漆黒の闇が男の前に広がっていた。

 空を覆う雨雲のために月明かりは無く、街灯もこの近辺には無い。

 もっともそのような所だからこそ男も密会の場所に選んでいたわけだが。

 自分には有利な密会のはずだった。

 そこで提示されるはずだった条件は、自分のこれからの地位を不動のものにしてくれ

るはずだったものであり、万一の場合を想定して腕が立つ者たちを十人雇った。

 もちろん秘密裏に。

 どの者もその道では少しは名の知れた傭兵たちで、彼等で威嚇していれば自分の安全

は確保されるはずだった。

 だが、実際は違っていた。密会が始まり提示された条件は男の予想をはるかに裏切り、

男を破滅させるに十分な物だったのである。

 男は激哮して傭兵たちに相手の抹殺を下した。

 その先に待っていたのは相手の死体などではなく十名の惨殺死体だけだった。

 男は逃げた。後ろに響く相手の甲高い笑い声を憎悪と、恐怖を抱いて聞きながら。

 男は恐怖のためにはっきりしない足取りでありながらもようやく表通りへと飛び出そ

うとしていた。

「やっ……やったぞ!」

 男は思わず叫ぶ。その歓喜はすぐに絶望へと変わった。

 視界に一つの影が飛び込んでくる。男はその正体をすぐに知り、後ずさった。男の心

臓は破裂しそうなほど鼓動を高めている。

 目の前にいるのは傭兵十名を一瞬にして惨殺した人物がいた。そして男はその人物を

よく知っている。

「逃がすわけにはいかないよ」

 暗闇のために顔が見えなかったが声からして男であり、その口調からその人物が笑っ

ている事が分かった。

 男はその人物が今どういう顔をしているか手にとるように分かる。

 口の端を吊り上げ顔を不気味に変形させながら笑っているのだ。生理的に受け付けな

い、そんな顔だ。

「アステライス。君には死んでもらうよ」

「『白』狼牙!」

 男――アステライスは暗闇にいる男へと魔術を放った。その光によってアステライス

の服装が明らかになる。

 黒のローブで体の上から下を覆っていた。歳は四十代ほどだろうか。

 普段なら渋さが目立つその顔には今は恐怖しか浮かんでいない。

 魔術が向かう先にいる男は体全体を覆っているタイツのような物の上に貴族が着るよ

うな服装を身につけている。

 まだ二十歳になるかならないかといった感じの青年だ。髪は金髪で短く刈り込んでいる。

 その顔に浮かぶのはただ一つ。

 狂気、だった。

 アステライスが放った魔術は狂気を浮かべた男に命中し、爆発を起こした。

 周辺が騒ぎ出すのが分かった。しかしアステライスには今、その事にかまう余裕は無い。

(生き延びれば、こっちの勝ちだ!)

 アステライスは爆風を突っ切って表通りに出ようとした。まだなくならない粉塵の中

に飛び込む。しかし、その後に続いたのは男の絶叫だった。





「これで、三人目、か」

 ラーレス=クルーデルは目の前に横たわる同僚の死体を見て呟いた。服装は死体とな

っている同僚――アステライスと同じく黒のローブ。だがその下には活動的な白のスラ

ックスに白シャツを着ていた。

 アステライスとは魔術都市ゴートウェルの象徴である魔術師養成機関《クラリス》で

の仲間だったがアステライスは四十代、ラーレスはまだ二十代前半だった。

《クラリス》では年齢に関係なく実力があれば上の地位につくことができる。

 ラーレスは若くして《クラリス》の最高階級である執行部幹部になったために他の者

達の風当たりがきつかった。

 そんな中で気にせず接してくれたのがアステライスだったのだ。ラーレスの顔に悲し

みがよぎる。

「ご愁傷様です」

 駆け寄ってきた警官がラーレスの顔を見てそう言葉をかけてくる。あまり感傷的では

無かった。彼等には一人の死を気にする暇が今は無かったのだ。

《クラリス》の最高責任者決定会議をあと一週間後に控えた今日までに、権利がある執

行部の人物が殺されたのは三人目。誰かの裏工作なのは分かりきっている。

 最高責任者が決まっても世界で誰かに影響があるわけではない。妨害する理由が浮か

ばないのだ。

 候補者を除いては。

《クラリス》の最高責任者という地位は関係が無い人にとっては何の価値も無いが《ク

ラリス》関係者なら最終的に目標として目指す役職だった。

 西側の最大規模の組織であり、事実上西側の世界を統治しているのはゴートウェルと

いうより、この魔術師養成機関《クラリス》なのだ。

 よほど理不尽な事でなければ自由にできる。

 望む物が手に入る。

 それが《クラリス》最高責任者という地位だった。

(今回はそれが元の殺人事件なんだ)

 ラーレスは内心嘆息した。そしてため息混じりに言葉を発した。

「レイン……」

 今はいない、自分が最も信頼していた女性の名をラーレスは言った。

 それは信頼を超えていたかもしれないが今は分からない。

 ラーレスは彼女ならこの事件を簡単に解決してくれるのではと思った。

 自分よりも先に最年少執行部員を獲得した稀に見る天才。

 いつでも目標だった尊敬する女性。ある日突然言葉を残して消えた女性……。

「俺は……」

 ラーレスは言葉の先を言わずにその場を離れた。

 物言わぬ死体を後ろに置き去りにして……。



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