午前中の間にラーレスは全ての雑務を終えて自室でくつろいでいた。ヴァイはラーレス

の座る執務机の向かいにある来客用のソファに腰を埋めている。

「ラーレス、仕事が終わったと言うのにどうしてここに残っている?」

 ヴァイは先ほどから疑問にしている事を口にした。ラーレスはヴァイの言葉を聞くと待

っていたと言うように顔を笑みの形に歪めて目を閉じた。ヴァイはそれだけで今、ラーレ

スが何をしようとしているかを理解した。そしてラーレスの声が洩れる。

「『銀』の結界」

 ラーレスの言葉と共に何かが発せられてヴァイの体を通過した。ヴァイは違和感に囚わ

れながらもラーレスがしたことは分かっていた。

「その名の通り、結界か……」

「ああ、どこで誰が聞いているかは分からないからな」

 ラーレスは簡単に魔術を発動させたように見えるがそれは誤解である。ラーレスが今発

動させている魔術は、一定範囲内に当事者以外誰も立ち入る事のできない領域を作り出す

魔術、この世界の物理法則を無視することができるものである。当然世界に存在する元素

を使うわけではないから難易度は格段に跳ね上がる。そしてヴァイが見たところラーレス

の魔術は一部の隙も見当たらない完璧な完成度だった。そのことからラーレスが《クラリ

ス》の中でもトップレベルの魔術の使い手だというのが理解できた。魔術の実力だけなら

ヴァイよりも上かもしれない。

「俺が調査を開始した時から何回か俺の言葉を盗み聞きしようと魔術を使ってきた奴がい

た。すぐに気づいて魔術を無効化してやったが、人間のすることには絶対はない。どこか

ら洩れるか分からない」

 そう言ってからラーレスは話し出した。

「残っている執行部員は残り三人。午前中に上げたデイジー=ローフィールド。三年ほど

前に《クラリス》前最高責任者が連れてきた。まあ、砕けて言えば愛人と言ったところだ。

前任の最高責任者はやるときにはやる人だったが女癖と遊び癖は悪かった。ハーテスは彼

等に連れられてきたわけじゃない。あいつの言う通り俺と同期で入ってきた中で最期まで

残っている三人の内の一人だ」

「魔術師になれるのが年に十人に満たないというのは聞かされていたが、他の同期はどう

したんだ?」

 ヴァイの最もな質問にラーレスは淡々と答える。

「死ぬか、追い出されるか、どちらかだ」

 ヴァイはラーレスが悲しみを押し殺して言葉を紡いでいる事にすぐに気づいた。淡々と

なる口調は辛さの裏返しなのだ。

「はっきり言って今は一流の魔術師を認定される事にそんなに重要性がない。魔術を使え

ない者にも十分な幸せが手に入るという事をみんな知っているからな。だから俺達執行部

は量より質を重点的に考えたんだ。だから魔術師不足に直面している。しかしそれを悪い

事とは思わない。魔術師に認定されれば一般市民が出合うことのない事件に巻き込まれる

事になり、力不足のために命を落とすといった事もないとは言えないんだ」

 ラーレスははっとなってヴァイを見た。本人の意思に反して熱弁になってしまった事に

驚いているようだ。

「俺から振っといて悪いが、先に話を」

 ヴァイがそう言うとラーレスは居心地悪そうに一瞬俯いた後に話を続けた。

「二人目はクルニコル=デフィーズ。四十代だが体つきはまだ二十代で通じるほどの人だ。

魔術師離れした体つきだから会ったらすぐ分かるだろう。彼はその性格からみんなに好か

れていて今のところ一番犯人説が通じない男だ。一応犯行当時のアリバイもある」

「アリバイ……か」

「ああ、彼は二人目の犠牲者が出た時は俺の家にいたんだ。俺と彼が共犯でなければ彼に

反抗は不可能だ」

 ラーレスは言葉の後半を力を込めて言った。ヴァイがラーレスを疑うのは当然のことな

のであくまでヴァイには客観的な位置にいることを進めたのだ。しかしヴァイは今のとこ

ろ疑う余地はないので少し気後れした。

「そして最後がこの男、ムスタフ=グレイだ」

 ラーレスは机の引出しから一枚の写真を取り出してヴァイに見せた。そこに移るのは幼

いラーレスと彼を抱えるようにして腕を絡ませている男。精悍な顔つきで威厳というもの

が伝わってくる。ヴァイはそこに移っているもう一人の人物――女の子のようだが――が

誰か気づいた時にはっとした。その女の子は幼いレインだったのである。

「ムスタフ=グレイ。入りたての俺とレインを訓練してくれた先生だよ。ハーテスとは師

事する先生が別だったんだ」

 ヴァイは昔語りをするラーレスを遮るように問い掛ける。

「今の写真はないのか?」

「ない」

 ラーレスはきっぱりと否定して顔に怒気を滲ませた。ヴァイはそのただならぬ様子に息

を呑む。

「彼はとりあえず執行部員として登録されているが……今、公務を執行できる状態じゃない」

「……どういう、ことだ?」

 ヴァイはある程度は予想していたがラーレスの口から事実を聞いたほうが確実だと思い

問いかけた。

「彼は写真を取られるのを嫌ったと言うのもあるが、五年前、彼は毒を盛られて今も意識

不明なんだ。執行部員の任期は八年。つまり、次の最高責任者が決まるまで任期は選ばれ

た人がどんな状態であろうともその任が解かれる事はない。だから……彼も容疑者と言う

事になる……、しかし彼にできるはずがない」

 ラーレスは苦々しく言って俯いた。ヴァイはラーレスの様子からヴァイの知らない何か

が写真のグスタフとの間にあるのだろうと思い、あえてそれ以上詮索しようとはしなかった。

「分かった。とりあえず一番怪しいのがデイジー=ローフィールドでその女には気をつけ

ろって事だな。あと、グスタフのいる場所は病院だな」

「ああ、そうだが……そうか!」

 ヴァイが言わんとしていることをラーレスは即座に理解する。

「そう、もしかしたらグスタフが最高責任者決定会議までに眼を覚ますかもしれない。

 それを恐れた今回の黒幕がグスタフを殺さない保証はない。いや、殺す確率の方が高い

だろう。彼のいる病院に信用の置ける部下でも配置しておいたほうがいい」

「分かった。この後すぐに実行しよう」

 ラーレスとヴァイは互いに頷きあい、次の瞬間結界が解かれた。





 最初に異変に気づいたのはルシータだった。彼女はさっきから窓の外ばかりを見ていて

何かがいる事に気づいていた。しかし、酷く降りつづける雨によって視界が悪くなってい

たために確信できなかったのだ。

「何か……いる!?」

 ルシータの声に最初に反応したのはルシータの足元にいたレーテだった。

 レーテの額にある紅い宝玉が輝きを増し、光が溢れた。それと同時に叫び声があがり庭

の一角から全身を紅い光に包んだ人影が飛び出してくる。理性を失ったように向かってく

る人影をルシータは一刀の元叩き伏せた。

「まだいるぞ! 油断するな!!」

 レイがすでに抜き放っている剣を構えて庭に飛び出した。そこへ数人の人影が迫る。

「甘いぜ!」

 レイの剣の一閃は全方位から来た刺客をすべて叩き落した。鞭のように伸びた刀身が金

属音と共に一つの剣に収まる。周りに倒れていた刺客達は全て前日に彼らを襲った暗殺者

と同じ格好をしていた。そして同じように体を液体化させていく。

「たくっ、気持ち悪いったらありゃしねぇ」

 レイが悪態をついているとさらに同じような刺客が押し寄せてきた。レイは鬱陶しげに

剣を振るおうとする。しかし剣は振られることはなかった。

「『白』光!!」

 突如横からやってきた光熱波に刺客達は意表を突かれ、それを後悔できぬまま意識を途

切れさせる。刺客達の姿は光熱波に飲み込まれ、吹き飛ばされた。

「やるじゃねぇか」

 レイのあまり誠意のない賞賛を必死の顔で受け止めたのはマイスだった。マイスの掌か

らは魔術を放ったことによる煙が上がっている。

「まだ来ますよ! そんなに落ち着いてないでください!!」

 マイスはそう叫ぶと遠くに離れてしまったルシータの所に向かっていった。レイはその

姿をしばらく見ていたが、視線を光熱波が通った後に向けた。庭いっぱい広がる緑の芝生。

雨に濡れて独特の雰囲気をかもしだしているその芝生に黒焦げた跡が残っていた。レイは

内心驚いていた。

「あいつ、魔術の威力が上がってやがる」

 ヴァイとマイスが毎日魔術の特訓をしているのは分かっていたがまさかこれほどまでと

は思わなかった。しかも、この焦げは普通ありえない。

 魔術は元々この世界のものではない。自分の内にある魔力を引き出し、制御することに

より初めて使うことができる。それは創造力と想像力によって発動されているので普通は

自分と、魔術の対象者との間でしか魔術の効果は発揮されない。しかし、マイスの魔術は

対象者である刺客達だけではなくそこまでの空間に存在する庭の芝生にもその足跡を残し

ているのだ。想像力がまだ未熟な結果かもしれないが何かレイにはそう思えない予感めい

たものがあった。

「もしかしたら、マイスの奴……」

 レイはそれ以上のことを考えることを止めて後ろから気配を殺してやってきた刺客の首

を凪いだ。

 結局、刺客達の襲撃はそれから半刻もしないうちに終わった。それまでに雨はやみ、空

には晴れ間が見えている。地上に目を向けると総勢二十名もの暗殺者達が倒されていた。

どれも同じく異臭を放って液体化していた。

「何でまだ襲ってくるのよ」

 ルシータが不服そうに言った。前日夜間に襲われてこの異臭騒ぎを起こした時に宿屋の

主人に完全な拒絶を受けて宿を出た。ラーレスが自分達の前に現れなかったら今日は宿屋

に泊まれないという事態になる所だったのだ。不機嫌になるのも無理はない。そんなルシ

ータの怒りを拡散するように気の抜けた声を出したのはレイ。

「まあ、しかたねぇ。俺達がラーレスに味方するってことは他の執行部員にとって不利に

しかならねぇからな」

「レイさん、どうしてそんなに落ち着いてるんですか」

 マイスが緊張感のないレイを叱責するように言う。

「僕達だけならまだしもここにはラーレスさんのメイドさん達がいるんですよ! 僕達が

あいつらを倒すのが遅れればそれだけ危機にさらされる可能性が増えるんです!!」

 マイスは自分の言いたい事を言い終えると肩で息をしながらレイを睨んだ。レイはその

瞳に少し気おされながらも口を開く。

「お前は正しいよ。だが、心配する必要はないさ」

「どうして……!」

「この家のメイド達は全て戦闘訓練を受けてるんだ。恐らくな」

 レイの言葉はマイスの怒気を拡散させるには十分だった。

「昨日から見てて、身のこなしが普通じゃなかった。恐らくラーレスが仕込んだんだろう。

 自分の地位が危険なものと分かっているから、ある程度の実力を周りの奴らにつけさせ

ておかないと死ぬ羽目になる」

 レイはそれだけ言うと家の中に入ろうと歩き出す。マイスは一瞬呆然とした後に慌てて

後を追った。ルシータはすでに中に入っている。二人のやり取りに付き合って雨に濡れる

のは割に合わないと思ったのだろう。ソファに座りながらレーテの体を拭いていた。

「嬢ちゃん……」

 レイはルシータに声をかけようとしたが突然身を硬直させた。ルシータとマイスはレイ

の様子の変化を感じ取り、体が総毛立つ感覚に襲われた。今まで二人が感じたことのない

感覚。レイが二人の前で始めて見せる気配。

 すなわち、殺気。

「レイ、どうしたの?」

 ルシータの問いには答えずレイは急に体を反転させて庭の外へと向かっていった。

「お前達はここにいろ! すぐ戻る!!」

 二人はそう言葉を残して門を出て行くレイを黙って見ているだけだった。





 レイは全速力で駆けていた。目標は自分の存在をわざと示しているかのようにはっきり

とした気配を残していた。自分に投げかけられた気配、すなわち殺気。

(どこの誰わからねぇが、直感で分かる。こいつは黒幕だ!!)

 レイは気配の後を追っていつのまにか街の外輪街、宿屋などがある地域まできていた。

大通りから横道にそれ、入り組んだ裏道を進み、どれだけの時間が経ったのかも分からな

くなった時、気配の移動が止まっていた。

 レイの目の前には古びた一軒のビルが建っていた。恐らく廃業した宿屋の残りだろう。

 そのビルの入り口と思われる壊れかけた扉が風に身を任せてキィキィと音を立てている。

 どうやら出入り口はそこしかないようだった。

「ここで、決着をつける、か」

 罠だ、とレイは思った。考えるまでもない。こんな所まで誘い込む理由なんて他に思い

つかない。しかしレイはあえてその誘いにのった。ここで帰ってはわざわざここまで来た

意味はない。自分の実力ならどうにかできると言った自信も手伝った。

 レイが入り口から中に入るとわざとらしく上から物音が聞こえてくる。レイは無言で周

りに気配を広げながら進んだ。やがて目の前に屋上に出る扉が現れる。レイは勢いよく扉

を開いた。

「……?」

 待ちうけているはずの攻撃がまったくないことにレイはいぶかしんだ。ゆっくりと屋上

へと進み出ていく。そして視界に一人の男の姿を捉えた。

「お前が俺を誘ったのか」

「ああ、そうだよ」

 レイの殺気を込めた言葉をさらりと返したのは金髪を短く刈り込み、全身を包み込むよ

うなタイツの上に貴族が着るような衣装を着ている男、レイは知らないがアステライスを

殺し、《クラリス》でヴァイとラーレスの前に現れた男、ハーテス=ローフィールドだった。

「どうしてここまで誘ったんだ?」

「決まってるじゃないか」

 ハーテスは優雅に腰の剣を引き抜いた。あまりの自然な動作にレイは一瞬自分の剣を抜

くのを忘れた。

(できる……!?)

 レイは自分の考えの甘さを知った。この相手は一筋縄ではいかない。そんなレイの内心

の葛藤を理解してかしないでかハーテスは鋭く言ってくる。

「誰にも見られずに、君を殺すためさ」

 それが、戦いの狼煙となった。


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