! あのヴァイのクソヤロう!! 今度会った時は必ず殺す!!」

 ハリスは半ば半狂乱になってヴァイへの罵りの言葉を吐いている。その最中、足音が部

屋に響き渡った。

「エ、エスカリョーネ」

 ハリスがくぐもった声でその女性の名を呼ぶ。そして笑顔を浮かべた。

「エスカリョーネ。ちょうどいい。お前の魔術で俺の傷を治してくれ。今の俺じゃあ満足

な治療はできない」

 そう言ってハリスは立ち上がる。エスカリョーネがハリスに向けて走ってきた。

「あとゲイルに言ってくれないか? コアがもっと必要になる」

 その時、彼の体が軽い衝撃を受けたかのように揺れた。いや、実際受けたのだ。

 腹部に軽い圧迫感。その後、猛烈な嘔吐感。

「がはぁっ……」

 ハリスの口から多量の血が溢れた。ハリスの腹部には剣が突き立っていたのだ。

 それは背中まで貫通している。出血多量な血液が、地だまりを作っていく。

「エスカリョーネェ!!」

 ハリスは絶叫を上げるとエスカリョーネに襲い掛かった。しかしエスカリョーネは少し

だけ横に体をよけるとハリスはそのまま床に崩れ落ちた。

「あなたは、許されない事をしたの。……さよなら」

 エスカリョーネはそれだけ言って闇に消えていく。

「か、あ……さ……」

 ハリスは少しの間ヴァイに対する呪詛を並べていたが、やがてその目は濁り、言葉が途

切れた。

 後に残るのは意志の無い瞳でハリスだったものを見つめつづけるデイジーだけである。

 周りではモンスターの核が不気味に明滅し、ハリスの死体を赤く染めていた。

 復讐鬼、ハリスのあっけない最後だった。


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