ヴァイが突き出した拳がハーテスの頬を掠める。深く懐に飛び込んだヴァイは体全体を

使って本当の攻撃である左拳の位置を悟らせなかった。左拳は真直ぐにハーテスの鳩尾に

吸い込まれていく。しかしハーテスはそれを悟り、体を反転させてその一撃をやり過ごした。

「『白』狼牙!!」

 ハーテスが近距離から光熱波を放つ。ヴァイは髪の毛がちりちりと焼ける匂いをかぎつ

つ光熱波の斜線上から外れ、意識を集中させた。

「『黒』き破壊!」

 ハーテスの目の前の空間が凝縮され、瞬時に破裂する。

 歪んだ空間が元に戻る衝撃が、巨大なエネルギーとなり爆発した。しかしその時にはハ

ーテスはその場所にはいない。ヴァイは背後の殺気を読み、ヴァルレイバーを薙ぎ払った。

 力強い金属音が部屋に響く。ヴァルレイバーの刀身はハーテスの片刃の剣の刀身と鍔迫

り合いを展開した。

「集中力、精神力、反応速度。どれをとっても素晴らしいよ、ヴァイス=レイスター」

 ハーテスの言葉にヴァイの表情が歪む。ハーテスは余裕を見せたいのか饒舌になる。

「《蒼き狼》が教えてくれたんだよ。自分達に協力する代わりに情報は全て与えるってな。

そして俺は力を手に入れた! この『古代幻獣の遺産』を手に入れた俺に敵はいない!」

 ハーテスの叫びと同時にハーテスの着ている前身を包み込むようなスーツが光を発す

る。そしてハーテスの姿が突如、ヴァイの目の前から消えた。

(!!)

 ヴァイはほとんど、というか完全に反射神経だけで状態をかがめた。そのすぐ上を熱風

を纏った剣閃が通り抜けた。ヴァイはすぐに自分中心に魔術を発動させた。

「『白』き螺旋!」

 ヴァイの周囲に螺旋状の光が展開される。光の螺旋はその後素早く周囲に広がる。しか

しハーテスを捕らえる事はできなかった。

「それで俺を倒せると思っているのか!」

 ハーテスはヴァイのすぐ目の前に現れた。螺旋が広がった時にできた一瞬の隙間を圧倒

的なスピードで通り抜けてきたのだ。一本の銀光がヴァイに牙を剥く。既に常人が反応で

きる速度ではない。ヴァイにもその一撃は躱せないはずであった。

「な……」

 驚愕の声はハーテスから洩れた。

 死の風を纏った剣閃はヴァルレイバーによって受け止められていた。ヴァイは平然とし

た眼でハーテスを見返している。

「馬鹿な……」

 ハーテスは動揺を隠し切れずに一旦ヴァイと間を置いて体勢を整える。内心の動揺は酷

くなるばかりだ。

「何故、受け止められたか分からないか」

 ヴァイが静かに問い掛けてきた、ハーテスには全く見当がつかない。

『古代幻獣の遺産』によって膂力、移動速度、反射速度、どれも確実に目の前の敵――ヴ

ァイを上回っているはずだった。そのはずだった。

 しかし現実にあるのは攻撃を見極められて、受け止められている、という事実。

 ハーテスは初めて、『古代幻獣の遺産』を身につけて始めての恐怖感に囚われていた。

 自分を見つめてくるヴァイの冷酷な、感情のこもらない瞳。その内側にあるのは間違い

なく憎悪だった。

「お前の動きは単調だ。動きを読む事くらい簡単なんだよ」

 ヴァイが一歩前へと進み出る。ハーテスはそれに反応して前へと超スピードで出、高速

の一撃を放つ。

 しかし、ヴァイの姿はそこには無い。ハーテスの横に回りこんだヴァイは鳩尾へと渾身

の一撃を叩き込んだ。

「がはっ!!!」

 ハーテスは床を転がりながら壁へと激突した。拳を喰らった横腹を押さえながら顔を何

とか上げようとする。ようやくあげたその先にはヴァイの視線が突き刺さっていた。

「簡単に終わると思うなよ」

 鋭い蹴りが倒れこんでいるハーテスの横腹を打った。衝撃にハーテスの体が飛び上がり、

苦鳴を洩らす。

「俺を本気で怒らせた事を後悔させてやる」

 ヴァイの拳がハーテスに繰り出された。





 ルシータは最後の暗殺者を鎮めると辺りをゆっくり見回した。息切れしているのを落ち

つかせる意味もかねているのだろう。無駄な力を抜いて自然体となっている。

「これで……全部、ね……」

 ルシータは額に滲む汗を空いているほうの手で拭い去ると、倒れている暗殺者達の間を

縫って部屋の外に出た。廊下は物音一つ無く静まっている。どこも普通にしか見えない空

間。しかしルシータは気づいた。肩に乗っているレーテが緊張しているのが。

 暗殺者達とルシータが戦っている間、何もせずにルシータの頭の上に乗っていたレーテ

が今、戦闘態勢を整えている。それは即ち、レーテが敵対するほどの強さを秘めた存在で

しかない。

「誰か、いるの……」

 ルシータは再び自分の額に汗が滲んでくるのを感じた。木刀を持つ手に力が入る。

(レーテが警戒する相手なんて、さっきの暗殺者達よりもやっかいだわ……)

 ルシータがそう思った時、急に危険を知らせる信号のようなものが頭の中に生まれた。

 咄嗟に体をかがめてその場から飛びのく。ルシータがいた場所を光熱波が通り抜けた。

「今の魔術を躱すなんてやるじゃないですか」

 漆黒に包まれていた空間に揺らぎが生じた。

 いつのまにかルシータの視線の先には男が立っている。典型的な暗殺者スタイル。

 しかし纏っている雰囲気は今まで戦ってきた暗殺者達とは明らかに異なっていた。

(凄い、プレッシャーだわ……)

 ルシータは震え出しそうになる足を強引に止めようと勤める。負けず嫌いのルシータが

潔く認めるほど、目の前にいる男との実力は違っていた。

「今まで、俺の部下達が散々世話になったな。借りを返させてもらう」

 男はそう言うとルシータに突進してきた。その間には何も無い。そのままなら数瞬後に

はルシータの頭は胴体と離れていただろう。

 ルシータは逃げようとせずにあえてその場にとどまった。下手に動いて隙を見せてしま

うとすぐに殺されると何かが伝えてきていた。首に一直線に伸びてくる剣閃に意識を集中

させて軌道を見極める。

(ここだ!)

 ルシータは絶妙なタイミングで木刀を横に払った、ちょうど向かってきた銀光が木刀に

ぶつかり、弾かれる。

「!?」

 相手の男の顔にはっきりと驚愕の表情が浮かぶのを視認する。その一瞬の隙を突いてル

シータは木刀を突き出した。

 狙いは喉元。魔術の使用を封じるためだ。

 しかし木刀は空を切った。男は首を軽く横にずらしただけでルシータの一撃を躱し、い

っしょに突き出た腕を掴んだ。

「なっ!!」

 そのまま男は体をルシータに密着させる。かなりの力で腕を捕まれてルシータはその場

から身動きする事ができなくなった。すぐ傍にある男の顔が無表情なのを見てルシータは

背筋が凍りつくような感覚に襲われた。

「唯の小娘だと侮っていたら……やるじゃないか」

 ルシータは体の震えを押さえることができずにいても、強気な声で叫んだ。

「あんたは何者なのよ! 腕を取ってくるなんて、ダンスの申し込みでもするのかしら?

あいにく先約が入っていますので他を当たってくださいませ!」

 男は笑った。眼は全く笑っていなかったのがルシータに更に恐怖感を与えた。

 低い声でククク、と笑う男は視線を少し上にするとルシータの頭に乗っているレーテに

眼をつけた。

「こんなところにカーバンクルの幼生がいるとはな。《蒼き狼》に研究対象として渡す事

もいいかもしれない」

 その言葉にルシータはキレた。

 渾身の力を腕に込める。しかしその程度では男はびくともしない。

「無駄だ。絶対的な力の差はどうしようもない。俺が教えてやるよ」

 必死で腕を振り払おうとするルシータに迫る男の手。

 そして――。





「他の魔術師達は、どうした?」

 ラーレスはいつでも戦闘態勢に移れるように体に力を込める。意識を集中し、魔術も開

放できる状態を作る。

 デイジーはゆっくりと答えた。

「他の魔術師達は私が流した情報の元に向かっているわ。《蒼き狼》の大部隊がゴートウェル

に近づいてきているという情報。もちろんリアリティを持たせるために《蒼き狼》にはそれ

ぐらいの戦力を整えていてもらっているけど」

「それでばれないとでも思っているのか。すぐにみんな戻ってくるぞ」

「ばれないわよ。こっちには《リムルド・ヴィーズ》の隊長が味方についているから」

「!!?」

 ラーレスの顔に驚愕が浮かぶ。デイジーは満足したように頷くと先に話を進めた。

「彼に命じて障害の《リムルド・ヴィーズ》を《クラリス》から追い出し、最大の障害である

あなたたちを私の手で抹殺する。そうすれば後は烏合の衆。《クラリス》は私のものとなる」

 デイジーが言い終わると同時にラーレスは突進した。

「『紫』鋼武!」

 ラーレスの拳が光に包まれる、魔力の結集により光るその拳は通常のハンマー異常の破

壊力を有するはずだ。デイジーは執務机から咄嗟に離れる。一瞬後、ラーレスの拳が執務

机を粉々に粉砕した。机を構成していた木材の破片が宙に舞う。そこにラーレスの狙いが

あった。

「『白』狼牙!」

 ラーレスの掌から光熱波が放たれる。木材の破片を眼くらましにして瞬時に魔術を放つ。

 普通ならかわす事のできない速度だった。

「『白』輝壁」

 デイジーは事前に読んでいたのか光の障壁を発動させて光熱波を防御した。

「『黒』龍!」

 ラーレスは間髪入れずに衝撃波を繰り出した。今度の魔術はデイジーも予想できなかっ

たようでまともに喰らい、鈍い音を立てて部屋の壁に激突する。

「『青』断刃!」

 中空に創りだされた水が細長い刃となってデイジーに向かっていく。激突した衝撃から

まだ立ち直っていないデイジーはそれも避ける事が出来ずに肩を貫かれた。

「……まだ、抵抗するか」

 ラーレスが苦々しげに口にする。敵対しているからといって好きでやっているのではない。

「まだそんなことを言っているのか? ラーレスは本当にお人よしだね」

 サクッ

 そんな、音だった。その軽い、些細な音は戦闘の直後の静けさの中にはっきりと聞こえた。

「が……は……」

 呻き声をあげてラーレスは膝をついた。見る見るうちに表情が青くなっていく。

 彼の腕には一本の針が刺さっていた。数センチにしか満たない針は対刃素材である《ク

ラリス》の支給戦闘服をやすやすと貫いて腕にまで到達していたのだ。

「『紫』風」

 デイジーが悠々と立ち上がる。魔術によって傷を回復させた彼女は苦痛のために床に這

いつくばっているラーレスを見てほくそえんだ。

「とどめをさせる時には刺しておくのが戦いの原則なのよ。あなたは《クラリス》一の魔

術の使い手かもしれないけど戦闘に関しては三流ね」

 デイジーはラーレスの側面に回ると脇腹を力いっぱい蹴りつけた。

「がはっ」

 ラーレスは抗う事もできずにその後も続く蹴り上げに苦鳴を洩らした。やがて骨の折れ

る音と共に口から血を吐き出す。

「ああ……これで最大の障害は排除される。そして私が《クラリス》の……西方の頂点に立つのよ」

 デイジーは掌をラーレスに向けた。そこに魔力が集中していくのがラーレスにも分かった。

「終わりよ」

 ラーレスは死を覚悟した。

(レイン……)

 自分の最愛の人のことを思う。もう一度会いたいという思いはここで消えてしまうのか。

 無力感がラーレスの体を包み力を抜いていく。

(もう駄目だ)

 デイジーの声が、歓喜の声が部屋に響いた。

「『白』狼……」

「『白』き咆哮」

 デイジーの声は突如現れた第三者の声に遮られた。あらぬ方向から放たれた光熱波はデ

イジーを吹き飛ばし壁に大穴を明けた。

 その声はラーレスには聞き覚えのある声だった。覇気が体に戻ってくるのを感じながら

顔をなんとか起こして見る。

 部屋の入り口に立つ一つの影。

 自分と同じように《クラリス》支給の戦闘服を着ている。唯一点違うのは右腕の二の腕

の所にバンドのようなものが巻きついている。そこには文字が描かれている。

「ク、クーデリア……」

「油断しすぎね、ラーレス。デイジーの言う通り、戦闘と言うものを理解したほうがいいわ」

 クーデリアは肩まで落ちている黒髪に若干細面な顔を持つ女性だった。少し切れ長にな

っている眼は更に鋭くデイジーを見ている。

「クーデリア=エーデル。《リムルド・ヴィーズ》は今ここには……」

「《リムルド・ヴィーズ》があなたに協力するわけないでしょう。隊長は既に他の団員達全

員一致で抹殺が決定されたわ。仮にあなたの計略が成功しても無駄になっていたのよ」

 クーデリアはラーレスに対していった口調よりも更に感情を示さずに答えた。クーデリ

アの言葉に声も出なくなるデイジー。

「それに私達が遣える人はもう決まっているわ」

 クーデリアがそう言った時、部屋の入り口に新たに人が出現した。その正体が分かった

時ラーレスは驚愕の声を上げた。

「あなたは……」

「そんな……」

 ラーレスとデイジーは同時にその人物の名を叫んでいた。


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