ルシータは雨が嫌いだった。密かに自慢にしている自分の金髪が雨の湿気によりくすん

だ色になってしまう事もあるが、雨の日は外に出るのが面倒になり家の中にいるしかなく

なるからだ。

 傘を差して出歩けばいいものを、ルシータはそれさえも面倒くさがってしまうのだ。

 それとは逆にヴァイは雨は特に嫌いではなかった。どちらかと言えば好きなほうだろう。

 あまりのどしゃ降りの時は、過去の記憶を呼び起こしてしまうのであまり歓迎はしない

が、基本的に雨の中に立ち、雨粒が地面へと当たる音を聞くのは何か懐かしさを感じさせ

てくれるのでヴァイは好きだった。

 そして、今その相反する想いを持つ二人が一緒の部屋にいる。

 外は雨。

 強い湿気が支配する部屋の中、ヴァイとルシータは熱い視線を同じ所へと向けていた。

 ルシータが顔をしかめる。うーん、と唸り声を上げて、それでも視線はある一点。

 ヴァイとルシータのちょうど中間地点に向けられている。

「……勝負だわ」

 ルシータはそう言って遂に覚悟を決めたようだった。そして叩きつけるように自分の右

手を床へと叩きつけた。その手にはカードが握られている。だが、ルシータは見た。ヴァ

イがそのカードが出された瞬間笑った事を。更に次に何が待っているかということを知った。

「もらった!!」

 ヴァイが手にしていた二枚のカードを同時に同じ所へと叩きつけた。カードには数字が

書かれており、ルシータが出したカードの数字と、ヴァイが出した二枚のカードの数字の

合計が同じ数だった。二人の表情の差からどうやらこのゲームはヴァイが勝ったようだ。

 ルシータは声無き声を上げて床を転げまわった。よほど悔しかったのだろう。

「うぅー!! やっぱりこうなるの!!!」

 ルシータの怨恨の声がヴァイに突き刺さる。ヴァイは大した気にもせずに自分の横に置

いてあった紙にペンで書き込みをしている。並んでいるのは数字ばかりでどうやらスコア

ブックのようだった。

「これで、ルシータの三連敗だ。そっちから勝負を挑んできたんだから少しは手応え見せろよ」

 ヴァイは半ば呆れるようにして書き終えた紙をルシータへと突きつける。そこにかかれ

た結果を見てルシータはまたしてもうめいてしまう。

「そもそも、マイス達と外に買い物に行くことにした俺を引きとめたのはお前だろ。お前

一人ここに残ったんじゃ退屈だろうからって俺が残ってやったんだからな。そんな眼で見

られる筋合いは無い」

「うう……」

 ヴァイの言い分はもっともな事なのでルシータは何も言えなくなってしまった。





 事の起こりは数時間前にさかのぼる。ヴァイ達は何とか路銀を稼ぎ、前にいた街スーラ

ニティから一月かけてやっと当面の目的地である魔術都市ゴートウェルへとついたのだった。

 それが朝早く、もうすぐ人々が起きだし新しい一日が始まるといった時間帯だ。

 ゴートウェルは円状に広がった都市で東西南北にある門から四方向へと道が続いていく。

 北に行けば大陸の西側と東側を分岐する大河の源泉があるオレディユ山が、東から出れ

ばゴートウェルと並ぶ世界五大都市の一つ、トルケンへ。西に行けば辺境地帯へ。そして

南はヴァイ達が馬車で進んできたルラルタへのルートに続いている。

 門から通りを一直線に進んだ所で、東西南北からの道の集合点、つまり、円の中心と言

える場所にはこの魔術都市を象徴する魔術師養成機関《クラリス》の建物がそびえ立っていた。

 ヴァイは一刻も早くここに来た目的、すなわち姉の行方を知りたいがためにすぐさま《ク

ラリス》へと向かった。しかし帰ってきたのは今日はお引き取りください、という言葉だ

った。今ゴートウェルは《クラリス》の最高責任者選定会議に向けて多忙な上、それの候

補である執行部員が次々と殺されているらしい。そのために会う時間を取り付けてはもら

えなかった。

 無論、ヴァイはそこで引き下がるわけは無く、宿を取ってほとぼりが冷めるまで待つこ

とにしたのだ。自分が犯人を探して一刻も早く姉の行方を知りたいと思ったが、ヴァイは

何でも屋のために依頼が無ければ動く事はできない。それでなくても部外者が立ち入れる

ほど《クラリス》のシステムは甘くなかった。

 だからヴァイ達は何をするでもなくこの宿屋に滞在する事にした。とりあえず旅に使う

保存食などを暇つぶしに買いに行こうと言い出したレイにマイスが続き、ヴァイも後を追

おうとした。そこにルシータが声をかけてきたのだ。

 ヴァイはルシータも外に行くように言ったが、ルシータは雨に濡れるのが嫌と言って頑

固に拒んだ。しょうがなくヴァイが残り、レイ達が戻ってくる間カードゲームをして遊ん

でいたのだった。結果は先ほど言った通りにルシータの惨敗である。

「もう! こんなに雨が降ってるから調子でないのよ! 雨なんてだいっ嫌い!!」

 ルシータはスコアブックを引き裂いてベッドに横になった。ヴァイはその様子をため息

交じりに見ている。

「しょうがないだろ? 自然現象には従うべきだ。じゃあ、俺はちょっと出てくるよ」

 ヴァイはいつものジャケットを着ると街に入った時に買った傘を手にした。ルシータは

それを見てふて腐れたように声を出す。

「結局、ヴァイも外に行っちゃうのね。どうして皆、雨の中出歩く気分になるのかしら?」

「皆どうかは知らないが、俺は雨は嫌いじゃないよ」

 ヴァイは仕度を整えるとドアのノブに手をかけたままルシータに言う。

「雨は、全てを洗い流してくれる気がするからな」

 最後の言葉はルシータには届かなかった。ルシータは不思議そうな顔をしてヴァイを見

たがその時すでにヴァイの姿はドアの向こうだった。





 降りしきる雨は更にその強さを増した。傘を差しているにもかかわらず、雨粒は傘の内

側に入り込み胴の辺りを濡らす。地面に当たり飛び跳ねてきた雨粒がジーンズの先を濡らした。

(こうやって濡れるのが嫌なんだろうな、ルシータは)

 ヴァイは濡れる事を大した気にする様子も無く整備された道を歩いていた。人の姿は無

い。円の外側は住宅街、内側が商店街と分かれているのがゴートウェルの特徴で、住宅街

の更に外側が宿屋など旅行客が利用する場所になっている。今、ヴァイが歩いているのは

住宅街に入った所で、この雨の中外を出歩いている人はいなかった。商店街のほうには人

がいるかもしれないが……。

(……)

 ヴァイは普通の人は気づかないほどそっと歩く速度を上げた。

 先ほど言ったようにこんな雨の中出歩く人などほとんどいない。ヴァイのような例外を

除いてもそんなに多い人数がそれも一緒に出歩くわけは無いのだ。

(つけられている)

 気づいたのはこの住宅街に入った時、足音は雨の音によって消されているがヴァイには

雨に混じって消え入りそうな気配を感じ取っていた。その数は正確には分からないが五名

以上。そんな人数が一緒に歩いているのは何か不自然だった。より不自然なのは速度を上

げたのにも関わらず、上げた瞬間からあわせて集団も速度を上げた事だ。とてもじゃない

が常人には速度を上げた事にさえ気づかずいつのまにか離されている。

(俺を狙っている、何者か。《蒼き狼》ほどの脅威も感じないが……)

 ヴァイは何の前触れも無くメインストリートから横道にそれた。すぐに走り出し、ある

程度入り口から間をあけた所で身構える。傘は自分の足元へと置いた。

 体を雨に濡らしながらも意識を集中し、気配を回りに同化させる。それにより、より鋭

敏に気配が感じられる。

 そして気配の数が明らかに足りない事に気づいた。

(!?)

 ヴァイはその場から即座に飛び去っていた。そこに三人の人影が手にしたナイフをつき

たてて出現する。三人が体制を整える前にヴァイは魔術を放った。

「『黒』の衝撃!」

 放たれた衝撃波は両側の建物の壁を抉りつつ三人を同時に吹き飛ばした。三人はメイン

ストリートまではじき出され、吹き飛ばされている三人の下を通って二人がヴァイに襲いくる。

 その姿は黒一色に染められており、典型的な暗殺者スタイルだった。

「暗殺は夜やるものだろう!」

 ヴァイは先にきた暗殺者のナイフを紙一重で躱すとそのまま体に肉薄し、肩を鳩尾に押

し付ける。そして腹の底から気合と共に息吹を吐き出し、右足を力強く踏み込んだ。そこ

から生まれた力が暗殺者の体を貫通し、暗殺者は苦鳴を上げて吹き飛んだ。吹き飛ばされ

てくる暗殺者を、最後の暗殺者が片腕で弾き飛ばしてヴァイへと肉薄してくる。そのスピ

ードは他の暗殺者の比ではない。どうやらこの暗殺者が彼等の隊長のようだ。

 暗殺者が振り下ろしてきたナイフをヴァイはナイフを持った右腕の手首を掴んで止め、

そのまま捻り、投げ飛ばす。道路に投げ出された暗殺者はヴァイが振り下ろした拳を避け

ると飛びずさる。すぐさま接近し、今度は突きを放ってきた。

 次の瞬間、暗殺者は何が起こったか分からなかったのだろう。甲高い音が響いたあと呆

然と自分の突き出したナイフを見ている。ナイフは刀身と柄の付け根が完全に分離してい

た。その視界の向こうには右腕に剣を持ち、振り上げた格好のまま止まっているヴァイの姿。

 そこで暗殺者は理解する。

 自分の突き出したナイフを下から掬い上げるような一撃で刀身から折ったのだ。暗殺者

にはその剣の軌跡はもちろん、いつ抜き放たれたのかも分からなかった。

「さて、観念しろ」

 ヴァイは剣を暗殺者の鼻先に突きつけて言った。少しでも不穏な動きを見せればすぐに

でもその首は胴体とは分離する。そのことを理解したのか暗殺者は動かず、ただ黙ったま

まだった。

「黙して語らず……か、非常識だが暗殺者としては一流のよう……」

 ヴァイがこのまま気絶させて治安警察隊に引き渡そうと考えたとき、それは起きた。

突如剣を突きつけていた暗殺者の頭部が吹き飛んだのだ。

「!?」

 ヴァイは咄嗟に後ずさり周囲を見回す。すると他の暗殺者達も同じように頭部を吹き飛

ばされ、そこから炎が体を覆っていった。炎は雨の勢い以上に激しく燃えて、数分と経た

ずに暗殺者達を灰へと変えた。ヴァイは周りの気配に気を配っていたが、降りしきる雨は

更に強くなり気配を掴みにくくなる。しばらく動かないままで過ごしたヴァイは、次の攻

撃が無い事を確認すると傘をとり、走ってもと来た道を引き返し始めた。自分が狙われた

ということは仲間にも刺客が迫っているかもしれないと考えたのだ。

(いったい何なんだ!)

 ヴァイは胸中で憤りに叫んだ。





 ヴァイが出て行ってから十分程経った時、廊下のほうから物音が聞こえた。

 注意して聞くと足音のように思える。ルシータはその音になにか不思議なものを感じた。

 この宿には観光シーズンから外れている事もあって利用している客はヴァイ達だけなのだ。

それなら宿屋の主だろうかとルシータは考えたが、主は昼食の準備のために厨房へこもり

きりだと自分で言っていたのだ。

 なおかつこそこそと来る理由が無い。すると一体誰の足音なのか。

 ルシータはレイ達が帰ってきたかヴァイが帰ってきたか二択に到達する。しかしいずれ

も説得力に欠けていた。その正体は足音が部屋のドアの前で止まった事で一気に解明する。

 そこから発せられたあからさまな殺意によって。

「誰よ!」

 ルシータは咄嗟に身近に立てかけてあった木刀を取り身構える。それと同時に何人かの

人影が部屋へと侵入してきた。そのうちの一人が一直線にルシータに手にした短剣を突き

出してきた。素早くしゃがみこみそれを躱すと手にした木刀を掬い上げるようにして相手

へと叩きつける。木刀は相手の喉下を強打し、喰らった相手は悲鳴も上げずに後ろへと弾

き飛ばされた。その手並みを見て慎重になったのか侵入者達はルシータを囲むようにして

身構える。ルシータは冷静に状況を見極めようと勤めた。

 自分を囲んでいる侵入者達は五人でいずれも上から下まで黒ずくめである。顔は覆面で

覆われていて性別は分からなかったが体格からして全員男だろう。それはヴァイを襲った

暗殺者達と同じスタイルだった。

 両端にいた二人が同時にルシータに向かう。微妙に移動速度が違う事から時間差で攻撃

してくることを予想したルシータは、まず片方から片付けようと向かって右側の暗殺者に

向かって行った。暗殺者は姿勢を低くして突進してきたルシータに強烈な蹴りを繰り出す。

 ルシータは足が自分に叩きつけられる直前に相手の膝に向かって木刀を横にして叩きつ

けた。相反する衝撃に蹴り足の皿が破壊されて暗殺者は声無き悲鳴をあげた。そうして体

勢を崩した所へ鳩尾に木刀が鈍い音と共に吸い込まれる。前に出た勢いを右足で床を踏み

込む事で殺し、振り向きざまに木刀を一閃させるとそこへ飛び込んできたもう一人のこめ

かみを痛打し同じく昏倒させる。

 残る三人はそれに間を置かずに襲い掛かってきた。その時いきなり先頭にいた暗殺者が

緑の光に包まれて一瞬後に黒焦げになっていた。後ろに続いた暗殺者達も呆気に囚われる。

 そこを見逃すルシータではなかった。横に下げるような形で木刀を持ちながら一直線に

二人の暗殺者へ向かい一人目の間合いに踏み込むと、勢いをつけた一撃は首筋へと吸い込

まれる。その打撃によって体を折り曲げた暗殺者の鳩尾に膝を叩き込むと、すぐに最後の

一人の胴を横薙ぎする。だが流石にその一撃は暗殺者の体をかする事なく躱され、二人の

間が開いた。

 ルシータは正眼に構えた。最後に残ったこの暗殺者は今までとは違う事を肌で感じ取っ

ていた。しばし静寂が部屋を包む。それを破り二人が動こうとした時、再び暗殺者の体が

緑色の光に包まれた。光が消えた後に残るは黒焦げの体のみ。完全に気を失っている事を

確認するとルシータは安堵の息をつきベッドの下に目を向けた。そこから這い出てくる影

が見える。ルシータはその影に近づいていって拾い上げた。

「ありがと、レーテ」

 ルシータの手に捕まれているのは緑色の体をした獣。これはカーバンクルと呼ばれる幻

獣だった。幻獣が人間と共に行動するというのは普通有り得ない。しかしこのレーテとい

うカーバンクルの子供は例外だ。ゴートウェルに着く前、スーラニティという街で巻き込

まれた事件で知り合った少女になついていたのがレーテだった。そしてその少女は別れ際

にレーテをルシータに託したのだ。レーテがいつか自分達をまた合わせてくれると言って。

 そのためルシータはこの幻獣を大事にしている。そうすればその少女が言ったようにま

た会う事ができると信じて。

 そのレーテはどうやら今までベッドの下で寝ていたようだ。うるさい物音に起きてルシ

ータが何か危険だと察知したのだろう。

 ルシータの手の中でレーテは再び寝息を立て始めた。ルシータはベッドに再びレーテを

置いた。そして暗殺者達のほうを振り向いて小さく悲鳴をあげる。

 暗殺者達は煙を上げて融けていた。液体になった肉体からはブクブクと泡が立ち、異臭

を放っている。他の暗殺者の体もそうだ。ルシータはあまりの光景に涙目になりながらそ

の場から動けずにいる。そこへ廊下を走る足音が近づいてきた。

(だ、誰!?)

 ルシータの精神は恐慌状態にあった。冷静な判断をすることができず、足音の主は自分

に向けられた刺客であると判断した。ベッドに置いていたレーテに手を伸ばす。しかし足

音が扉の前に来るのが早い。

(駄目!!)

 その時、ルシータの体が呪縛から逃れるように動いた。手に持っていた木刀を扉に向か

って投げつける。開かれた扉から入ってきたのは――マイスだった。

 マイスは向かってくる木刀に反応できずに直撃を喰らい、部屋から弾き飛ばされた。

 その後、鈍く大きな音が聞こえてくる。どうやら廊下の壁に頭をぶつけたようだ。

「マ、マイス……。脅かさないでよ! ホントに驚いたんだから!!」

 ルシータはマイスが味わっている激痛を知らずに激怒している。しばらく叫んでようや

く気が晴れたのかマイスの所に近づいていった。

「で、どうしたの? そんなに急いで」

 ルシータはまだ頭を押さえているマイスに手を貸して立ち上がらせる。マイスは頭をさ

すり、涙目になりながら部屋へと入ってきた。

「いくら驚いたからって木刀投げつけないでよ……」

「そんなことはいいからどうしたの? ああ、レイは? 一緒じゃないの?」

 自分の痛みをそんな事として済まされてしまったマイスは深く溜息をつき、恨めしげに

ルシータを見る。だがすぐに床に倒れている既に液体となった暗殺者達を見て急いできた

理由を思い出したのか、深刻な表情になって言う。

「大丈夫だったんだね、良かった……。僕等も襲われたんだけどレイが一人で囮に

なったんだ。僕は先生に応援を呼びに来たって……って先生は?」

「今、出かけてるわ。出かけてすぐに襲ってきたのよ」

 ルシータはもう暗殺者達のなれのはてを見ようともせずに言う。そしてしみじみと言った。

「この部屋換えてもらわなくちゃね……」


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