「ご苦労様」

 ヴァイはルシータから差し出される紅茶を素直に受け取って喉を潤した。体に染み渡る

暖かさでしばし至福感に浸る。

「デイジー、ハーテスは今、《リムルド・ヴィーズ》が追っている。なるべくなら捕まえた

いが……できなかった場合は明日から世界指名手配だ」

 朝日が入り込むラーレスの私室でヴァイはラーレスからそう聞いた。

 その場にいるのはヴァイ、ラーレス、ルシータ、そしてムスタフと最後の執行部員クル

ニコル=デフィーズの五名。

 クーデリアはデイジー、ハーテス捜索に向かっている。

「とりあえず、詳しい事情を聞きたいですね」

 ヴァイの問いかけはムスタフに向いていた。

「私もそれには賛成です。結局、私が関わる事なくこの事件は解決してしまったのですから」

 クルニコルは前にラーレスが言ったようなおよそ、魔術師とはかけ離れた体格に不満を

充満させている。デイジーに良いようにのせられてしまったのはクルニコルだけなのだ。

 真実を知った驚愕も最も大きいに違いない。

 ムスタフは笑みを浮かべつと説明を始めた。

「儂が意識を取り戻したのは今から一週間前じゃった。それからすぐに執行部員連続殺害

事件。儂は儂に毒をもった輩が黒幕に違いないと確信し、ひそかにクーデリアと連絡を取

った。儂が目覚めたのを知っていたのはクーデリアだけだった。ちょうど、目覚めた時に

居合わせたわけじゃが」

 ムスタフは一度言葉を切ると更に続ける。

「クーデリアは《リムルド・ヴィーズ》の隊長がデイジーの飼い犬となりさがったことを

調べ上げた。そしてラーレス、お前さんがデイジーを怪しんで衝突する寸前だと言う事も

な。だから儂は水面下で行動しようと思ったのじゃ。主役は一人で十分だからの」

「つまりは、おいしいところだけ持っていこうと思ってたわけね」

 ルシータの言葉にその場にいる全員が固まった。ヴァイも例外ではない。

「……言葉は悪いが、そんなところじゃ」

「あなたが最初からデイジー達を拘束すれば事はすんだんじゃないの?」

 ルシータの顔にははっきりと非難の色がうかがえた。ヴァイは気づく。

 ルシータはレイの事を言っているのだ。

 この事件が早くに解決していれば、レイも重症を負う事はなかった。そこが不満なのだ。

「お嬢さんの言う通りじゃ。しかし何の証拠もなしには動けなかった。奴等の裏には《蒼

き狼》がついていた。ちょっとやそっとじゃぼろを出さなかった。だからこちらも自分の

存在をひた隠しにし、奴等が本格的に動くのを待つしかなかった……」

 ムスタフはどうやら本心から行動が遅れたことを悔やんでいるようだ。クーデリアから

レイの事は聞いているはずである。ルシータはまだ嫌悪の視線を送っていたが、しばらく

して視線をムスタフから逸らした。

「これから、どうするつもりです?」

 ヴァイが沈黙を破って尋ねた。ムスタフはルシータに向けていた視線をヴァイに向けた。

「これまで通り、選挙で最高責任者を決定する事にする。儂とクルニコル、そしてラーレ

スの三人の中から……」

「ちょっと待ってください」

 ムスタフの言葉を遮りラーレスが言葉を発した。

「何か、異論があるのかラーレス?」

「俺は……私は、《クラリス》最高責任者の任に就くつもりはありません」

 その場にいる者達に動揺が波紋のように広がっていった。

「どういうことだ、ラーレス」

 クルニコルが座っていた椅子から身を乗り出して言う。ラーレスは平然とそれに対応した。

「今回の件で執行部は何か役に立ちましたか?」

「そ、それは……」

 クルニコルは黙るしかなかった。今回の件で動けたのは事実上クルニコルとラーレスだ

けだ。そしてクルニコルはデイジーにいいように誘導され、ラーレスしか正当な行動を取

れなかったのだ。

「私は今回の件で上に立つ者の行動の不自由さに失望しました。今度の選挙が来た時には

執行部員を辞任するつもりです」

「……辞任してから、どうする?」

 ムスタフの問にラーレスは一呼吸置いてから、はっきりと言った。

「《リムルド・ヴィーズ》に入ります」

「それは……」

 ムスタフが何か言おうとするのをラーレスは遮った。

「《リムルド・ヴィーズ》は完全な影の組織。《クラリス》の歴史の表舞台に立つ事のな

い組織。俺には、どうやらそっちのほうが合っている気がします。それに、俺も知りたい

んですよ。レインが追っているものを」

 レインの名が出てきてムスタフは誰もが分かるほど体を硬直させた。その表情はかなり

強張っている。

「レインについて……姉について何か知っているのですか?」

「姉、だと……」

 ムスタフの顔が更に驚愕で歪む。じっとヴァイの顔を見つめ、やがて深く嘆息した。

「そうか……レインと同じ眼をしておる。お前が、シュバルツの意志を継ぐものか」

「父の、意思?」

 ヴァイが不思議そうに言葉を繰り返すのを見てムスタフは呆気に取られた。

「シュバルツから何も聞いていないのか? ヴァルレイバーを相続したのじゃろう?」

 ヴァイは腰からヴァルレイバーを引き抜き、ムスタフに見えるように持つ。

「これは俺が旅立つ時に、姉から父の形見だと言われて貰った物です。受け取った時には

もう父はいません。あなたは何か知っているのですか?」

 ヴァイは少し口調に熱を帯びていた。旅を続けてやっと疑問の答えが見つかりそうなの

だ。しかしムスタフは首を横に振った。

「儂にはシュバルツが何を考えていたのかは知らん。ただ、ヴァルレイバーはこれから必

要になる。父の形見ということではなく、大切に持っているがいい。その剣が、真実に連

れて行ってくれるかもしれん」

 それからいくつかの話が終わり、皆は部屋から出て行った。

 後に残るのはラーレスとムスタフの二人だけである。

「ムスタフ様。教えていただけませんか」

 ムスタフは何も反応しない。ラーレスは構わずに続けた。

「レインが、何を求めてここを出て行ったのか。彼女は機密ファイルで何を知ったのですか?

あなたはそれを全部とは言わないが少しは知っているはずだ。彼女がここを出て行く前に

あなたのところに来ているはずだ。教えていただきたい」

「ラーレス」

 その声は、ムスタフの声は感情を押し殺した平坦な声で紡がれた。その声にラーレスは

ムスタフの苦悩を感じる。

「知ってはいけない事がある。知っていたとしても、止められない事がある。極秘ファイ

ルに書かれた事はこの《クラリス》創立当時から徹底的に調査された情報の全てが入っている。

 そこに書かれている事は……両方じゃ。儂は知ってはいけない事を知った。そして、そ

れを止められる力が儂には……人間にはないのじゃ」

「人間にはない、と言う事は幻獣にはあると言う事ですね」

 ムスタフの苦悩を分かっていてラーレスは言葉の裏を取ってきた。ラーレスには分かっ

ていた。ムスタフはわざと言葉の裏を取りやすいように言ったのだ。自分の手におえる事

ではない事を示すために。しかしそこで躊躇している事などできなかった。

「レインは、幻獣に会いに行ったのですか? その知ってはいけない事を止めるために、

『幻獣の里』を探しに行ったのですか!」

 ラーレスは言葉尻を強くした。それはラーレスのこのままじゃ引き下がらないという思

いを凝縮していた。そのことに降参し、ムスタフは重い口を開いた。

「それは違うよラーレス。彼女は、レインは……自分の力だけで何とかしようとここを飛

び出したんだ」

 ラーレスは表情を崩さなかったが瞳には困惑が浮かんでいる。

「レインは極秘ファイルから『古代幻獣の遺産』の真の意味を知って、それを手に入れる

ためにここを出た。真実の鍵となる『古代幻獣の遺産』を持ってな」

「持ち出された『古代幻獣の遺産』とはいったい……」

「分からない。ただ、現在発見されている遺産とは異質なものとだけは分かる。だからこ

そ、先人が《クラリス》の奥深くに封印していたのだ」

「……」

 ラーレスはこれ以上話を続ける事には意味がないと感じた。結局、核心的な事はなにも

分かっていないのだ。答えを探し出すのは自分の手でしか行えない。

「全ての謎を解くために、お前は《リムルド・ヴィーズ》に入隊したいのじゃろう」

「……ええ」

「なら、そうするがよい。人から聞かされるのではなく、自分の手で、真実を見極めよ。

 たとえ、どんな結果が待っていようとも最善を尽くせ」

 ムスタフの言葉には何か特別な感情が含まれていた。それを言葉ではなく感覚で感じ、

ラーレスは頭を下げた。

「ラーレス=クルーデル。執行部員任期が終了したと同時に《リムルド・ヴィーズ》に

入隊いたします」

 ラーレスの言葉を聞いてムスタフは部屋を出て行った。ラーレスは執務机の引出しから

一つの写真を取り出す。

 映っているのは今より、ほんの少し幼い自分。日付は一年前の今日だった。

「そうだな。今日、君は出て行ったんだ……」

 映っているのは今より、ほんの少し幼い自分。そして左隣にはクーデリア。

 右隣には――レイン。三人とも笑みを浮かべている。幸せだった頃の一風景。

 ラーレスはそれが限りなく昔の事のように思えた。

「君を必ず見つけ出す。必ず……」

 ラーレスの瞳に強い意志の光が宿った。





「結局何しに来たのかしらね、ここに」

 ルシータがヴァイに言ってくる。

 二人はラーレスの私邸には向かわずに、まっすぐレイの入院している病院に向かってい

た。朝日が二人を後押しするように燦々と背中を照らしている。足元の影を見つめながら

歩いていたヴァイはルシータの方を向かずに答える。

「姉さんの行方を探す手がかりを得に。ちゃんと今回の仕事料も貰ったしな。やること

はやった」

「でもこれからどうするの? どこに向かう! ってあてもなくなっちゃったじゃない」

「そうだな……」

 ヴァイはその点だけは深刻に悩んでいた。どうやら何かがこの世界に起こるというのは

間違いないようだ。

 姉はそれを阻止するために旅立ったという。

 ならその危機の場に行けば再会できるだろうとは考えた。

 しかし、その場所がどこなのかという情報が手に入らなかった。結局、旅を続けて運良

くその場に遭遇するしかないという場当たり的なことしかできないのだ。

 その間に『危機』が取り返しのつかないものになったらどうするのか?

 どうなるのかは分からないが面白くない未来が待っているに違いない。

「このままじゃ、どうしようもないな」

「うー……」

 二人はその後何も話さずに病院に到着した。マイスが病室の窓から手を振っているのが見える。

「今回の事を話してから、今後の事は考えよう」

「そうね」

 二人はそう納得しあってから病院のドアをくぐった。





 一日は平穏に過ぎていった。

《クラリス》の内乱から十数時間。ゴートウェルは再び夜を迎える。

 そんな中で、休まずに追撃を続ける《リムルド・ヴィーズ》達の包囲網をくぐり抜け、

ハーテス=ローフィールドはある建物の地下にいた。

「くそ! くそ! くそ! くそ……」

 ハーテスはボロ布一枚に身を包んだ惨めな姿だった。

《クラリス》の執行部員だったとは考えられない有様である。しかし眼だけは死んでは

いなかった。瞳に滾る炎はハーテスを支える最後の希望だったのである。

「ヴァイス=レイスター! 必ず殺してやる……。殺してやる……殺して……」

 ハーテスは言葉を急に途切れさせると素早く立ち上がり周囲を見回した。

 元々物置の役割を果たしていたのだろう。部屋は何もなく、隠れる場所もない。入り口

も、今はハーテスの魔術で硬く閉じられている。

 しかしハーテスは何者かの気配を感じた。気配はあるが、姿が見えない。

「誰だ! どこにいる!!」

 ハーテスは全神経を集中した。

 これで、いつ何時襲われようとも遅れをとる事はないはずだ。

 突然、目の前の風景が歪む。ハーテスは後ろに飛びずさり、魔術を放てる状態に体を保

った。ハーテスは理解した。先ほど感じたものは空間転移でここに現れる者への警戒信号

だったのだ。

 やがて何もない空間から一人の人影が姿を現した。

 誰かも確認せずにハーテスは魔術を放った。

「『白』狼牙!」

 空気を焦がして突き進む光熱波はしかし、人影にぶつかる直前に霧散した。

「なんだと!」

 ハーテスは驚愕の叫び声をあげた。そしてようやく相手が誰なのかを理解する。

「レイン=レイスター!!」

 そこにいたのは一人の女性――ヴァイの姉であるレイン=レイスターその人であった。

《クラリス》戦闘服を身につけ、腰には自分の身長ほどあるか、という剣を携えている。

「ハーテス……《青き狼》があなたに何を言ったのかは大体想像がつく。だから……死んで」

 レインはそう言うと腰の大剣を抜いた。その刃は暗闇でも分かるほど光り輝いている。

「お前が死ねよ!!」

 ハーテスは距離を取ると全力で集中力を高めた。生半可な攻撃が聞く相手じゃないとい

うのがひしひしと伝わってくる。

(全力で攻撃しかない!)

「『黒』崩壊!」

 ハーテスの魔術によって空間が歪み、爆発を起こした。地下室が衝撃に耐え切れずに亀

裂を走らせていく。しかしハーテスは更に驚愕した。

「な……」

 空間の歪みはレインには届いていなかった。レインの周囲だけ何もなかったかのように

変わらないのだ。そうしてレインはゆっくりと近づいてくる。

「馬鹿な……」

「私に魔術は効かないわ」

 レインの声がハーテスの頭に染み込んでくる。

 閃く銀光。それが、ハーテスの最後の視界となった。


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