それは本当に唐突だった。フェナは今、自分が遭遇している事態のあまりの突飛さにどう

行動したらいいのか思考できなかった。そのくらい今の状況はフェナにとっては稀なもので、

おそらく他の人々にとってもそうであったろう。

 フェナの目の前にいるのは二人の人間。彼女が本当に久しぶりに会ったその人間達――実

際はその片割れである綺麗な金髪の少女であったが――彼女はフェナの住んでいるこの小屋

の中に入り、フェナの姿を確認すると目を一瞬輝かせてすぐに言った。

「さあ、行きましょ」

「……は?」

 フェナはそんな声を出すしかなかった。この少女が一体どうしてここに来たのかというの

は分かった。どうやら自分をどこかに連れて行きたいようである。しかしこの説明の無さは

なんだろう? とフェナは思った。ここまであっさりと目的だけを言われて分からないと、

まるで自分が分からない事が悪い事のように思えてくる。フェナはとりあえず思考を再開さ

せると今度はちゃんとした言葉で問いかけた。

「そ、その前に、いろいろと言う事があるのでは……?」

 フェナは平静を装って言葉を紡ごうとしたが、やはり動揺の為に言葉が奇妙に詰まってし

まう。そんなフェナの様子に金髪の少女の後ろにいる男――薄い茶髪の青年は気づいたらし

く金髪の少女に何かを言おうとする。しかし少女はそれに気づきもせずにフェナの言葉に答えた。

「ああ、そうよね。あたしはルシータ=アークラット。何でも屋してるの。それであなた

を探して連れてくる依頼を受けたのよ。フェナ=ノーストラインさん」

「……」

 フェナはこの少女に何か惹かれるものがあった。分からないが自分と同じ物を持っている

ような気がしたのだ。実際彼女と自分は似ても似つかないとは確信していたが。

 彼女は本当に綺麗で輝いている金髪に整った容姿。それに似つかない大胆な言動。それに

もましてフェナが彼女は自分と違うと思ったのは、確固たる自分の信念を持っていると感じ

させる瞳だった。その瞳は何か心に信念を持っている者の瞳だ。何かに挫折し、そして這い

上がってきたものの眼。フェナは思わずその瞳から目を反らしていた。こんな強い人と自分

が似ているなんて感じた自分が罪深いように思えて。

 ルシータはフェナのその行動を見て警戒心を持たれていると思ったのかさっきよりも軽い

口調で言った。

「ああ、警戒しなくていいよ。嫌ならその気になるまで待つし……。あ、ほらこの写真見て」

 そう言ってルシータは一枚の写真を取り出した。ミスカルデから貰ったフェナの写真である。

「あ……」

 その写真はフェナが六歳の時、丁度街の人々から追い出される直前に撮ったものだった。

 追い出された時に紛失してしまっていたものでフェナは再び自分の目の前に現れた写真に

目を丸くした。

「これをどこで?」

「あなたのお母さんの妹に貰ったのよ。あなたを探す手がかりにって。これが送られてきた

直後にフェナが街を追い出されたんだって聞いて気が気じゃなかったんだよ」

 ルシータから渡された写真をフェナは見つめた。六歳の時の自分。この頃はまだ街を追い

出されていなかったが、同年代の人から幾度もいじめにあっていた時期だ。このくらい表情

がそれを裏付けている。

 フェナはふと自分はこの頃から何か変わっているのだろうか、と考えた。

 答えは、否だ。

 自分はこの頃から何も変わっていない。外の世界に出たいと思っていても人が怖くて結局

この場に――居心地の良いこの場に留まってしまう。母親の妹という人は初耳だったがこれ

はいい機会だ。言うだけならいくらでもできるが、行動を起こすには自分の足で立ち上がり、

出て行かなくてはいけないのだ。

 そしてフェナは決断した。

「レーテ」

 ルシータは最初、フェナが発した言葉の意味が分からずきょとんとして彼女を見つめた。

 フェナはルシータの方を向いておらず、その視線はこの小屋のルシータ達がいる場所とは

反対の端に寄せられている。そしてルシータは気づいた。そこに何か生き物がいる事を。

「……幻獣……」

 突然耳に入ったマイスの呟きにルシータは驚いて体を振るわせた。今まで全く話に入っ

てこなかったのでルシータもその存在を忘れかけていたのだ。

「いきなり何を……」

 ルシータはマイスの顔が青ざめているのを見て言葉を途中で飲み込んだ。そして吹き出て

いる汗の量からしてその生き物に気づいたのは今ではないという事もわかった。マイスが会

話に入ってこなかったのはこの生き物に始めのほうから気づいていたからだろう。

 ルシータは視線をまた生き物に向けてマイスが言った言葉を声に出さず復唱する。

(幻獣)

 その名は何度かヴァイの口から出てきていたし、彼らの更に前の種族が創った物に関する

事件にも巻き込まれていたからその危険性はルシータの中である程度の現実味を持っていた。

しかし、今目の前にいる幻獣というのはそんな想像とはかけ離れたものだった。

「キューイ」

 フェナの声に反応して出てきたのは可愛らしい泣き声を出してくる。そしてひょこひょこ

とフェナの傍まで来るとその手に抱かれてフェナの目線の高さまで持ち上げられる。

 ルシータは思わず大声で言っていた。

「か、可愛い!!!」

 フェナの腕に抱かれているのは子犬ほどの大きさの幻獣だった。体は緑色で手足は少々長

め。歪んだ扇形に広がった頭部の中央から少し下がったところ、おそらく額にあたる部分に

は真紅の宝玉が埋め込まれている。ルシータは興味津々といった様子で幻獣――レーテとい

うのが名前だろう――を見ている。

「カーバンクルは人に懐かない筈なのにどうして……?」

 カーバンクルとは幻獣の中では比較的小柄で、魔力は五本の指に入るほどの容量を持っ

ているという種族だった。幻獣達の中でも特に群れをなすことを嫌い、主に単独で行動

する。いつもはおとなしいが自分に害のあるものには容赦ない。防御能力は絶大でほとん

どの魔力攻撃を無効化できる。

 マイスが呟きを発する直前に思い浮かんだ学んだ知識はこのようなものだった。

 マイスの呟きにフェナはにこりと微笑んだ。マイスはその笑顔にどぎまぎしてしまう。

 フェナはそのマイスの様子がおかしかったのか、しばらくマイスを眺めてからマイスの問

に関する答えを言った。

「この仔は特別なのよ。この仔はこの森の守り神……。そして私が『盟約』を交わした幻獣」

 フェナは一度言葉を切り、ルシータとマイスを眺めた。二人ともフェナの言葉の意味を理

解しようとしているのか難しい顔をしている。フェナは内心笑ってしまう。自分の言ってい

る事を全て理解できるはずは無いのだ。それに対する知識が無ければそれを理解する事は不

可能なのだ。

(この人達になら、話してもいいよね? レーテ)

 心の中でカーバンクルの子供に問い掛ける。それだけでこの仔とは会話ができるのだ。

 レーテは特に何も言わず腕の中で気持ちよさそうに寝息を立て始めた。それを了承と受け

取ってフェナは再び意識を二人に戻すと続きの言葉を発した。

「私はこの森を守るためにこの仔と力を共有したの。そしてこの森を死ぬまで見守りつづけ

る『守護者』となった……」

「そんな事が可能なのか!? 幻獣と力を共有するなんて魔力の容量が違いすぎて普通の人

間じゃ耐え切れない!」

 マイスが驚きの為に声を荒げながら言う。フェナは急に冷めた視線になると淡々と、その

事実を語った。

「そうよ。私は普通じゃない……。私は――だから」

「え?」

 ルシータにはフェナの言葉の最後の部分が聞こえなかった。隣のマイスを見るとどうやら

聞こえたらしく声も出ない様子で口をあけている。

(絵に描いたような馬鹿みたいな顔ね)

 そんな事を思いつつルシータは聞こえなかったと言って再度同じ言葉を言ってもらった。

 そして今度ははっきりと彼女の耳にも届いた。

「私は幻獣と人間のハーフなのよ」





「『白』の残思」

 ヴァイの掌から輝く光の球が生まれる。それは上空へと昇り、遺跡を明るく照らし出した。

「助かりますヴァイさん。なんとか今夜中に作業を終えたいと思います」

「そこまで急ぐ必要があるとは思えないが……」

 ヴァイはそう言いながらも別に反対はしなかった。ここに来るまでに遭遇した化け物とま

た戦うのははっきり言って酷だった。他人を守りながらだとあの獣に対抗するのは難しいと

分かったからだ。

 今日の作業、というのはこの遺跡の探査。遺跡内はどうなっているのか調べる事だった。

 当然あの獣のような奴らも遺跡を防衛するために潜んでいるはずなのでヴァイはこれから

調査団の護衛をしながら遺跡内に入っていく事になる。

「気をつけて行ってらっしゃい」

 そう言ってきたのはレティワズだった。レティワズは既に夕食を食べ終えて横になってく

つろいでいる。彼はここに残って遺跡の周りを調査する人々を守る役割があった。

「遺跡内のほうが危険かもしれないけんど……まあ、両方同じくらいっかねぇ」

「すぐに戻ってくるさ」

 ヴァイはすでにレティワズとはかなり親しくなっていた。ヴァイは昔から人付き合いは良

かったがこんな短期間に親しくなるのもまた珍しかった。よほど気質が合うのだろう、と思

いつつヴァイはもう二言三言言葉を壊してから調査団とともに遺跡へと入っていった。

 レティワズはヴァイ達の背中が見えなくなると同時に眼を鋭くして呟いた。

「割に合わない仕事だぜ……」





 遺跡の中は蒸し暑く、壁は全て湿り気がある。中にはたまった水が通路に流れ出している

ところもある。

「夏だから、湿気がかなり高いんですね」

 ボスキンスはその禿げ上がった頭をタオルで拭きながら歩を進めていく。順番は戦闘がボ

スキンス。その後ろに二人の調査員がいてその次にヴァイ。その後ろにまた二人がいるとい

う隊列だった。

 普通ならこの隊列では人が邪魔になって咄嗟に動けないがヴァイはそんな事にならないと

いう自信があった。昔も、ルラルタにいた頃も遺跡発掘の護衛というのはやった事があるの

でそこの処理はかなり自信がある。

 しかし、この遺跡に漂う何かしらの気配は今まで体験した事の無いものだった。

「何なんだろうな……」

「何がですか?」

 ヴァイの呟きにボスキンスは尋ねてくる。ヴァイはそれを無視した。これは感覚的な問題

で他人に理解させるのは不可能だからだ。ヴァイはその何かの気配の正体は分からなかった

がぼんやりと感じていた。

(この遺跡は掘り起こすべきじゃない)

 この遺跡は何か危険だ。今までヴァイが携わってきた遺跡の中でも危険度はおそらく上位

のはずだ。今この場で引き返させる事が必要なのかもしれない。ヴァイはそう考えたがそれ

は出来なかった。

『何でも屋』は依頼主の依頼を途中で中断する事は基本的にできない。もともと『何でも屋』

は報酬を貰って契約するのであり、途中放棄は契約違反なのだ。依頼主の行動が明らかに間

違っていた時に限り、『何でも屋』は依頼主の行動を止める事ができる。極端な例を挙げれ

ば暴力で押さえつける事も認められているのだ。

 今のヴァイ考えている事はあくまでヴァイの想像の域から出ず、依頼主の行動を止めるに

は根拠が弱い。

(『妙な雰囲気だから引き返そう』なんて言っても説得力はまるで無い……)

 ヴァイは説得を諦めると改めて気を引き締めた。

(必ず調査団は守る……)

 ヴァイ達は更に奥へと進んでいく。道はどんどん深くなっていき空気も薄くなり始めている。

「……おかしいですね」

 先頭のボスキンスの呟きは呟きというよりも、独り言に近くヴァイのところにも届いた。

 ヴァイはその呟きの真意が分からず、少し声を出してボスキンスへ尋ねてみた。ボスキン

スは困ったような、それでもなにか重大な事を発見したように顔を苦笑いさせながら言った。

「いやね、先ほど気づいたのですが、ここに微弱ですが空気が流れてきているんです」

 それにはヴァイも気づいていた。空気が薄くなっているのは人数がヴァイを含めて六人も

狭い通路の中にいるためであって空気がその場にしかないのではないのだ。

 どこかから――正確には前方だが、立ち止まっていると微かに感じるといった程度の風が

流れてきているだ。

「しかし、それが何なんだ? こうやって地下に作っているのなら空気の流れを良くする工

夫をしていてもおかしくはないだろう」

「確かに、これが元から地下に造られたものなら良いんですけど」

 ボスキンスの言葉にヴァイは一瞬動きを止めた。後ろをついてきた調査員二人は突然動き

の止まったヴァイの背中にそろってぶつかる。

「じゃあ、この遺跡はもともと地上にあったって言うのか? これだけの規模の遺跡が年月

が経っているからってここまでの深さに埋もれるわけはないだろう」

 ヴァイはこの深さに遺跡があるのは古代幻獣達が何かの意図で最初から地中深くにこの遺

跡を造ったと思っていたのだ。

 そしてヴァイは何かむきになって遺跡が地上にあったとする説を否定する。何故ここまで

自分がその事を否定するのかは全くわからない。あえて言えばそれは本能が警告を発してい

た。そんな事があってはいけない。もしあったとすればそれは何かとんでもない事実を暴き

出してしまうかもしれない。そしてそれは今の人類を騒然とさせるような……。

「ここに着いた時にこの遺跡の周辺の地質を調べました。そしてここの地層は間違いなくこ

の遺跡が造られた後に覆われているのです」

 そこまで言うとボスキンスは再び前に進み始めた。ヴァイもその場に留まるわけにはいか

ず、歩みを進める。内心はまだ落ち着きを取り戻していないが周りへの警戒は忘れなかった。

そうしてしばらく時間が経った時、ヴァイ達の視界が突如開けた。



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