「ふわぁ〜ぁ!」

 馬車の御者台に座って手綱を引いていたレイは大きな口を開けてだらしなく欠伸をして

いた。本人は二十六歳と言っているが、雰囲気的には三十代というアンバランスなものを

兼ね備えたこの傭兵は、目の下に隈を作りつつ顎に生えた無精髭を気にしている。

 レイの欠伸につられて、その隣に座っているルシータも口に手を当てて欠伸をした。

「ちょっと……だらしのないあくびしないでよ。映っちゃったじゃない……」

 今年で十八。

 少女から大人に容姿ががらりと変わる時期にきている彼女は容姿だけならかなりのもの

を持っている。しかし彼女を知っている者は人は見かけに寄らないということをはっきり

と自覚するという。

 今回の言葉もそのお嬢様風の外見からは想像できないほど一般市民の口調だった。

 しかしこれは序の口に過ぎない。

 ルシータの抗議にレイは少し不機嫌そうに言葉を返した。

「元はといえば、嬢ちゃんが悪いんじゃないか。前の街でしてた仕事を失敗して夜中から

逃亡しなきゃならんかったのは嬢ちゃんが原因だろう……」

 レイは男のわりに肩まで届く長い髪を持ち、それを片手で器用に縛りながら言う。

 ルシータはその髪を鬱陶しげに眺めつつレイの言葉に渋々と言った感じで話す。

「だって……あのスケベじじいがあたしのお尻を触ってきたから完膚なきまでに叩き潰し

ただけでしょ!!」

「減るもんじゃなし……。それだけでどうして半死半生の目にあわせなきゃならねえんだ

よ。あのじいさんお前の顔見ただけで発狂までしたんだぜ。あそこまでやるんなら確実に

過剰防衛だ」

「減るの! それにあの手のじじいはそれぐらいしなきゃわかんないのよ!!」

「だからってなぁ……」

 二人の言い争いがヒートアップしそうになった時、荷台のカーテンからひょこっと顔が

飛び出した。寝起きらしく少し崩れている髪形、鋭いというか完全に眼が覚めていないの

だろう、そんな眼をした男が二人を睨みつけた。

「……うるせぇ……」

 男は寝起き特有の掠れた声で言った。だがその声に含まれる危険な感じを取れないほど

御者台の二人は素人ではない。

「ごめん、ヴァイ……」

「悪かった……」

 二人が謝った事に満足したのか男――ヴァイは不機嫌そうに中に戻った。ルシータが聞

き耳を立てるとすぐに寝息が聞こえてくる。それを確認してから今度は小声でルシータは

レイに言った。

「あたしが悪かったわよ。確かにちょっっっっっっっっっっっとはやりすぎたと思うわ」

 全く反省の色が見えないルシータにレイはため息をつきながら言う。

「まあ、すぎた事はしょうがねえ。次の街で仕事を見つけないと俺達の旅が危ない」

 数週間前、ラスピンという街である事件を一緒に解決した傭兵のレイと魔術師見習のマ

イスが加わった事により旅費が徐々に足りなくなってきていた。

 なくなってからでは困るという事で、ヴァイは目的地に急ぐのをやめて途中の街で仕事

をして金を稼ごうという手段に出た。そして結果が先ほどの会話である。

 その街の事実上の統治者をルシータが半死半生の目にあわせてしまったため、捕まる前

に逃げ出してきた。それが昨日のもう日付が変わる寸前、それから馬車を休ませる事無く

ここまで逃げて――進んできたのだ。

「とにかく! ヴァイの機嫌を直すにはいい仕事を見つけてくるしかねぇ」

「うん。ここはあたしも協力するわ」

 二人はひそひそ声でちらちらと荷台に眼を向けながら話した。

 今向かっているのは目的地、魔術都市ゴートウェルへの最短の道の途中にあるスーラニ

ティという街だ。ちょうどこの西の大陸で栄えている商都ルラルタと中心都市であるゴー

トウェルの中間地点に位置しているため商品の流通もよく、人口も西側ではかなり多いほ

うである。そこなら旅用の食事も多く手に入るだろうし、仕事も見つけやすいだろうとレ

イが判断して向かっているのだ。

「あ、見えてきたよ」

「そりゃ、夜通し馬車を進めてきたからな……」

 レイの皮肉には耳を貸さずにルシータは前方に見えてきた都市、スーラニティを見て驚

いていた。大きさはルラルタの方が上だろうが、全体から来る雰囲気はなんとなくだがこっ

ちの方が上だと思える。

 ルシータは父親との不仲のために家から家出してきた過去を持ち、そのために大都市は

父親の操作網が広がっているというのを見越して小さな村経由で商都ルラルタへとたどり

着いた。だから彼女がルラルタ以外の大都市を見たのはこれが初めてだといえる。

「今度は楽な仕事になればいいね」

 ルシータの呟きは道にあった石に馬車の車輪が引っかかったため、振動でかき消され

た。しかしそれはレイの耳にはしっかりと入ってきている。レイは声に出さず胸中で呟いた。

(今までの旅から『楽な仕事』って言葉が出るのか……? 嬢ちゃんは……)

 レイはヴァイ達のルラルタを出てからの旅がどういうものだったか、ヴァイに聞いてい

た。出る前から災難に巻き込まれ、つい最近ラスピンの街でももうすぐ死ぬというところ

までいった。レイはそれだけでもうわかっていた。

 この旅に安全な事はない、ということを。





 スーラニティという街は一言で言えばつまらない街である。少なくともヴァイにはそう

思えた。目立った特産物はなく、技術も、商品も、食料もゴートウェルやルラルタに比べ

れば劣るがそれでも周辺の町に比べればかなり良質なものが入ってくる。暮らしも豊かで

あろう。

 しかし、それだけだ。

 暮らしが豊かで、欲しいものは思い切り高望みしない限り手に入る。公園も適度に良い

位置に配置されており、日中は子供の声が途絶える事はない。

 だが、それだけだった。

 特に不自由があるわけでもなく、特に際立ったものもない。特徴がないのである。

 強引に特徴を上げれば二つの中心都市からの個性が交わらずに存在している、という事。

 別に不自由がなければそれで良いのでは、と普通は思う。しかし、何事もなく変化がな

い日常に人間は満足せず、何かいつもと違う事をしようと目論む。そしてそれが犯罪へと

結びついていくのだ。

 この街はこの世界で最も犯罪件数が多い街としても有名だった。

 犯罪といっても軽犯罪、つまり窃盗、強盗など人の命を奪う事を目的としない犯罪がこ

の街の体制が確立してからずっと続いてきた伝統のようなものになっていた。

 何のとりえもない都市の、唯一世界に誇れる事は今までで死者が出るような犯罪は起こっ

ていないという事である。レイ達がスーラニティに向かうのをヴァイが許可したのも、ゴ

ートウェルへ早く行きたいだけではなくそんな治安の良さに眼をつけたからだった。

 しかしヴァイが宿屋で食事をしていたところにレイが持ってきた仕事は意外なものだった。 

「殺人事件?」

 ヴァイは朝食を食べつつレイの言葉に問い返した。その声が意外に大きかったのか他に

ちらほらといた客がこちらを振り向くのが見える。ヴァイはとりあえず無視する事にして

続きを促した。

「ああ、どうやらこの街では二日程前から殺人事件が起こっているらしい。しかも連続殺人だ」

 レイはさりげなくヴァイの朝食のゆで卵を口に運びつつ更に続けた。

「現場には殺された奴の血でいろいろと書かれていた。まあ、そいつに対する罵詈雑言

ってやつだ。それだけ見るとまるで子供レベルなんだが――手口がそうじゃない」

「どういうことだ?」

 ヴァイは更におかずを取ろうとしたレイの手から皿を取り上げて先を急がせる。

「ここの治安警察がいくら平和ボケしていてもやはりプロだ。そいつらが厳戒態勢を強い

ているところを全く姿を見られる事無く被害者を殺しているんだ」

 レイはしばらくヴァイの手の中にある皿を名残惜しそうに見つめてから席を立った。

「どうだい? 依頼はターゲットの護衛なんだが」

 ヴァイは露骨に嫌な表情をすると嘆息混じりに言った。

「そっちはお前に任せるよ。お前のほうが適任だろ。お前は現役の《リヴォルケイン》な

んだから」

 ヴァイの皮肉にレイは言葉を詰まらせるがすぐに言い返した。

「今は休暇中になってるんだよ。まあ、分かった。俺はそれで金を稼ぐよ」

 レイはそう言うと食堂から出て行った。

 レイは傭兵とは仮の姿で実際は王立治安騎士団《リヴォルケイン》の団員だった。そし

て以前ヴァイもその部隊にいたことがあり、当時世界最強と言われた男なのだ。今から六

年前両親の仇を追って《リヴォルケイン》を脱退したヴァイは遂に仇である<クレスタ>と

いう男を倒した。しかしそれがヴァイの新たな旅の始まりになる。

 レイはヴァイの親友である《リヴォルケイン》六団長の一人であるアイン=フィスール

がヴァイを助けるために派遣した《リヴォルケイン》中級騎士だった。

(最初からそんな感じじゃなかったけどな……)

 ヴァイは内心そう思う。最初の印象から苦闘を共に助け合って乗り切った時までで、も

う言葉以上に信頼関係は深まっていた。今やレイは頼りになる仲間の一人だった。

「せんせぇ〜」

 朝食を食べ終えて食後の紅茶を飲んでいると、間の抜けた声を出しながら一人の少年がこ

ちらに来るのが見えた。

 年はルシータと同じくらいだろう、しかし多少幼さが残る顔は女性受けしそうだ。髪の

色は色素が薄いのだろう、少し赤みがかかっている。ヴァイは少年の姿を見てあまりいい

感情は取れなかった。それは少年の格好が問題なのだ。

「マイス、俺の服装を真似するのはどうかと思うぞ……」

 マイスと呼ばれた少年はヴァイの言葉に目を丸くしている。その事を言われるのが信じ

られないと言わんばかりにその表情は語っていた。

 マイスの格好は青Tシャツ、ジーンズという格好だった。白いジャケットを着ていない

だけまだヴァイと同じではない。

「いいじゃないですか。先生は僕の憧れなんですから、真似しても……あ、そんな事より

どうして僕を食事に誘ってくれなかったんですか?僕だって馬車の中に夜通しいてお腹

減ってるんですから……」

「お前あんなにぐっすりと寝てただろう? そんな奴を起こせるほど俺は無神経じゃないんだ」

 実際はヴァイは何度もマイスを起こそうと目論んだ。しかし何度やっても、どんな事を

してもマイスは眼を覚ます気配さえない。ついに最終手段としてルシータに協力してもら

い、彼女の木刀の一撃とヴァイの鳩尾への一撃を加えてもマイスは気持ちのよさそうな寝

息を崩さず眠りつづけたのだ。

「……それにしてもお前、ずいぶん眠りが深いんだな」

「ええ、でも時間通りには起きるんですよ。体内時計はしっかりしていますから。今回は

明らかに不規則な生活がたたりましたね」

 マイスはヴァイの向かいに座ると軽めの朝食を注文した。その後思い立ったようにヴァ

イに顔を向ける。

「そう言えば、どうもおでこと鳩尾が痛むんですけど何かの病気ですかね?」

「まあ、そういうこともあるんじゃないか。大丈夫だよ」

 ヴァイは適当に真実からマイスを遠ざけるとそのまま他愛のない会話に進めていき、マ

イスの朝食がきた頃にはマイスは最初の疑問は忘れていた。

「そういえばルシータは?」

 マイスが席を立って出て行こうとするヴァイに向かって瞳で行かないで、と訴えつつも

訊いた。ヴァイは一言、風呂だ、と答えるとそのままそそくさと食堂を出て行ってしまった。





「やっぱ、朝のお風呂が一番よね〜」

 湯船に浸かりながらルシータは上機嫌に鼻歌を歌いだした。スーラニティは何とか目玉

をつくろうと温泉に気合を入れていた。ルシータが今いる大浴場は、広さは普通の一軒家

一個半ほどの大きさがあり、造型品もかなり趣向を凝らしている。しかも最大の特徴はこ

れだけの規模の温泉を所有している宿屋が普通の宿と代金が変わらない、という事だった。

「でも、なんとかヴァイの機嫌治さなきゃ。この頃、レイやマイスのせいであたしの活躍

の場が少なくなってきたから……正式な相棒としてはレベルアップが必要なところね……」

 ルシータはそんな事を考えつつ温泉から上がると更衣室で涼み始めた。

(何かヴァイをあっ、と驚かせる仕事をこなせばヴァイもあたしの事を見直すかも)

 と考えていたときに不意に影がルシータを覆った。驚いて顔を上げるとそこにいたのは

服を脱ごうとしている女性だった。その視線がルシータに向けられている。

「えーと……何か?」

「……あなた、何でも屋なの?」

 女性のいきなりの発言にルシータは呆気に取られた。

「何故、あたしが何でも屋だと?」

 女性はくすくすと笑うとごめんなさい、と言った後に言葉を続けた。

「貴方の服に何でも屋の証明証がつけてあったから」

 ルシータが自分の衣服が入れられている籠を見ると一番上にかぶせてあった上着の胸の

部分にバッチが貼り付けてある。これはルシータとヴァイがルラルタで何でも屋の権利を

もらった時に与えられる証明証だった。

「貴方以外に入浴客がいなかったからそうだと思ったの」

「……それで、何か仕事の依頼でもあるの?」

 ルシータは多少警戒を解きつつその女性に問い掛けた。そうしながら思う。

(なんて、綺麗な人……)

 その女性の短くした黒髪の下にある顔は美人というよりももっと活動的で野性的な感じ

を受けるのだが、ルシータにはそれが彼女の魅力を際立たせていると感じた。年は二十代

前半で、今着ている服は白いワンピース。尚且つそれが今のルシータでは手が届かないほ

ど高い服だという事は容易に想像できた。かなりの資産家の婦人、あるいは一人娘といっ

たところか。

「あなたに人を一人探してほしいの」

 そう言って女性は一枚の写真を取り出してルシータに渡す。それに映っていたのは一人

の幼い少女の姿だった。子供特有の明るい雰囲気というものが欠落している。歳は六歳と

いったところだ。しかし最も注目すべきはその少女の髪の色であった。

「この子の髪……」

 ルシータは少女の髪の色に一瞬見とれた。少女の髪は普通の人では考えられないような

色をしていた。少女の髪は緑色だった。目の覚めるような緑。ルシータが今まで見てきた

緑色の中でおそらく一番のものであろう。

「名前はフェナ=ノーストライン。スーラニティ近郊の森の奥に住んでいるわ。彼女は

……その髪を見ても分かるように普通の人とは違っていてこの街の人に嫌われ、街を追

い出されてしまったの。私は彼女の母親の妹で、彼女を引き取るためにここに来たの」

 女性はそう言うとルシータの手に自分の手を重ねてきた。ルシータは一瞬緊張したが女

性の方が震えているのを見て動揺を押さえた。女性は涙を流しながら言葉を続ける。

「彼女は母親が虐待によって死んでからずっと一人で森の中で生きてきたんです。私も早

く迎えに来たかったのですが、夫の許しを得るのに時間がかかってしまったために今頃……」

「……どうして場所がわかっているのにあたしに依頼を?」

「あの森は今、何故か凶暴な獣が増えているというの。それで昨日治安警察隊の方に案内

を頼もうと思ったのですが警察もフェナのいる場所が特定できていないらしく、二日前

からの殺人事件にかかりきりだというのでとりあってもらえなかったという訳で……」

「……」

 ルシータは少女の写真を眺めながらその少女に自分の姿を重ね合わせていた。人々から

蔑まされて自分の存在価値が分からない、ルシータは勝手ながらそんな印象をフェナに感

じた。立場はほぼ百八十度違うが、自分というものの価値が分からないという点ではこの

娘とあたしは同じだ。ルシータはそう考えると一層やる気が出てきた。

「よし! 分かりました。この娘を必ず貴女の所に届けます。スーラニティのどこにいますか?」

 女性は満足げに微笑むとスーラニティのある地区の名前を告げると先ほどまでの悲壮な

雰囲気を内に下がらせて言う。

「その写真はあの子の母親が送ってきたもので、フェナは私の事は知りません……。

フェナの母親はあの子を産む前に私たち親類の前から姿を消してしまいましたから」

「はい、ちゃんと説得して連れて行きますよ」

 ルシータの言葉に女性はまた微笑み、服を脱ぐと温泉へと入っていこうとした。ルシー

タはそこで気づいて呼び止める。

「そういえば、あなたの名前は?」

 女性はルシータの方に向くと先ほどまでとは変わらない口調で答えた。

「私はミスカルデ。ミスカルデ=ミードレニン」



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