寒波は強まり、最果ての地に近づく事を否が応にも旅人達に知らせている。

 街道には霜が降り、所々には雪が積もっている場所もある。

 ヴァフリーズは西側南端の商都ルラルタから続く三つの街道の内で最大の宿場町であ

り、巨大ダムが街のシンボルとなっている

 これより先にある都市はクレルマス一つしかない。ここから数キロほど進むと三つの街

道が一箇所に集まる場所がある。他の二つの街道からヴァフリーズに引き返してくる旅人

も少なくないというちょうどいい場所である。

 ヴァイ達は襲撃の危険を冒しつつ、この街に泊まることにした。

「うはぁ、大きいねぇ」

 ルシータが寒さに体を振るわせつつそんな感想を述べる。マイスはルシータの後ろでマ

ンとの前を握りなんとか寒さを凌ごうと勤めているために口がきけない。

「まだこれでも寒くないほうですよ」

 ミリエラは少し寒そうな顔をしているがさほど問題なさそうにしている。

「ミリエラはこっちの生まれなのか?」

 流石にここまで寒さの中、手綱を引いてきたヴァイは寒さになれているようだ。

 声も震えずにミリエラに問い掛ける。

「ええ。私は生まれも育ちも……あれ?」

 不意にミリエラの表情に影が走る。その様子は何故か自分の言っている事に困惑してい

るようだった。

「どうした?」

「いえ……何か……」

 ミリエラはしばらく考え込んでいたが、ルシータ達が寒さに耐え切れずに宿屋に急かす

のでミリエラの思考は中断された。

「とりあえず、ゆっくり休みましょう」

 ミリエラは走って前を早足で歩いているルシータ達に追いついた。その光景をヴァイは

訝しげな光を灯した瞳で見ていた。





 宿屋は金銭的に余裕があまりないので少し小さめなところが選ばれた。

 一応寒冷地のため壁はみな煉瓦造りであり、熱を逃がさない造りである。

「あったか〜い」

「キュイー♪」

「ふぅー」

 ルシータ、レーテ、マイスが三者三様(?)の様子で部屋に備え付けられた暖炉で暖を

取っている。ヴァイとミリエラはというと別のもう一つ、ルシータとミリエラにあてがわ

れた部屋にいた。

「ミリエラ、どうしてレギンス氏は俺を呼んでるんだ?」

 ヴァイの言葉にミリエラは表情を曇らせる。ヴァイは静かに腕を組んで椅子に座り、真

直ぐミリエラを見据えていた。

「えっと……」

 ミリエラは必死に何かを考え込んでいるようだった。依頼内容を言うべきか悩んでいる

のか、それとも……。

 ヴァイはもう一つの想像を頭からひとまず追い払った。

(とりあえず、今の時点ではなんとも言えないか)

 ヴァイは何も言わずにミリエラを見る。やがてミリエラはゆっくりと口を開いた。

「本当に、正確な依頼は聞いてないんです。ただ、あなたの力が必要だってことだけなん

です。私は本当に、何も……あれ」

「どうした?」

 ヴァイは先程と同じような状況にあることに気づいた。

 ミリエラがどういう理由か知らないが、違和感を覚えているようであった。

「いえ……何か……、何、か……」

 突如ミリエラが前に倒れてきた。

 ヴァイは慌ててミリエラの体を支える。ミリエラの体はまるで氷のように冷たかった。

 その体を滝のように汗が流れる。

「すまん、旅で疲れたようだな」

 ヴァイはミリエラを抱きかかえるとベッドに寝かせた。

「すみません、ヴァイさん」

 掠れた声でミリエラが言う。ヴァイは気にしなくていいというように首を横に振った。

「ゆっくり休めよ」

 ヴァイはそう言って部屋から出た。

 ゆっくりと締めたドアの前でヴァイは顔を抑える。

「まさか、彼女は……」

「あれ? ヴァイ」

 ヴァイがはっとして声のした方向を見るとルシータが立っていた。

「もうすぐ昼ご飯だって。ミリエラは? そこにいるんでしょ」

「ああ、彼女は疲れて眠ってるよ。俺等みたいに旅に離れていないようだ」

「何!? あたしもか弱い乙女なんですからね!」

「誰がだ?」

 ヴァイは顔を真っ赤にして怒っているルシータをいなしながら部屋から離れた。とりあ

えず今の状況では自分の推測には根拠がない。今は、静観している事がもっとも望ましい

と判断した。

(とりあえず、彼女の様子を見ておくか……)

 ヴァイは思考を元に戻し、ルシータとマイス、レーテと共に食堂に向かった。





 そこは花畑だった。

 一面に同じ種類の花が咲き乱れている。見たことのない花だ。

 ミリエラはその中から幾本も花を抜くと起用に繋げていった。

 どうやら花飾りを作っているようだ。

(これは……私?)

 花飾りを作っているミリエラは幼く、少なくとも十年は前の姿だった。

 少女のミリエラを見つめているミリエラがいた。その姿は現在の姿である。

(夢なの? これは……)

 少女のミリエラは嬉しそうに花飾りを作っている。そこに遠くから別の声が響いた。

『あ、お姉ちゃん〜』

(えっ!?)

 幼いミリエラの元に一人の少女がかけてきた。少女のミリエラよりも少々年上のその少

女は、ミリエラのようにその赤毛を前に二つにして下げている。

 頭には紅いカチューシャがあった。

(あれ、私の……)

『お姉ちゃん、これ! 花飾りだよ!』

『あら、上手ねミリエラ』

 赤毛の少女はやさしい声で幼いミリエラに話し掛ける。その声には目に見えるほどに愛

情が含まれていた。

『お姉ちゃんにあげるよ!』

 そう言って幼いミリエラは花飾りを赤毛の少女の頭に乗せた。少女は顔をほころばせて

嬉しさを顔全体に出す。幼いミリエラもその顔に笑顔を浮かべた。

『じゃあ、お礼に私はこれをあげるわ』

 赤毛の少女は自分の頭に手をかけるとカチューシャを取った。そしてそれを優しく幼い

ミリエラの頭に乗せる。

『いいのぉ? お姉ちゃん?』

『ええ、私の宝物。ミリエラにあげる』

『ありがとう、お姉ちゃん』



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「はっ!!」

 ミリエラは勢いよくベッドから起き上がった。息は切れ、体中を汗が流れ落ちる。

「はぁっ、はぁっ、はあっ、はっ」

 大きく息を吐き出して徐々に落ち着こうとするミリエラ。視界がぼんやりしている。

 いつのまにか眼鏡を外してしまったようだ。

 寝る前後の記憶が抜け落ちている。だが、夢の内容だけははっきりと思い出す事ができた。

「私……」

 ミリエラはシーツを強く握りしめる。体の奥底から震えがこみ上げてくるようでそれを

おさえるようにより力強く握る。

「私、に……」

 ミリエラは言葉を出す事に恐怖を覚えていた。しかし言わなければならない。そういう

欲求が体のそこから昇ってくる。

「私に」

 ミリエラは遂に口に出した。

「私にお姉ちゃんなんていない」

 自分の言葉にどう対処して良いかミリエラには分からなかった。しかし自分の身に何か

大変な事が起こっているという事は、何故か冷静に受け止める事ができた。





 ヴァイ達が昼食を取っている最中にミリエラは下りてきた。その顔には多少の疲れが残

っている。

「もっと寝てた方が良いんじゃないの。ミリエラ」

 ルシータが少し心配そうに声をかける。しかし手元は全く休ませずに料理を取っている。

「うん、大丈夫だよ。おなかがいっぱいになれば」

 ミリエラは先程見た夢の事を忘れるつもりでルシータの問の答えた。

(そう、私はミリエラ=レイニス)

 一つ空けてある椅子に座り、料理を見る。

(父さんも母さんも私が小さい時に死んじゃって、私は施設で育った)

 手元の皿に目の前に盛り付けてある肉の塊を切って乗せる。

(それから何年も経って――私は治安警察隊に入った――って、あれ?)

「それにしても旅で倒れるなんて、一応治安警察隊の外部地域担当でしょう?」

 マイスが言った言葉にミリエラは反応しなかった。ルシータには考え込んでいるミリエ

ラがマイスへの返答に困っているように見えた。

「マイス! 誰にでも向き不向きがあるのよ! ミリエラにはあまり向かないの、きっと!」

「う、うん」

 マイスはルシータの勢いに押されてしゅん、と小さくなって食事を突いている。

(あれ、私、私って……)

 ミリエラの顔が青ざめていくのをヴァイは冷静に見ていた。マイスは俯き加減で食事を

し、ルシータはヴァイの隣にいるために死角になって見えない。

(私って……今、何歳なの?)

 そう思った瞬間、ミリエラの意識は途絶えた。





 そこは辺り一面草原だった。すぐ傍には透明な水が流れる小川が通り、淵には一種類の

花が咲き誇っている。

 その光景に不意にピアノの旋律が流れてきた。

 力強く、物悲しい円舞曲。

 旋律の元には一人の女性がいた。

 エスカリョーネである。

 エスカリョーネの指は流れるような動作で鍵盤の上を走っていく。

 瞳は閉じられ、表情は無表情だが、そこから感じられる感触はとても悲しそうであった。

 やがて曲が終わる。

 エスカリョーネは静かに立ち上がり、ピアノから無言で去った。

 胸元に手をやる。

 そこには古ぼけたペンダントが架けてあった。

 それを軽く握り、エスカリョーネは呟いた。

「神様がいるのなら、我々の願いを、かなえてください」

 エスカリョーネは表情を、声を崩した。

 その様子は必死になって神にすがりつこうとしているように見えた。





「ただの過労だ。心配しなくても大丈夫だ」

 ヴァイが優しい口調で言い、瞳に涙を溜めているルシータの頭に手を軽く置いた。

 今にも泣き出しそうなルシータをあやすように優しく頭を撫でる。

「あたしが看病するね」

 ルシータは浮かべていた涙を拭うと、照れ隠しのためか素早くミリエラの部屋に入っていった。

「しばらくしたら交代するからな」

 ヴァイは扉板越しにルシータに一言言うとそこから去った。

 部屋の中では深い眠りに入っているミリエラの頭に濡れたタオルをルシータが乗せていた。

「元気になってね、ミリエラ。あたしミリエラが仲間になってとても嬉しかったんだから」

 ルシータは姉から愛情を享受する立場にいたために愛情を与える立場に憧れを抱いてい

た。ミリエラはルシータよりも言動が幼く、ルシータにしてみれば、悪く言えばできの悪

い妹ができた感じがしたのだ。

「早く元気になって……」

 その時、街が急に騒がしくなった。

 人々の悲鳴、怒号があちらこちらから聞こえてくる。そして何かの音。

 聞くには耳障りな音がはっきりとルシータの耳に入った。

「なに!? なんなの!!」

 ルシータは直感的になにか危険なものが自分に迫っている事を悟った。腰につけていた

木刀を引き抜く。意識を集中して気配を読む。

「ルシータ! ここから逃げるぞ!!」

 ヴァイが息せき切らせて部屋に飛び込んできた。

「どうしたの! ヴァイ」

「奴等が来た! いつもより小さいが、数が半端じゃないっ……」

 ヴァイは言葉を途中で切るとルシータの方に勢いよく駆け出した。

 突然の事にルシータは反応する事ができず、その場に立ち尽くす。

「『黒』い衝撃!」

 移動スピードに乗りながら放った衝撃波はルシータの背後の壁をぶち抜き、そこに潜ん

でいた物を吹き飛ばした。

 それは人型をしていてルシータとほぼ同じ身長で背中には羽があり、顔に当たる部分に

はいつも通り紅い宝玉がある。手には身長と同じくらいの長さがある棒状のものを持って

いる。それは鋭い光を放っており、どうやら剣の類だと分かった。

「行くぞ!」

 ヴァイは急いでミリエラを背負うとルシータを伴って走り出した。


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