デイジー=ローフィールドは緊急事態に陥った時に身をかくまう場所として確保してい

た場所にいた。地下深く作られた部屋は据えた匂いが充満し、デイジーにはかなり堪えた

が命との天秤にかければそんな事は安いものだと割り切った。ここにいる理由はただ一つ。

 ハーテスとの合流である。

「ハーテス……可愛い我が子……早く来なさい……」

 デイジーの眼は半分死人のような眼だった。生きるのに精一杯の眼。それまで執行部員

という高い地位に在籍し、最高権力を狙った貪欲な女はもういない。ここに居るのはただ

の敗北者である。

「……ハーテス!」

 物音が入り口のほうから聞こえたのでデイジーは勢いよく声を上げた。

 しかし、すぐにおかしな事に気づいた。ドア付近に気配を感じるのにもかかわらずドア

が開く気配がないのだ。

「どうしたの? ハーテス……?」

 デイジーはそこで恐怖に囚われた。

 ハーテスが裏切って《リムルド・ヴィーズ》に自分の居場所を教えたのではないか。

 自分を、最愛の母を売ったのではないかという疑念にかられたのだ。

「誰! そこにいるのは!!」

 口から泡を吐きながらデイジーは絶叫した。すると、突然ドアが吹き飛び、破片がデイ

ジーの顔を打った。

 痛みにうずくまるデイジー。顔面に当てた手からは血が滴っていた。

「デイジー=ローフィールド」

 その声は意識が混濁しかけたデイジーの耳にはっきりと届き、意識を覚醒させた。

「あなたは……」

 デイジーははっきりと意識を取り戻し、目の前にいる人物を見上げると土下座した。

「ああ、あなたが来てくれましたか……」

 体が歓喜と恐怖によって震えるのを押さえきれない。

「ミスカルデ様……」

 ミスカルデ=エバーグリーンは自分の足元にひざまずくデイジーに侮蔑の視線を向けていた。

「醜いな。野望に身を焦がしていたお前が今は乞食と変わらない」

 ミスカルデはデイジーの頭を右手で掴むとそのまま持ち上げた。あまりの握力にデイジ

ーが悲鳴をあげる。

「や、止めてくださいませ! 私に、もう一度チャンスを……」

「お前の役目は終わった。《クラリス》は諦める。まあ、まだまだ手はあるからな」

 ミスカルデの手に力が入った。デイジーの顔が恐怖で染まる。

 ミシミシと音を立てて頭蓋骨が歪んでいく。

「ゆ、ゆる……」

「そうだな。お前には、殺す価値もない」

 次の瞬間、デイジーは信じられないものを見た。

 ミスカルデの瞳が緑色に輝いたのだ。全てを見透かすような深い、深遠なる緑。

 それが、デイジーの最後に見た光景だった。

 ミスカルデの体が電流を発してデイジーの体に流れ込む。デイジーの体が小刻みに震えた。

 電流が止まると、肉の焼ける匂いと共に煙がデイジーの目、鼻、口、そして耳から出て

くる。この様子では脳は完全に沸騰しているだろう。

 ミスカルデは物言わなくなったデイジーの体を無造作に投げ捨てた。

「ヴァイス=レイスター。お前は本当に『鍵』と成りうるのか……。もう少し試すしかな

いようだな」

 ミスカルデはその表情に寂しげなものを浮かべつつ、部屋から出て行く。

 ドアの所に着いて一言呟いた。

「『最終章』まで、あと――」

 その姿は言葉の余韻を残して消え去った。





 ハーテスの死体とデイジーが見つかったのは彼等が行方をくらましてから三日後だった。

《リムルド・ヴィーズ》が見つけたわけだが、公的にはゴートウェル治安警察隊が発見

したと言う事になる。

 ハーテスは首が切り落とされていて部屋は半壊同然だった事から誰かと争った事は明白

だった。よって、ハーテスを殺した犯人を改めて《リムルド・ヴィーズ》が追う事になった。

 デイジーの方はと言うと、体が高圧電流を流したように焼けていてそのダメージは内臓

にまで達していたが命には別状なかった。

 しかし、植物人間としてしか生きられないが。

 ラーレスは安楽死をさせてやろうと言ったが、ムスタフはあえて生きさせる事にした。

 それが、国家反逆罪を負ったデイジーに対する罰だと言わんばかりに。

《クラリス》を巻き込んだ事件はいくつかの謎を抱えつつ終焉を迎えたのだった。





 ルシータは悩んでいた。

 理由は《クラリス》での戦闘中に聞いたある言葉のためである。

 後から聞いて、自分に襲い掛かってきた暗殺者のボスはどうやら《リムルド・ヴィーズ》

の隊長だったらしい。そんな相手に勝てたのもレーテのおかげだと思った。

 その彼との戦闘中に彼はこう言ったのだ。

 自分が、正確にはレーテだが、彼の腕を吹き飛ばしてしまって病院に行かなきゃと言っ

た時、彼はこう言ったのだ。

「いいんだ」

「どうせ、未来はない」

 その後に見せた悲しげな表情。ルシータには忘れる事ができなさそうだった。

(いったい、未来はないってどういう事? あの人が何か病気で命がなかったとか)

 考えは浮かぶがどうもしっくりこない。こういう時のルシータの勘は当たるのだ。

 自分は何かとても大切な事に一端を知ったのではないか……。

「嬢ちゃん?」

 聞き覚えのある声にルシータは思考を中断して振り向いた。

 そこには松葉杖をついたレイが立っていた。

「ちょっと、寝てなきゃ駄目でしょ」

 ルシータの責めるような口調に、レイは頭を掻きながらめんどくさそうに言う

「退屈なんだよな。こんな傷、傭兵には普通だぜ」

「なら、今回ぐらい休みなさい」

 ルシータはレイの背中を押して病室へと向かった。レイも素直に「へいへい」と言いつ

つ従っている。背中を押しながらルシータは言った。

「レイも、心配させないでよね。人間なんだから完璧な事なんてないんだから」

「へいへい、単独行動はなるべく控えるよ」

「もう! 分かってるの?」

「へいへい」

 ルシータは何故かとてもおかしい気分になった。この光景は一つ間違えればなかったも

のかもしれないのだ。

 それを考えると、気が軽くなる。

(あの人には未来がなかったのかもしれない。何かあたしの知らない事を知っていたの

かもしれない。あたしはそれを知らない。その違いなんだ)

 やがてレイの病室につき、強引にベッドに押しやった。

「怪我人なんだから、もうちと優しくしてくれよ」

 ルシータはジト眼でレイを睨んだ後にふっと口元を緩めた。

「はいはい、りんご剥いてあげるね」

「いやに素直じゃないか」

「たまにはね」

 ルシータは鼻歌を歌いながらりんごを剥き始める。その心には不安はない。

(それを知る時までは、自分にできる事をしよう。どうしようもない時はどうしようも

ないんだからね)

 病室にはルシータの心を象徴するかのように暖かな日差しが差し込んできていた。





 ヴァイとマイスはラーレスの私邸に庭先にいた。

 二人は一定の距離を保って睨みあっている。

 ヴァイは両腕を横に下げたままの自然体。マイスは両腕を胸の辺りまで上げて拳を握っ

ている。

 二人の間に風が吹いた。

 マイスが地を蹴り、ヴァイに接近する。右拳をヴァイの顔面へと突き出した。

 ヴァイは紙一重でかわして急速にマイスの体と自分の体を合わせる。

「!?」

 マイスが驚いて後ろに下がる前にヴァイは右足を踏み込み、肩からマイスの胸部に突っ

込んだ。蓄積されたエネルギーが肩を伝わってマイスに叩きつけられる。

 マイスは地面に崩れ落ちて呻き声をあげた。

「駄目だ。注意力が散漫になってるぞ」

 ヴァイは厳しい口調でそう言うとマイスから離れていった。

「ま……まってくだ……さい、よ」

 マイスが息も絶え絶えに立ち上がる。足元はふらついていて歩く事もできないだろう。

「まだ、やれます!」

 マイスは無理やり震えを押さえ込むとファイティングポーズをとった。しかしヴァイは

何も反応しない。

「先生!」

「マイス」

 マイスの叫び声と、ヴァイの静かな、冷たい声が重なった。マイスはヴァイの言葉の持

つ雰囲気に気圧されて黙ってしまった。

「お前がレイの事を気にしているのは分かるが、そんな注意力散漫な状態で訓練していると

大怪我するだけだ」

「……」

 マイスは何も言えない。レイに突っかかっていってしまった自分が情けなくて、そんな

自分を許せなくて強くなりたいと思った。純粋に訓練に集中できなければ確かにいつかは

大怪我を負ってしまうだろう。

「マイス、焦る事なんかないぞ。強くなんてこれからなれ……」

 ヴァイは言葉を途中で途切れさすとマイスのほうを向いた。

「?」

 マイスは何故ヴァイが自分の方を見ているか分からなかった。しかしすぐにその意味を悟る。

 動けなかった。いつか感じたプレッシャー。二度と会いたくないと思っていた相手。

「ミスカルデ」

 ヴァイがその名を呼んだ。声に極度の緊張をはらんだ声で。

(先生が……怯えてる!?)

 マイスはヴァイが今まで見せた事のない緊張感をはらんでいる事に気づいた。ヴァイに

これだけの圧力をかけることができるなんてやはり自分では歯が立たない。

 自分は後ろを向くことさえできないのだから。

「久しぶりだな。ヴァイ=ラースティン」

 ミスカルデは無感情の声で言う。その声が美しく、しかし色がない声のためにマイスは

肩を竦ませた。

「我々の計画を阻んだ礼をしなくては、な」

「やめろ!」

 マイスは自分の後頭部に手が置かれるのを自覚した。背筋にゾクリと悪寒が立つ。

「などとしようと思ったが、やはり止めておこう」

 ミスカルデはマイスから手を離し、自分はその場から離れて塀の上に乗った。

「ヴァイ=ラースティン。お前が本当にヴァルレイバーを扱うに相応しいか、これからも

見せてもらうぞ」

「ヴァルレイバーを……?」

 ヴァイは自分の腰の剣を見た。その後すぐに視線をミスカルデに戻したが彼女の姿は消

えていた。声だけが二人の耳に届く。

【オレディユ山に来るがいい。そこに全ての謎がある】

 気配はその後、完全に消えた。

 ヴァイとマイスはただ呆然とするだけだ。

「先生、何が……起こってるんですか……」

「分からないよ」

 マイスが震えながら問い掛けるのに視線を送らずにヴァイは呟いた。

「ただ、とんでもない事が起こりつつある」

 ヴァイはその音を聞いていた。

 ヴァルレイバーから流れる曲。

 いつか聞いた、物悲しいワルツ。再びその音が、剣から流れてきているのだ。

(いよいよ、核心に迫っていけるんだな)

 ヴァイは空を見上げた。何故かそうしたかった。

 空はどこまでも蒼い。

 ヴァイ達を取り巻く自体など関係ないとでも言うように広がっていた。


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