ヴァイ達がミリエラと遭遇する何日か前。

 その事件は大陸西側中心都市である魔術都市ゴートウェルと、北に位置するクレルマス

を結ぶいくつかの街道の一つにある街で起こった。

 事件の内容は失踪事件。

 ただの失踪事件ならその街の治安警察隊が指揮を取って捜索すればいい。実際、その街

の治安警察隊は自分達で動こうとした。しかし彼等が受け取った書類にはこう書かれていた。



 汝等の、今回の事件に介入するを硬く禁ず。



 彼等は不信がって理由を聞こうとした。しかし、送られてきた人材を見てその気力さえ

も失ってしまった。

 送られてきた人物――ラーレス=クルーデルは自分の目の前に群がっている男達に言った。

「ここからは我々、ゴートウェル執行部直属部隊《リムルド・ヴィーズ》が調査をする。

貴官達が少しでも介入しようとすれば、その座から滑り落ちるのは覚悟してもらおう」

《リムルド・ヴィーズ》は以前まで秘密裏の部隊として一部の人々の間にしか存在を明か

さない組織だった。

 しかし現在の新体制が確立されてからは公の組織として世界にその名を現したのだ。

 執行部直属組織として再編され、現在に至っている。

 現部隊長、ラーレス=クルーデルは地元の治安警察隊に失踪者の詳しい情報の報告を受けた。

 あらかたの情報を聞き終わると彼の部屋には彼ともう一人だけが残った。

「ラーレス様、一体どういう事でしょうか?」

 ラーレスにそう聞いているのはまだ十代半ばの女性だった。

 栗色の髪の毛は短く刈り込まれており、耳が軽く隠れる程度である。

 顔の大きさからして少し大きめな瞳が年よりも若く見せていて、ラーレスと同じく漆黒

のローブを纏い、胸からは十字のペンダントを下げていた。

「エリッサ。私にもよくは分からない。しかし、こう立て続けに魔術師が狙われては何か

あると思わざるを言えないだろうな」

 ラーレスは苦笑混じりに言った。エリッサと呼ばれた女性は少し不服そうな顔でラーレ

スを見つめる。

「ちょうど二ヶ月前、一人の魔術師が失踪した。そして今までで更に二人が消えている。

これは偶然じゃないだろう。おそらく、俺達が考えもつかないことを犯人はしようとして

いるに違いないな」

 ラーレスは堅苦しい言葉から自分が使う言葉に口調を改めた。

 今度はエリッサが苦笑を洩らして砕けた口調で話し掛ける。

「しかし、これはデイジーがいなくなった事と関係があるんでしょうか?」

「分からないな。そもそもデイジーが自分で病院から抜け出せる状態にあったとは考えら

れない。誰かが連れ出した可能性がかなり高いな」

 ――二ヶ月前、ゴートウェルの街を混乱させ、支配しようとしたデイジー=ローフィー

ルドは事件後に廃人と化した。

 その経緯は一切謎に包まれている。

 結局、デイジーは病院に入れられて自然回復を待つことになったのだ。

 しかし、その矢先にデイジーは病院から姿を消した。それはヴァイ達が旅立ってからほ

んの数日後となる。

 デイジー失踪の調査に乗り出した《リムルド・ヴィーズ》はいくつかの班に分かれて各

地を探索。その過程でラーレスは一つの事件に遭遇した。

 それが最初の魔術師失踪事件。

 ラーレスが副官のエリッサと向かったのは北。

 ヴァイ達とは違うルートでたどり着く場所は同じオレディユ山だ。

 街道に設置された内の、半ばを過ぎたところにある宿場街でその事件は起こった。

 深夜、街の治安警察隊所長である魔術師、カーティスが詰め所を出、家へと帰る途中に

行方不明となった。

 治安警察隊の面々は直ちに捜索を開始。しかし一行に手がかりがつかめずにいた。

 そんな中で彼等の前にラーレスが姿を現したのだった。

 ラーレスはカーティスの辿ったルートを徹底的に探索して地面に空いた人が一人入れる

ような穴を発見する。しかしそこで手がかりが尽きてしまった。

「カーティスは何かに連れ去られた」

 ラーレスはそう確信し、デイジーを探す一方でカーティスを探す事を約束し捜索を急いだ。

 そして現在、クレルマスまであと数日という距離にある街、ボールケンに宿を取っているのだ。

「今までの経過をさらってみても、これと言って有力な情報があるとは思えないな」

「確かに。デイジーの件を含めて目撃証言がほとんど見られないというのが気になります」

 二人はテーブルを挟んで両側に向かい合わせで座っていた。テーブルにはクレルマスま

での地図が広げられている。

 エリッサは目の上にかかってきた前髪を軽く払う。それから本人も気づかない内に手で

弄ぶ。考え事をしている時のエリッサの癖だった。

「兎に角、ここでも同じことが起こるかもしれない。ミイラ取りがミイラにならないよう

に注意する事にしよう」

「そうですね」

 ラーレスとエリッサはひとまず話を終わらせた。外は既に暗い。北に近づいている影響

か、雪がちらほらと降っている。

「……積もるでしょうか?」

「さあ、な」

 二人は一抹の不安を胸に抱きつつ部屋を出た。





 そこはどこかの洞窟のようだった。

 岩をくりぬいたような壁が幾本も焚かれた松明によって照らされている。広さは普通の

部屋二つ分といったところか。部屋の中央には主無き椅子が鎮座している。

 不意に足音が聞こえてきた。椅子の真正面には闇が広がっており、どうやら外に繋がっ

ているようだ。

 深い闇の底から聞こえてくる足音は徐々に大きくなり、やがて一人の人間の姿と共に最

大に達した。

 男は無表情に歩き、椅子に座る。

 くすんだ茶髪。耳元で切りそろえられた髪。首からすっぽりとかぶっただけのぞんざい

なローブ。ふと見れば乞食に間違われそうな風貌だがその瞳はけっして乞食のような者達

が持てるものではなかった。

 その瞳は深い憎しみの色で彩られていた。

 松明に灯る炎のようにぎらぎらと黒目の中を憎しみがたゆたっている。

 男はしばらく黙って座っていたが、やがてポツリと言葉を洩らした。すると中空に突如

円が出現し、そこだけが周りの風景を拒絶した。

 円の中に映っていたのは街の光景だった。光景は次々に移り変わり、やがて宿屋を映し

出す。部屋の中に映っていたのは二人の人物。

 ラーレスとエリッサだった。

「……《クラリス》の犬が!」

 男は小さく、しかし渾身の力を込めて憎悪の言葉を口にした。拳は限界まで握られている。

「後背の憂いは摘み取っておく事にするか、ククククク……」

 男は低い笑い声をいつまでも部屋中に響かせていた。





「ん?」

 ラーレスはふと後ろを振り返った。しかしそこにあるのは街灯の明かりと夜の闇だけ。

 エリッサが不思議そうな顔をしてラーレスを見ている。

 二人は深夜の見回りをしようと考え、こうして歩いている。

 先程から降り出していた雪は軽く道路に積もった程度で振るのを止めていた。

「妙な気配を感じた……!?」

 ラーレスの鋭敏な感覚は自分に迫る何かを感じ取った。

 素早くエリッサを抱えると細い路地に逃げ込む。それと同時に、先程まで彼等がいた地

点を鋭い音を立てて何かが通り過ぎた。

「隊長! あれを……」

 エリッサが指を指した先にあるものを見てラーレスは驚愕を隠せなかった。

「何だ? あれは」

 思わず声が出る。

 視線の先にいたのは体中に巨大な棘を生やしている奇怪な生き物だった。

 丸い体の中央にぽつんと一つ、瞳が紅く染まっている。

 ラーレスは怪物の目の前に飛び出した。それを確認した怪物は再び体の棘をラーレスへ

と発射してきた。

「『緑』の疾風!!」

 ラーレスの掌から風が吹き荒れて、棘を巻き込み空へと昇っていく。

 しかしその隙に怪物は体中に広がっていた棘を瞬時に体内へと戻し、凄まじい勢いでラ

ーレスに飛びかかった。

「しまった!!」

 ラーレスは魔術を打った反動からまだ立ち直っておらず、避けきれる体勢ではない。

「『黒』剛弾!」

 ちょうどラーレスの頭上に怪物が浮上した時、エリッサが魔術を放った。

 圧縮された空気の塊が凄まじいまでに回転している怪物に命中し、進路をずらす。

 怪物はラーレスをそれて側面にある建物に激突した。

「きゃあ!」

「なんだぁ!?」

 付近の住民の悲鳴が始めて辺りに響く。ラーレスは苦い顔でその光景を見るとすぐさま

化け物が突っ込んだ建物と逆方向に走り出した。

「エリッサ! 奴を広い場所におびき出すぞ!」

「分かりました!」

 二人は化け物が建物から脱出し、二人の姿を確認するのを確かめると一斉に走り出した。

 怪物は人間が聞き取る事ができない叫びをあげると、再び体を丸めて高速回転を行う。

 そして急加速してラーレス達を追ってきた。

「あれだ!」

 走り出してすぐにラーレス達は視界に大きなスペースを確認した。

 大抵の街にある標準サイズの広場である。

 しかし、確認と同時に後ろにプレッシャーが迫る。

「速すぎる!?」

 エリッサが半ば悲鳴のようなものをあげた。怪物はすでにラーレス達のすぐ傍まで迫っ

ていたのだ。

「エリッサ、すまん!」

 ラーレスはそう言うと、すぐさまエリッサを引き寄せて抱きかかえた。

 いきなりの事でエリッサは小さく悲鳴をあげて顔を紅潮させる。

「『銀』の翼!」

 ラーレスが魔術を発動させるのと怪物がラーレス達に向けて落下するのは同時だった。

 怪物の一撃によって激しい音をたてて地面が陥没する。

 凄まじい回転は地面に食い込んでからも収まらず、止まったのは最初の状態から更に数

メートル地面を掘った後だった。

 怪物は体の形状を元に戻して穴から這い出る。

 穴には何も残ってはいなかった。

 そこで怪物は紅く染まった巨大な目を先に向ける。

 先にある広場。そこに立つ二つの影を確認した。

「――――――!!!!????」

 化け物は少々困惑した様子だったが雄叫びを上げて三度彼等に襲いかかる。

 しかしラーレスは笑っていた。手には一振りの剣。

 どこから出したのか分からないが、その剣は淡い光を放っているようだった。

 轟音をたてて地面へと陥没する怪物。

 動きが止まったところを見計らい、ラーレスは剣を打ち込んだ。

「!!!!!!!????????」

 怪物が聞き取り不能の絶叫を上げた。

 怪物の胴体が深く切り裂かれていたのだ。魔術でさえ傷つけることができなかった胴体

に、どうやってそこまでの傷を残せたのか?

 ラーレスから少し離れた場所で様子を見ていたエリッサは、目の前に広がっている光景

に疑問符を隠し切れなかった。

「これが、新たに開発された魔術。『銀』の砕牙、だ」

 ラーレスは剣を持ったまま高く跳躍した。空中で体勢を入れ替えて怪物の目らしきもの

に刃を向ける。

「!!!!!」

 化け物も体から棘を幾本も発射してラーレスを串刺しにしようとしたが、ラーレスは全

ての棘を、まるで重力の枷がないような動きで躱しきると、怪物の目に輝く刃を突き刺した。

「!!!!!ぁあああああああ!!」

 ラーレスは怪物の最後の絶叫を聞いたような気がした。

 圧倒的な死の絶叫を発した後、怪物はゆっくりと地面に倒れ、そのまま動かなくなった。

「終わりましたね」

 ラーレスが振り向くとそこにはエリッサがいつのまにか立っていた。

「ああ……」

 ラーレスはどこか釈然としないといった顔で怪物のなれのはてを振り向いた。

「《クラリス》での研究の成果、見事です。あの怪物を簡単に切り裂けるなんて」

「そうじゃなければ、研究の意味は無いさ」

 ラーレスはエリッサに軽く相槌を打った時、視界にあるものを見た。

 無言で近づき、それを手に取る。

「これは……」

 それは掌に納まるほどの小さな円盤だった。中心には紅い宝玉。そう、怪物が宿してい

た紅い瞳と同じ感じを受ける。

「隊長、これ……」

 エリッサは後の言葉を続ける事ができなかった。円盤に埋め込まれている紅い宝玉は紅

い光を明滅させているのだ。あたかも、人の心臓の鼓動のように。

 しかし、光の明滅も徐々に感覚が長くなっていき、やがて完全に停止した。


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