「どこまで行く気だ!!」

 ヴァイは凄まじい量の水に飲みこまれていく街並みを見つつ、前方を行くハリスを追っ

ていた。しかしその差は変わらない。

(いや、奴は誘ってるんだ。この先に何かある)

 ヴァイは全神経を集中して周りの気配に気を配った。よほどの事がない限りここまで誘

ってくる理由はないだろう。

 その内にハリスは水の被害を逃れていた小高い丘の建物へと入った。

 ヴァイも数秒後に建物の入り口にたどり着き、周囲に気を配りながら中へと入った。

 そこにあった光景を見てヴァイは一瞬唖然とした。

「ここは……」

 ヴァイは前方へと歩いていって行き止まりで立ち止まる。

「この時を、待っていたんだよ……」

 外とは比べようもない静寂の中にハリスの声が響く。

 ハリスはヴァイのいる場所の更に先に座っていた。

 ヴァイ達がいる場所は崩れた裁判所だった。

「相応しいじゃないか。貴様の罪を裁くには」

 裁判長席だった所に立つハリスが言う。すると陪審員席から弁護人席まで全て泥人形の

群で埋まった。そしてそこから這い出してヴァイへと向かう。

「貴様の罪を、断罪する!」

 こうしてハリスの復讐劇は幕を開けた。





「こんのぉ!」

 ルシータの一撃は一体のモンスターを水流に叩き落す。モンスターは奇怪な叫び声をあ

げて下流へと流されていった。

「隊長、あれを!!」

 エリッサが切羽詰った声をラーレスに向けた。ラーレスはエリッサが指し示している場

所に視線を転じた。そして顔を曇らせる。

「あれは……」

 ラーレスとエリッサの視界に飛び込んできたのは、はるか先に佇む建物。

 ちょうどダムの近くに位置した建物だった。周りには何体かのモンスターが群がっている。

「どうしたんです!?」

 マイスがモンスターの一体を屠ってから聞く。

「あの建物に人が取り残されている」

「え!?」

 マイスはすぐに視線をその建物に向けた。しかしマイスの眼には遠すぎて人の影を確認

する事はできない。

「確かにいる。助けに行かなくては……」

「私が行きます!」

「僕も行くよ!」

 エリッサに続いてマイスが言った。ラーレスは少し考えた後、二人に任せる事にした。

「頼んだぞ二人とも!」

 ラーレスはそう言うと進行方向にいたモンスターを光熱波で薙ぎ払った。

「行け!」

「「はい!!」」

 マイスとエリッサはラーレスが作った突破口を通って沈みかけた建物へと向かった。

「大丈夫でしょうか、二人とも」

 ミリエラが心配そうに二人が去っていくのを見つめる。ラーレスは少し不安そうな表情

を浮かべたがすぐにそれを消すとミリエラに言う。

「大丈夫だ。二人とも、師が良いからな」

 ミリエラをリラックスさせようとしてラーレスは少し軽い口調で言う。ミリエラはそれ

を聞いて安堵に顔をほころばせた。

「ちょっと! 早く手助けしてよ!!」

「キュー!」

 少し離れた場所ではルシータがレーテと共に奮闘していた。





 エリッサとマイスは互いの魔術を駆使して水流で崩れかけた建物に到着した。近づくと

子供達の泣き声がはっきりと聞こえる。

「学校のようね……」

「行こう」

 マイスは即座に答えると建物の最上階から建物の中に入った。エリッサも後に続く。

 水流が建物を蹂躙していく音がすぐ傍で聞こえてくる。壁が軋み、床が激しくうねる。

「どこ! どこにいるの!!」

 エリッサは声の限りを尽くして呼びかけるが返答はどこからも返っては来ない。

 マイスも同じように呼びかけるが少しも返答がない。しかしそれから先に進んだ時、子

供の泣き声が二人の耳に飛び込んできた。

「いた!!」

 エリッサは微かな声のする方向へと飛び出した。その時、突如エリッサの頭上が崩れて

きた。水流のあまりの衝撃に建物の強度が追いつかなくなってきたのだ。

「きゃあぁああ!!」

 エリッサは避けようとしたが間に合わない。エリッサは思わず眼を閉じた。そこにマイ

スの声が届く。

「『白』光!」

 言葉から一瞬後に轟音が響くとエリッサの上にぱらぱらと壁の破片が降り注ぐ。

 眼を開けてみるとエリッサに落ちてきた壁の破片は全てマイスが光熱波によって破壊し

た後だった。

「大丈夫かい? 早く子供達の所に向かおう」

 マイスが手を差し伸べてくる。エリッサはその時のマイスの顔を何故か見る事ができなかった。

「う、うん」

 エリッサはマイスの手を取って立ち上がる。思いもよらぬ危機との遭遇のためか、エリ

ッサの胸の鼓動は収まらない。

「行くよ!」

 マイスはそんなエリッサの動揺を知らずに先に駆け出す。

 エリッサは顔を左右に何度か振ると頬を両手で叩いた。

「しっかりしなさい、エリッサ!」

 エリッサは少し離れたマイスの背中を見ながら走り出した。

 やがて二人は子供達を発見した。校舎の三階の隅に一人の大人と三十人ほどの子供。

 どうやら先生と生徒のようだ。

「大丈夫ですか!?」

 エリッサがすかさず駆け寄っていく。マイスは辺りの状況を正確に見極めようと壊れか

けた窓から顔を出した。

「これは……」

 マイスは思わず口に声を出してしまった.その声色は絶望を含んでいる。

 建物の周囲はすでに水で覆われており、少なくとも自分等が立っていられるほどの深さ

ではない事が視覚で確認できる。しかも、なお水流の強さは増し、校舎全体が水流の方向

へと傾いているのだ。このままではいつこの建物が押し流されるか分からない。

「エリッサさん。早くみんなを上の階に――」

 マイスの言葉はそこで途切れた。

 マイスのいた地点に頭上から水流が牙を剥いたのだ。巻き込まれれば絶望的な水の嵐に、

悲鳴を発する事なくマイスと数名の子供は飲まれていった。

「マイス!!」

 エリッサの叫びは空しく水の流れに消えていった。





「――被告人。何か言いたい事はあるか?」

 裁判長席に座ったハリスがヴァイに向けて言ってきた。ヴァイは無表情のまま手をハリ

スに向けて掲げる。周りには粉砕された泥人形が散らばっていた。大量の泥人形の攻撃を

ヴァイは退けたのだ。

「『白』き咆哮!」

 ヴァイの手から放たれた光熱波は壇上のハリスを貫き建物の壁を粉砕した。開いた穴か

らは決壊したダムの水が我先にと言わんばかりに次々と入ってくる。

「そろそろ茶番は終わりにしたらいいだろう、ハリス」

 水がけたたましく流れ込んでくる音を意識的に排除してヴァイはハリスの襲撃を待った。

 しかし予想に反してハリスはヴァイから離れた所に姿を現した。その傍らには新たな人

影がある。

「それは……」

 ヴァイは自分の視界に入ってきた人物に驚いた。

 その人物は車椅子に座っている。その眼には生きているものが持っている生気、という

ものがなかった。

「デイジー……」

 ヴァイの言葉にハリスは言葉を返した。その言葉は激しい憎悪に満ちている。

「そうだよ。お前にこんな目にあわされて母様は悲しんでいる。お前はその罪を償わなけ

ればならないのだよ!」

 ハリスはそこで初めて攻撃に転じた。

「『白』狼牙ぁ!!」

 ハリスからの光熱波を横飛びで躱すと、ヴァイは浸水してきた床に手をついて魔術を発

動させる。

「『青』き龍!」

 ヴァイの言葉と同時に水が一塊になって上昇し、そこからきりもみ状になってハリスに

襲い掛かった。

「こざかしい!」

 ハリスは襲いくる水流を片腕で弾き飛ばす。それを見て驚愕に顔を強張らせるヴァイに

間髪いれずに魔術を放った。

「『黒』狼陣!!」

 ハリスの周りに風が纏わりつく。そこから音を立てて真空の刃が飛び出した。

「『緑』の烈陣!」

 ヴァイもすかさず魔術を発動させる。同じようなかまいたちをハリスに向けて、自分は

その場から退避する。ヴァイがいた場所に幾つも鋭い刃の跡ができた。

「『黒』い使者!」

「『黒』狼!」

 ヴァイの放つ空気の塊を同じ物でハリスが相殺する。しかしヴァイはその間に間合いを

詰めていた。

「何!?」

 流石にこの行動の早さにハリスは驚きを隠せなかった。眼前にヴァイの拳が迫った。

「この!」

 ハリスは一気に後ろに跳躍し、間合いを取ろうとする。しかしその瞬間こそヴァイの狙

いだった。

「『黒』き破壊!!」

「しまっ――」

 ハリスは自分の失態に気づいたが時は既に遅かった。ヴァイの魔術は発動し、飛びのい

ている最中のために空中で身動きが取れないハリスに、空間爆砕が完璧にヒットした。

「がはぁ!!」

 轟音をたててハリスが吹き飛ばされる。

 そしてそのままハリスの体は壁をつらぬいて外に飛び出した。

 急に復活した水流の音を聞きながら、ヴァイは目を外にやる。

 その瞬間、ヴァイの眼にハリスの姿が大きく映った。

 単に距離が近かったのが原因であるが。

 何にしてもヴァイは、ハリスの膝蹴りをもろに喰らい、建物の中に弾き飛ばされた。

「が……は、く」

 ヴァイがうめきながら何とか立ち上がる。その光景をハリスはただじっと見つめていた。

 周りの水流の音が大きくなる。それに従い、徐々に建物の輪郭そのものが軋み、圧迫さ

れていく。

「甘いよ、ヴァイ。今の空間爆砕、わざと僕に直撃させなかったな」

 次の瞬間、ハリスの顔に映ったのは完璧なる憎悪。

 母親、兄の復讐の刃に更に新たな鋭さが付け加えられる。

「俺は人を殺さない……」

 ヴァイは苦痛に顔を歪ませながらも言葉を発する。

「そんな事を言っているから殺されるんだよ!!」

 ハリスはそう言うと素早く駆け出した。まだ戦闘態勢を整えていないヴァイに向けて拳

を突き出す。

 ヴァイはまるで力尽きたように床にしゃがみこんでハリスの拳を躱す。そのまま体を回

転させ足払いを放った。突進してきた勢いを殺せないままハリスは足払いにかかり、床に

叩きつけられる。そこにヴァイの拳が鳩尾に振り下ろされた。

「なめるな!」

 ハリスは足を振り上げて振り下ろされた腕に蹴りを食らわせ、その反動でヴァイから間

合いを取り床に倒れたまま叫んだ。

「『白』狼牙!」

「『白』き咆哮!!」

 ハリスの魔術発動に合わせてヴァイも叫ぶ。

 お互いが放った光熱波はちょうど互いの中間点で衝突し、轟音を立てて相殺しあう。

 その音に耳鳴りを覚えつつ、ヴァイは更にたたみかけた。

「『白』き咆哮!」

 先ほどの余熱を貫き更に光熱波が部屋を通り過ぎる。しかしハリスはその場から既に姿

を消していた。

「『黒』狼!」

 その声はヴァイの頭上から聞こえた。それに気づきヴァイが前方に体を投げ出すのと天

井の一部分――ヴァイが立っていた場所のちょうど上が爆砕して不可視のものが落ちてく

るのはほぼ同時だった。

「『赤』い稲妻ぁ!」

 ヴァイは天井に開いた穴に向けて炎の塊を飛ばす。炎の塊が穴に飛び込んでいっても手

応えはなかった。

それからしばらくしてもハリスの気配が見えない。

「……しまった!?」

 ヴァイが声を上げるのと突如建物が崩壊するのは同時だった。





「これで終わりだ」

 ラーレスが最後のモンスターを斬り裂いた。水流はようやく勢いを収めてきている。

 しかしもうこの街の再建は不可能だろう、とラーレスは冷静に分析した。ふと横を見る

と震えているミリエラがいた。少し離れた場所にルシータが他に生き残りがいないか探している。

「君は――」

 ラーレスはミリエラに何かを問おうとした。その時ラーレスの脳裏に危険信号が灯る。

「『白』き螺旋!!」

 ラーレスとミリエラの周りを光の螺旋が取り巻く。そこに行く筋もの光線が降り注いだ。

「きゃあ」

「こ、これは……」

 しばらくして光線の雨が途切れるとラーレスは降り注いできた方向を見る。ルシータは

離れていたために光線からは逃れていた。そしてラーレスと同時にその姿を見つけた。

 そこにいたのはハリスだった。

「おやおや、《クラリス》の犬! 貴様も一緒に殺してやるよ」

「お前……ヴァイはどうした!?」

 ラーレスの怒号にハリスは平然と答える。

「ふふ、今ごろ深い水の底だろうさ」

 ハリスの顔が醜く歪んだ。

「何ですって!!」

 ルシータが激情を抑えない声で叫ぶ。ラーレスはその瞬間にハリスに魔術を放っていた。

「『黒』の衝撃!」

 空気が激しく振動し、衝撃波が生まれる。そのまま衝撃波はハリスを直撃した。

 叫び声をあげて水へと落ちていくハリス。水に消えたハリスをラーレスは訝しげに探した。

「どういうことだ? 手応えがなさすぎる……」

 ラーレス等にも油断があった。何百匹もいるモンスターを倒したのだから疲れもあった

のだろう。

 ハリスが望んだのは完璧なる勝利。

 完全なる、ヴァイの敗北だった。

 その感情をラーレスも、ヴァイも理解してはいなかったのだ。だからラーレスはこの期

に及んでヴァイ以外を本格的にハリスが襲うなどとは思わなかったのだ。

「きゃああ」

 ミリエラがあげた叫びに、ラーレスはまさかという気持ちで振り向いた。

 思い描いた最悪の予想通りにミリエラはハリスに羽交い絞めにされていた。

「ははは!!! ざまあないな、《クラリス》の犬!!」

 ハリスの腕が更に力を増してミリエラの首を締め付ける。ミリエラはただうめくしかで

きない。

「……彼女を放せ」

「ヴァイ!」

 ラーレスが後ろを向くと所々服が破れながらも五体満足なヴァイが立っていた。

「ヴァイ! 良かったぁ」

 ルシータは安堵に顔をほころばせてヴァイの傍に駆け寄った。

「ほう! あれで死ぬとは思ってなかったけど案外早かったね」

「まあな、それよりも彼女は関係ないだろう」

 ハリスはヴァイの顔にミリエラを巻き込んだ後悔の念があることを見抜くとさらに腕を

圧迫し、醜い笑みを浮かべた。

「関係あるさ。お前に関わった全ての人間は僕の復讐の対象になるんだ」

 ハリスはそう言うとミリエラを抱えたままその場から飛んだ。

「待て!」

 ヴァイとラーレスはハリスの後を追っていく。ルシータはそんな二人の迅速な行動に反

応できなかった。

「ちょ、ちょっとまってよ!!」

 ルシータ一人をその場に残して二人はその姿をルシータの視界から遠ざけていった。


BACK/HOME/NEXT