「『赤』い稲妻!」

「『黒』龍!」

 ヴァイの放った火球は衝撃波によってあらぬ方向に飛んでいき着弾した。その爆発の熱

波が押し寄せる中、二人の距離はゼロまで近づく。

「『紫』の波紋!」

 ヴァイの右手が光り輝き、風を切り、唸りを上げて直進した。ハーテスはその移動速度

を駆使して瞬時にヴァイの後ろに回りこみ剣を振り下ろす。ヴァイは半歩横にずれただけ

で鋭い一撃をやり過ごすと最小限の動きで裏拳をハーテスの顔面に向けた。しかし、ハー

テスの動きは更に早まり、裏拳が通った時にはまた数メートル離れた場所にハーテスはいた。

「殺せる時に殺せなかったのはお前の失敗だよ」

 ハーテスの言葉にヴァイは低くうめいた。

 結局、倒れこんでいるハーテスにとどめをさせずにヴァイは今の状況に至っている。

 今回の事は最後にはラーレスに任せたほうが良いとヴァイは判断し、倒れこんでいるハ

ーテスを気絶させようと拳を放った。しかし手加減した一撃をかわせないほどハーテスは

無能ではない。床に這いつくばった状態から瞬時に回復すると体勢を立て直して攻撃を再

開したのだ。その後は『古代幻獣の遺産』で得られるスピードを効率よく生かして闘って

きたのだ。相手の動きは見切れるが、こちらの攻撃を当てる事ができない。そんなもどか

しい状況だった。

「もうすぐですお母様。もうすぐこいつを始末します……」

 ヴァイは突然違和感を感じた。ハーテスの様子が何か違っていた。

「そうすれば……お母様、喜んでくれるよね……嬉しいなぁ……」

(意識が……混濁し始めている)

 ヴァイはハーテスの意識が徐々にだが消えていっていることに気づいた。正気を失って

きている。瞳は色を失い、濁ってくる。

 一つ思い当たる事がヴァイにはあった。

(『古代幻獣の遺産』に支配されかかっているんだ)

 以前、対峙した人物が『古代幻獣の遺産』から生まれる巨大な力に意識を支配され、人

間という器を破壊してしまった所を見ている。

 人間である事を止めたその人物は強大な力を発揮し、暴走した。

 その時は辛くも止める事ができたが再びそのような危機が襲ってきた時、切り抜ける自

身はヴァイにはなかった。

「『銀』の獣!」

 意識を極限まで集中し、即座に大魔術を発動させる。ハーテスのいる空間は魔術の効果

によって抉り取られて、ハーテス自身は絶命するはずだった。しかし空間が抉られた時、

そこにハーテスの姿はなかった。

「なんだと!?」

 ヴァイは完全に虚を突かれた。一定空間を抉り取る魔術は視認する事もできない、ヴァ

イの切り札の一つである。それをかわされるとは……。

 しかし驚いている暇はヴァイにはなかった。その場から飛びのく。直後にその場を襲っ

たハーテスの振り下ろされた一撃は床を激しく陥没させた。その膂力は人間を軽く凌駕し

ている。

「ヴァイス〜。殺〜す〜」

 ハーテスの眼は異常に光り輝いている。

 ふと右腕を見るとあらぬ方向に折れ曲がっていた。『古代幻獣の遺産』が持つ力にハー

テスの、人間の体がついていけなくなってきている。

 ヴァイはヴァルレイバーを強く握り締めた。

(あの時を繰り返させはしない)

 ヴァイの瞳が強い意志の光を放った。





 ラーレスとデイジーが驚愕の声を上げる少し前、ハーテスが変化する少し前。

 男の絶叫が響いた。男は呻き声を上げて自分の右腕を押さえながら蹲る。ルシータには

何が起きたのか分からない。しかしよく見て、悲鳴をあげた。

 男の右腕の半分がなくなっていた。傷口は男が押さえているために見えないが血が流れ

てきていないためおそらく焼き斬ったのだろう。

「あなたがやったの……レーテ」

 ルシータは自分の頭上に乗っかっている幻獣の幼生に話しかけた。レーテは何もなかっ

たように前足で頭を掻いている。一ついつもと違うのは額の紅い宝玉が輝いているだけだ。

【タスケタ……ルシータ……】

「レーテ……が話してるの?」

 幼い、男のなのか女なのか分からない声が直接ルシータの頭に響く。そうやって意思を

ルシータに伝えているのだ。

「でも、これはやりすぎじゃ……」

 ルシータの呟きはそこで途切れた。

 蹲っていた男が立ち上がったからだ。

 目には苦痛のために涙を貯め、脂汗が滴り落ちている。一刻も早く病院に行くべきだろ

う。そう思っても素直に忠告を聞くわけはないだろう。

「や……やるじゃないか……幻…獣を……敵にしたのは……間違い、か」

 男は傷口から左手を離し、落ちた短剣を持った。

「ちょっと! さっさと病院に行かないと死んじゃうわよ!」

「別にいいさ」

 ルシータは男の声に含まれるほんの少しの悲しみを感じた。そのために次の行動が遅れ

てしまった。

(しまっ……)

 ルシータの一瞬の隙を突いて男が懐に飛び込んでくる。ナイフは確実に心臓を狙ってきていた。

「どうせ、未来はない」

 男の瞳が眼前に現れる。それまでの動きがスローモーションになって見えた。

(駄目!)

 レーテの攻撃意志はルシータと同調していたためにレーテの攻撃も間に合わない。ルシ

ータははっきりと自分の目の前に迫る死を見た。

 それは次の瞬間、あっさりと消え去った。

「……え」

 我ながら間の抜けた声を出したとルシータは思った。男はルシータに届く直前に膝を折

り、床に倒れていた。背筋にはナイフが突き刺さっており、それは男の心臓を的確に突いていた。

 視線を前に向けると離れた所に人影が見えた。ルシータは構えることも忘れて放心した

まま人影を見つめている。

「どうやら無事だったようね」

 その女声は簡単に感情を読み取ることはできなかったが、少々の安堵感が含まれていた。

 ルシータは何か懐かしい感じを受ける。正確に言うといつも受けているような感覚。

 人影はルシータがその感覚が何なのか考えている内に消えてしまった。

 呆気に取られている内に何人かが近づいてきた。

 ルシータの目の前に姿を現した人達は全てラーレスと同じような戦闘服に身を包んでい

る。一つ違うのは右腕の二の腕にバンドのようなものが巻きついていた。

「ルシータ=アークラットさんですね」

 一人がルシータの前に立った。ルシータはやっと思考が回復したのか頭の上のレーテを

胸の前に抱えなおして立ち上がった。

「私は《リムルド・ヴィーズ》隊員のシュナイデンと言います。執行部員ムスタフ=グレ

イ様の命により貴方達を保護にするためにきました」

 ルシータはまた呆気に取られた顔をしてしまった。

 一度に情報が入ってきて思考が混乱している。ただ、どうやらもうすぐ今回の事件も終

わるという事だけが分かった。





「ムスタフ……」

「ムスタフ様」

 デイジーとラーレスは同時にその人物の名を呼んだ。

 しかしそれぞれ持つ感情は違う。

 憎悪と、歓喜。

 執行部員ムスタフ=グレイはその相反する視線を受け止めてからゆっくりと言葉を発した。

「デイジー=ローフォールド。あなたの所業は我々《クラリス》の範疇を超えて国家反

逆罪までついた。おとなしく投降するがよい」

 ムスタフは怒気をはらんだ口調で言う。デイジーは声が震えながらも言葉を返した。

「ふん……死にぞこないが何を言ってる……。ちょうどいい、お前も殺して……」

「それ以上言葉を続けるとなると私がその口を封じます」

 鋭く、デイジーの心をクーデリアの言葉が抉った。デイジーは遂に発狂した。

「私は! あなたたちなんかには従わないわ! 私がこの《クラリス》の支配者なのよ!!」

 デイジーは勢いよく窓に突っ込み、窓ガラスの破片を撒き散らしながら飛び降りた。

 ラーレスは急いで窓から外を見るがデイジーの姿は既になかった。

 焦るラーレスの後ろから落ち着いた様子のクーデリアが声をかける。

「大丈夫よ。もう、デイジーに《クラリス》を乗っ取るだけの気力も、力も残っていな

いわ。明日には世界全土に彼女の手配書が回されるでしょうね」

「……知っていたんだな。ムスタフ様が意識を取り戻していることも。俺がデイジーと

対決する事も」

 ラーレスは疲れた口調で目の前にいる同期最後の魔術師、自分とレインと共に《クラリ

ス》最強と言われた女性、クーデリアに言い返した。

 クーデリアは優しい笑みを浮かべただけだ。ラーレスも顔を緩め体の力を抜く。

 激しい揺れが《クラリス》を襲ったのはその直後だった。





 ヴァイの傍を光熱波が掠める。

 セーブされないその威力は地下訓練室の強化壁をまるでガラスのように軽々と粉砕し

た。衝撃の余波がヴァイの体を打つ。

(なんて威力だ。たがが外れてしまっている)

 ハーテスは体を光熱波の反動で焼けさせながらも構わずにヴァイに向かった。

 手に持つ剣が空気との摩擦熱で煙を上げる。

「死ねぇえあ! ヴァイス=レイスター!!」

 人間という範疇を超えたハーテスのスピードはもはや常人が捕らえられるレベルではな

くなっている。ヴァイも視覚では確認できなくなっていた。

 力の限りその場から飛びのく。剣が叩きつけられた床が巨大なクレーターに変わる光景

にヴァイは背筋が凍った。もはやハーテスは完全に乗っ取られてしまったのか。

「『銀』の翼!」

 ヴァイは空間転移で部屋の端に移動した。壁を背にハーテスと向き合う。ハーテスは消

えたヴァイを探すのに戸惑っているようだった。

(あいつを元に戻す手が一つだけある)

 ヴァイは意識を集中し始めた。

 自分の望む形で魔術を発動させるため、創造力をフルに駆使する。

(あいつを戻す方法は……)

 ハーテスがヴァイに気づいた。

 一瞬の硬直の後、咆哮を上げる。

(『古代幻獣の遺産』をあいつから離す!)

 意識が膨張する感覚。時間が緩やかに流れ、ハーテスが向かってくる動きが緩慢に見え

る。ヴァイの空間にいるのはヴァイとハーテスの二人だけ。

 二人だけの、世界。

 ヴァイは決死の覚悟で魔術を発動させた。

「『銀』の翼!!」

 数秒にも満たない時間で眼前に迫ったハーテスの胴体にヴァイは自分の右手を突きつけ

て叫んだ。振り下ろされた刃は左手で刀身を掴む。刃の食い込み、肉を斬り裂く感触に激

痛を覚えながらもヴァイはその類稀な集中力で魔術を完璧に発動させた。

 同時に衝撃がヴァイの体を襲い、床に背中から叩きつけられた。

 手には左手にはハーテスの剣を持っている。

 それまでの戦いの喧騒が嘘だったかのように場は静まりかえっていた。

 ヴァイはしばらくじっとして動悸を収めてから、

『自分の上に乗っているハーテスを押しのけて』立ち上がった。

 ハーテスはうっすらと眼を開けてから自分の体を襲う激痛に顔を歪ませた。今まで肉体

の限界を超えた動きをしていたのだから当然だ。そして自分の姿を見て羞恥に顔を染める。

 ハーテスは全裸だった。着ていた服も、体を覆っていた『古代幻獣の遺産』もどこかへ

と消え去っていたのだ。

「部分空間転移、とでも言うかな。できるとは思っていたが半分は賭けだったからどう

なるかと思ったよ」

 ヴァイは体の緊張は解かないままハーテスに言った。ハーテスは驚愕して見返した。

「《クラリス》でも実験段階の魔術だぞ! それをお前が……」

「理論があるのなら、俺にできないなんてわけはないだろう」

 ハーテスは黙り込んだ。結局全てにおいてハーテスはヴァイに負けたのだ。本人は気づ

かないが命まで助けてもらったのだ。完全なる敗北だった。

「大人しく投降しろ。もう、お前に戦う力は残っていないだろう」

 ハーテスは無言のまま床に転がっていたものに手を伸ばした。ヴァイはそれが何か分か

らなかった。それは、ハーテスの衣服が空間転移する際に服から落ちたものだった。

「借りは……いつか返す」

「!?」

 ハーテスがそれに触れると同時にハーテスの体を光が包んだ。ヴァイは咄嗟に駆け寄っ

たがとき既に遅く、ハーテスの姿は訓練室から跡形もなく消え去った。

「まあ、あいつにもう力はない、か」

 ヴァイはヴァルレイバーを鞘に収めた。そして上に上がる階段に歩みを進める。向かう

先からは人々の喧騒が聞こえてきた。どうやらあちらも終わったようだ。

「ゆっくり寝たいな……」

 そう呟いたヴァイの耳に曲が聞こえてきた。

 ぎょっとして後ろを振り向く。しかし何も聴こえなかった。

 ヴァルレイバーを抜いて確認してみても何も聴こえない。

「……本当に、ゆっくり寝たいよ」

 ヴァイは深く嘆息し、階段を上っていった。

 ゴートウェルの長い夜が、終わろうとしていた。


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