(これはどういうことなの……?)

 フェナーノーストラインは困惑していた。自分が突然意識を失って、その間に『森の守

護者』がかってに侵入者を排除していたのは何度かあった。何かしらの不思議な力が働く

のだという事は理解できる。しかし、今問題なのはその力ではなく現状のほうだった。

(次々と『守護者』の反応が消えていく……。彼らを倒せる人がいるなんて……)

 フェナは今、この森に侵入してきている者に恐れを抱いていた。

『盟約』の元に自分に与えられた力。自分の身を守る唯一の手段が今この時は通用して

いないのだ。

(でも……)

 しかしフェナは恐れと同時にかすかな安堵感が心を満たす事も分かっていた。自分はも

う疲れているということも。そしてこの場所から、森から出て外の世界を見てみたいとい

う思いがあることも。

 しかしその思いは成就できないのだ。『盟約』を破る事はできない。それを破るという

事は裏切るという事だ。自分を、自分をあの時助けてくれた者への恩を裏切るという事だ。

 自分がここに留まり、自分の生涯をかけて森を守っていく価値が自分の受けた恩にはあ

るのだ。

(でも……!)

 フェナの心は渦巻くいくつもの思いにかき乱されていた。交錯する自分の感情と助けて

くれた者への恩情。感情を理性が支配しようとし、理性が感情に飲み込まれようとしてい

る。フェナの心の葛藤をよそに自体は刻々と進んでいく。そしてフェナの感覚が真直ぐ自

分の所に近づいてくる反応を見つけた。





「『灰色』嵐!!」

 マイスの振り向きざまの魔術は、二人を追ってきていた獣を重力の力で地面へと叩きつけ

る。ルシータは横手から飛び出してきた別の獣が伸ばしてきた腕を走ってきた勢いを殺さ

ずに木刀で叩きつけて弾き飛ばした。

 一度立ち止まり、すぐに走り出す。追撃してくる獣はようやく目に見えるほど減ってきていた。

「や……やっと、減ってきたね……」

「まだまだ、わかんないわよ!」

 ルシータはそう叫ぶとまた一体不意打ちを仕掛けてきた獣を叩き伏せる。ルシータとマ

イスは最初に獣に襲われた地点からずっとこれを繰り返してきた。つまり、走って逃げ、

追いついてきた獣を迎撃し、また走る。

 もうどのくらい進んだかも分からない。

 今がいつなのかも分からない。

 いつのまにか完全に木々が空を覆って日が見えなくなり、辺りはかなり暗くなっている。

 それが日の光が届かないせいなのかそれとも完全に日が暮れているのかも分からなかった。

「とりあえず、今見えてる残りを片付けよう」

 マイスはそう言って走るのをやめて獣たちのほうを見やった。ルシータはこれからマイ

スのやろうとしている事を予想して顔を膨らませた。

「またおいしいところを持ってく気!?」

「……『黄』光!!」

 マイスはルシータの問に答えず(魔術発動の為に精神集中していたからではあるが)魔

術を発動させた。その刹那、マイスの体の周りにいくつも放電した球が現れて次の瞬間に

は迫り来る獣たちに向かって襲い掛かった。球は獣の体に接触するとそこから激しく放電

し獣の体を一瞬にして黒焦げにする。

 他の獣も同様だった。

 そうして魔術が発動してから数秒で、断末魔を上げて絶命した獣の死体があたり一面埋

め尽くした。その数は十数匹といったところだ。

 これだけ一度に死体があっては誰もが驚くであろう。

「……他には、いないようね」

 ルシータがしばらく警戒して構えていたのを崩すと腰に木刀を戻した。そうして息を整

えた後にまた先へと進み始める。無論、襲撃を受けないように辺りに気を配りながら早足である。

「さっきから気になってたんだけど……」

 ルシータはマイスが後ろについてきていることを確認してから言った。

「あの獣たち、あたし達がこっちに向かってから急に攻撃が激しくなったわよね」

 マイスはその意見にしばらく考えを巡らせた。冷静に考えてみれば最初にいた地点では

あの獣たちの攻撃はほとんど無かった。こちらが近づいてきた獣を片っ端から叩きのめし

ていただけで明確な攻撃を仕掛けてきたというのはなかった気がする。

 しかしこちらに逃げて来た時は獣たちには攻撃の意志があった。

 実際、ルシータは獣が伸ばしてきた腕を弾きながら走ってきている。

 獣の爪は鋭く研ぎ澄まされていて自分からそれの切れ味を試したいとは思えない程であ

ったし、何より獣たちの濁った目が彼らの放つ殺気を如実に表していた。

「……じゃあ、最初はただ近寄ってきただけのあいつらを叩きのめしたってわけだね」

 マイスの結論にルシータは一瞬体を硬直させながらも何とか話をそらそうとした。

「まあ、確かに何も危害を加えていないのに攻撃するなんて野蛮だけど……って最初にあ

の獣を丸焦げにしたのはマイスでしょ!!」

「あ、あれは……まあ、とにかく今はそんなことを気にしてる場合じゃないね……」

 今度はマイスがしどろもどろになり話題を反らした。ルシータはしてやったりと顔に笑

みを浮かべている。そしてルシータは自分の考えをマイスに伝えた。

「つまり、こっちにあの獣たちが近づけさせたくない何か、があるに違いないわ!」

 ルシータの意見にはマイスも賛成らしく特に反論はよこさない。しかしその表情は何か

を言いたそうにしている。

「何? 何か言いたいなら言っていいわよ」

「今探すのはフェナって子でしょ? 寄り道しててもいいのかな」

 ルシータの承諾を得たマイスは即答で自分の考えを述べた。そしてルシータの顔に浮か

ぶ焦燥をみてはっきりと自覚した。

(フェナを見つける手がかりが無くなったってことか……)

 マイスは自分達が完全にこの森で遭難した事を自覚した。獣に追われていたおかげで帰

り道が全く分からない。その上、どうやら夕暮れ時らしく微かに夕日の赤い光が飛び込んで

くる。暗くなるのも時間の問題だ。この上なく悪い、これ以上ないというほど遭難の状況だ。

「こうなったら動かないで明日の朝に帰り道を探すしかないよ」

 マイスが今時点で最良の考えを口にする。全く解決には向かっていないがこれ以上悪い

状況になるわけでもない。まあ、妥当な案だろう。しかしルシータには妥当という概念は

存在してはいなかった。

「進むわ!」

 ルシータの言葉をマイスは一瞬理解できなかった。まさかこの期において更に事態を悪

化させるような行動を進んで行おうとする人間がいることが理解できない。そして同時に

理解する。結局彼女の思い通りに事態が進むという事を。

「この先にさっきの獣の守りたいものがあるっていうならそれはきっと『古代幻獣の遺産』

に違いないわ! あんな獣、普通いないもの」

 普通じゃなかったら全て『古代幻獣の遺産』絡み……ルシータの思考はそう繋がってい

るようだ。まあ、マイスもそう考えていたのだから別に文句は無い。しかしこの状況下か

ら動きたくは無いというのも本音だった。しかし……。

「ほら、さっさと行くわよ!!」

「うん……」

 ルシータの後ろをマイスはついていく。その時ふと、自分が思いを寄せている女性の事

が頭に浮かんだ。

(生きて、ちゃんと会えるのかな……)

 マイスの心中を知らずルシータは鼻歌を歌いながら先に進んでいく。マイスはその頭を

一度思いきり叩きたい衝動に駆られたが彼女の性格上、後でどれだけの仕返しが待ってい

るかを想像するとその感情も収まっていった。そしてそんな自分が情けなく、ため息をつ

く。そのため息を聞きつけたルシータが後ろを振り返って言ってくる。

「ほら、こんな所で疲れてるなんて情けないわよ。シャキッとしなさい、シャキッと」

 マイスは何か言おうといつのまにか下げていた頭を上げてルシータを見返そうとした。

そこにチラッと何かが飛び込んでくる。

「!?」

 マイスはそれを確かめるためにルシータの前に飛び出して瞳を凝らして森の奥を見据え

た。そうして遂に見つける。

 視線の先には耕された畑と、木造だがしっかりと地面に立っている小屋があった。





「『黄』の裁き!」

 ヴァイの体の周りに生じた数十個の電磁球はヴァイが手を振りかぶった事により一斉に

獣に向かった。次々に電磁球は標的にぶつかると爆発し、獣を屠っていく。獣の数はある

ときを境にその数を大幅に減少させた。何故かは分からないがその事はヴァイ達に希望を

与え、獣たちの襲撃ももうすぐ終わりへと近づいていた。

「『赤』き飛礫!」

 ヴァイの言葉と共に放たれたいくつもの小火球は残っていた獣達全てを貫いていた。

絶叫がハウリングしてあたりに響き渡る。そして獣達全ての息が途絶えた。

「……流石です、ね。ヴァイさん」

 その声にヴァイが振り返るとそこにいたのはボスキンスだった。かなりの数の獣がいた

中でヴァイも全てを迎撃できた自信は無かった。実際に調査員の何人か、最初に死んだも

のを含めては死亡している。生きている者も手や足に傷を負っている。しかしボスキンス

は全く怪我をしていなかった。ヴァイが不思議そうに見ていると気づいたのかボスキンス

は手を軽く振りながら言った。

「私は昔から逃げるのは得意なんですよ」

 ヴァイは特にボスキンスに聞くことはしなかった。ボスキンスの言った事もほとんど無

視して皆の情況を見る。

「みんな、いつまたあの獣がくるか分からないから、早く移動しよう」

 怪我の状態はたいした事はないと判断し、ヴァイはみんなを促して移動を再開した。レ

ティワズもヴァイの意見に同意すると調査員を強引に歩かせた。

 そしてしばらく歩みを進めていると次第に森の木々が少なくなってくる。道は完全に消

えているがそこに何か存在する事だけは何故か理解できた。ヴァイの心に何かが誘いをか

けてくる。

(この先に……確かに何かある)

 その内に木々によって閉ざされていた視界がぱっと開かれた。そこには夕暮れに染まっ

た大地にぽっかりと開いているクレーターがその存在を存分にアピールしている。その大

きさにヴァイはもちろん他の調査員達もしばらく見とれていた。クレーターの底には空洞

のように見える穴がひとつ。そこから見えるのは明らかに人工物である階段状の物がある。

「これは……」

 ヴァイはその巨大な遺跡の前に複雑な思いを心に宿していた。これだけの規模の遺跡が

今まで発見されていなかった事への驚きと、自分の記憶にあるこの場所の、今と昔の違い

への驚愕。どちらも今の状態ではヴァイには推測も不可能だった。

「ここに、これだけの遺跡なんて存在していなかったはずだ。これはどういう事だ?」

 ヴァイは自分の記憶に残っていたものを無理やり引き出した。ヴァイは確かに一度、こ

の近くまで遺跡の調査に来ている。《リヴォルケイン》時代に一度、六団長に任命されて

初めての長としての任務だった。そんな大事な時期の事を忘れていたなんてとヴァイは自

分を追求した。そして自分が《リヴォルケイン》六団長だったヴァイス=レイスターでは

なく『何でも屋』ヴァイ=ラースティンであるという事を自覚する。

(過去の名前は捨てたはずなんだけどな……。やはり忘れていくのは寂しい気もするな……)

 ヴァイが誰に問い掛けたのでもない問を言って黙り込んだのを見てボスキンスが回答してきた。

「これはほぼ一月前にいきなり現れたんですよ。街の人々にいろいろ聞いてみましたところ、

その時期に夜間凄まじい音がこの辺りに響き大地を震撼させたということです。そうして

できたのがこのクレーターでしょう。その影響で地面深く沈んでいた遺跡が姿を現した、

といったところですかね」

 ボスキンスはさらりと答えてきたがヴァイはその言葉の中で不可解な言葉を聞いていた。

「このクレーターの深さはかなりのものだ。普通は古代幻獣の遺跡はこんな地中深くには

存在しないだろう」

 古代幻獣がこの世界から姿を消してからずいぶんと経つがヴァイがこれまで見てきた遺

跡は全て埋まっていたといってもそれだけで大まかな外見は予想がつくといったものばか

りだった。しかし今回のこれは普通じゃ絶対分からないこんな遺跡はヴァイが見たところ

初めて発見された種類だろう。

「まあ、その点の不可思議さは我々も考えましたが結論は出ませんでした。一応でた結論

は発掘してみれば分かる、でしたね」

 ヴァイはそれを聞いてこれ以上の話は意味がないと遺跡の入り口らしき階段状のものを

見る。その胸中にはだんだんと暗雲がかかり始めていた。

(このクレーターができたのはほぼ一月前。俺がルラルタを出たのも同じ時期……ただの

思い過ごしかもしれないが、嫌な予感がする)

 ヴァイは一人厳しい視線で遺跡を見つめている。既に調査員の何人かは入り口らしきも

のをじろじろと眺めつついろいろと分析しているようである。ヴァイもすぐにその場から

調査員達の所に向かった。

 ヴァイは気づいてなかったが同じように厳しい眼をしている男がヴァイと少し離れて立

っていた。レティワズである。その視線の先は調査隊の面々……ではなくヴァイだった。

 そして小声で呟く。

「……退屈しなくて済みそうだ……」

 レティワズは一瞬顔に凄絶な笑みを浮かべると調査隊の護衛に戻るべく入り口を広げよ

うとしている調査員に近づいていった。日はもうじき暮れようとしている。





(もうすぐ日が暮れるな……)

 レイは立ち並ぶ街並みに遮られて消えていく太陽を見ながらふと、ヴァイ達に連絡をす

ればよかったと思った。少なくとも今夜中は宿に帰れそうも無い。今日の宿代の内に入っ

ている夕食代が無駄になるな、と考え苦笑を浮かべてしまう。

(なんか、すっかり庶民的な感覚だねぇ……)

 レイは治安騎士団に入ってから、自分が上流階級の人間だと意識した事は無かった。

 つまらない、色の無い生活を続けてきた自分にとって今の状況は本当に新鮮で楽しいも

のだった。

 王都ではほとんど無くなったが、まだ身分の高い貴族が高い役職につくという世襲制度

が根強く残っている。まあ、それも一部だけで《リヴォルケイン》は徹底した実力主義で

ある。王家の親戚筋という後ろ盾を期待できないが、逆を言えば自分の力だけで後ろ盾以

上の結果を得られるという《リヴォルケイン》にレイは入隊した。レイは子供の頃から貴

族の子息が通うような学校には通わず、あくまで一般人の子供が通う学校へと通った。自

分はけして特別な人間ではないということを精一杯表現したかったのだ。しかしそれは誰

にもわかってもらえず、自分に媚びへつらう教師、疎ましさと嫉妬から暴力をふるってく

る同級生。それらの人々に孤独と焦燥、絶望感を受け、レイは打ちのめされた。そしてレ

イは繰り返される不条理に一度自殺をしようと思い至る。それを止めてくれたのは一人の

同級生だった。彼の言葉は今も覚えている。

(人が生きるのはその目的を探すためだ。レイはまだそれを見つけるほど生きていないよ)

 レイはそう言われた瞬間、自分の中に生まれた"思い"を認識した。

 理不尽な暴力から人々を守りたい。

 その"思い"によってレイは《リヴォルケイン》入隊を決意したのだ。もともと戦闘の

才能は人並みだったので時間はかかってしまったがなんとか《リヴォルケイン》中級騎士

にまで昇格した。その情熱は今も変わっていない……。

(ルシータが無性に気になるのは自分と似た状況だからかね)

 レイも《リヴォルケイン》に入隊したと同時に親からは勘当されている。《リヴォルケ

イン》に入隊するのはかなりの名誉だがレイはその時には既に偽名を名乗っていたのだ。

 レイ=スティングという名を。

 そんな自分だからルシータにちょっかいを出したがるのだろうとレイはまたしても苦笑

混じりに考える。レイは次々と昔の事が思い出されるのは何故だろうと考えて、すぐにこ

の状況のせいだ、と結論づけた。

 今、レイがいるのは連続殺人の標的であるコーダ=ローリンスの家である。一軒家である

そこにはコーダ以外誰もいなかった。両親はすでに離婚し、生活費だけを送ってもらって

いるという事だった。ちなみにこの家は母親名義の自宅である。

 一番見通しのきく居間の中央でレイとコーダは向かい合ってソファに座っていた。コー

ダは落ち着かなく周りを見渡している。居間の四隅と入り口にはそれぞれ警察隊員が陣取

っており中央の二人を監視するという状態である。この状況で昔の記憶を手繰る以外に何

をして暇をつぶせばいいのか、レイにはその方法は思いつかなかった。

「はぁ……」

 レイがため息をつくと同時にビクッと体を振るわせるコーダを俯いて顔を見なくてもレ

イは分かった。なんて情けない男だ。ここまで来たらもっとドンッと構えたらどうだ。と

内心思いつつまた思考は思い出へと入り込んでいく。

 その内日も完全に暮れて外は闇が支配し始めた。街灯に火が焚かれ、屋敷にも明かりが

灯される。夜の闇に灯りがいくつも浮かび上がり街を彩っていった。





 そうした状況の中、そして事件が始まる。



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