ラーレスの屋敷は《クラリス》本部の建物を取り囲むように造られた広場に隣接されて

いる住宅地の一角にあった。中心街とも呼ばれるその区画は《クラリス》の執行部員が住

む場所として古くからあった場所だった。ラーレスの住む屋敷も先代の執行部員から譲り

受けたものだという。そのままでは強度に問題があるために幾度かの改築は行われていた

が、内装はあまり変わってはいないようでラーレスの外見から判断する年齢にしては古め

かしかった。

 ヴァイ達は宿屋の主人に追い出された後、ラーレスの案内で屋敷の中に通されていた。

 居間は貴族のそれに負けない広さを持ち、マイスはきょろきょろと周りを見回している。

 レイは目を閉じてソファに座ったまま微動だにせず、ルシータは居間に飾ってある装飾

品を見物している。そしてヴァイは、別の場所にいた。





「それで力を借りたいと言うのは?」

 ヴァイはラーレスと共に居間とは別の、ラーレスの私室と言うべき場所に来ていた。ラ

ーレスがヴァイ以外に内容を言うのは嫌だと言ってきたからだ。依頼をヴァイが受けてく

れるのなら後で伝えるが、もし受けてもらえないのなら情報の漏洩をなるべく防ぎたいと

の事だった。何でも屋は守秘義務がある。それは治安警察隊も同じで依頼内容を口外して

はいけないのだ。大まかな内容、人探しや輸送の護衛などはいいが誰を探すや何を輸送す

るか、は余程のことがない限り直接引き受けてくれる相手に言う事になっているのだ。

「君はこの街で今何が起きているか知っているね」

 ラーレスは淡々とした口調でヴァイへと言ってくる。ヴァイにはある程度予想がついて

いたが実際言われると少し言葉が喉につかえてしまった。ラーレスの眼が知っている誰か

に似ているからだった。

「《クラリス》執行部員の連続殺人事件」

 内心の動揺を悟られないようにヴァイも淡々とした口調で返す。きっとラーレスの中に

も同じような物があるのだろう。そうヴァイは感じる。

「《クラリス》最高責任者決定会議まで今日を入れてあと六日。これまでに殺されたのが

三人。残りは俺をいれて四人だ。誰がひいき目に見ても権力争いの結果の殺人事件としか

見えない。だから俺はこの事件の犯人を突き止めたい。優秀な何でも屋の君の力を借りた

いんだ」

 ラーレスの口調は徐々に熱を帯びてきた。押し殺してきた感情が一気に膨れ上がってき

たのだろう。その感情は純粋な怒りだった。ヴァイは直感的にこの男は大事な人を無くし

ていると思った。ヴァイは感情を表しつつあるラーレスに冷静な声色で話し掛けた。

「話は分かった。だが、一つ問題がある」

 ラーレスはヴァイの言葉の響きに押しあがっていた感情を押さえつけた。ヴァイは満足

したように次の言葉を続けた。

「あなたが、犯人じゃないという保証はどこにある?」

「!?」

 ラーレスはヴァイの言葉に言葉が出てこなかった。

「あなたは俺の最初の印象だと不正を許さない正義に燃えている熱血漢だ。加えてその容

姿に……どうやらカリスマ性も高い。それが全て演技だとしたら? 暗殺されていく仲間

を思うラーレス=クルーデル、というのが俺を信用させるための演技じゃないという保証

はどこにもないわけだ」

 ラーレスは答えられない。完全に不意を疲れた質問であり、実際ヴァイの言っている事

は確かに一理ある。ラーレス自身が執行部員を殺していないという証拠をヴァイに知らし

めるのは現状では不可能だ。ヴァイ達外から来た人間にとってはラーレスもまた有力な容

疑者に変わりない。

「保証は……ない」

 ラーレスは苦虫を噛み潰したように歯軋りをした。自分の不甲斐無さを後悔しているの

だろう。そんなラーレスにヴァイは言った。

「でも、依頼を無碍に断るわけにはいかない。だから条件を飲んでくれるなら依頼を引き

受けるよ」

 その言葉にラーレスがうなだれていた頭を素早く起こした。真直ぐにヴァイの瞳を見返

してくる。

「情報が欲しい。レイン=レイスターの情報がね。ラーレス=クルーデル、あんたなら知

っているはずだ。レインの、姉さんの親友だったあんたなら」

 その瞬間、ラーレスの顔に驚愕が浮かんだ。信じられないものを見たような眼でヴァイ

を見てからラーレスははっとした。

「ま、まさか君は……」

「あんたの名前は姉さんから聞かされていた。最高のライバルで、親友だと」

 ヴァイの言葉の後にラーレスはそれ以上言葉を続ける事はできず、小さな声で喘ぐ事し

かできなかった。少しの時間が流れ、ラーレスは言った。

「俺の知っている事なら答えよう。よろしく頼む」

「交渉成立だな」

 ヴァイとラーレスは握手を交わした。





 ヴァイ達はラーレスの客人としてラーレスの屋敷に住む事になった。ルシータは広い屋

敷に自分の家のことを思い出したのか、時折悲しそうな表情になっている。ルシータの家

はゴートウェルから更に北に上ったところにあるクレルマスと言う自治都市を事実上統治

している貴族であるアークラット家である。父親との不仲から家を飛び出したルシータに

とって出るまでの思い出は必ずしも良い物だけではなかった。

 ラーレスは午前中は通常業務のために《クラリス》本部に行き仕事をこなし、夕方には

戻るといった生活をしている。《クラリス》の通常業務とは簡単に言えば街の統治である。

 住民の声を聞き、街の発展に役立てるための法案を起草したり、商業の独占を防ぐのに

奔走したり、灌漑の整備をしたりといったものである。しかし《クラリス》には裏の顔もあった。

 王都ラーグランの命を受けて国家反逆罪に処された者が逃げ出した場合、《リヴォルケ

イン》と協力してその者を影で処刑するという裏の顔が。

 ゴートウェルが作られた当初から王都の《リヴォルケイン》のような戦力を保持する事

は禁止されていたが、そこまでの巨大戦力ではなくても《クラリス》には強力な戦力が有

されている。

《リムルド・ヴィーズ》――古代幻獣語で『漆黒の調停者』と呼ばれるその集団はその名

の通り《リヴォルケイン》の暴走を防ぐ名目で秘密裏に結成された魔術師師団である。

 この世界が国家として確立してからもうすぐ二千年になるが、その間に調停者という立

場で動いたのは設立初期の数回だけで、国家機構の基盤がしっかりとした頃にはもう調停

者としての仕事はすることはなかった。そのかわりに《リムルド・ヴィーズ》は王都とは

別に情報網を展開し、独自の活動を行っている。これはもし王都の意向に障害になると判

断された場合には問答無用で《リヴォルケイン》に叩き潰されてもよいという暗黙の了解

のもと行われている。

 そんな表の顔と裏の顔を持つのが、魔術師養成機関《クラリス》の正体なのであった。

 今、ラーレスの屋敷には主であるラーレスとヴァイの姿はない。ヴァイはラーレスの友

人として共に《クラリス》本部へと行ってしまったのだ。マイスはヴァイの訓練をしても

らっていないことから退屈そうに居間のソファに寝転がり、レイは自分の剣が刃こぼれが

ないか確かめている。ルシータは雨が降っているのにも珍しく文句を言わずに居間から見

える中庭に降り立って庭の景色を堪能しているようだ。その足元ではレーテがルシータの

足にじゃれついている。

「それにしても、先生のお姉さんが行方不明だなんて・・・・・・」

 マイスが退屈にも飽きたのかレイに話し掛けてきた。レイは視線は剣から話さないまま

に応える

「ああ、詳しい事はラーレスが言った通りだよ」

 レイは昨晩の会話を思い出していた。





 ラーレスとヴァイがそろってレイ達の前に姿を現したときはすでに深夜を回っていた。

 そんな中でラーレスは、ヴァイに言った依頼内容を説明した後にヴァイの突きつけた条

件を話し始めた。

「レイン=レイスターが姿を消したのは一年前、こんな雨の降る夜だった。俺の所に突然

訪ねてきてこう言った。『父が殺された原因を掴めた。私はこれから真実を追う』と。 

 俺はその時何の事か分からなかった。彼女は突然来訪し、唐突に消えた。俺は何も理解

していなかったんだ。次の日になるまでは」

 ラーレスはメイドに用意させた紅茶を一口啜ると再び話し出す。声を潜めて。

「次の日、俺の所に慌てて警備の者が駆けつけてきたよ。彼が言うには《クラリス》の最

重要事項であるファイルと古代幻獣の遺産が盗まれたと言うんだ。俺にはそれがレインの

仕業だとすぐに気づいた。執行部員達全員も同じようで、すぐに彼女には第一級国家反逆

罪の罪がかけられた。それは一般民には全く秘密裏になり《リムルド・ヴィーズ》と《リ

ヴォルケイン》が共同で彼女を探した。そして現在、《リヴォルケイン》が原因不明の活

動停止をしてからもそれは変わらない。彼女が捕まれば即処刑になると分かっていながら

もそんな事をした理由は詳しくは知らない。ただ、彼女は去る時にこう言った。

『古代幻獣の遺産、ハイスレイヤー、そして終わらないワルツ。全ての謎はそこにある』とね」

 ハイスレイヤーという単語が出てきた時にヴァイは即座に反応した。

「ハイスレイヤー、と言ったんですね。姉は確かに」

 ヴァイの鬼気迫る様子にラーレスは戸惑いつつ答える。

「あ、ああ。とにかく彼女は機密ファイルを読むことで何かを掴んだんだろう。それによ

ってさっきの言葉、古代幻獣の遺産に人を超えた者、ハイスレイヤーという単語を口にし

たんだと思う……。しかし最後のワルツと言うのはさっぱり分からないんだ」

 ラーレスはそこで考え込むように唸ってしまった。ルシータ達は大まかな事は理解した

が細かいところは何一つ理解できなかった事に唸る。だが同じ唸るという行為の中で一人

違った唸りを見せていたのはヴァイだった。ヴァイが引っかかったのは最後の言葉だった。

(終わらないワルツ……父さんが聞かせてくれた歌はワルツ、そして<クレスタ>から最後

に聞こえてきたのもワルツだった……)

 ヴァイは以前ワルツと言うものを聞いた場面を思い起こしていた。

 一つは両親が殺されるほんの数日前に父親が歌い聞かせてくれたワルツ。そしてもう一

つはつい最近、ほんの三ヶ月ほど前に長らく滞在していた街ルラルタで巻き込まれた事件

で遭遇した遭遇した暗殺者<クレスタ>が絶命するときに持っていた古代幻獣の遺産から流

れてきたメロディー。その二つは同じものだった。ヴァイはそのことをずっと気にしていたのだ。

(もしそのワルツがこれまでの事態に関係している物なら、それを知っている俺にも姉さ

んの手がかりが舞い込んでくるかもしれない)

 結局、ラーレスの持っている情報と言うのは大したものではなかったが、ヴァイは希望

を持てたために快く護衛を受けたのである。





「まあ、ヴァイなら巧くラーレスを守っているさ……」

 レイは剣を床に置くと道具を取り出して剣を研ぎ出した。マイスは雨にうんざりと言っ

た溜息をついてソファに顔を埋めた。

 そしてルシータは更に外を見ている。ひそかに手に力を込めて。

 何かが、そこにいた。





 ラーレスの後ろについて《クラリス》本部へと入ったヴァイは思わず感心したように声

を上げてしまった。内部は意外と新しく、入り口から左右に長く廊下が伸びている。黒の

ローブに対して壁という壁は白く眩しいくらいであり魔術師伝統の黒という色を今の魔術

師達は嫌っているのではないかと言わんばかりの様子だった。

「ラーレス……」

 ヴァイは入館手続きを済まして待合室にやってきたラーレスに声を細めて話し掛けた。

「《クラリス》内に犯人がいるのなら今公務をするのは危険じゃないのか? 俺だってお

前の行く先に全てついて行くわけにもいかないだろう」

 ヴァイの言い分は最もだといった感じでラーレスは笑うと備え付けの椅子に座り、耳元

に口を寄せた。

「確かに、だが俺が独自に調査した結果浮かび上がった容疑者は三名。いずれも執行部員

だ。彼等が通常業務を怠るわけがないから逆を言えば《クラリス》にいる間は大丈夫なのさ」

 ラーレスはそこまで言うと急に顔を引き締めた。ヴァイはラーレスの変容に何かを感じ

取ったのか扉へと眼を向けた。するとちょうど扉が開くところだった。

「やあ、ラーレス。定期報告の時間だよ」

 そう言って入ってきたとたんにラーレスへと話し掛けた人物はヴァイを見て眉をひそめた。

「客人がいたのかい。失礼、僕はハーテス=ローフィールド。ラーレスとは同期でここに

入った学友さ」

 ハーテスはヴァイに向かって手を差し出した。ヴァイは何か釈然としないものを感じつ

つ握手を交わした。

「俺はヴァイ=ラースティン。ラーレスとは友人の友人、というところです。今回ちょっ

と頼みたい事があってここを訪ねました」

 ヴァイは何かまずい事を聞かれる前に先手をうって目的を言った。友人の友人というの

もあながち嘘ではないし、頼みたい事と言うのは姉の行方を聞きたいということなので嘘

は言っていない事になる。ただし、正確に物事を言ってはいないが。

 ハーテスはヴァイの答えに満足したのか頷くと一言ラーレスに声をかけると部屋から出

て行った。それから無言のまま過ごししばらくしてやっとラーレスは口を開いた。

「……気をつけろ。俺が一番疑っているのはあいつだ」

 ラーレスの言葉の棘に気づいたヴァイはラーレスへと視線を向けた。そして驚く。ラー

レスは滝のような汗をかいていた。床に汗が滴り落ちる。

「奴の母親は執行部員デイジー=ローフィールド。一皮剥けば凄まじいまでの野心を秘め

ている恐ろしい女だ。自分の欲望のためなら躊躇いもなく人を犠牲にできる……」

 ラーレスは息を整えると椅子から立ち上がりドアへと向かった。

「さあ、俺の部屋にいこう」

 二人は部屋から出て行った。

 二人がいた待合室は入館受付を済ます警備室のすぐ前で、二人は入り口から右へ続く廊

下を歩いていった。それを反対側の廊下の奥から見ている者がいた。ハーテスである。

「ラーレスの奴、本格的に犯人探しを始めたか。わざわざ何でも屋を雇ってよぉ。ククク

……面白い、黙ってこの街を出て行けば死なずにすんだのによ」

 ハーテスは喉の奥から絞りだすような笑い声を出して階段を上がった。


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